人生をひらく東洋思想からの伝言

東洋思想の言葉やその精神を通じて、ともに学びながら人生や経営をひらいていけたら嬉しいです。

第30回「整理・整頓・清掃の意味とは何か?」(仏教)

2022年03月31日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第30回

「整理・整頓・清掃の意味とは何か?」(仏教)

 

仏教でいう、“作務”の意味は「整理・整頓・清掃」などの労務を行うことだそうです。

では、それぞれの本当の意味はどんな意味でしょうか?

 

整理とは、「不要なものを捨てること」

 

整頓とは、「元の位置に戻すこと」

 

清掃とは、「新品の輝きを保ち続けること」

 

たった、これだけのことですが、なかなか実行するのは本当に難しいですよね。

ただ、これを日常で意識するだけで、心も定まりますし、探し物が少なくなるように思います。

探し物や、失くしものをするときは、心がここにあらずで、別の事を考えているときかもしれません。


先日、わたしも本当におっちょこちょいで、ついついやってしまいました(苦笑)

出先で、ある場所に財布や携帯など一式入ったポーチを置き忘れてしまい、

戻ってこなかったことがありました。。。。(涙)

 

最後にある、清掃の意味である「輝きを保ち続けること」 ということは、

メンテナンスをしっかりやり続ける という意味合いもあるように思うので、

心も身体も、すべていい状態を維持するために、意識していきたいものですね。

これからも、しっかりこの3つ「整理・整頓・清掃」を意識して生活していければと思っています。

 

参考 (『苦しみの手放し方』大愚元勝著 ダイヤモンド社より)

 

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第29回「幸せへの道」(天命庵 大徳寺昭輝氏)

2022年03月24日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第29回

「幸せへの道」(天命庵 大徳寺昭輝氏のことばから)

 日々手をとり

 たすけ合い

 なかよくすること

 

今回は、東洋思想の言葉をご紹介するというよりは、

私自身が直接お会いして頂いた言葉や、

その時に感じたことなどを書いてみようと思います。

今から約25年程前になりますが、湯河原にある天命庵という心の学び舎に行く機会がありました。

そこの庵主である、大徳寺昭輝さんという方が、ひとり一人にメッセージを降ろしてくださるということで、

全国からたくさんの方々来ていました。

上記のメッセージも、その時に伝えられたことでした。

当たり前のような言葉ですが、なかなかシンプルな言葉ほど、

実際に行動に移すということは難しいですよね。

もうひとつ、言われたことで覚えているのは、

その日は、インディアンの刺繍が入ったTシャツを着ていて

その刺繍が鷲(わし)をまとったものだったのですが、

大徳寺さんが、こんなことをおっしゃってくださいました。

「あなたは、いずれその鷲のように大きく飛び立つときがくるでしょう。

その時まで、自分自身を信じて、しっかり力をつけていきなさい。」

というようなお言葉でした。

あれから、大徳寺さんにはお目にかかっていませんが、

必要なメッセージを頂いていたと感じますし、有難いですね。

 

参考 (『「愛に抱かれて』大徳寺昭輝著 春秋社より)
 

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第28回 「五事を正す」(中江藤樹)

2022年03月17日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第28回

「五事を正す」(中江藤樹)
 (ごじをただす)


江戸時代前期、その生きざまを「近江聖人(おうみせいじん)」と称えられた 儒学者の中江藤樹(なかえ とうじゅ)。


彼は「人は誰でも天から与えられた美しい心を持っている」と信じ、

その美しい心を「良知(りょうち)」と呼びました。

 

人は、生まれながらにして 美しい心を持っている。

けれでも、実際には多くの人は、自分の欲望によって、良知を曇らせてしまっている。

その曇りを祓う(はらう)には、自分の心を絶えず磨き続け、

鏡のように 輝かせておく努力が必要である。

 

そのために、藤樹は日常で5つのことを心掛けた方がいいと言っています。

これを「五事を正す」といいます。

 

「五事」とは、

 

「貌(ぼう)」   なごやかな 顔つきをし

 

「言(げん)」   思いやりのある言葉で話しかけ

 

「視(し)」    澄んだ目で物事を見つめ

 

「聴(ちょう)」  全身を耳にして誠実に相手の話を聴き

 

「思(し)」    まごころをもって相手に接する

 

日常を丁寧に、真心を込めて生きることが、曇りのない、美しい心を育んでいく。

まずは、こういうことを知り、意識することがすごく大事な気がしました。

言葉で言うのは簡単ですが、やはり実際に人と向き合い、

少しでも、近づけるように日々精進していきたいと思います。

 

参考 (『古事記が教えてくれる 天命追求型の生き方』白駒妃登美著 富田欣和監修より)

 

 

 

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第27回 「徳は孤ならず 必ず隣あり」(論語)

2022年03月10日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第27回目

「徳は孤ならず 必ず隣あり」(論語) 
 (とくはこならず  かならずとなりあり)

 

意味合いとしては、

「誠実な姿勢と言動、人を思いやる心と行動、これら徳を積むことを心掛けている人は、

 孤立することなく、必ずよき理解者が助けてくれる」

という意味として 日本人にも親しまれている言葉かもしれません。

 

この言葉に、はじめ触れたのは大学生の時でした。

通学時に「中国古典一日一言」という本を読んで、なんとなく頭でわかったようなつもりでしたが、 

今思うと何も本質はわかっていませんでした。自分自身は、もともと人間関係はさほど得意ではなく、

どうしたら人間関係がより自然にとれるようになるのかと、話し方教室に通ったこともありますし、

コミュニケーション講座などはたくさん受講してきました。

ある意味では、自分が人生で求めたことは、いずれ人に教えるようになると、言われたことがありましたが、

後になってそのようになってきたので、人生は本当に不思議ですね。

 

「徳」という言葉は、東洋思想においてもよく出てくる言葉ですが、

なかなか本質を実感するにはかなり時間がかかりました。

どうしても、物事や人と会うと、すぐに自分の都合を優先して、「損」か「得」かという判断をしがちですが、

そうやって色眼鏡で見ているときは、全くそのご縁を活かしきれていませんでした。

そんなこともあり、人生がなかなかうまくいかない時期も長かったですし、

多くの人に不義理をしてしまったり、傷つけてしまったり、ご迷惑をおかけしたりしたこもとありました。

今振り返ると、沢山の反省する機会を通じて、懺悔し、今少しづつ 気づきを深めているところです。

 

現時点でも、「徳」の本質をわかったというわけではありませんが、

少しづつその実感を増やしているところです。

今の実感としては、自分自身の持っている感性や才能を活かして、

目の前の人が求めていることに真摯に向き合い、
お役に立てることをして、

お互いに共感し合いながら、
調和していくような流れが生まれることが、

結果的に「徳」になっていくのかと感じます。

 

そこに褒めてもらいたいとか、認めてもらいたいなどの気持ちが入ると、

何かずれていってしまうことがあります。そのあたりも自覚して、

まず出来ることから始めていきたいと思います。

 

参考 『生命の言葉 令和四年 弥生三月』(東京都神社庁より)    

 

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第26回「夢が現か、現が夢か」(荘子)

2022年03月03日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第26回

「夢が 現か、  現  が夢か」(荘子)  
          (うつつ)(うつつ)

東洋思想の根底にかなり深い影響を与えるものに、老荘思想があります。

老子(ろうし)と荘子(そうじ)を合わせたものです。

『老子』は、上下巻、八十一章、約五千四百字からなる書物。

上巻「道経」下巻「徳経」をとって『道徳経』『老子道徳経』とも呼ばれています。

一方、老子の学統を受け継ぎ発展させた『荘子』は、内編七篇、外編十五篇、雑篇十一篇、

全六万五千字余りの大作で、寓話を多く用いているのが特徴的です。

今回のお話は『荘子』からの引用になります。

『荘子』には、ところどころに夢の話が出てきます。

なかでも有名な、「胡蝶(こちょう)の夢」という話をご紹介していきます。

 

昔、荘周(そうしゅう=荘子)は夢の中で、ひらひら舞う胡蝶になりました。

とても楽しく、自分が荘周であることなど 忘れてしまいました。

パッと目が覚めると、何と自分は胡蝶から荘周になっているではありませんか。

 

荘周が夢のなかで胡蝶になったのか、胡蝶が夢の中で荘周になったのか・・・・。


この話は何を伝えようとしているのでしょうか?

 

あの豊臣秀吉も、亡くなる前にこんな言葉を残しています。

 

「露(つゆ)と落ち、露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

 

大阪城で過ごした日々は、夢の中で、夢をみているようだった ということです。

 

最近の若い世代の方々は、オリンピックでも のびのびと楽しくやっている姿を見ると、

夢のような感覚で、楽しんでやっているようにも見えます。

このような感覚を、少しでも生活の中で意識していきたいと思います。

 

参考文献 『老子の無言』より(田口佳史著・光文社)    

 

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