人生をひらく東洋思想からの伝言

様々な東洋思想の言葉やその精神を通じて、ともに学びながら一緒に人生や経営をひらいていけたら嬉しいです。

第59回「我事において後悔せず」(宮本武蔵)  

2022年10月29日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第59回

「我(われ)事(こと)において後悔せず」(宮本武蔵)
 


剣の達人、宮本武蔵。五輪書などが有名ですが、

今回は「独行道」という書物の中で
紹介されている言葉をご紹介させていただきます。


いつも正しく、失敗もせずに生きている人はいません。

誰でも間違いや失敗を必ず犯すも
のですよね。

そして、誰もがそのことを後悔してしまいます。

しかし、いつまでも悔やみ
続けるのではなく、

失敗を素直に受け入れるようにしてはいかがでしょうか?

ついつい、自分を責めたり、相手を責めたり、

その出来事を責めたりしてしまいがちです
よね。

だからこそ、その出来事の事実は受け入れて、

そこから得た教訓を活かしていけれ
ば、その出来事があったことで、

後に感謝すら生まれてくることもあり得るのではないで
しょうか。

そういう気構えを自分でも持ち、
その経験を後に活かせるようになりたいと思います。

参考文献
『心が和む日本の名言』 リベラル社

 

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第58回「敬天愛人」(稲盛和夫)

2022年10月22日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第58回 

「敬天愛人」(西郷隆盛)


昭和における経営の神様が 松下幸之助さんであるならば、

激動の時代であった平成という
時代における日本の経営者と言えば、

稲盛和夫さんと言っても過言ではないでしょう。

京セラを1957年に創業してから、KDDIの立ち上げや JALの再生など

数多くの実績を
残して、令和4年8月にご逝去されました。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

稲盛さんは鹿児島県出身で、尊敬する人として西郷隆盛さんをあげています。

その西郷さ
んについて書かれた「西郷南洲翁遺訓」という本がありますが、

その中にある言葉が今回
の言葉になります。

西郷さんや、西郷南洲翁遺訓についても、お伝えしたいことは沢山あ
りますが、

ここではあえて割愛いたしますが、また別の機会でお伝えできたらと思います



この「敬天愛人」という言葉は、まさに幾多の辛酸(しんさん)を経た

西郷隆盛さんの教
えでもあります。意味合いとしては、

「天とは宇宙を含めた天地自然の道であり、人の道
でもある。

故に天地自然を敬うことは天意でもあるという。」ということであります。

の言葉は、京セラの社是にもなっています。

「天を敬い、人を愛し、天を識(し)り、己を盡(つく)して、人を咎(とが)めず、

我が誠の足(た)らざるを尋(たず)ぬべし」

まさに、稲盛さんは西郷さんを通じて、自分自身の在り方や生き方を問い続けたそうです

そんな平成の経営の神様を通じて、沢山の学びを得て、

自分自身を深く掘り
下げて、混迷した時代を力強く生きていくべく、

これからも日々精進して参り
ます。


参考文献
『敬天愛人』 稲盛和夫著 PHP研究所
『生き方』  稲盛和夫著 サンマーク出版

 

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第57回「旅を栖とす」(松尾芭蕉)

2022年10月15日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第57回

「旅を栖(すみか)とす」(松尾芭蕉)


俳聖芭蕉は、37歳の時にすべてを捨てて旅に出たそうです。

51歳で亡くなったと言われて
いるので、人生の晩年になります。

それまで、やっていた水道工事の店を捨て、

つまり財
産も捨て、家族も捨て、浮世のしがらみを全て捨て、

身一つで、小屋、俗にいう芭蕉庵に
移り住んだそうです。

そして、やがて旅に出て、そこから人生が開花していったと言われ
ています。

まさに、「旅を栖(すみか)とす」という生き方になったのでしょう。

その瞬間、芭蕉にとっての家、住居はこの大宇宙となったのはないでしょうか。

自分がい
るすべてのいる場所が、すべての家であり、

すべて関わる人が家族のような感じになると
いうことでしょう。

そんな意識で自分の家を眺めると、自分がいるところすべてが家だと思うと、どこに行っても、

自分の家のような
意識でいられて、愛着が生まれてきます。

 

では、その背景や心情はどんな感じだったのでしょうか?そのあたりをもう少し詳しく見ていきましょう。

伊賀上野(現在の三重県伊賀市)に生まれた芭蕉は、俳諧師になろうと30歳くらいの時に

江戸に出てきました。ところが、江戸の俳諧師は当時、男芸者のようなものといわれていたようで、

大店(おおだな)の旦那衆の太鼓持みたいになって生きていて、失望してしまったそうです。

それで始めたのが、水道工事業。かなりの成功を収めたようですが、「本当は俳諧師として生きたかったのに、

ある程度成功をしたといっても水道工事をやっている」という自分自身をなかなか受け入れられずに、

心の中では満たされない日々を送っていたように感じます。

なんと、家業も、家族もすべてを捨てて、俳諧一筋に生きると決意をしたのでした。37歳のときに。

その後、51歳で亡くなるので、死を感じながらも、覚悟をして大きな決意だったと思います。

芭蕉は江戸一番の魚屋を営む弟子の杉風(さんぷう)から、生簀(いけす)の番小屋を貰い受け、

そこで暮らすようになりました。そこが、後に「芭蕉庵」と呼ばれるようになったところです。

芭蕉が、その番小屋に移り住んで師走の寒い日の夜に読んだのが、下記の句だそうです。

「櫓(ろ)の声 波をうって 腸(はらわた)氷(こお)る 夜(よ)やなみだ」

「すべては捨ててしまったけれど、これから俳諧師としてうまくいくだろうか。いや、生きていくことさえ

出来るのだろうか・・・・」

薄い夜具にくるまり、寒さに震えながら、不安で寝付けぬ夜を過ごしている芭蕉。

その暗闇の枕元に響いてくるのは、大川を往き交う船の艪(ろ)を漕(こ)ぐ音と波の音。

「ギィー、ギィー、ザブン、ザブン」

生命(いのち)を削る音のような、人間の断末魔の声のような。自分の人生が荒波に襲われることを暗示

しているようにも感じられ、寒さと恐怖、不安で、芭蕉は腸(はらわた)が凍る思いから、自然と涙がこぼれる。

凍える自分にとって、温かいものといえば、みずからの涙だけ。そんな心境をうたった句です。

ものすごく、人間臭いですし、わびさびを感じ、味わい深さを感じます。生きながらにして「無」に入るという

感じはこんな感じなんでしょうね。芭蕉そのものの生き方にもすごく共感ができました。

「無」はすべてを失って何もなくなることのようでいて、そうではなく、実はその「無」から広大無辺な世界が

広がり、その世界はこれ以上ないくらい豊かで、自由で、解放感があり、幸せな気持ちになれるような感覚があり、

そこに、東洋思想の魅力や醍醐味を私も感じています。

これからも東洋思想の深さを様々な角度から掘り下げながら、体感、実感していきたいと思います。

参考文献
『東洋思想に学ぶ人生の要点』 田口佳史著 致知出版社

『老子の無言』田口佳史著 光文社文庫

 

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第56回「結果自然成」(禅語)

2022年10月08日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第56回

「結果自然成」(禅語



「一華開五葉 結果自然成」(いっけごようをひらき けっかじねんになる)

という言葉が
由来だと言われています。

一つの花から五枚の花びらが開き、やがて自然に実になるように、

禅の初祖である達磨大
師の教えが 末広がりに栄えていくことを予言した言葉だそうです。


禅はいくつかの流派なども生まれて日本でも禅は花開き、

日本文化にも沢山の影響を与え
てきましたので、

この予言は現実のものとなっていると言っても過言ではないでしょう。



この言葉は、昨日ご縁がありました茶席で掛け軸にあった言葉でした。

言葉としては、聞いたことがありましたが、詳細は知らなかったので、

昨日はあえて頭で
考えずに、その場、そこに集まられている方々、

天候などすべてを身体で感じていました




自然の「自」という字は、自ら(みずから)と自ら(おのずから)という読み方があります。

今までの結果は、自分自身の活動による「みずから」の結果でもあり、

成果という見方も
ありますが、目に見えないご縁や導きによって、

みずからの意思を越えて「おのずから」
その結果に至っているようにもとらえられます。

 

身体の臓器もまさに、そうですよね。心臓や肺、腸などお互いに助け合い、支え合って

有機的に働いてくれています。本当に奇跡ですし、有難いですよね。

それが、心臓が肺と常に比べて、俺の方が働いているからもっと褒めて欲しいとは

言わないですもんね(笑)

理想的には、身体の臓器のような働きや関係性が自分自身含めて、あらゆるところで

出来たら理想だなと思っています。


最近、感じることとしては、自分が自分がという気持ちや、

結果に対する執着を手放せば
手放すほど、目に見えない「おのずから」の流れが

より発動するような感覚があります。

まさに、昨日は素晴らしい場所で、素晴らしい方々と、

素晴らしい時間を頂けたのも、本
当に有難く存じます。



参考文献
『禅語の茶掛を読む辞典』 沖本克己 角田恵理子著 講談社

 

 

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第55回 「国の光を観る」 (易経)

2022年10月01日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第55回

「国の光を観る」 (易経)


観光旅行の「観光」の語源になった言葉になります。

このような日常で何気なく使われている、言葉の語源を調べるのがすごく好きで、

本来の
目的や意味の本質が隠されていることが多いからです。

「国の光を観る」とは、一国の風俗や風習、

またはその国民の生活する状況や 雰囲気から
感じ取り、国の将来を知ることになります。

会社などの組織でいえば、その会社の社員の表情など、あらゆる状況を 観て感じることで、

経営の状況や方針などが手に取るようにわかってしまうものです。

すべてのそのような兆しから察する能力の事を「観光」というそうです。

だから、いろいろな地域に行って視察することも、すごく大事なことで、

これからご縁のある所にできるだけ観光に行って、様々な地域などに足を運ばせ、

身体で感じていきたいと思います。

少しでも、日本が元気になり、世界が笑顔につつまれるようにしていけたらうれしいです。


参考文献
『易経一日一言』 竹村亜希子著 致知出版社

 

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