人生をひらく東洋思想からの伝言

様々な東洋思想の言葉やその精神を通じて、ともに学びながら一緒に人生や経営をひらいていけたら嬉しいです。

第50回 「灑掃・応対・進退」(小学)

2022年08月28日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第50回

「灑掃・応対・進退」(小学)


昔、江戸時代は 寺子屋で7歳くらいまでに、この小学を徹底的に教えていたそうです。

シンプルに言いますと、「掃除・挨拶・後片付け」になります。

基本的なことだと思われますが、その人の状態を見るには、

この3点をみればすべてがわかるとも、言われています。

ある会社の社員教育は、この3点を徹底的に教え込むだけ という話を聞いたことがあります。

この基本的な事は、仕事力や人間力を図る上でも とてもわかりやすい基準になります。

躾(しつけ)とは、身が美しいと感じで書きます。

この3点を意識して行動することで、所作(しょさ)が美しい人になります。

小学の「学」、「まなぶ」という意味になりますが、旧字では「學」という字になります。

その語源を見てみると、「建物の中で、子供が交わり合いながら、大人が支え合う姿」

というような意味合いもあるそうです。

その交わり合うための場を、一緒に気持ちよく使うために、

このような小学の3つの教えがあったように感じられます。


それでは、少し詳しく見ていきましょう。

灑掃(さいそう)とは、拭き掃除のこと。

本来は雑巾がけという意味ですが、現代的には掃除という意味合いで

身の回りを綺麗にするということになります。

身の回りを綺麗にすることで、心も穏やかになり、整理整頓ができているので、

頭もすっきりして行動にも無駄がなくなります。

そして、何よりそこに愛着心も生まれるので 物を大事にするようになります。

会社内や飲食店でも、掃除が行き届いていないところは お客さまも離れてしまいますよね。

神社や仏閣も、繫栄しているところは、とても掃除が行き届いていて 清々しいです。


応対(おうたい)とは、挨拶などのコミュニケーションになります。

当時は、手紙の書き方などすべて それぞれの仕事別に教えたようです。

様々な状況に応じての応対力は、その人のコミュニケーション能力になりますが、

これで終わりということがないので、一生学びですね。


進退(しんたい)は、後片付けになります。

例えば、机をつかったら元にもどす。

電車などのリクライニングシートに座ったら、元にもどす。

物を使ったら、元にもどす。当たり前の事かもしれませんが、

なかなかできないのが我々人間です。


この3点を意識しながら 日本の清く美しいところを大切にしていきたいですね。



参考文献

『清く美しい流れ』田口佳史著 PHP研究所

 


                       伊勢神宮

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第49回 「三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)」(仏教)

2022年08月20日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第49回

「三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)」(仏教)



三法印(さんぽういん)とは、仏教教理の特徴をあらわす3つの大切な教えになります。

これら3つの言葉からお釈迦様は、宇宙の本質と現実社会での世界を

端的に表現しているように感じました。

それでは、言葉の本質についてみてみましょう。


「諸行無常(しょうぎょうむじょう)」・・・あらゆる現象は変化してやまない

「諸法無我(しょほうむが)」・・・いかなる存在も不変の本質を有しない

「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」・・・迷妄の消えた悟りの境地は静かな安らぎである


般若心経では、「色即是空 空即是色(しきそくぜいしき くうそくぜいしき」

という言葉がありますが、まさに形あるもの、物質的存在を「色(しき)」、

形のないもの、本質のことを、仏教では「空(くう)」と表現しています。

空とは、サンスクリット語では梵(ブラフマン)・道教では、「タオ・道」ともいい

宇宙の実体のことを指しています。この3つの言葉をわけて考え見ますと、

「涅槃寂静」がまさに、
宇宙の本質であり、「空」の部分を指しており、

「諸行無常」と「諸法無我」が現象面である、「色」の部分を指しています。

参考文献
『岩波 仏教辞典第二版』中村元他 編集 岩波書店

 

 

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第48回 「三尺箸の譬え」(仏教)

2022年08月06日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第48回

「三尺箸(さんじゃくばし)の譬(たと)え」(仏教)


仏教では、「自分の収入に見合った等身大の生活をする」

「困っている人のためにお金を使う」ことによって「富の循環」が生れると考えています。


自分自身がどんな状況にあろうと、「先に他人に与える」「先に、他人の役に立つ」のが

仏教の教える富の方程式と言われています。

その教えの源泉にこんな説話(寓話)がありますのでご紹介させていただきます。


(参照:『華厳の思想』鎌田茂雄著 講談社学術文庫)


ある男が「地獄」を覗いてみると、罪人たちが食卓を囲んでいました。

食卓にはたくさん
の食事が並べられていましたが、

なぜか罪人たちはみな、ガリガリにやせていたのです。

不思議に思ってよく見ると、彼らは1メートル以上(3尺)もある長い箸を使っていました。

箸を必死に動かしますが、箸が長すぎて、ご馳走を口に入れることができせん。

やがて、
イライラして怒りだす者が出てきて、他人がつまんだ食べ物を横取りするなど、

醜い争い
がはじまったのです。


次に男は、極楽を覗いてみました。

すると、極楽に往生した人たちが、食卓に仲良く座っ
ていました。

極楽でも、地獄と同じように1メートル以上の長い箸を使っていたのですが、

箸の使い方が違いました。極楽の住人は、長い箸でご馳走をはさむと、

「どうぞ」と言
って、他人の口の中にご馳走を運んであげていました。

ご馳走を口にした住人は、「あり
がとうございました。今度はお返ししますよ。

あなたは、何がお好きですか?」と言って
、お返しをする。

極楽では、みんなが喜びあって、感謝しながら、楽しく食事が進んでい
たのです。

地獄では、「自分さえよければいい」と先を競い、争った。

しかし、極楽では「お先にど
うぞ」の気持ちで相手を思いやった。

だから、すべての人が食事を楽しむことができたの
です。

この寓話は、「先に与えるから相手からも与えられる」

「相手の幸せを優先するから、相
手からも大切にされる」という循環を象徴していると思います。

仏教はその本質を教えて
くれています。少しでも、そんな生き方に近づいていきたいものです。

自分自身の心に余裕がないと、ついついまずは自分からという選択をしてしまいがちですが、

そういうときこそ、この話を思い出して、先に与える事を実践していきたいと思いま
す。


参考文献
『苦しみの手放し方』大愚元勝著 ダイヤモンド社

 

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