大きな樹の下で。

大きな樹のようなヒトになりたい。
みんなの憩いの場となる樹のような、
心の広い、
でっかいヒトに。

自慰的指導

2007-11-28 03:20:43 | Weblog
「言われなくても、わかってるよ!」

「わかっているなら、なんでできないの!」


こんなやり取りは別に珍しいものではなくって、
思春期に限らず、どこの家庭にでもある、言ってみれば、「よくある会話」。


ここで注意したいので、よくある会話だからといって、
それを肯定してしまうのは危ない、ということです。


冷静に考えてみれば、すぐわかることなのに、
ついつい見落としてしまっている。

もしかしたら、見落としているのではなくて、意図的にスルーしているのかもしれないけれど、
仮にそうだとしても、スルーしてしまう理由が僕には思い当たらない。

その、すぐわかることっていうのは、

「わからないわけないじゃん!」、ってこと。


一般的に、とか、社会的に、というと、また誤解を招きそうだけれど、
自分が所属する社会、学校や家庭、友人関係、会社、などなどにおいて、
「よくないこと」、「咎められそうなこと」ってのは、みんなわかっているんだよ。
いじめだって、不登校だって、浮気だって、なんだって、
良くないってわからずにやっている、って人、いるわけない。


わかっている、と、できる、は違うんだよ。
わかっていなくて、できない、または、やってしまう、のではないんだ、ってこと、ですよ。


だから、できない、をただ指導するんじゃなくって、
なんで、できないのか、なぜ、そういうことをしてしまうのか、
そこをすっ飛ばさないでほしいものです。


自分にできていることは、
人にでもできることだという考えは、短絡的だと思いませんか。

でも、そういう考えをしてしまうものですね、人間って。
自分自身が、努力している場合は、なおさらそういう思考が働くものです。

俺だって努力してできたんだから、お前も頑張れよ。
頑張れていないからできないだけなんだよ。

え?そんなこともできないの?



そういう言葉が、
「わかっていても、できない」、そんな人たちを追い詰めてしまうんです。


言いたいだけ、指導したいだけ、って、ただの自慰行為ですよ。
全然、建設的じゃない、そう思いませんか?

自分が「キモチイイ」だけです。
自分で自分をキモチヨクするためにする指導なんて、
ただの自己完結だし、迷惑ですよ。

まさに自慰行為。



「わかっているのに、できないのはなぜなのか?」を無視して
できない人への不満をぶちまけたところで、
何にもなりませんよ。

むしろ、逆効果です。


日々の生活の中で、ときには、
「そんなことも言ってられない状況」ってのも、あるんだと思います。

ちんたらと、「なぜ、できないか?」を考えていたら時間がかかる、
目の前の問題に対処しなければならないのだから、
ここは一発、指導すべきだーー!と、そういう状況も、あるかもしれません。


僕は、なにも極端な話をしたいわけではないのです。


言いたいだけ、喝を入れたいだけの自慰的指導は
見直す必要があるんじゃないか、と、そういうことを言いたいのです。


表面的な態度や行動ばかりに目を奪われず、
その「後ろ」にあるものにも目が届くように心がけたいものです。