・・【 orionの首飾り】★★★

旅行・東京散策 四季折々 春夏秋冬 名所 グルメ 銅像 植物 青春18切符 食べる所 気になるニュース 発見 画像等

上田城櫓 門内にある上田合戦図 第一次上田城攻防戦図 画像14枚

2015-06-25 16:33:12 | 14🏯🏹🔥第一次上田城合戦図🌊14
上田合戦図

▼上田城櫓 門内にある
「1585年月 第一次上田合戦図」です。


▼①徳川勢の本陣
徳川勢七千が八重原に集結し陣を張った。

▼②上田城攻め
閏8月2日、徳川勢は長瀬川原をてこの瀬を渡り上田城攻めに向かった。

▼③真田勢のおとり作戦
神川付近に布陣した真田勢のおとりの誘いに乗り、徳川勢は上田城下におびき寄せられた。

▼④上田城の攻防
徳川勢は勝ちに乗じ城下へと迫ったが真田勢の伏兵に攻め立てられ大混乱に陥った。

▼⑤真田勢の反撃
反撃に転じた真田勢は徳川勢を神川に追い詰めた。

▼⑥徳川勢の敗退
神川を背にした徳川勢は真田勢に攻め立てられて戦死したり、増水した神川の水に流されたりした。

▼⑦丸子城攻め
八重原に退去した徳川勢は、真田方支城丸子城を攻めた。

▼⑧手白塚の牽制
真田昌幸父子海野から八重原の下を通り、塩川の手白塚(現上田市狐塚付近)に軍を進め徳川勢を牽制した。

▼⑨一進一退の攻防
戦線は膠着状態に陥り一進一退を繰り返した。

▼⑩徳川勢の引き揚げ
徳川勢は丸子の河原町付近を焼き払い、11月に陣を払い引き揚げていった。

▼千鳥掛の柵
真田の兵法は、基本は千鳥柵の柵である。


■Wikipediaから引用しました。■

上田合戦

上田合戦(うえだかっせん)は、信濃国の上田城(現:長野県上田市)と近隣の山城周辺、上田市の東部を南北に流れる神川付近などで行われた真田氏と徳川氏の戦いの総称である。

この地で真田氏と徳川氏の戦は2回行われ、天正13年(1585年)の戦を第一次、慶長5年(1600年)の戦を第二次とし区別する。

上田は東信濃の小県郡にあり、この付近は上田城築城以前から武田氏・上杉氏・後北条氏の国境として不安定な地域であったが、真田昌幸が武田氏の下で上野国吾妻郡・沼田を平定後、小県郡を平定し、上田城を築城した。

この戦いで真田昌幸は主に上田城に籠もり戦ったことから、上田城の戦い、上田城攻防戦などとも呼ばれる。ただし、正確には上田城のみならず砥石城や丸子城など上田小県に点在する山城も含めた総力戦であったため上田合戦と呼ぶ方が相応しい。
─────────────────────
NHK大河ドラマ 真田丸
上田合戦図
神川の戦い
上田城合戦図写真
長野県 上田城 千鳥掛け
布陣図
神川攻防戦