大きな樹の下で。

大きな樹のようなヒトになりたい。
みんなの憩いの場となる樹のような、
心の広い、
でっかいヒトに。

2007-11-30 03:19:19 | Weblog
先日、帰宅途中に街頭アンケートにつかまりました。
いや、つかまりました、っていうか、
不意に立ち止まっちゃったんですよね、不覚にも。

いつもなら、わき目もふれず、まっすぐ歩いて無視しちゃうんですけどね、
なんだか、そんときは・・・。

すぐ終わりますか?と聞いてしまい、
気がついたらめっちゃ話盛り上がりんぐ⊂ニニ( ^ω^)ニ⊃

そのアンケートの人が、とっても雰囲気が良い人で、
ほら、高校や大学にあがったときとか、サークル見学行ったときとか、
この人とは気が合うだろうなっていう直感があるじゃないですか??

全然、お互いのこと知らないのに、そんな確信あるって可笑しな話なんですけどね。


クラスにいたら、絶対仲良くなってただろうなーって、そんな人でした。

そんなわけで、僕はアンケートを受けることになってしまったのです。



んで、
話の流れで、「今度、もっとお話しましょう。」ということになって、
気がついたらそこは歓楽街。

うそです、いや、あんまり嘘じゃありません。

怪しげなビルの2階。


こいつぁ、なんかあるなぁ、と本能的に思いました。



僕の直感は当っていて、
その人は本当に僕と似ていて、話せば話すほどストライクでした。
自分と対話しているような、変な感覚。


さて、と、その人はファイルを持ってきました。


世界情勢、歴史、個性、人格、人間関係、恋愛、結婚など、
いろいろなテーマがあって、その中で自分が解決したい問題はどれか、と聞かれました。


うーん、解決したいかって聞かれるとわかりませんけど、
掘り下げれば問題はあるんじゃないですかねぇ。

自己採点60点でも、まぁ、それはそれでいいかなって思うところがあるんですよ。
まだいけないこともないけど、そこまで貪欲じゃないっていうか、
切迫した状況じゃない、というか・・・。
向上心はありますけどね、だから、いつも60点。



そんな話をしながら、僕は見逃しませんでした。


人格の欄に


「聖書を読みましょう」


という言葉があったことを。



これは、帰り際にわかったことです。

あまりめくりたがらないファイルの最後のページには、
もっと宗教チックで、自己啓発がなんだ、とか、信条とは、とか、
そういう話があるんだろうなぁ、と僕が思っていたんですが、それも当りました。



抱いている問題意識や、テーマは本当に似ていて、
話だけ聞けば、僕と同じような言葉を浴び、育ってきたと思われました。

そして、彼は言いました。

あなたも、ここに入るしかありません!!と。


( ゜д゜)ポカーン



彼いわく、
どんなに困難な状況があったとしても、
自分の中に一本、寄り添う軸があれば大丈夫、と。

そりゃ、そうですね。


でも、
僕はその軸になるものを、
あれでもない、これでもないって探すのが好きなんですよ。

自分の中にないからって、
どっかの軸を拝借してきたり、誰かの価値体系に沿ったり、
そういうのって楽だけど、逆に怖いな、って思うんです。


僕は視野の広い人間になりたいんですよ。
それは、僕が視野が狭いからなんですけどね。

だから、
あの人はこう思う、でも、この人はああ思う、とか、
いろんな価値観だったり、視点っていうのを見渡して、吸収して、
その上で、自分の考えを掘り下げて生きたいんですよ、かっこいいこと言っちゃうと。


途中、何度か粘られて、それでもここは素晴らしいんです、みたいな話をされましたけど、
なんとか丁重にお断りして無事、帰還しました。

僕以外にもお客さんはいて、
真剣な顔つきで宗教チックな話をしていました。


宗教と聞くと抵抗感があるのかもしれないけど、
その軸になるものが宗教か、それ以外か、というだけで、
僕らもあんまり変わらないんだろうな、って思います。

混沌とした精神状態だったら、
それさえ信じれば良い、という寄り添う軸があったら楽ですよ。


誰もが、その軸になるものを探しているんでしょうね。


その軸は友達かもしれないし、作家かもしれない。
恋人かもしれないし、ある歌の歌詞かもしれない。

ただ、それが宗教か、それ以外か、
キリストか、アーティストか。

自分の中に、
これだという軸を据えている人は、それでいいと思います。

だから、僕は宗教も否定しませんし、
何かを神格化しているような人がいても、
それはその人の生き方なんだって思います。

まぁ、僕は、軸探ししていたいですね。
ふらふらしているのが性に合っているような気もします。

だからですかね、どこか浮いているのは。

自慰的指導

2007-11-28 03:20:43 | Weblog
「言われなくても、わかってるよ!」

「わかっているなら、なんでできないの!」


こんなやり取りは別に珍しいものではなくって、
思春期に限らず、どこの家庭にでもある、言ってみれば、「よくある会話」。


ここで注意したいので、よくある会話だからといって、
それを肯定してしまうのは危ない、ということです。


冷静に考えてみれば、すぐわかることなのに、
ついつい見落としてしまっている。

もしかしたら、見落としているのではなくて、意図的にスルーしているのかもしれないけれど、
仮にそうだとしても、スルーしてしまう理由が僕には思い当たらない。

その、すぐわかることっていうのは、

「わからないわけないじゃん!」、ってこと。


一般的に、とか、社会的に、というと、また誤解を招きそうだけれど、
自分が所属する社会、学校や家庭、友人関係、会社、などなどにおいて、
「よくないこと」、「咎められそうなこと」ってのは、みんなわかっているんだよ。
いじめだって、不登校だって、浮気だって、なんだって、
良くないってわからずにやっている、って人、いるわけない。


わかっている、と、できる、は違うんだよ。
わかっていなくて、できない、または、やってしまう、のではないんだ、ってこと、ですよ。


だから、できない、をただ指導するんじゃなくって、
なんで、できないのか、なぜ、そういうことをしてしまうのか、
そこをすっ飛ばさないでほしいものです。


自分にできていることは、
人にでもできることだという考えは、短絡的だと思いませんか。

でも、そういう考えをしてしまうものですね、人間って。
自分自身が、努力している場合は、なおさらそういう思考が働くものです。

俺だって努力してできたんだから、お前も頑張れよ。
頑張れていないからできないだけなんだよ。

え?そんなこともできないの?



そういう言葉が、
「わかっていても、できない」、そんな人たちを追い詰めてしまうんです。


言いたいだけ、指導したいだけ、って、ただの自慰行為ですよ。
全然、建設的じゃない、そう思いませんか?

自分が「キモチイイ」だけです。
自分で自分をキモチヨクするためにする指導なんて、
ただの自己完結だし、迷惑ですよ。

まさに自慰行為。



「わかっているのに、できないのはなぜなのか?」を無視して
できない人への不満をぶちまけたところで、
何にもなりませんよ。

むしろ、逆効果です。


日々の生活の中で、ときには、
「そんなことも言ってられない状況」ってのも、あるんだと思います。

ちんたらと、「なぜ、できないか?」を考えていたら時間がかかる、
目の前の問題に対処しなければならないのだから、
ここは一発、指導すべきだーー!と、そういう状況も、あるかもしれません。


僕は、なにも極端な話をしたいわけではないのです。


言いたいだけ、喝を入れたいだけの自慰的指導は
見直す必要があるんじゃないか、と、そういうことを言いたいのです。


表面的な態度や行動ばかりに目を奪われず、
その「後ろ」にあるものにも目が届くように心がけたいものです。

喫煙考察

2007-11-26 03:21:29 | Weblog
平謝りには定評のある僕ですが、タバコはすいません。
はい、軽快に滑り出しました。

( ´_ゝ`)こんばんは、お呼びじゃないですね、僕です。


喫煙所で生まれる関係ってやつに、ちょっとした憧れがあります。


喫煙所って、別に出会いが目的じゃなくて、
目的は、喫煙ですよね。

喫煙を目的に、スモーカーが集まるわけです。

わりと狭い、そのスペースで、
なんでもない会話が始まって、
「あ、おたくはLARKですかー!」とか、
「それ、おいしいですかー?」とか、
まぁ、とりとめもないような会話が発展したりしなかったり。

人と会話するときって、何もすることがなくて手持ち無沙汰だと落ち着かなくないですか?

飲み屋に行っても、とりあえずツマミとかないと話しにくかったり、
ご飯食べにいっても、割り箸の入ってたので遊んで鶴を折っちゃったり、
【会話】しながら、何かしらしてないと落ち着かないんですよね。
あれ?僕だけ?

だから、
タバコって、良いんだなって思うんです。

スパーーーってふかしながら、とりとめもなく話す。

喫煙文化って、おもしろいなぁ。


先日のALL関西教育フェスタ’07のキーワードは、「つながり」。

どの先生も、キーワードとして「つながり」を挙げていた。
しかし、これは別に打ち合わせがあったわけではないんですよ。

つまり、大事なのは、「つながり」なんだ、ってことなんだと思います。

有能な人は、うまく人を頼ることができる。
どんな天才だって、その才能を人が認めてくれなかったらただの奇人。

人は、人との「つながり」の中で生きている。

別に、教員志望とか関係なく、これは大事なテーマなんだと思います。


さぁ、ここで、僕は何ができるか。

このフェスタでもらった熱、モチベーションを、
周りに伝えたい、伝えたい、伝えたい。

でも、どうしていいかわかんない。
どうしよう。



そこにレジュメがあって、そこに講師がいて、
都合が合って、そして、
そこに得るものがあれば参加するけれど、
自分から、価値のあるものを作り出そう、
得たいものを得られる機会を作りだそう、というモチベーションはない、
そーゆー学生には、もう正直、うんざりしているところがある。

試行錯誤して、情報を流したり、
呼びかけたりするけれど、結局は、みんな受身、なんだよなぁ。

「すごいね、行動力あるね。忙しそうだね。」って、そこで終わり。


うーん、別にいいけどさぁ、
講義に出て、本を読んで、ゼミに出て、あるものをこなすってのも大事だけど、
今だからこそできること、いける場所、感じれるものってのがあると思うし、
自分の中にあるテーマを探し出して、
もっと、ハングリーに動いてもいいんじゃないの?って、よく思う。

確かに僕はアレコレと予定を入れすぎかもしれない。
それで、周りに迷惑をかけているのも事実。
そこは反省しなくちゃいけないと痛感している。

けれど、
逆にさ、「え?そんなに忙しいの?」とも思ってしまう。
「今のまんまでいいの?」なんて、お節介なことも思ってしまう。

良くないなら、あなたも動いたら良いんじゃないの?、と。


僕は、ホイホイとあっちこっちに行ってるイメージがあるかもしれないけれど、
実はけっこう臆病で、行動力あるように見えて超ビビリ。

でも、結局は自分の中のテーマに突き動かされた、とでも言うのかなぁ。


バイトも良い、サークルも良い、遊びも良い。

でも、そんだけで良いのかなぁ。


フェスタで、今村先生が僕らに突きつけた質問を、ここでも突きつけたい。
この日記を見ている誰かに。

「お前は何で教師になりたいんや?」

教師にはならないけれど、教育に携わりたい僕にも、この質問は突き刺さります。
教育ってものに関わりたい、教育を考えたいって人には、
ぜひ考えてもらいたい、一緒に考えたい、です。


今村先生は、こんな言葉を付け加えました。

中途半端な覚悟なら教師はやるな。
それが自分自身のためにでもあり、子どものためや。




西川先生は、こんな話をしてくれた。

教師はもっとも創造的な職業です。
すべての子どもは教育を受けるんですからね。

言い換えれば、
それだけ影響力がある職業だってことですよね。


知らないってのは悪いことじゃない。
考えが狭いのも悪いことじゃない。

知らないことを知れた、考えが狭いことに気づいた、
その気づきに、気づくこと、が大事なんだと思います。

「自分は気づけた」ってことへの「気づき」。

なるほど、たくさんのことを知っているかもしれないけれど、
知らないことがあることへの気づきがない、
「もっと」がない学生が、将来、教育に関わるのかもしれないと思うと、
僕は不安でしかたないのです。


教師に完璧を求めるつもりはないし、
そもそも、「良い教師像」なんて人それぞれで良いと思います。

だけど、
ハングリーに動ける人、
知ること、動くことに貪欲な人が、良い教師に近づけるんじゃないかな、とは思います。

教師にとっては、何百人、何千人という生徒のうちの1人かもしれないけれど、
子どもにとっては、ある学年、例えば小学3年生の1年間における、
唯一無二の「せんせい」なんです。

良い先生像は色々だろうけど、
先生の質の格差があるのはいただけないです。
毎年、30人としたら、5年間で150人もの生徒の
人生の「ある1年」の「せんせい」として存在し、大きな影響を与えるわけですからね。

学校の絶望していた人の日記。

2007-11-24 03:22:47 | Weblog
11月23日、24日。

大阪で行われた「ALL関西教育フェスタ’07」に参加してきました。
この2日間は、本当に充実し過ぎていました。
充実しすぎて、怖いくらいです。

ええ、とても「暴力的」な企画でした。
素晴らしい先生方、素晴らしい学生、みなさんと、もっとじっくりお話をしたい!と思うけれど、時間的に、体力的に、それは到底無理な話でした(つД`)・゜・

新しい刺激がたくさんあって、
いろんなことをもらって、発信して、もう、アドレナリン自重できないようなトランス状態。
体力的にはおかしくて、頭も飽和していたけど、そこは底力を発揮し、貪欲に出会いと刺激を求めていきました。

参加者のほとんどは教員志望者でしたが、だからこそ、
僕は切り込んでいける、という確信とある種の武者震いみたいな感覚を持ちながらフェスタに乗り込んでいきました。


正直なところ、
僕は学校に絶望をしている人間です。

僕、個人の学校体験に加え、不登校やひきこもりの家庭に訪問したり、不登校問題に取り組んでいる先生にお話を聞いたりする中で、僕の中の絶望感はどんどん強化されてきました。
両親が教師、と言うこともあり、その否定感は更に。


だから、僕が今回、このフェスタに参加した目的は、
この絶望を教員志望の学生や現場の先生たちにぶつけることと、その交流の中で得たものを自分の中に取り込んむこと、そして、この絶望から立ち直らせてみろ!ということです。

教員志望で、しかも、こんなイベントに参加しようって学生なんだから、きっと、学校や教師にポジティブなイメージを持っていると思います。
誤解を覚悟して言えば、
その、ポジティブなイメージをぶち壊してやろう、と、思った次第でございます。


とても魅力ある先生がたくさんいらっしゃった中で、
懇親会中も
僕がずっと話し込んでいたのは「赤坂真二」先生。

新潟で小学校教諭をされている赤坂先生は、もう、「元気」がすごい。
元気があれば、何でもできる、とよくおっしゃっていました。
元気がある人が、人を元気にできる!のだと。

教師の傍ら、学校心理士として、周りの教員の相談にも乗りつつ、
本も出版され、テレビにも出演、土日は講演で全国を飛び回っているそうです。
だからと言って、偉そうなわけでもなく、
とても、とても身近に感じる、とても魅力ある先生でした。

赤坂先生は、すぐに自分自身の考えを話そうとはしません。

「じゃぁ、君はどう思うの?」と、必ず聞き返します。
「他の人はどう思う?」と、そこから周りを巻き込んでいきます。
そして、その話題に火がつくと、ずーーーーっと先生は存在を消していきます。
ほんと、うまい、です。

じーーっと、話を聞いていて、やっと話すんです。
自分の考えを一方的に話すのではなく、
「うん、それは彼が言ってたことのもつながるよね。」と、とても柔軟に話をしてくれました。


僕が赤坂先生とお話している中でのキーワードは、【痛み】でした。


人は、【痛み】があるから、【もっと】を追求できるし、つかむことができるんですね。
うまくいかなかった、失敗した、つらかった、そういう、ネガティブな要素が、
【もっと】、とか、【其の上】、につながる可能性を持っているんですね。


これは、学校での勉強に限らず、誰だって【必然性】がなければ動けないし、
それ以前に、まず、<動くor動かない>の選択肢さえも思いつかないんです。

【痛み】に気づいた、そして、【もっと】が欲しいと思った、それだけで違う。


涙の数だけ優しくなれる、とか、
痛みを知っていれば、誰かの痛みが共感して(わかって)あげられる、とか、
そういうのは美談だと思います。

そういうんじゃなくって、ただ、単純にさ、
【痛み】を知れば、【もっと】に近づけるし、その【痛み】を防ぐこともできるし、
誰かの【痛み】に気がついたり、未然に防ぐことができるかもしれない、
その可能性はあると思っています。

僕らが一人で世界に存在することがないように、
いろんな歯車のかみ合わせの中の、僕、私なんて、一つの歯車なわけです。
その歯車のかみ合わせのちょっとしたズレが歪みを生んで、
キシキシと音をたてる。

今の教育は何が問題だ、と、原因探すをすることに意味はなくて、
歯車の連続性の中で起きていることなのだから、
その連続性の中で、今、自分に何ができるか、何をすべきか、ってところなんですよね。

その歪みに敏感でありたいものです。

歪みに敏感な人は、【痛み】に敏感な人でもあります。
【もっと】に近づける人です。


教師になるつもりはないけれど、教育には携わりたい。
そんな思いが、再び、僕の中で、じわーっとこみ上げてきました。

教育のこと、子どものことについて考えている時間が好きだし、
そのことについて語る自分が好きだし、一緒に語ってくれる人も好きです。
ウズウズ、と、自分の中に湧き上がるものを無視できません。

今回のイベントに参加して、いろんなことを考えました。
胸の奥に、すーっと落ちて来た言葉、思いもあれば、まだどこかで道草しているものもあります。
いきなり全部を吸収することなんて不可能だとは思います。
それには、タイミングもあるし、僕自身の経験不足や、視点不足もあるんだと思います。
イッキに全部、おりゃーってどうにかしようなんて無理だから、
気長に、「いつかわかったらいいな」くらいで良いかなって思います。

面白かったのは、同じ先生から、同じような話を聞いているのに、
どこにビビビってくるか、どんな言葉が落ちて来るかが、
人によって全然違う、ってことですよね。

それって、こういうことなのかな、と。

きっと、ある言葉が落ちて来る理由や、ビビビってくる理由は、もう、各々の中にあって、
今までは<それ>を言葉にはできなかったし、意識にもなかっただけで、
自分の中の、漠然とした、または点在していた<それ>を、
結び付けてくれた、いや、結びつきに気づかせてくれたのは、
ある先生の、ある言葉だったりするんじゃないかな、って。

教える、っていうか、気づかせる、というか。
あ、これが、学び?
ん?なんだか、カウンセリングにも通じるものを感じる。

いろーんな考え、視点を取り込んで、
自分がいかにちっぽけなのかを痛いほど、自覚すりゃぁ良いじゃんね。

たくさん点を打てば、いつか、つながっていく気がする。



教育の現場って、学校だけなの?
学校の方が都合は良いんだとしても、学校でなければならない理由はどこにあるの?
塾の先生じゃなくて、学校の先生がいいの?
何で学校の先生になるの?
子どもに好かれたいから?
子どもが好きだから?
子どもって、定型発達した子どもだけなの?
子どもって、学校にきている子だけなの?
かつての憧れの先生に近づきたいから?
憧れの先生にはなれないのに、近づくことに意味はあるの?

人それぞれ、どう思うかは自由だし、そこに違いがあるから、面白いですよね。


今、こういった問いの答えに完璧を求めなくても良いんだって、
赤坂先生と話していて気づくことができました。(単純に、教わった、わけではありませんよ。)

みなさん、名刺を持ってきてたけど、1枚もなかった僕です。
でも、
こういうときに、落書き好きでよかったなって思うのです。
ルーズリーフを1枚取り出して、
自己紹介と連絡先、簡単なイラストを描いて、赤坂先生に渡しました。

昔、慕っていた先生のところに近づいていくような、
懐かしいような、くずぐったいような、そんな気持ちになりました。

よし、今度は新潟までお話聞きに言っちゃおうかなー。

然様なら

2007-11-19 03:23:50 | Weblog
さよなら絶望放送を聴いていたら、
「秋葉か乙女ロードか中野ブロードウェイ、あるいは大阪日本橋、名古屋の大須でお会いしましょう。」と言われました。

ちょ、秋葉と中野ブロードウェイ、大須、行ってますけど。

中野ブロードウェイにて、かつらショップを見学したときの話。

「どうせならさー、綾波モデル、とか、アスカモデル、とか、かつらでも、特定のキャラを意識したのを出すべきだよ。そう思わない?あー、誰かこのアイディア買わないかなー?」

そんなことを言っていたら、


ありました、そういうお店(つД`)・゜・
僕みたいなのが考える程度のことなんて、きっと、誰かも考えているし、
もう、すでに誰かが実践しているんですよね。


みなさん、さようなら。
さよならホームランって、どういう展開なのか知りませんけど、何か?
どうも、人生、犠牲バントの僕です。

最近、どうもイライラしやすいです。
なんだかんだで、疲れているのかもしれません。

思い返すと、
なんであんなことにイライラしたのかとイヤになるようなことがあります。
きっと、そういうとき、だったんでしょうね。

そして、
だいたい、その、気に障るところ、っていうのは、
自分自身のある側面の投影だったりするんですよね、いやらしいことに。

過去、
どうしても好きになれない、もう、とんでもなく仲が悪い子がいたんです。
でも、
嫌いだったのは、そいつ、ではなくて、
そいつの、八方美人なところでもなくて、
実は自分の八方美人なところなんだって、ハッと気がついたことがありました。

それ以来です、
ムカっとか、イラっとかすると、
それって、
またどうせ自分のある側面だったりするんじゃないのかな?って、
自問するようになりました。

もちろん、
そういう場合ばかりではありませんけどね。



自問するのはいいけれど、
ただでさえ、こころの栄養が足りていないときに、
悠長に自問してらんないですよね、ぶっちゃけ。

だから、余計にしんどいですよ。
そんなこと、ごちゃごちゃ考えずに嫌いって思ってしまえば、
それはそれで楽なんですけど。

ですけど、
気づいてしまうものです。

実は、自分の嫌いな側面の投影だったんじゃないの?ってことにね。



その瞬間の、なんともいえない自己嫌悪感は格別です。


関係ないですけど、
「寒そう」みたいに「可愛い」に「そう」をつけると、
「可哀想」になって、ひとりで苦笑した人って、いませんか?

なんでだろー?

2007-11-11 20:52:55 | Weblog
先日、メンタルフレンドの子とメールをしていると、文末に「orz」が!!


orz


え、いつ覚えたの?と聞いたら、
「前、三輪君が教えてくれたのを、うまく使えました!」と、
ちょっとうれしそうなメールが来ました。

僕は、なんだか複雑な気持ちになりましたorz


今日はサークルで、
わんぱくな小学生女子2名に、
罵倒され、蹴り飛ばされ、ハロウィンの衣装を引き裂かれ、散々でした。

ところどころ、年齢に見合っていないような印象もありますが、
どこにこんな攻撃性があるのか、と、なんだか考えてしまいました。


小学生の女の子が、「このどエム!」とか言いながら、嬉しそうに、
蹴り飛ばしてきたら、どう対応したらいいんでしょう?

「女の子らしく、おとなしくしなよ!」なんて言いたくないです。
僕は、逆に、男らしさを強要されたらイヤですからね。

「ちょっと!蹴ったら痛いじゃん(本当は痛くないけどね)!」と主張しても、
一向にやめる気配がありません。

ストレスでもあるの?と聞いたら、ある!と即答。



小学生なりに、何かあるのかもしれない。
そう思うと、なんだか、ね、なんとも言えない気持ちになりました。

かと言って、「人を罵倒し、蹴り飛ばしても良い。」ということを許容するわけにもいきません。
かとかと言って、
ここまで攻撃的だと、力で「ダメだ!」と言っても何の解決にもならないとも思いました。

僕はきょうだいや家族に対して攻撃的、暴力的になっていたとき、
攻撃的、暴力的になることが「悪いこと」だと、頭では、わかっていました。

でも、、、って、ところだったんです。


周りにも迷惑をかけるし、このままでは収まりがつかないので、
僕はもう、僕をひっぱたくのに使っていたポリ袋の鞭を取り上げて、
もう、おしまい!!と、強制終了しましたが、
満足いく対応ではなかったし、それまでの僕の対応が不適切だったことも、
ひしひしと感じていました。

僕が作ったハロウィンの衣装を、本当に、「引き裂く」んです。

僕は、信じられなかったです。
人が作った衣装を、つついたり、ひっぱたりするんじゃなくて、
本当に、引き裂いてしまったんです。



「何でそんなことするの?!」と聞いて、
女の子たちが僕をいじめるのをやめなかった理由がわかりました。

僕の対応がまずかった、んです。

「だって、笑ってるじゃん!うれしーんだろ!この、どエム!」と。


いや、ちょっと、笑わないでくださいよ。



僕、ハッとしました。

僕は、「やめて」を伝えているつもりだったのに、
顔は笑っていて、「大丈夫だよ!」と伝えていたんです。

普段でも、僕は今まで、
周りの「いじり」がエスカレートしてくると、
僕は「やめろ!」と、ちゃんと言ってたんです。

が。

いつも、なかなか伝わらなかったんですよね。


あー、笑ってたからだ、と。


事なかれ主義に感染していて、
笑って受け流す、という手段しかない僕は、
「やめなさい!」と怒ることができなかったんですよ。

「笑ってるじゃんか!」と言われて、真面目に対応しようとしても、
どんな顔していいのかわかんない(綾波的な意味で


「なんで?」っていうのは、大事なことだと思います。
表面的なところだけをみて、善悪を分けたり、
定規で測るのは、何かを見落とすことにつながりかねないし、
また、「なんで?」は、相手を知ることにもつながる。

「なんで、こんなにも攻撃的なんだろう?」という話ではないけれど、
なんで、ああ言ったんだろう?とか、
なんで、あれに興味があるんだろう?とか、
いや、答えが出なくても、そう思うことで、相手に興味が持てるもんです。

あ、興味を持つために、そう考えよう♪って話ではないですよ?
見方が変わるよ、視点が増えるよ、っていうだけです。

いや、実際のところ、
なんでもかんでも、「なんで?」って考えてられません。
そこは、なんでだろうが、白黒つける必要がある場面もあると思います。


誰だって、「負に落ちない」とか、「納得がいかない」とか、
自分の理解の範疇を超えていたり、価値観に沿わないものは嫌いですからね。
相手に合わせるよりは、
「あいつは、私とは違う。はい、おしまい。」にした方が、合理的ですからね。

せんせい、あのね。

2007-11-10 03:25:47 | Weblog
きっかけは、年末の学年同窓会。

連絡がつかなくなってしまっていた高校時代の友達から、メールがキタ。



相変わらず、行動力のあるやつで、
大学に入ってから、ろくに連絡なんてとっていなかったけど、
なるほど、そんだけ充実してれば連絡も疎かになるよなって感じだった。

今、カナダの商社で研修中だとかなんとか。


僕は、本当に恵まれた環境にいる、と、思う。


大学っていう狭い枠に収まらないような、野望とか、夢とか、
そういうのに煮えたぎっている、アンビシャスな連中がたくさんいる。

それも、実行力が伴っているから、なお、すごい。
難なく、なんてことはない、
みんな、頑張って、その結果に納得できるだけの過程を持っていて、
そんでもって、結果に繋げている。
とりわけ、すごい能力がある、ってわけじゃないと思う。

そこじゃないんだと思う。




これはまた、エネルギーをもらってしまった☆



んで、返信を書いた。


僕は大学に入ってどんなことをしてきたか、どんなことを感じたか、
今、何をしているか、これから何をしたいか。

自分でも驚くほど、すらすら打てた。

これが、あれ、なんだろう。

「あなたは、大学で何をしましたか?」


その、答え。




就職活動のためとか、そういうんじゃなくって。

せっかく大学にきたんだもんね、4年間あるんだもんね、
カリキュラムをこなすだけじゃぁ虚しいよ。(いや、本分は学業って前提ですよ)


聞こえは大それた、すごいことでも、
中身のないことだったら何も語れないだろうし、
そんなの、別に企業の人事じゃなくったって見抜ける気がする。

たったひとつでも、いい。
たってひとつでいい。

そういうの、ある人は素敵だと思う、し、そうありたい、と、
周りのエネルギー体にエネルギーを供給されるたびに思う。


どんな武器を選ぶか、より、その武器を磨くのが大事なんだ、と、思う。




高校1年の冬に、酔っ払ったお父さんが電話をかけてきたのを思い出した。


「大学生活で、俺はこれをやった、って胸をはれる土産をもってこい。」


確か、そんなことを繰り返してた気がする。


うん、今なら、その言葉の意味がわかるような気がする。




そんなことを思いつつ、自分自身の問題にも、
それなりに答えが見えてきたような気がする。

浪人が終わって名古屋に出てくるときに、母校である小学校に行った。

小学2年生のときの担任で、今の僕の「原型」をつくってくれた人に会いに行った。
1年生のときは、
担任を泣かして窓に向かって石を投げつけ、
悪事の限りを尽くしていた僕を更生させてくれた人。


恩師と呼べるのは、
中学時代の大柄な国語教師とあの人の2人くらいなもんだと思う。


昔のこと、今のこと、いろいろ話した。
あんときは、まだ7歳か8歳。

あんなガキんときとは違って、なんか変な感じだった。
先生、こんなに小さかったの?みたいなね。


あんとき、先生が僕に贈ってくれた言葉、「初志貫徹」。


いろいろ迷ったけれど、うん、「初志貫徹」ですね、先生。


なんか、吹っ切れたーーー。

FACE

2007-11-08 22:02:07 | Weblog
母性と年齢は必ずしも比例するとは限らないですよね。

いや、深い意味はないですけれど、
人間、みな、潜在的に膝枕を欲しているんじゃないか、と、
そういう話です(どんな話だ

こんばんは、もやし炒め、もとい、僕です。

お昼休みは、
テニスの王子様の、これからの有り得ない展開の妄想です。
テニスの王子様、これから魔界編に入るんじゃない?とかね。
主人公の友達が呪われたラケットを手にして、とりつかれちゃって、
主人公の前に敵として立ちはだかる、みたいなね。

か・み・な・り・しょっとー!

風神ショットー!ってね。

宮本武蔵も出てきてね、ラケット2本持っててさ、
ライバルの小次郎は、物干し竿ーーー!!!ってね。
どこにいても返球できるっていう、もう、反則ラケット。

あー、ブリーチ的な要素もあるといいね。


面を上げろ、侘助・・・。

ラリーを繰り返すと、球が重くなる、とかね。

卍解!!!


そんな、チープな会話をしていました。



今日は国語の教職で、模擬授業をしました。


にちがくでも思いますけど、
自分の苦手なところだったり、気をつけなければならないところは、
治すことはできなくても、自覚しているのが大事なんだなぁ、と。

例えば、
僕は、話すのが早くなりがちです。
話している内容に自信がなければ、なおさら。

そして、
沈黙が苦手です。
問いかけの答えを待っていると、強迫感に襲われます。


これってのは、今までの人生の中で
初めて自覚したような欠点じゃないんですけどね、
ついつい、うっかり、出てしまうんですね。

その欠点を意識することが大事だとは思います。

強く意識していれば、
その欠点はある程度抑えられると思うんです、けどね、
なかなか、難しいですね。

いろいろと欠点はあるだろうけど、
こればっかりは治さないといけないと感じつつ、
同時に、かなりの困難を感じている欠点があります。



それは、人の顔を見て話す、ってことです。



高校入試の面接のときから、
ずっと、なんとかしようって思ってきたものの、
思いつつ、今日まで来てしまいました。

うーん。


遅かれ早かれ、社会に出るんだから、
人の顔見て話せないんじゃぁ、話にならないなぁ。


散歩は好きです。
顔を見て話さなくて済みますからね。


あー、リハビリしなければ。




妄想日和

2007-11-08 22:00:34 | Weblog
女性って、昔はノーパンだった、って話、聞いたことありますか?

そう、ノーパンだったらしいです。
いつから下着をはくようになったかっていうと、とある百貨店の火事がきっかけみたいです。

百貨店で火事があったときに上層階から網にすがって火事から脱出しようと試みた女性が、
風で裾がめくれるのを抑えようと片手を離したため、
体重が支えきれず墜落死するという惨事が起こったとか。

女性が、その羞恥心から下着をはくようになったのに、
今じゃぁ、見せパンですか?なんですか、それ、もう、おじさんよくわかんなーい。


羞恥心とは、社会的自己の危機を知らせるセキュリティシステムなんだそうです。

人間は社会の中で生きる動物として最適化されてきたため、
社会的に不適合となると生命の危機につながる。そのため羞恥心が存在する。
羞恥心システムのお陰で、
人は自己の姿を社会から受け入れられるように保つことが出来る。

だそうです。


ゴスロリだろうが、ヤマンバだろうが、コスプレだろうが、なんだろうが、
「それ、はずかしくないの?」と思う人はいるかもしれないけど、
本人にとっての社会でそれが不適合じゃないんですよね、つまり。

じゃぁ、ノーパンで生活しろよっていったら、
「恥ずかしいからイヤにきまってんじゃん」って言うのかな・・・?

羞恥心の研究ってのも、おもしろそうですね。




妄想日和、って変換したかったんですけど、ね、「もう装備より」って変換しちゃいました。

もう装備より、、、もう装備より、、、なんなんだろ。
もう、装備なんて関係ない!突撃だーー!!攻撃、あるのみ!!
そんな切迫した状況が脳裏に浮かびました。

ファイナルファンタジーで言えば、敢えての「装備をはずす」、
ドラゴンクエストで言えば、「がんがんいこうぜ」、と、そんなところですかね。


秋は好きです。

涼しくなってきて、今日は何を着ようかなー、とか悩んだりね、
センチメンタルにいろいろ物思いにふけったりね、
寝坊してひげもそらずに、ぼさぼさのまま、めがねかけて大学に行ったら、
フリーペーパーの製作スタッフに声掛けられて写真とってもらってね、
そんな秋が好きですね。

いつもは格好の妄想のネタを提供してもらっていたフリーペーパーに自分が出るのかと思うと、なんだか、複雑なきもい、じゃない、気持ちです。

あー、「きゃー、こいつ、まじおたくっぽいんだけどもー!きんもー☆」
とか言われるんでしょうね。
ええ、今日、サークルで自慢げに「ハルヒ」と「らき☆すた」の絵を見せたら言われましたよ。


「おたくなんですか?」とね。


僕なんか、ぜんぜんおたくじゃないですよ。
世の中、もっと広くて深くて、以下略です。



「日本人なら、白飯と、妄想だ」、が口癖です。どうも、僕です。
いきなり嘘つきました。
最近、やっと自覚しましたが、僕の口癖は、「僕んなかではー」です。

一人で乗ってたエレベーターに女の人が乗ってきたんですけど、
めっちゃ避けられました。
彼女はエレベーターの隅。


いや、なにもしねぇよ、勘違いも甚だしいわ。


と思ったけど、まぁ、ぶっそうな世の中ですからね。



将来の夢は、妄想作家です。

妄想で食っていきたい、と、あ、ちょっと待て、
妄想で「食っていきたい」と変換したかったのに、「苦って生きたい」と出ました。
本当にありがとうございました。

話を戻します。

妄想で食っていきたい、と思ったんです。
んで、妄想作家になるーーーとか言ってたんです。

んでも、
それって小説家じゃないの?と突っ込まれ、ゲンナリです。

小説家にはなりたくないけれど、妄想作家にはなりたい、この気持ち、どうしてくれんだよ!

今、「この気持ち、どうしてくれんだよ!」って台詞から、どんな場面を妄想しました?



「この気持ち、どうしてくれんだよ!」













僕は、野球部の男の子と弓道部の女の子のファンタみたいな淡い恋を妄想しました。

女の子は、そうですね、ちょっと勝気で素直になれない、でも、どっか繊細な子。
名前は、「・・・子」とか、「・・・美」じゃないですね。
んー、そうだなぁ、「さき」とか、「ゆか」とか、そんな感じ。

男の子は、野球部ですからね、ボーズですよ。
頭んなかは、野球一色。
手持ち無沙汰になると、素振りの真似始めるタイプ。
でも、プロ野球選手のモノマネはあんまりやらないタイプですね。
名前は、そうだなぁ、誠実な感じです、健介、とかね。


女の子は、勝気で素直になれない性格が邪魔して、
なかなか意中の男の子にうまく気持ちを伝えられなくて、
んで、そんなんだから、野球しか頭にない男の子にはもちろん伝わらなくてね、
でも、伝わらないもんだから、男の子の不用意な優しさに、
女の子はヤキモキしちゃうわけです。

そんな彼女の心の声。


「この気持ち、どうしてくれんだよ!」








話を戻しましょう。


ああ、そう、だから、僕は妄想で苦って逝くんです。



今日、寝坊したんですよ。
こんな時間まで起きている生活スタイルに問題があるんですけどね。

んで、
じゃぁ、どうしたら起きられるんだろう?と。

目覚ましを止めた記憶が一切ないし、時には目覚ましに気づかない、とかね。
目覚まし2個と、携帯のアラームをもってしても起きられないんです。

あー、「目覚ましお姉さんみたいなサービスないかなぁ?」とぼやいたら、
友達いわく、あるそうです。
朝、目覚ましに電話をかけてくれるんですって。
なんだ、電話かよって思ったのは内緒ですけど。

先を越されていたとは言え、
自分の妄想が一つのビジネスになりうる、という可能性が嬉しかったですね。

ほしいものなんて、求めればきりがないのはわかっていて、
だから、「これ以上」を求めなければ、今のままでも、それなりに生活できるはずで、
でも、「これ以上」、「もっと」を求めちゃうんですよね。

いや、求めるような煽りがあるのか、求めずにはいられない事情があるのか、
そのへんはわかりませんがね。

まぁ、とにかく、
目覚ましお姉さん、募集中です。
朝、起こしてくれるだけでいいです。