オペラ座の怪人な日々

オペラ座の怪人とドールハウス作りにはまっているミミルのページです。

ラブネバーダイ(LND)に思うこと。

2019-01-23 17:00:00 | オペラ座の怪人

1月15日に開幕したラブネバーダイを見に行ってきました!
私は、この演目は初見です。
もちろん、オーストラリア版のDVDは見たことありますが、生の舞台は初めてなので、とても楽しみにしていました。

※ ということで、以下、ラブネバーダイ、またはLove Never Dies及びオペラ座の怪人に関するネタバレを含みますので、ご注意ください。

と、日本版の舞台の感想の前に・・・
この作品について以前、別の記事でも書いたのですが、もう一度、考えさせられましたので、まずはそのことを書かせていただきたいと思います。

2017年の横浜(KAAT)での劇団四季「オペラ座の怪人」を見てから、私は、オペラ座が大好きになってしまったクチです。それ以前にも、東京で2回ほど見たことあり、2004年の映画ももちろん見たのですが、横浜で観るまではそこまでハマってはいなかったのです。
それから、ラミンとの出会い(ただ25周年のDVDを見ただけですけど)とか、原作読んだり、ミュージカルとは関係ない映画版をいくつか見たり、スーザン・ケイの「ファントム」を読んだりとか、グッズを集めたり、っていうのが始まったんですけど。
その中でなかなかできずにいたことがありました。
そう、続編である「ラブネバーダイ」(以下「LND」といいます。)を見ることができずにいたんです。
ウェバー卿が作ったものであるし、ロンドンでの初演はラミン&シエラだったとも聞いているので、もちろん見たいと思っていたんですけどね、ネットなんかでちらっと見た限り、ちょっとストーリー的にオペラ座ファンには受け入れがたいかもしれないという噂なので、躊躇していました。
CDは聴いていて、ラミンのTIHYSはもうとんでもなく素晴らしいし、LNDやそのほかの曲も、バラエティに富んでいてドラマチックだし、ところどころにオペラ座のメロディが使われているのもオペラ座好きにはたまらんと思っていました。
でも、やっぱりオペラ座が好きであればあるからこそ、なかなかDVDを見られず、日本版上演の前には必ず見るようにしようとは思っていたのですが、ずるずると先延ばしにしていました。
しかし、思いがけず、早くに見ることになったのです。
それは2018年にラミンがソウルで出演したオペラ座の怪人コンサートがきっかけでした。
クリスティーヌ役がオーストラリア版でクリスティーヌを演じたアナ・オバーンだったのです。
そうなると、コンサートでアナさんを見る前に、やはりLNDの映像でアナさんの歌声をチェックしとかなくちゃ、ということになり、腹を決めてみることにしたのです。
DVDを見た結果の感想は、こちらの記事です。
いろいろと思うことはありましたが、日本版の舞台も見た今となっては見てよかったと思います。
音楽は素晴らしいし、セットなんかも豪華で、サーカスのシーンとか、生の舞台だと本当に見ごたえあります。
DVDの映像でも十分迫力がありましたが、生の舞台はやはり違いますね。

さて、このLNDという作品ですが、なんなんでしょうね?
ウェバー卿が元妻であるサラ・ブライトマンへの未練を断ち切れずに作られた、とか言われてますけど(MMS2018のトークショーのときにノーム・ルイスさんもそのようなこと言ってましたね。)。
本当にそうなんでしょうかね?
ウェバー卿が音楽の天才ということで自分とファントムを重ね合わせて、一度は失ってしまった歌姫クリスティーヌを10年という歳月を経て取り戻す、という願望から生まれたお話なのでしょうかね?
残念ながら、まだフォーサイスの「マンハッタンの怪人」は読めていないのですが、近日中に読んで、LNDとの共通点なども考えてみたいと思っています。

やっぱり、単純な続編としては、みなさんがご指摘のとおり、ムリがありすぎると思うんです。
ファントムとクリスがいつのまにか肉体関係持ってたとか(よくよく聞くと、ガラの後に初めて連れ去られたときではなくて、
その後、クリスが一人で忍んで会いに来た、とか言ってますよね!?)、本当はクリスはファントムを愛していたのに、ファントムが消えてしまったからしかたなく(?)ラウルと結婚したとか、やっぱり「オペラ座の怪人」からはそのような状況は不自然すぎて読み取ることができませんよねー。
今回、LNDの舞台を見る前々日に仙台で四季のオペラ座を見てきたんですけど、そのとき、やっぱりLNDを意識しながら、観ちゃったんですよ。
でも、どう考えても、このときにそんなことがあったとは思えないし、クリスはしっかりとラウルを選んでいるよなー、としか思えませんでした。
以前は、別のパラレルワールドで、もし何かが違っていたら起きたかもしれない世界、というように考えていたんですが、最近、それもちょっと違うかな、と思うようになりました。

最近、LNDを何度か見返したり、舞台を初めて生で観たりして、私の頭に浮かんだイメージは次のようなかんじです。
10年後(じゃなくても別にいいんですけど)とかにファントムが実はひとりでひっそりと死にかけていて、このLNDの物語というのはそのときに見た幻影というか、ファントムの願望の世界なんじゃないかと。いわゆる、夢オチというやつですね、はい。
クリスティーヌに恋い焦がれながらも会えない年月を過ごしてきて、ついに死にかけようとしているファントムが、クリスティーヌへの狂おしいほどの恋心をTIHYSとして歌い上げ(このあたりはまだ現実)、その後、空想というか願望の世界に突入していくというような流れというか。
ファントムの主観の世界だから、登場人物たちの人格も前作とはガラっと変わってしまっているのです。
無慈悲な殺人者だったファントムがめっちゃいい人になってるし、ラウルがあんなに落ちぶれてるのも、いわば「そうなってりゃいいのに」っていうファントムの願望っていうか、ひがみっていうか。
クリスティーヌが「あなたを愛していたのに!」なんて、絶対、オペラ座ではありえないですよ、やっぱり。この点も、あくまでもファントム様の妄想の世界と思えば、しっくりきます。
なんとなく現実離れしたサーカスや見世物の世界観も、夢か現か、といった表現なんじゃないかと。
ただ、あくまでもファントムの願望というか妄想なら、なんであんなバッドエンドなのか。
クリスティーヌが死ぬ必要はなくて、ファントムとグスタフと3人で幸せに暮らしったっていう話でもいいのかもしれませんが、そこはなんせ、夢を見ているファントム自身が死にかけているんですから、そのままみんなで生きていくっていうのは、ムリっていう潜在意識があるんですよ、きっと。だから、クリスを殺しちゃえー、と。
と、まあ、これはそれこそ私の勝手な妄想なので、みなさまはみなさまなりの解釈をお楽しみくださいね。
でも、私のこの理解を前提とすると、メグがあそこまで哀れに描かれる必要があったのか、という点が疑問なんですよね~。
ファントムのサーカス興行を成功させるために、メグが枕営業までしていたなんて・・・。
最初見たときは、あまりその点を理解していなかったのですが、日本語の歌詞は直接的だったような気がします。
オーストラリア版も、ラストのボロボロのメグの姿を改めてみたら、ものすごく悲しくて、哀れに思えました。そこまでしても、結局は、ファントム様は自分を見てくれない・・・、クリスティーヌにはかなわない・・・。
私は、凡人なので、クリスよりもメグの気持ちが分かる気がします。
LNDのクリスは、オペラ座のとき以上に共感できないんですよねー。
ラウルをだましてファントムの子を育てているとか、ファントムと再会して、最初だけ怒っていたけど、すぐにチューしちゃうし、そのあともチューするし。ラウルのこと軽んじすぎだよ!いくら飲んだくれで、借金まみれだとしてもさ。根は悪い人じゃないって。
クリスはオペラ座のときから共感度は低いけど、でも、オペラ座のときはもっと純粋でしたよね。
でもまあ、そんなキャラ変も、ファントム妄想説なら、スッキリしますよね。
自分の都合のいいようにクリスの人格も書き換えちゃってるってことですよ。
いくら10年という年月の経過が残酷だとしても、そこまで人の本質は変わらないと思いたいです。

さあ、いろいろと御託を並べてしまいましたが、百聞は一見に如かず。
みなさんもぜひ日生劇場に足をお運びください。
夢とも現実ともつかぬ世界があなたを待っていますよ!
日本版舞台の感想については、別キャストを見てから、あらためて書きたいと思います!


PS:私は、LNDオーストラリア→オペラ座25周年という順番で観ると、とても切ない気持ちになります。
なんだか、やるせないっていうか。
とくに、メグがクリスに「なんてすばらしいあなた!感激したわ!」っていうとことか。
だって、メグがクリス殺してしまうことになるなんて、このときは思いもよらなかったですよね(´;ω;`)

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