教育実習でお世話になった母校と担任、クラスのみんなに手紙を送ったんですけど、
今日、郵便受けを見たら、クラスの子が暑中見舞いを送ってきてくれました。
クラスへの手紙は、担任宛に書いたので、
たぶん、担任にでも聞いて、封筒の裏に書いてあった住所を知ったんだと思います。
まさか暑中見舞いなんて来ると思わなかったし、
それ以前に、「あれ?何で住所知っているの?」って感じでしたからね、
うれしいサプライズでした。
はがきに、初音ミクがプリントしてあったのは秘密です。
教育実習的に、こうやってハガキもらうのってマズイですよね。
でも、学校に出した手紙に書いた住所を見て書いてきてくれたとなると、
それは仕方がない気もしますしね。
・・・あ、もしかしたら、こういうことも考えて、
学校宛に出す手紙には住所を書かないべきだったのかもしれない・・・。
しかし、もう、過ぎたことは仕方がないですね。
・・・事実、暑中見舞いは僕のマンションの届いたわけで・・・。
みんな、元気にしているかなぁ。
院の受験勉強がつらくなると、
教育実習でもらった色紙を読み返しています。
僕は、なぜ、教師ではなく、臨床家として教育に関わりたいのか、
どういう臨床家になりたいのか。
自分が働く上で大事にしたいこと、ゆずれないものは何なのか、
そういったことを、思い出させてくれます。
お金や安定も大事だけれど、
それが何よりも譲れないものだったら臨床家は目指さないですからね。
結局、オールAの仕事に就くのってなかなか難しい気がするんですよね。
安定とか、転勤とか、職場の雰囲気とか、給料とか、仕事の内容とか、
将来性とか、やりがいとか、いろーんな要素があって、
それらすべてにAを求めてたら社会になんか出れませんよね。
どこかで妥協は必要だし、自分の中の譲れないものがあるなら、
それを基準にすればいいんだと思います。
いろいろ悩んできましたけど、
僕にとっては、色紙や手紙を読んだり、
不登校やひきこもり、教育の話をしているときに湧き上がるものに、素直でいよう、と、
そう思います、今は。
よし、夏休みを充実したものにするぞ、うん。
と、決意を新たにしたところで、どうも、僕です。
そうです、モナ騒動に心を痛めている僕です。
勝手に騒ぐ世間に、「お騒がせして申し訳ありません」っていうのに、
やっぱり納得がいかないです。
勉強しているときに、
「よし、ここまでいったら休憩しよう」って思っているのに、
その直前でコックリしてしまい、気がつくと机に突っ伏している、そんな経験はないですか。
尊敬する先輩や、できる友達の話を聞いていて、ある共通点を感じます。
それは、
いかに効率良く成果をあげるか、ということを常に考えている、ということです。
そして、それを実践していて、結果、効率が良いんです。
僕はアレです、頭では考えているけれど、実践が伴わないし、
どこかでコストを削っても、どこかで大きな無駄が生じて、
結果、やっぱり効率悪いっていう残念な子です。はいはい、お疲れ様。
思考が拡散していく一方で落ち着かないし、
時間とエネルギーをかけるべきところなのに、その先に進めることに囚われて手薄になり、
んでもって、また、「あ、あれ、なんだっけ?」って戻ってきて、ロスが生じる、というね。
あーあ。
わかっているのに、なかなかこれが改善できないんですよね。
努力という「免罪符」を手に入れようとして必死なのかもしれません。
THE 学校文化の適応児って感じですね。
これは、努力と効率の話ですけど、
そもそも
すべてのエネルギーを一点に集中できることって、
それだけで恵まれているんだなって、そう思います。
効率の悪さを努力でカバーできる状況にある、ということがね。
仕送りがもっと少なかったら、
勉強に必要な書籍代とか、生活費のために、もっとバイトしなければいけなかっただろうしね。
関わっているサークルなどの団体にも、迷惑かけちゃっています。
大変ですねって言ってくれるけれど、
その言葉に甘えちゃいけないなっていう気持ちもあります。
ごめんなさい。
たかがサークルかもしれないけれど、
勉強を本業としたら、副業になるかもしれないけれど、
当然のようにブッチするのは、なんだかなって思うんです。
まぁ、参加できない、協力できていないっていうレベルでは同じなんですけどね、
気持ちの問題です、自分の中の問題です。
だから、
自分のことで、さも当然にあらゆることを切れる人は
ある意味、すごいなって思ってしまうし、違和感を感じます。
そういう人に限って、自分が関わっているものに関わらない人がいると、
その人に対して辛らつな言葉を吐いたりするんですよね、これは偏見ですけど。
自分の都合で周りを動かす人って、
よくよく見てみると、人の都合に合わせることに抵抗ない人や、
長子っぽい人が周りにいるんですよね。
お互いが、そういう関係に依存しているのかもしれないですけどね。
だから、我がままな人には、それを許してしまう、我がままを聞く人がいるってことですよ。
ちょっと考えるとアタリマエですけど、実際にそういう人間関係を見ていると
これはまた、理屈で納得する以上に納得してしまいます。
少し話がそれましたが、
今、この効率の悪い僕が、それなりにも努力でなんとかしようともがくことができる、
この環境に感謝したいですね。
っしゃー、今日も1日、頑張るぞー。
今日、郵便受けを見たら、クラスの子が暑中見舞いを送ってきてくれました。
クラスへの手紙は、担任宛に書いたので、
たぶん、担任にでも聞いて、封筒の裏に書いてあった住所を知ったんだと思います。
まさか暑中見舞いなんて来ると思わなかったし、
それ以前に、「あれ?何で住所知っているの?」って感じでしたからね、
うれしいサプライズでした。
はがきに、初音ミクがプリントしてあったのは秘密です。
教育実習的に、こうやってハガキもらうのってマズイですよね。
でも、学校に出した手紙に書いた住所を見て書いてきてくれたとなると、
それは仕方がない気もしますしね。
・・・あ、もしかしたら、こういうことも考えて、
学校宛に出す手紙には住所を書かないべきだったのかもしれない・・・。
しかし、もう、過ぎたことは仕方がないですね。
・・・事実、暑中見舞いは僕のマンションの届いたわけで・・・。
みんな、元気にしているかなぁ。
院の受験勉強がつらくなると、
教育実習でもらった色紙を読み返しています。
僕は、なぜ、教師ではなく、臨床家として教育に関わりたいのか、
どういう臨床家になりたいのか。
自分が働く上で大事にしたいこと、ゆずれないものは何なのか、
そういったことを、思い出させてくれます。
お金や安定も大事だけれど、
それが何よりも譲れないものだったら臨床家は目指さないですからね。
結局、オールAの仕事に就くのってなかなか難しい気がするんですよね。
安定とか、転勤とか、職場の雰囲気とか、給料とか、仕事の内容とか、
将来性とか、やりがいとか、いろーんな要素があって、
それらすべてにAを求めてたら社会になんか出れませんよね。
どこかで妥協は必要だし、自分の中の譲れないものがあるなら、
それを基準にすればいいんだと思います。
いろいろ悩んできましたけど、
僕にとっては、色紙や手紙を読んだり、
不登校やひきこもり、教育の話をしているときに湧き上がるものに、素直でいよう、と、
そう思います、今は。
よし、夏休みを充実したものにするぞ、うん。
と、決意を新たにしたところで、どうも、僕です。
そうです、モナ騒動に心を痛めている僕です。
勝手に騒ぐ世間に、「お騒がせして申し訳ありません」っていうのに、
やっぱり納得がいかないです。
勉強しているときに、
「よし、ここまでいったら休憩しよう」って思っているのに、
その直前でコックリしてしまい、気がつくと机に突っ伏している、そんな経験はないですか。
尊敬する先輩や、できる友達の話を聞いていて、ある共通点を感じます。
それは、
いかに効率良く成果をあげるか、ということを常に考えている、ということです。
そして、それを実践していて、結果、効率が良いんです。
僕はアレです、頭では考えているけれど、実践が伴わないし、
どこかでコストを削っても、どこかで大きな無駄が生じて、
結果、やっぱり効率悪いっていう残念な子です。はいはい、お疲れ様。
思考が拡散していく一方で落ち着かないし、
時間とエネルギーをかけるべきところなのに、その先に進めることに囚われて手薄になり、
んでもって、また、「あ、あれ、なんだっけ?」って戻ってきて、ロスが生じる、というね。
あーあ。
わかっているのに、なかなかこれが改善できないんですよね。
努力という「免罪符」を手に入れようとして必死なのかもしれません。
THE 学校文化の適応児って感じですね。
これは、努力と効率の話ですけど、
そもそも
すべてのエネルギーを一点に集中できることって、
それだけで恵まれているんだなって、そう思います。
効率の悪さを努力でカバーできる状況にある、ということがね。
仕送りがもっと少なかったら、
勉強に必要な書籍代とか、生活費のために、もっとバイトしなければいけなかっただろうしね。
関わっているサークルなどの団体にも、迷惑かけちゃっています。
大変ですねって言ってくれるけれど、
その言葉に甘えちゃいけないなっていう気持ちもあります。
ごめんなさい。
たかがサークルかもしれないけれど、
勉強を本業としたら、副業になるかもしれないけれど、
当然のようにブッチするのは、なんだかなって思うんです。
まぁ、参加できない、協力できていないっていうレベルでは同じなんですけどね、
気持ちの問題です、自分の中の問題です。
だから、
自分のことで、さも当然にあらゆることを切れる人は
ある意味、すごいなって思ってしまうし、違和感を感じます。
そういう人に限って、自分が関わっているものに関わらない人がいると、
その人に対して辛らつな言葉を吐いたりするんですよね、これは偏見ですけど。
自分の都合で周りを動かす人って、
よくよく見てみると、人の都合に合わせることに抵抗ない人や、
長子っぽい人が周りにいるんですよね。
お互いが、そういう関係に依存しているのかもしれないですけどね。
だから、我がままな人には、それを許してしまう、我がままを聞く人がいるってことですよ。
ちょっと考えるとアタリマエですけど、実際にそういう人間関係を見ていると
これはまた、理屈で納得する以上に納得してしまいます。
少し話がそれましたが、
今、この効率の悪い僕が、それなりにも努力でなんとかしようともがくことができる、
この環境に感謝したいですね。
っしゃー、今日も1日、頑張るぞー。