ハリー母さんのホークス&あれこれ日記 ~セカンドライフ編~

母娘3人のハリー家にキラキラ輝くホークスという宝物☆
愛するホークスと母のセカンドライフを綴っていきます

ホークス最強軍団への軌跡

2005年09月17日 | ホークス
深夜のRKB「ホークス最強軍団への軌跡」を簡単にレポート!
九州以外のファンの方に、少しでもお伝えできれば・・と思います。

ホークスが福岡に来て、勝てるまでの長い道のり・・・

・負け続ける中、故根本さんは、5年先を見据えた選手補強をしてきた。

王さんはがどんなにファンになじられても、玉子を投げつけられても「あの人たちは悪くない。期待が大きいからああいう形で出るんだ。俺たちが強くなればいいんだ。」と選手に言い続けた。

秋山さんをチームリーダーに迎え、なんとかチームを変えようとした。

ジョーがホークスに入った頃、「僕は70人中70番目だった。親父がまず69番を抜かせ!と言った。そして1人ずつ引きずりおろしていこうと思っていた」

・そのジョーを王さんは使い続けた。どんなに負けても使い続けた。「経験を積ませて育てていくのが大切」「替えてしまっては何にもならない」「ジョーは優勝するために必要なキャッチャーだ!」「任せとけば、自分で知恵を搾り出して何とかしてくれるだろう。キャッチャーとして技術だけでなく、人間性が良い。そういうものがあったのは僕も運が良い。」

・だからジョーは「恩返し」だと。「監督に自分のことで心配はかけない」「城島と松中は勝手に黙っとけば成績残してくれるだろう・・と(監督に思ってもらえるよう)」

松中が王さんから伝授されたこと「絶対まっすぐをしとめろ」「まっすぐがしとめられなくなったら、野球人生は終わりだ」

松中も「初めプロの力についていけず悩んだ」「這い上がって1軍でプレーするんだという一心だった」「誰に何と言われても誰よりも練習してきた」
勿論、小久保の影響が強い。

小久保の練習に対する姿勢は多くの後輩に影響を与えてきた。

・1999年調子が上がらなかった小久保を、王さんは4番から替えなかった。
王さんの信念4番はそう替えるもんじゃない。4番のバッターでも苦しんでつらい思いをしているんだという。自分がどうやって取り組んで、そこを切り抜けていくかというお手本なんだ。」

・1999年4月、根本さん死去。

・1999年9月8日、チームをひっぱてきた秋山の顔面を松坂のボールが直撃。試合に出られる状態ではなかったが王さんは秋山を試合に帯同させた。王さんの執念と秋山の闘志の前にチームは一つになった

1999年9月25日優勝決定!!

・王さん「(4年も負ければ)普通くびになると思うんですけど、中内オーナーはじめ、ダイエーの人たちが大きな気持ちを持って見ていてくれたと思う」

現在の強さの秘密は・・・

・勝ち越し打のバティスタではなく、5年ぶりのHRを打った的場をお立ち台に上げたスタッフ。自信をつけてほしいというスタッフの思い。
選手とスタッフが一体となって士気を高めていく。強さの秘密はここにもある。

・豊富な先発、多彩な中継ぎ、リリーフ。
俊足好打のバッター。日本を代表する捕手
そして誰よりも勝利に執念を燃やし、強いホークスを築き上げた指揮官
12球団の中でこれほど球場に足を運びファンと一緒にチームを応援するオーナーがいるだろうか。
選手の後ろには連日応援を送り続ける熱心なファンがいる。

最後にジョーと松中の言葉

ジョー「前はウェイトルームなど誰も使ってなかったが、今は試合が終わったあと、まずレギュラーが使い、若いもんはロッカーで待ってて、僕らが使い終わった後使うという、いい習慣、いいチームになってきている。」

松中「これから強くなっていくためには、若い選手がもっともっと、特に野手は追いつく、追い越すくらいの気持ちでやってもらわないと、常勝軍団に残れないと思うし、ピッチャーに関しては、今に満足することなく、もっと貪欲にまだまだ欲を持ってやってもらえればもっと勝てると思うし、強いチームで居続けると思う。」

・王監督はゼネラルマネージャーとして、10年先を見据えてチームを作っていく。

以上、かいつまんでダラダラと書いてしまったので、分かりづらいと思いますがそこはご勘弁を
コメント (2)
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