・・【 orionの首飾り】★★★

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靖国神社 遊就館 伏龍特攻隊・回天・桜花の展示物 画像4枚

2014-08-31 10:18:15 | ♠遊就館 伏龍特攻隊 回天 桜花など♠49
伏龍特攻隊

日本の特攻隊は、神風特攻隊だけではない!
本土決戦のため、温存していた特攻兵器があった。


■Wikipediaより引用しました。■
[ 伏龍特攻隊 ]

伏龍(ふくりゅう)は、第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))末期の大日本帝国海軍による特攻兵器のひとつ。人間機雷。潜水具を着用し棒付き機雷を手にした兵士により、本土決戦における水際撃滅を狙った特攻兵器として、1944年に開発された。名称は「伏竜」ではなく「伏龍」と記述するのがより正確である。

概要

伏龍は海軍軍令部第二部長(戦備担当)黒島亀人少将の発案によるものといわれる。陸軍の肉薄攻撃(梱包爆薬を抱いて戦車に体当たりする)にヒントを得て考案された。航空機による特攻作戦は既に実施されていたが、1945年(昭和20年)の沖縄戦では九三式中間練習機まで投入され、予科練の生徒たちは乗る飛行機がなくなり余剰人員となっていた。伏龍は、これらを「有効に活用」するため考案された兵器の一つである。もとはB-29が投下した磁気機雷を掃海するために開発されていた簡易潜水具を攻撃兵器に転用したもので、実験は横須賀防備戦隊で行われた。

本土決戦では、まず特攻機が米軍の機動部隊に体当たりし、輸送艦などが接近すれば人間魚雷回天や特攻艇震洋などの水上特攻部隊が迎撃、そして上陸用舟艇を水際で迎撃するのが伏龍という構想であった。

> 本土決戦では、まず特攻機が米軍の機動部隊に体当たりし、輸送艦などが接近すれば人間魚雷回天や特攻艇震洋などの水上特攻部隊が迎撃、そして上陸用舟艇を水際で迎撃するのが伏龍という構想であった。

★人間魚雷回天や特攻艇震洋は、遊就館に展示されてました。
[ 人間魚雷回天 ]
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桜花 
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■Wikipediaより引用しました。■
[ 桜花 ]
歴史

開発まで
桜花の着想は、航空偵察員大田正一海軍特務少尉が陸軍で母機から投下するロケット推進の有翼誘導弾が開発されているとの情報を得て、製作担当の三菱名古屋発動機製作所から設計の概要を聞きだし、誘導装置の精度が悪く実用化にはほど遠いと知り、誘導装置を人間におきかえるのが一発必中を実現する早道だと確信して、大田が東大に足を運んだところから軌道に乗る。

この大田の相談に乗ったのが東大航空研究所の小川太一郎教授だった。実験に協力した谷一郎東大教授によれば「昭和十九年夏、東大航研で小川教授から新しい依頼があった。小川さんは広い見識と温かい包容によって声望が高く、外部から持ち込まれる相談の窓口の役割を余儀なくされていた。その僅か前に、大田正一海軍少尉が火薬ロケット推進の特攻機の着想を持参し、海軍上層部を動かすための基礎資料の作成を依頼していたのである。私に求められたのは、木村秀政助教授の描いた三面図を基に、風洞実験の助けを借りて、空気力学的特性を推定することであった。仕事自体はさほど困難ではないが、特攻機が母機を離れた後は、生還の可能性の全くないことを知って私はたじろいだ。」という。

1944年(昭和19年)5月第一〇八一海軍航空隊が開隊。直後に十一航艦司令部より大田が転勤してくる。大田は司令の菅原英雄中佐に対して桜花の構想を明かす。菅原司令は、任務外の新兵器開発に奔走する大田を黙認して、航空技術廠長和田操中将に電話で技術上の検討を依頼[12]。5月、6月ごろ菅原の推薦によって、大田は和田に桜花を提案した[13]。航空技術廠三木忠直技術少佐の戦後証言によれば、和田はもう決めた様子で、大田は「自分が乗っていく」と言うため、研究に協力したという[14]。 もっとも、三木忠直技術少佐は戦中のインタビューでは、「ドイツのV一号に呼応してわがロケット兵器の研究もまた全力をあげて行われていた。しかしV一号の目標は地上の間であるが、わが目標は空母、戦艦、輸送船の海上の点である。目標に対して一発必中の成果を上げるためにはV一号のごとく無人機では到底不可能である。どうしても人力を借りねばならない。だが、人の力を借りれば必中と同時に必死である。ここに悩みがあった。この悩みを解決したのが大田正一中尉(当時少尉)である。『 V一号に人間が乗ってゆくことだ。まず自分が乗ってゆく』と、烈々の至情を吐露して肉弾ロケット機『神雷』(桜花)を各方面に説き回った。」と語っている。

靖国神社 遊就館 玄関ホールのゼロ戦 画像14枚

2014-08-30 15:06:54 | ♠靖国神社♠48
遊就館内、玄関ホールに展示されてる零戦をいろんな角度から撮りました。
尚、この玄関ホール・売店・軽食レストランまでは、無料で入れます。

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人がいない写真を撮影するのに苦労しました。

靖国神社 遊就館の周辺にある鳩・馬・犬の慰霊碑 画像12枚

2014-08-29 16:46:52 | ♠靖国神社♠48
鳩は、伝書鳩として、軍が連絡方法として使われました。
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戦歿馬慰霊像・鳩魂塔・軍犬慰霊像

戦歿馬慰霊像は、実物大の軍馬の銅像で、戦場で斃れた馬の霊をなぐさめるため昭和33年(1958)に奉納されました。

「鳩と地球儀」と題した鳩魂塔は、地球儀の上に鳩をあしらった銅像で、誠実な伝令として戦場で活躍した伝書鳩の霊をなぐさめるため昭和57年(1982)に奉納されたものです。

軍犬慰霊像は兵士たちにとって最愛の仲間であったジャーマン・シェパードの銅像で、平成4年(1992)3月に奉納されました。
■靖国神社のHPより引用しました。■
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馬の慰霊碑には、にんじんが供えられていました。
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犬の慰霊碑には、缶詰めが供えられていました。
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靖国神社は、 終戦記念日の時の参拝者と比べれば、8月下旬の方が参拝者は少ないです。
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靖国神社 遊就館内 軽食 海軍カレー 画像8枚

2014-08-28 15:41:30 | ♠靖国神社♠48
海軍カレーサラダ付
昔懐の味¥800(単品¥680)
税込み864円でした。
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玉ねぎ、にんじん、肉とカレーが、分かれてます。味は不思議な味というしかありません。
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レストランの席から撮った零戦です。
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レストラン内のごみ箱です。
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靖国神社 遊就館 画像9枚

2014-08-27 15:21:37 | ♠靖国神社♠48
遊就館 館名の由来は、高潔な人物に交わり学ぶという意味だそうです。
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入館して、2階から玄関ホール見た景色です。
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展示室内での
・写真撮影
・ビデオ撮影
・録音
等は、ご遠慮下さい。
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100円リターン式無料ロッカーは、わからない場所にあり、入館したらありません。
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休憩する場所は、何ヶ所かありますが、レストラン(茶房)は、玄関ホールにしかありません。展示施設内にはレストランはありません。
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[私たちは忘れない] ドキュメント映画について

自分は全部は受け入れることはできません。反論する箇所があります。詳しく述べることは、ここでは控えておきます。
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■遊就館のHPより引用しました。■

『私たちは忘れない—感謝と祈りと誇りを—』(50分作品)
【作品内容】
日清日露の大戦から大東亜戦争に至るまで・・・。
我が国近代史の戦争を、当時の貴重な映像で再現し、
東京裁判で歪められた歴史の真実に迫るドキュメント映画。
【企画制作】 日本会議 ・ 英霊にこたえる会
【後   援】 靖国神社

【上映時間】
1日6回上映
《1》10:00 《2》11:00 《3》12:00 《4》13:00 《5》14:00
《6》15:00~15:50 (最終)
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★元日のみ1:00より1時間毎に上映致します(最終は15:00)
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みたままつり期間中
《1》10:00 《2》11:00 《3》12:00 《4》13:00  《5》14:00
《6》15:00 《7》16:00 《8》17:00 《9》18:00 《10》19:00~19:50(最終)
【ドキュメント映画 私たちは忘れない】
感謝と祈りと誇りを
50分 カラー作品

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■ ■遊就館のHPより引用しました。■
この映画は、教科書ではおしえられてこなかった、皆さんのお子さんやお孫さんに見せてあげて下さい。
きっと、わが国への誇りが湧き上がってくるでしょう。

私たちの国には、明治維新以来、共に力を合わせて国難に立ち向かった、日本民族の誇り高い不屈の歴史があります。
かけがえのない命を国に捧げた、先人たちの悲しくも尊い歴史があります。
私たちは忘れません。国難に殉じた英霊たちへの感謝と祈りと、そして日本人の誇りを—。

・主な内容
◆明治維新を成功させ、欧米列強の脅威から日本の自主独立を守りぬいた日清・日露の大戦
◆アジア安定に寄与する日本、中国大陸で繰り広げられる排日運動と満州事変の真実を探る
◆盧溝橋で日本軍に発砲された中国側の一撃、あいつぐ攻撃を受けついに日中の全面戦争へ
◆支那事変の拡大を避けようとする日本、裏で中国を支援する米英仏ソ、ついに米国が日本の前面に
◆日本参戦を仕掛けた米国の陰謀、そして日本は隠忍自重しながらついに苦渋の開戦決断へ
◆日本を侵略国と断罪した東京裁判の不当性を暴き刑場の露と消えた「戦犯」の無念をふりかえる
◆戦局悪化の中、祖国日本の防衛のため玉砕、特攻と尊い命を捧げた若き将兵たちの想いに迫る

●語り/浜畑賢吉・上村香子 ●教育用映像・永久保存版 非売品
●企画・制作/日本会議・英霊にこたえる会 ●後援/靖国神社
この映画(ビデオ)は、非売品です。

英霊にこたえる会は、靖国神社への総理、閣僚等の公式参拝の定着を求める国民運動を進めております。
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> 英霊にこたえる会は、靖国神社への総理、閣僚等の公式参拝の定着を求める国民運動を進めております。

総理大臣が靖国神社を参拝することが、靖国神社が求めていることが、初めて知りました。