その場所の近くに、長嶋ゲートもあるそうですが、その時は気がつきませんでした。
どちらも、正面ゲート(22番ゲート)にあります。
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Oh Gate
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よく、東京ドーム1個単位で表現しますが、銀座4・5丁目位の大きさのようです。
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東京ドームシティHPより引用しました。
往年の野球ファンに愛され、数々の名勝負を生んだ後楽園球場。1937年に設立されたこのスタジアムは、「打撃の神様」川上哲治や千葉茂に始まり、V9時代を築いた長嶋茂雄・王貞治、そして「若大将」原辰徳、中畑清といった世代まで、幾多の選手を見守り続けてきた球場である。
中でも、長嶋茂雄の天覧試合でのサヨナラホームランや、「わが巨人軍は永久に不滅です」の引退セレモニー、そして王貞治のシーズン55本塁打の達成、通算868本のホームランへの軌跡は、この球場をして、単なる野球場を超えた存在にすら至らしめた。
しかし、スターが永遠でないように、スタジアムもまたその役割を終える時がやってくる。時代はいよいよ東京ドームへ──。
後楽園球場時代、3番の長嶋ゲートと1番の王ゲートとしてファンに親しまれていたこの2つのゲートは、後楽園球場が東京ドームに生まれ変わる際に撤去されたが、それを惜しむ声に後押しされて、ドーム開場10周年の1998年に復活したのがここ、現在の「NAGASHIMA GATE(長嶋ゲート)」と「OH GATE(王ゲート)」なのである。
黄金時代を築いた2人のレリーフが、まるで正面ゲート(22番ゲート)を挟んで東京ドームを見守るかのように、展示されている。