人生をひらく東洋思想からの伝言

東洋思想の言葉やその精神を通じて、ともに学びながら人生や経営をひらいていけたら嬉しいです。

第38回「楽天知命」(易経)

2022年05月28日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言 

38

楽天知命らくてんちめい)」(易経)

 

「天を楽しみて命(めい)を知る。故(ゆえ)に憂(うれ)えず。」

 

天の理法を楽しみ、自分の運命を生きる喜びを知るならば、人に憂いはない。

 

「楽天」と「知命」は同じ精神だそうです。

 

いかなる運命でも受け入れ、喜び感謝して生きていく。

これは、天の働き。情理を楽しむ精神にもつながります。

 

この言葉は、楽天家、楽天主義の出典でもあります。

易経は天の理法を学ぶ書にもなるので、

読んでいて、理にかなうことばかりで、ものすごく勉強になり、深いです。

 

天の理法を知っていくと、

本当に意味での楽天家になるのではないかと感じています。

 

昔から、「天の時、地の利、人の和」という言葉がありますが、

天からのメッセージを感じ取れるようになると、

より生きるのが楽になっていくのかもしれません。

少しでも、そのように、生きたいものです。

 

参考 易経一日一言 竹村亞希子著 致知出版社 

 

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第37回「天網恢恢疎にして失わず」( 老子)

2022年05月20日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第37回

「天網恢恢疎にして失わず(てんもうかいかいそにしてうしなわず)」( 老子)

 

天の網は広大で目が粗いようだが、悪人は漏らさずに捕らえる、ということです。

「誰が悪い、何が悪いといろいろと思い悩む時間はもったいない。

裁きは天に任せて、自分のやるべき仕事に集中して、

人を責めたり、誰かを裁こうとする必要はない。だから、安心して懸命に取り組みなさい。」

と老子は言っています。

 

ついつい、人間関係の中で「あの人は許せない」「あいつが悪い」などと決めつけて、

そこにエネルギーを消耗しがちなことってありますよね。

 

この言葉を大事にして、人のせいにしたくなったら

この言葉を思い出していただけるといいかもしれません。

 

やはり、天はすべてお見通しなんですね。

 

参考 (『超訳 老子の言葉』 田口佳史著 三笠書房)

 

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第36回「大祓詞」(神道)

2022年05月13日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第36回

「大祓詞(おおはらえ・おおはらい ことば)」

大祓詞は、神道の祭祀に用いられる祝詞の一つで、

日本で最も古い祝詞(のりと)がいくつかある中のひとつですが、

この祝詞だけがいまだにずっと唱え続けられ、全国の神社で毎日唱えられています。

 

日本人は、共生(きょうせい)という生き方で自然と一つになってきた民族ですから、

この共生という生き方で相手とひとつになる。そういうところから、

自然の知恵がそのまま脳の中に伝わり、それがそのまま言葉になってできた、

世界でも特異な言葉でないかと思います。

 

古来より、日本語の事を、日本の原点の言葉という意味で、

「大和言葉(やまとことば)」という表現をしております。

この大和言葉の基本は、「あ、い、う、え、お」の一言ずつに意味があるということです。

例えば、大和言葉で昔、「にほん」とは言いませんでした。

「とよあしはらのみずのくに(豊葦原瑞穂国)と言っていました。

アシが茂って、お米がよくできる国ということです。

こういう言葉で日本の国を表現する。

ですから、単に「にほん」と言うのではなく、

日本というものはどういう国なのかということを表現して、


日本を表そうする。これがいわゆる大和言葉の原点なのです。

 

ですから、「おおはらい」というと、今は「祓」という難しい字を書きますが、

本来の日本語は「はらい」という仮名です。

 

「は」というのは、生まれるという意味です。

「は」を二つくっつけたら、「はは」、お母さんになりますし、

木の葉の「葉」も「は」ですよね。

「葉」というのは、われわれが出す二酸化炭素を酸素に生まれ変わらせるものですね。

ですから、「は」というのはい、生まれるという意味でしょう。

「ら」というのは、「君ら、ぼくら」の「ら」で、たくさんという意味です。

「い」というのは、「いのち」です。

 

ですから、「いのちがたくさんうまれる」ということが、「はらい」の本来の意味なのです。

しかし、なかなか漢字の「祓」の意味から考ええると、本当のことがわからなくなります。

まさに、北風と太陽の物語ではないですが、無理やり除去しようとするのではなく、

太陽の素晴らしいエネルギーを与えれば、覆い隠しているものが自然に脱がされていくということです。


罪や穢れというのは、神道の世界ではすべて我欲の表れと言われています。


神様がくれた素晴らしい人間の姿を包み隠してしまう罪(包む身)。


われわれを生かしている神様の尊い気を枯らしてしまう穢れ(気枯れ)。

まさに神様の素晴らしい力やエネルギーをいれることで、いのちが蘇ってくる。

それが「祓い」だと日本の神道では伝えています。


私の母方のご先祖様に、神主だった方がいまして、自然とその遺伝子があるのか、

神道は物心ついたころから興味を持っていました。

まさに、日本の自然から育まれた知恵であり。叡智ですね。

そういう教えをお互いに分かち合っていきたいものです。


参考 (『大祓知恵のことば』 葉室頼昭著 春秋社)

 

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第35回「四苦八苦」(仏教)

2022年05月06日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第35回

「四苦八苦(しくはっく)」

 

こんにちは、ご機嫌はいかがですか?」

「ありがとう、ここんとこ四苦八苦ですわ」などとよく使いませんか?

仏教では、苦しみを八つに分けています。

何気なく、日常的に使う言葉ですが、意外と四苦八苦の意味って、

詳しくは私たち 知りませんよね?!

今回は、その言葉を一緒に学びたいと思います。

 

最初の「四苦」とは、「生老病死」(しょうろうびょうし)のことになります。

それは、「生まれて、老いて、病気になり、死んでいく」という、

人の一生における「肉体変化」による苦しみになります。


「五苦」から「八苦」までの苦しみは、

日常生活の中での「感情の動き」による苦しみを説明しています。


五苦は、「愛別離苦」(あいべつりく)といって、

愛している人を思いかけず死別したり、

あるいは、いろいろな事情で離別しなければならない苦しみです。

六苦は、「怨憎会苦」(おんぞうえく)といって、

怨んで憎んでいる人たちと会わなきゃならない現実を

なかなか受け入れられない苦しみです。

七苦は、「求不得苦」(ぐふとくく)といって、

自分がいくら望み求めても 得られない苦しみのことです。

最後の八苦は、「五蘊盛苦」(ごうんじょうく)といって、

肉体に精気が満ち溢れていても、はけ口のない苦しみです。

ひとくちに、「四苦八苦」といっても、こんなに深い意味が含まれているのです。

いかがでしたでしょうか?

少しでも生きているうちに、肉体の変化も受け入れながら、

メンテナンスもしっかりしていき、感情の動きに関しては、しっかり感情を受け入れ味わいつつ、

生きられたら 人生の豊かさを 少しでも享受していけるかと感じています。

そして、四苦八苦があるからこそ、人生の味わいや 深さも出てくると思うことがあるので、

苦しみの先にある 楽しさや幸せを感じ、人生の醍醐味を 味わい尽くしたいと思います。

参考 (『声を出して覚える般若心経』 大栗道榮著 中経出版)

 

 

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第34回 「諸国客衆繁盛」(神道)

2022年05月01日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第34回

「諸国客衆繁盛(しょこくきゃくしゅうはんじょう)」

 

今回は、元 ザ・リッツ・カールトン・ホテル日本支社長の高野登さんが書かれた

『品格を磨く』の中にあったお話を参考に、

日本人の本質、商売とは何か?を一緒に考えてみたいと思います。

 

「春日大社で長く宮司を務めていた岡本彰夫さんのご本にあった興味深いエピソードだそうです。

 

神社にはよく石灯籠が奉納されますが、昭和半ばまでのそれには、

「諸国客衆繁盛」という文字が刻まれていたそうです。

それが、昭和の中頃から、「商売繁盛」という文字に変わっていったそうです。

 

この二つは、似て非なるもの。まったく意味が違います。

「諸国客衆繁盛」には、日本中にいらっしゃる私たちのお客様が繁盛遊ばされますように、

という祈りが込められています。
しかし、「商売繁盛」ということばに表れているのは、

うちの会社が儲かりますように、うちのお客様がたくさんいらっしゃいますように

という願望にすぎません。

岡本さんは、これを「覚悟」の違いだとおっしゃいます。

 

そのような事が高野さんの本に書かれていました。

私も以前に、「商売繁盛」と自分の事だけを考えて

神社へ行っていたことが何度もあったので、恥ずかしくなってしまいました。

自分に余裕がないときほど、自分の事だけを考えてしまいがちです。

 

日本には、100年以上続くような老舗と呼ばれる会社が

世界で一番多くあるといわれています。

それを支えてきた精神性は、「諸国客衆繁盛」につながる利他の精神でもあり、

三方良しとよばれる、お客さまや社会にとって良いか、

そして最終的に自分自身にとってもいいかを考えるような在り方が

自然と発露していたから、続いてきたのだと感じます。

 

こうやって、毎週のように東洋思想の言葉を ブログやメルマガを通じて表現することで、

自分自身にフィードバックがかかるので、本当に自分自身はできているのか?

実践できているのか?と突きつけられています。正直、まだまだですし、

未熟な自分自身と向き合わざるえません(苦笑)

 

ただ、日本の偉大な先人たちが歩んできた叡智を少しでも学びながら、

実践し、体得できるようなレベルまでいくのが目標なので、

日々未熟さを受け入れながら、実感していきたいと思います。

 

参考 (『品格を磨く』 高野登著 ディスカバヴァー・トゥエンティワン)

 

 

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