人生をひらく東洋思想からの伝言

様々な東洋思想の言葉やその精神を通じて、ともに学びながら一緒に人生や経営をひらいていけたら嬉しいです。

第42回「抜苦与楽」(仏教)

2022年06月25日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第42回目

「抜苦与楽(ばっくよらく)」(仏教)

 

20代の時に、お世話になっていたお坊さんに質問をしました。

「仏教の本質は何でしょうか?」

そのときに、答えてくださったのが、この言葉でした。

 

「みんなが苦しみを少しでも離れて、楽を得られるように」という願いでもあります。

言いかえれば、苦しい事でも楽しんでできるように、ということでもあるように思います。

 

この世はある面では苦しいことばかりかもしれませんし、

楽しみに変えていくのも人生の醍醐味かもしれないです。

 

どんな体験も、すべて体験を通じて得られる貴重な機会だと、

今になって思うことばかりです。

 

苦しみも楽しみに変えられるようになると、すべてがプロセスであり、

貴重な体験なので、どんな機会も有難いですよね。

 

少しずつ、最近はそんな風に感じられるようになってきました。

でも、このように心の学びや修行は一生かけてやっていく気持ちです。

 

参考文献

『ポケット般若心経』大栗道榮 中経文庫(KADOKAWA)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第41回 「至誠惻怛」(山田方谷)

2022年06月18日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第41回

「至誠惻怛(しせいそくだつ)」(山田方谷)

 

備前松山藩(現在の岡山県)の 財政再建の立役者である、山田方谷(ほうこく)が

高弟である、幕末に家老として越後長岡藩を指揮した 河井継之助 (かわい つぎのすけ) に、

送別の際に贈った言葉が、この言葉とも言われています。

 

「まごころ(至誠)と、いたみ悲しむ心(惻怛)があれば、やさしく(仁)なれる。」

 

そして、目上の人には誠を尽くし、目下の人には慈しみ(いつくしみ)をもって接し、

このような心の持ち方をすれば 物事をうまく運ぶことができ、

この気持ちで生きることが 人としての基本であり、正しい道である、と山田方谷は説いています。

 

*山田方谷に関しては、第32回のブログも参考にしてください。 

 

司馬遼太郎の小説「峠」でも有名な、河井継之助は、

出来るだけ 戦争をすることを避けていましたが、

時代の流れには逆らえず、戦争になり、41歳の若さで 戦死してしまいます。

息をひきとる時に、「河井はこの場に至るまで、方谷先生の教訓を守ってきたことを伝言してもらいたい」

と 語ったそうです。

その河井に付き添い、最期を看取ったのが外山修三(とやましゅうぞう)です。

河井が負傷した際に付き添い、その死まで終始行動をともにしたそうです。

河井とともに会津藩に落ちのびていく途中、河井は外山に向かってこういったそうです。

 

「武士の時代は終わった。これからは商人の時代になる。

実力のある者が勝つ世の中となる。戦争が終わったら商人になれ。」

と諭したそうです。河井の先見性の深さには、本当に頭が下がります。

 

その後、外山は大阪に出て、日本銀行初代大阪支店長、横浜正金銀行取締役を経て、

アサヒビール等の創業に携わります。阪神電鉄初代社長となり、関西財界の基礎を築きます。

阪神タイガースの生みの親とも言われ、阪神甲子園球場の前に外山修三の巨大な銅像があったそうです。

外山が河井に従っていた頃の名前が寅太であり、タイガースの「虎」は

初代社長の名前から取ったという説があります。

様々な人達の想いがつながって、時代の中で人々のご縁をつなぐ役割を、

この言葉がしているのかもしれません。

参考文献

『歴史が教えてくれる 日本人の生き方』白駒妃登美著 育鵬社

『運命をひらく 山田方谷の言葉50』 方谷さんに学ぶ会 致知出版社

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第40回 「ちよにやちよに」(君が代)

2022年06月11日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第40回目

「ちよにやちよに」(君が代)

 

『わずか32音からなる、世界一短い国歌「君が代」は、

さかのぼること、1100年以上前の平安時代前期に編纂された「古今和歌集」から引用された、

元々は「愛の歌」だったそうです。


「君が代は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて こけのむすまで」

 

Kimi gayo wa,Chiyo ni yachiyo ni, Sazare-ishi no, Iwao to narite,

Koke no musu made

For all my loved ones, I will pray for an eternity, until the small pebbles

Become a mighty rock covered in moss.

 

全体の訳としては、

「あなたの命(あなたさまの御代)が、いつまでも、いつまでも、永く続きますように・・・。

たとえば小さい石が、永い時間をかけて大きな岩に成長し、

その上にたくさんの苔が生えるようになるまでね。」

 

大切な人の長寿と幸せを祈る歌であり、一族の繁栄を祈る歌。

肉体は滅んでも、魂は受け継がれ、生き続けていきます。

その永遠の命の寿(ことほ)ぎ、魂を受け継ぐことをこころに誓う歌でもあるそうです。

 

長い歴史の中で、捉え方は時代によって変わってきましたが、

「君が代」は国民に愛され続け、明治以降は国歌として歌い継がれてきました。

実は、法的に国歌として定められたのは、平成に入ってからで、

平成11年(1999年)に「国旗及び国歌に関する法律」が制定され、

「君が代」は、正式に日本の国歌となりました。』(参考文献より引用)

 

時空を超えた、愛のエネルギーをお互いに響かせ合い、世界中に「和」を取り紡いでいく。

それが、日本の、そして日本人の役割となっていくかと個人的には感じています。

 

背景や歴史に関しては、かなり割愛した部分が多いですが、

改めて国歌の歴史や背景を少しでも知ることで、愛着がさらに生まれ、

本質に触れるきっかけになればうれしく思います。

 

参考文献

(『ちよにやちよに』 白駒妃登美著 絵 吉澤みか 訳 山本ミッシェール 文屋)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第39回「感恩報謝」(安岡正篤)

2022年06月04日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第39回

「感恩報謝(かんおんほうしゃ)」(安岡正篤)

 

人間は、生きる上で様々な恩に支えられて生きています。

それを、日本語では「おかげさまで」という言葉で表現されます。

「おかげ」でできた自分ですので、いろいろと報いることが大切になってきます。



日本の東洋思想研究と、後進の育成に努められ、

昭和の時代に、政財界のリーダー啓蒙や、教化に努め、

その精神的な支柱となっていた安岡正篤先生は、

それを、「感恩報謝」と表現されています。



『「口」は環境、「大」は人の手足を伸ばした相、「心」とより成るものが「恩」の字です。

その意味は、何のお陰でこのように大きく存在しておるか、

と思う心が、「恩を知る」ことになります。

我々は、天地の恩、人間の恩、道の恩、教の恩などあらゆる「恩」の中で、生かされています。

これに報いてゆくのが生活であります。『運命を開く』 安岡正篤著 プレジデント社より引用

 



感恩報謝という心を失って、いくら経営や事業、そして政治などやってみたところで、

世の中は、決して良くならないように感じます。

良くなるようにみえても、必ず反作用があり、結果的には実を結ばないのかもしれません。



今の社会や国、そして様々なものも、我々の先人、先達の努力の結晶によって出来たものですので、

それをより良いものにしていくためにも、このような気持ちを皆さんと一緒に持ち合わせて、

ともに力をあわせて、今できることをしていきたいと思っています。



参考 (『運命を開く』 安岡正篤著 プレジデント社)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする