人生をひらく東洋思想からの伝言

様々な東洋思想の言葉やその精神を通じて、ともに学びながら一緒に人生や経営をひらいていけたら嬉しいです。

第41回 「至誠惻怛」(山田方谷)

2022年06月18日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第41回

「至誠惻怛(しせいそくだつ)」(山田方谷)

 

備前松山藩(現在の岡山県)の 財政再建の立役者である、山田方谷(ほうこく)が

高弟である、幕末に家老として越後長岡藩を指揮した 河井継之助 (かわい つぎのすけ) に、

送別の際に贈った言葉が、この言葉とも言われています。

 

「まごころ(至誠)と、いたみ悲しむ心(惻怛)があれば、やさしく(仁)なれる。」

 

そして、目上の人には誠を尽くし、目下の人には慈しみ(いつくしみ)をもって接し、

このような心の持ち方をすれば 物事をうまく運ぶことができ、

この気持ちで生きることが 人としての基本であり、正しい道である、と山田方谷は説いています。

 

*山田方谷に関しては、第32回のブログも参考にしてください。 

 

司馬遼太郎の小説「峠」でも有名な、河井継之助は、

出来るだけ 戦争をすることを避けていましたが、

時代の流れには逆らえず、戦争になり、41歳の若さで 戦死してしまいます。

息をひきとる時に、「河井はこの場に至るまで、方谷先生の教訓を守ってきたことを伝言してもらいたい」

と 語ったそうです。

その河井に付き添い、最期を看取ったのが外山修三(とやましゅうぞう)です。

河井が負傷した際に付き添い、その死まで終始行動をともにしたそうです。

河井とともに会津藩に落ちのびていく途中、河井は外山に向かってこういったそうです。

 

「武士の時代は終わった。これからは商人の時代になる。

実力のある者が勝つ世の中となる。戦争が終わったら商人になれ。」

と諭したそうです。河井の先見性の深さには、本当に頭が下がります。

 

その後、外山は大阪に出て、日本銀行初代大阪支店長、横浜正金銀行取締役を経て、

アサヒビール等の創業に携わります。阪神電鉄初代社長となり、関西財界の基礎を築きます。

阪神タイガースの生みの親とも言われ、阪神甲子園球場の前に外山修三の巨大な銅像があったそうです。

外山が河井に従っていた頃の名前が寅太であり、タイガースの「虎」は

初代社長の名前から取ったという説があります。

様々な人達の想いがつながって、時代の中で人々のご縁をつなぐ役割を、

この言葉がしているのかもしれません。

参考文献

『歴史が教えてくれる 日本人の生き方』白駒妃登美著 育鵬社

『運命をひらく 山田方谷の言葉50』 方谷さんに学ぶ会 致知出版社

 


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