こんにちわぁ~それでは~おはがきを紹介したいとおもいマァス(にゃんちゅうっぽく)。
教育実習最後の給食の放送で、
教育実習生からの言葉の中で千と千尋の神隠しのカエルのモノマネをしたのは
どこのどいつだい?
あたしだよ!
なんという教育実習生。
実習生仲間の悪乗りでモノマネを要求された僕。
実習担当の先生に聞いて「ダメ」と言われたらしょうがないでしょ?ということで
「ダメですよね、モノマネとか。こんなこと聞いてすいません。」
「あー、どうぞどうぞ!」
まさか。
そんなわけで、
最終日の給食以降は、さらに芸人扱いをされて大変でした、僕です。
今週の金曜日で僕の職場体験、教育実習は終わりました。
最終日前日、指導担当の先生からこんなお話が。
「うちのクラスではお別れ会も開きません。お花もありません。
教育実習は、実習です。職場体験なんです。
職場体験に行った先でお花をもらいますか?勘違いしてはいけません。
あなたは、職場体験としてこの3週間、何を学んだのか、
そして、これからどうしていくのか、そこのところを語ってください。
子どもたちにとって、あなたの話が
進路や自分の夢について考えるきっかけになったらいいなと思います。
わたしはね、教育実習生をただでは帰しませんよw」
さらに。
「かつて指導した実習生に、こんな人がいました。
授業もなにもダメで、指導にも耳を傾けず、
教材研究もろくにやらずに、夜なべをして生徒一人ひとりに
プレゼントをこしらえてきた実習生がいました。
勘違いするな、ってね。
生徒はお客様じゃない。感謝するのは私でしょ?
おかしいと思わない?」
人を送ること、お別れ会を催すことがひとつの学びにもなるところがあるので、
そういった意図では、実習生を送るという経験をさせるのは大事です。
でも、そういったことがない場合、原則、
僕ら実習生は、実習生という立場、職場体験という意識を忘れてはいけないんですよね。
最後の、帰りの会。
先生のお話。
先生には、なりたいものではなく、「やりたいこと」があること。
この実習は、そのためのものであること。
実習では多くのことを学んだこと。
指導の先生にも多くのことを学んだこと。
指導の先生は、とても厳しかったけれど、とてもあたたかかったこと。
先生は指導の先生から、
ほんとうの「やさしさ」を教えてもらったこと。
そして、クラスに色紙を贈りました。
「やさしい人になろう。」
相手のことを思う、ということは、
相手のために厳しくもなれる、ということなんだ、ということ。
相手の反応や、自分がどう思われるかを気にして
言うべきことを言わないのは「やさしさ」ではないこと。
みんなには、本当の意味で「やさしい」人になってほしい、と。
その後、
職場体験でお世話になった指導の先生に感謝の手紙を渡しました。
そして、
この3週間、みんな繊細な変化、そして、力強い成長を傍で感じることができて、
実習中、何度も励まされたことを伝え、感謝の意をこめて
一人ひとりにポストカードを贈りました。
もちろん、研究授業が終わってからの空き時間で作ったものですよ。
この3週間の間、常に意識していたのは「取材」。
生徒それぞれの、「個」の取材と、生徒たちを取り巻く環境、「集団」の取材。
座席表をA3サイズで作成し、
日々の様子や生活ノートから感じ取れたこと、
課題や、強み、一緒に話した話題などを書き入れました。
実習が終わることには、その座席表もびっしりになっていました。
その座席表をもとに、
一人ひとりに絵とことばを書き入れたポストカードを贈りました。
ポストカードを配り終わり、
「3週間、ありがとうございました!」と礼をして・・・
・・・と、そしたら、学級委員が前に出てきて色紙をくれました。
いつ書いたんだろう?うれしかったです。
最後の、最後のあいさつをすると、「あー、ほんとに終わったんだなぁ」なんて、
今更ながらにこみ上げてくるものがありました。
じゃんけんに負けたら泣いてよ、とクラスの女の子にせがまれましたが、
「先生はね、乾いた男だから泣けないんだ」。
そんなこんなで実習を終えて、実習仲間での打ち上げ。
男2人、女8人という呑み会。
おとなしく・・・と思いきや、わりとカオス。
そんな打ち上げも終わったことだし、
教育実習での学んだことを書き出してみようと思います。
◇「集団の中の個」と、「個そのもの」は違う、ということ。
学級運営というフィルターで生徒を見つめたとき、
学級という集団の力動の中で生徒を見つめたとき、
そこで捉えられる生徒という個は、集団の中の個、なんですよね。
だから、先生たちは「こいつはリーダーになれる」とか、
「こいつはチェックすべきだ」とか、集団の中で個を位置付けます。
その、個そもものを見つめない、というわけではありませんが、
3週間で感じたのは、教師はどちらかというと
「集団の中の個」という見方が強いのかな、ということです。
ある生徒をめぐって、
僕と指導の先生は見解が真逆になりました。
粗暴なところはあるけれど、とても優しいし、
周囲に人一倍気を遣っている(遣ってしまっている)という印象を持った生徒がいました。
彼は問題行動を起こして部活停止になっています。
自他の区別がついていなくて、
相手を配慮できなくなってしまうところも、確かにあります。
でも、
そこまで問題のある生徒には思えませんでした。
ところが、そのような話をしたところ、
「あの子を信用している大人は、この学校で先生だけですよ」と。
ん~・・・賛同はできませんが、
学級という、環境をつくっていく
または、つくっていくのをサポートする教師の立場からすれば、
学級運営をシステマティックに考えるのも、ある意味では仕方のないことだとも思います。
思うのは、
彼ら彼女らを、「個、そのもの」として見つめてくれる大人がいる環境がある、ということです。
それは教師ではなく、家族の役割だと思います。
ただ、個そのものとして十分に見つめられていない子も、たくさんいました。
そういったときに、
その子を、個そのものとして見つめる存在が教育現場にいたらいいのに、と思いました。
僕は、そんな存在として教育現場に携わりたいな、と思いました。
そのためにも、今回の教育実習で
「集団の中の個」と、「個そのもの」が違うことを学ぶことができたこと、
そして、教師という職業を擬似体験できたことはとても有意義な体験でした。
◇子どもを取り巻く環境のコーディネート
実習2日目にして、僕は生徒同士のけんかを目の当たりにしました。
突然のことで驚いた僕は、つい止めに入ってしまいました。
でも、指導の先生は黙ってその様子を見つめ、
その後で個別に関係者を呼びつけて生徒をしていました。
放課後、指導の先生とその件で話をしました。
「私は、即止めに入ることが正しいとは思わない」と。
生徒たちの中から止めに入る生徒が出てくるし、
彼らの力で解決させることを学ばせなければならない、とも言っていました。
それから。
僕はクラスや廊下でケンカや取っ組み合いを見かけても、
黙って見つめていることにしました。
特にケガになりそうな状況でもない限り、ですけどね。
そうすると、ちゃんと治まるんですよね、ケンカが。
お互いの引き際を、彼らは見極めますし、
周りからも「やめとけ」って仲裁が出てくるんです。
このように、
子どもたちが自らの手で、自分たちの問題を解決しようとするような、
そんな環境を教師がつくる、って大切なことだなぁと学びました。
ここでいう「つくる」というのは、
介入せずに「見守る」、あえて「介入しない」というのも含めて「つくる」です。
「放置」とは違うんです。
しめるところはしめるし、指導するところは指導します。
教師がコーディネートするところはコーディネートするんです。
でも、
その中で生徒同士で環境を「つくる」力を身に就けさせようという工夫があるんです。
そのためにも、
指導の先生は生徒たちの実態の把握を怠りません。
すごいと思ったのは、
すでにそういうネットワークができていて、
忘れ物を取りに来た生徒や、
「はやく帰りなさーい」と呼びかけている時間に、
自然と生徒が、今クラスで起きていることを先生に伝えるんです。
ある帰りには、
「先生、ちょっといいですか?」と、ある班長さんが
自分の班で起こっている問題について先生に相談する場面がありました。
そういう信頼関係が細やかに作られているんです。
そこで、その先生はすぐに対応するのではなく、
生徒が自分たちの力で環境をつくれるように間接的に援助するんです。
もちろん、生徒だけでは難しいこともあります。
そういうときは、先生から「指導」を入れることもあります。
それ以外にも、先生はクラス掲示の配色や
ロッカーの上で整頓、日直清掃には特に気を配っていました。
先生個人のポリシーは「来るもの拒まず、去るもの追わず」ですが、
子どもの場合は「来るものは選べ、去るものは追うな」だそうです。
まだ未熟で環境を自分で作れないうちは、周りの大人が環境に気を配ってあげる。
成長していく中で、自分の力で環境をつくることを学ばせる、それが大事なんだ、と。
子どもの環境を整える、コーディネートする大切さ、
そして、子ども自身が自分を取り巻く環境をつくる力を育む大切さを学びました。
◇集団と個への関わり、そのフットワーク
集団の中で個を指導する場面はあります。
掃除でも、朝や帰りの会でも、授業でも、いろんな場面であります。
うちの指導の先生は厳しかったです。
ストレートに言ってました。
でもでも、
その後のフォローが細やか。そして、すばやい。
集団の前では厳しいことを言いつつも、
ちゃんと、その後にフォローするんです。
生徒指導はタイムリーというのが先生のポリシーということで、
そのとき、その状況にあわせて、
細やかに、そして迅速に、指導をしていました。
あ、もちろん、
集団の前で「認める」ことについても
先生の対応はまさにタイムリーで、その子に、そのタイミングだからこそ届くものでした。
・・・また書き足します。
教育実習最後の給食の放送で、
教育実習生からの言葉の中で千と千尋の神隠しのカエルのモノマネをしたのは
どこのどいつだい?
あたしだよ!
なんという教育実習生。
実習生仲間の悪乗りでモノマネを要求された僕。
実習担当の先生に聞いて「ダメ」と言われたらしょうがないでしょ?ということで
「ダメですよね、モノマネとか。こんなこと聞いてすいません。」
「あー、どうぞどうぞ!」
まさか。
そんなわけで、
最終日の給食以降は、さらに芸人扱いをされて大変でした、僕です。
今週の金曜日で僕の職場体験、教育実習は終わりました。
最終日前日、指導担当の先生からこんなお話が。
「うちのクラスではお別れ会も開きません。お花もありません。
教育実習は、実習です。職場体験なんです。
職場体験に行った先でお花をもらいますか?勘違いしてはいけません。
あなたは、職場体験としてこの3週間、何を学んだのか、
そして、これからどうしていくのか、そこのところを語ってください。
子どもたちにとって、あなたの話が
進路や自分の夢について考えるきっかけになったらいいなと思います。
わたしはね、教育実習生をただでは帰しませんよw」
さらに。
「かつて指導した実習生に、こんな人がいました。
授業もなにもダメで、指導にも耳を傾けず、
教材研究もろくにやらずに、夜なべをして生徒一人ひとりに
プレゼントをこしらえてきた実習生がいました。
勘違いするな、ってね。
生徒はお客様じゃない。感謝するのは私でしょ?
おかしいと思わない?」
人を送ること、お別れ会を催すことがひとつの学びにもなるところがあるので、
そういった意図では、実習生を送るという経験をさせるのは大事です。
でも、そういったことがない場合、原則、
僕ら実習生は、実習生という立場、職場体験という意識を忘れてはいけないんですよね。
最後の、帰りの会。
先生のお話。
先生には、なりたいものではなく、「やりたいこと」があること。
この実習は、そのためのものであること。
実習では多くのことを学んだこと。
指導の先生にも多くのことを学んだこと。
指導の先生は、とても厳しかったけれど、とてもあたたかかったこと。
先生は指導の先生から、
ほんとうの「やさしさ」を教えてもらったこと。
そして、クラスに色紙を贈りました。
「やさしい人になろう。」
相手のことを思う、ということは、
相手のために厳しくもなれる、ということなんだ、ということ。
相手の反応や、自分がどう思われるかを気にして
言うべきことを言わないのは「やさしさ」ではないこと。
みんなには、本当の意味で「やさしい」人になってほしい、と。
その後、
職場体験でお世話になった指導の先生に感謝の手紙を渡しました。
そして、
この3週間、みんな繊細な変化、そして、力強い成長を傍で感じることができて、
実習中、何度も励まされたことを伝え、感謝の意をこめて
一人ひとりにポストカードを贈りました。
もちろん、研究授業が終わってからの空き時間で作ったものですよ。
この3週間の間、常に意識していたのは「取材」。
生徒それぞれの、「個」の取材と、生徒たちを取り巻く環境、「集団」の取材。
座席表をA3サイズで作成し、
日々の様子や生活ノートから感じ取れたこと、
課題や、強み、一緒に話した話題などを書き入れました。
実習が終わることには、その座席表もびっしりになっていました。
その座席表をもとに、
一人ひとりに絵とことばを書き入れたポストカードを贈りました。
ポストカードを配り終わり、
「3週間、ありがとうございました!」と礼をして・・・
・・・と、そしたら、学級委員が前に出てきて色紙をくれました。
いつ書いたんだろう?うれしかったです。
最後の、最後のあいさつをすると、「あー、ほんとに終わったんだなぁ」なんて、
今更ながらにこみ上げてくるものがありました。
じゃんけんに負けたら泣いてよ、とクラスの女の子にせがまれましたが、
「先生はね、乾いた男だから泣けないんだ」。
そんなこんなで実習を終えて、実習仲間での打ち上げ。
男2人、女8人という呑み会。
おとなしく・・・と思いきや、わりとカオス。
そんな打ち上げも終わったことだし、
教育実習での学んだことを書き出してみようと思います。
◇「集団の中の個」と、「個そのもの」は違う、ということ。
学級運営というフィルターで生徒を見つめたとき、
学級という集団の力動の中で生徒を見つめたとき、
そこで捉えられる生徒という個は、集団の中の個、なんですよね。
だから、先生たちは「こいつはリーダーになれる」とか、
「こいつはチェックすべきだ」とか、集団の中で個を位置付けます。
その、個そもものを見つめない、というわけではありませんが、
3週間で感じたのは、教師はどちらかというと
「集団の中の個」という見方が強いのかな、ということです。
ある生徒をめぐって、
僕と指導の先生は見解が真逆になりました。
粗暴なところはあるけれど、とても優しいし、
周囲に人一倍気を遣っている(遣ってしまっている)という印象を持った生徒がいました。
彼は問題行動を起こして部活停止になっています。
自他の区別がついていなくて、
相手を配慮できなくなってしまうところも、確かにあります。
でも、
そこまで問題のある生徒には思えませんでした。
ところが、そのような話をしたところ、
「あの子を信用している大人は、この学校で先生だけですよ」と。
ん~・・・賛同はできませんが、
学級という、環境をつくっていく
または、つくっていくのをサポートする教師の立場からすれば、
学級運営をシステマティックに考えるのも、ある意味では仕方のないことだとも思います。
思うのは、
彼ら彼女らを、「個、そのもの」として見つめてくれる大人がいる環境がある、ということです。
それは教師ではなく、家族の役割だと思います。
ただ、個そのものとして十分に見つめられていない子も、たくさんいました。
そういったときに、
その子を、個そのものとして見つめる存在が教育現場にいたらいいのに、と思いました。
僕は、そんな存在として教育現場に携わりたいな、と思いました。
そのためにも、今回の教育実習で
「集団の中の個」と、「個そのもの」が違うことを学ぶことができたこと、
そして、教師という職業を擬似体験できたことはとても有意義な体験でした。
◇子どもを取り巻く環境のコーディネート
実習2日目にして、僕は生徒同士のけんかを目の当たりにしました。
突然のことで驚いた僕は、つい止めに入ってしまいました。
でも、指導の先生は黙ってその様子を見つめ、
その後で個別に関係者を呼びつけて生徒をしていました。
放課後、指導の先生とその件で話をしました。
「私は、即止めに入ることが正しいとは思わない」と。
生徒たちの中から止めに入る生徒が出てくるし、
彼らの力で解決させることを学ばせなければならない、とも言っていました。
それから。
僕はクラスや廊下でケンカや取っ組み合いを見かけても、
黙って見つめていることにしました。
特にケガになりそうな状況でもない限り、ですけどね。
そうすると、ちゃんと治まるんですよね、ケンカが。
お互いの引き際を、彼らは見極めますし、
周りからも「やめとけ」って仲裁が出てくるんです。
このように、
子どもたちが自らの手で、自分たちの問題を解決しようとするような、
そんな環境を教師がつくる、って大切なことだなぁと学びました。
ここでいう「つくる」というのは、
介入せずに「見守る」、あえて「介入しない」というのも含めて「つくる」です。
「放置」とは違うんです。
しめるところはしめるし、指導するところは指導します。
教師がコーディネートするところはコーディネートするんです。
でも、
その中で生徒同士で環境を「つくる」力を身に就けさせようという工夫があるんです。
そのためにも、
指導の先生は生徒たちの実態の把握を怠りません。
すごいと思ったのは、
すでにそういうネットワークができていて、
忘れ物を取りに来た生徒や、
「はやく帰りなさーい」と呼びかけている時間に、
自然と生徒が、今クラスで起きていることを先生に伝えるんです。
ある帰りには、
「先生、ちょっといいですか?」と、ある班長さんが
自分の班で起こっている問題について先生に相談する場面がありました。
そういう信頼関係が細やかに作られているんです。
そこで、その先生はすぐに対応するのではなく、
生徒が自分たちの力で環境をつくれるように間接的に援助するんです。
もちろん、生徒だけでは難しいこともあります。
そういうときは、先生から「指導」を入れることもあります。
それ以外にも、先生はクラス掲示の配色や
ロッカーの上で整頓、日直清掃には特に気を配っていました。
先生個人のポリシーは「来るもの拒まず、去るもの追わず」ですが、
子どもの場合は「来るものは選べ、去るものは追うな」だそうです。
まだ未熟で環境を自分で作れないうちは、周りの大人が環境に気を配ってあげる。
成長していく中で、自分の力で環境をつくることを学ばせる、それが大事なんだ、と。
子どもの環境を整える、コーディネートする大切さ、
そして、子ども自身が自分を取り巻く環境をつくる力を育む大切さを学びました。
◇集団と個への関わり、そのフットワーク
集団の中で個を指導する場面はあります。
掃除でも、朝や帰りの会でも、授業でも、いろんな場面であります。
うちの指導の先生は厳しかったです。
ストレートに言ってました。
でもでも、
その後のフォローが細やか。そして、すばやい。
集団の前では厳しいことを言いつつも、
ちゃんと、その後にフォローするんです。
生徒指導はタイムリーというのが先生のポリシーということで、
そのとき、その状況にあわせて、
細やかに、そして迅速に、指導をしていました。
あ、もちろん、
集団の前で「認める」ことについても
先生の対応はまさにタイムリーで、その子に、そのタイミングだからこそ届くものでした。
・・・また書き足します。