大きな樹の下で。

大きな樹のようなヒトになりたい。
みんなの憩いの場となる樹のような、
心の広い、
でっかいヒトに。

然様なら

2007-11-19 03:23:50 | Weblog
さよなら絶望放送を聴いていたら、
「秋葉か乙女ロードか中野ブロードウェイ、あるいは大阪日本橋、名古屋の大須でお会いしましょう。」と言われました。

ちょ、秋葉と中野ブロードウェイ、大須、行ってますけど。

中野ブロードウェイにて、かつらショップを見学したときの話。

「どうせならさー、綾波モデル、とか、アスカモデル、とか、かつらでも、特定のキャラを意識したのを出すべきだよ。そう思わない?あー、誰かこのアイディア買わないかなー?」

そんなことを言っていたら、


ありました、そういうお店(つД`)・゜・
僕みたいなのが考える程度のことなんて、きっと、誰かも考えているし、
もう、すでに誰かが実践しているんですよね。


みなさん、さようなら。
さよならホームランって、どういう展開なのか知りませんけど、何か?
どうも、人生、犠牲バントの僕です。

最近、どうもイライラしやすいです。
なんだかんだで、疲れているのかもしれません。

思い返すと、
なんであんなことにイライラしたのかとイヤになるようなことがあります。
きっと、そういうとき、だったんでしょうね。

そして、
だいたい、その、気に障るところ、っていうのは、
自分自身のある側面の投影だったりするんですよね、いやらしいことに。

過去、
どうしても好きになれない、もう、とんでもなく仲が悪い子がいたんです。
でも、
嫌いだったのは、そいつ、ではなくて、
そいつの、八方美人なところでもなくて、
実は自分の八方美人なところなんだって、ハッと気がついたことがありました。

それ以来です、
ムカっとか、イラっとかすると、
それって、
またどうせ自分のある側面だったりするんじゃないのかな?って、
自問するようになりました。

もちろん、
そういう場合ばかりではありませんけどね。



自問するのはいいけれど、
ただでさえ、こころの栄養が足りていないときに、
悠長に自問してらんないですよね、ぶっちゃけ。

だから、余計にしんどいですよ。
そんなこと、ごちゃごちゃ考えずに嫌いって思ってしまえば、
それはそれで楽なんですけど。

ですけど、
気づいてしまうものです。

実は、自分の嫌いな側面の投影だったんじゃないの?ってことにね。



その瞬間の、なんともいえない自己嫌悪感は格別です。


関係ないですけど、
「寒そう」みたいに「可愛い」に「そう」をつけると、
「可哀想」になって、ひとりで苦笑した人って、いませんか?