ヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムス(三浦按針)が乗っていた船だそうです。
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★台座銘板説明文 ★
『Dit beeld van "De Liefde", dat als eerste Nederlandse schip in 1600 in Japan aankwam, werd op 22 April 1980 door de Nederlandse Minister-President, A.A.M. van Agt, tijdens diens bezoek alhier namens de Nederlandse Regering aan de Japanse Regering aangeboden.
本彫刻は昭和55年4月22日、オランダ王国ファン・アフト首相来日の際、同首相よりオランダ王国政府に代わり、日本国政府に対し寄贈されたものである。
本彫刻のモデルとなった蘭船デ・リーフデ号は、1600年4月19日豊後臼杵湾北岸佐志生(現在の大分県臼杵市)に漂着したが、同船の乗組員であったオランダ人ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステインは、時の将軍徳川家康に顧問として仕え、わが国ではその名も八重洲として知られ将軍よりこの地域に住居を与えられていた。』
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■Wikipediaより引用しました。■
リーフデ号(リーフデごう、蘭: De Liefde)は、1600年(慶長5年)3月16日に、豊後国(現大分県)に漂着したオランダの商船。300トン。船長はクワッケルナック。漂着地は臼杵湾の黒島ともされるが、豊後国のどの地点かは不明。
概要
船名の「Liefde」はオランダ語で「愛」を意味する単語。元々はルネサンス期の人文主義者として知られるエラスムスの名を冠した「Erasmus(エラスムス号)」という船名であった。しかしこの名称が付けられた経緯、また変更された経緯については不明である。
2年前に本国オランダのロッテルダムを出航。初めは5隻の船団であったが、マゼラン海峡通過後の太平洋で、悪天候などにより離散した。乗組員は110人ほどいたが、生存者は僅かに24名。生存者の中にも重傷者が多く、翌日に3人が死亡したという。生存者の中には江戸幕府の外交顧問になったヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムス(三浦按針)も含まれていた。日本に到着した初めてのオランダ船。また、アダムスは、日本に初めて来たイギリス人であった。
漂着後、大坂に回航され、後浦賀に回航された(回航時に暴風雨に遭って沈没したとも言われる)。宣教師やスペイン人の記録によると徳川家康は関ヶ原の戦い時、リーフデ号の備砲や砲員を活用、さらには甲冑を回収し当世具足に仕立てたという。この漂着事件のことをリーフデ号事件ともいう。