大きな樹の下で。

大きな樹のようなヒトになりたい。
みんなの憩いの場となる樹のような、
心の広い、
でっかいヒトに。

メタ的な人たち。

2008-05-18 03:31:09 | Weblog
空いたお皿を下げていたときに、サラリーマンの会話が
意識したわけでもなく聞き取れてしまいました。


「いや、だからさ、相手に期待しちゃいかんのだよ。
相手が変わることを期待するより、自分が変わった方が楽じゃんか。」



下げたお皿が、ちょっと重たく感じました。


例の居酒屋でにバイトも、今月は今日で終わりということで、
店長さんからバイト代をいただきました。

人間ドッグと書かれた、
明らかに「不要な封筒」に入れて手渡しだからって、別にいまさら驚きません。

でも、

その封筒の裏に、

「Nasky kun」と達筆で書かれたら噴くだろ。


今まで、僕は、「なすきー」と呼ばれていたんだぜ。


まかないが、チキンカレー、ライス、ナン、豆腐サラダ、酒、という豪華さなので、
Naskyでも、nasumisoでも、なんでもいいですよ、もう。


どうも、こんばんは。
棄却域がホームです、Naskyです。


例の居酒屋、何気に常連さんが多くって、
客足が落ち着いたころには常連さんとトーキングしています。

一昨日は、JRのシステムエンジニアさんと、どっかに大学教授さん。
スリランカに3ヶ月ほど滞在していたらしく、
僕がスリランカのシンハラ語で「1、2、3、~、10」を言ってみせると感激してくれました。

んでもって、
昨日は昨日で、外国のお客さんがいらっしゃいました。
よく名古屋大学の留学生も遊びに来るので、
「どうもー、どこの学部ですかー?」みたいなことを、それとなく英語で聞いてみました。




ん?




もう一回!



ピーエイチーディー。



PHD。


Ph.D.('A`)!!



博士キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!





続けてPh.D.は、僕に聞き取りやすいように配慮してこう言いました。



NOYORI



野依キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!




毎回、いろんな出会いと体験があっておもしろいです。
もはや、居酒屋バイトの枠を超えているぜ。

っていうか、
最初っから、「規定外」な感じはあるけれどね。







僕は、メタ的なポジションを取る人が好きになれない。

問題の、「そこ」にはいなくて、1つ上のところから見下ろして、
批判めいたことをつぶやいている類の人のことです。


また、それは同時に、
自分自身もそういうところがあるし、
そういったポジションに陥りうる、ということでもあります。


なんていうか、


「スカした感じ」とでも言うんでしょうかね。



そういう類の人と話していて感じるのは、

なるほど、もっともらしいことは言っているし、そうだなぁ、とも思うけれど、
肝心な、「あなた」の意見はどれなんですか?というところです。



こういう意見もあって、でも、こういう意見もあって、
だから、結局のところ、こうなんですよーって、
多角的に語るのはいいけれど、その先がない。


結局のところ、
否定されるのが厭なのか、自分の意見を言葉にするのが厭なのか、
いや、厭とかいう以前に、慣れていないのかな。

意見を言ったかと思うと、
それは、消去法で残った、まぁ、一番妥当だと思われる結論であって、
「主張」というニュアンスは感じられない。



僕は、そういうカーテンごしにしゃべる類の人が苦手です。

でも、
そういう人とも、「言葉」で語りたいとも思っています。


指導会

2008-05-16 03:30:03 | Weblog
昨日は、卒業研究の指導会でした。

院生さん2人と、4年生2人、そして、指導教官の先生。


人数と時間の関係で僕は発表できなかったけれど、
とても充実した内容の指導会でした。

・・・楽しかった(*´Д`*)


院生って、やっぱり、院生なんだなぁ。

そして、教授って、やっぱり、教授なんだなぁ。

ひしひしと、そう感じました。



指摘も的確で、話すときの要領も良くて、
聞いていると、自然に、「うんうん」と相づちを打ってしまいます。


研究室によって、指導会で院生が入る場合と入らない場合があるみたいですけど、
僕としては院生と一緒に指導会が出来てうれしかったです。


なんていうのかなぁ。


院生さんの研究計画をざっと聞いてて、
自然と、「頑張ってください!!」って、思えたんですよね。


うーん、僕も頑張ろう!っと!!!




院生さんのうちの一人の発表が、
自分の子どもが障害を持っていて、
親がその障害を問題として捉えているときの心的過程について、がテーマだったんですけど、
僕にとっては、とてもタイムリーな話でした。

と言うのは、
つい最近、不登校のお母さんとお話する機会があったんですけど、

「不登校や引きこもりの本を読むと、こうしちゃいけない、ああすればいいって、
いろいろ書いているけれど、どうすればいいかってことばかりで、
子どもが不登校、引きこもりになった親の気持ちに寄り添った本って、あんまりないのよね。」

というお話を聞いたばかりだったんですよ。



言われて見れば、そうなんですよね。


不登校児への支援とか、
引きこもりの理解とか、親のかかわり方とか、「これはしちゃいけない」とか、
そういう本っていろいろあるし、
テレビで不登校や引きこもりを問題にするときって、
そこで重要になるのは、「親」よりも、「当事者」だったりするんですよね。


障害受容や、出生前診断でわが子に障害があると知った親への支援とか、
そういう研究や実践は聞いたことがあるけれど、
わが子が不登校、引きこもりになった親の、「子どもの状態」の「認知」や、
そこで生じる、「感情」、受容していく「心的過程」など、
「親」の支援につながるような研究って、あまりないかもしれないなって印象があったんです。


不登校や引きこもりの支援につながるような研究がしたいなって思っていたんですけれど、
よくよく考えたら、まさに「当時者」を支援の対象にするよりも、
相談に来る、養育者、親を支援の対象にして、不登校や引きこもりの支援を考えた方が、
よっぽど現実的で意義があるんじゃないかと考え始めたわけです。



そんなことを思っていたところで、
院生の発表があったんで、とてもシンパシーを覚えてしまいました。



さぁ、勉強、勉強。

T・ボーン大佐

2008-05-04 20:38:09 | Weblog
とりあえず、☆をつけておけばいいんじゃねぇの?的な
あーいまーいな感じで、スナツ☆キンにしようかな。

ドウモドウモ♪スリランカの言葉を習得中の僕です。
先日、バイト先の居酒屋で最後にご一緒させてもらったスリランカの方に教わった言葉、
つかいこなしてます、地味に。

ああ、あっちの言葉だったら言えるんですけどね。

I LOVE YOUってね。

ははは、ここ、笑うところですよ。鼻で笑うところですよ。


今朝の目覚めは最悪でした。

またまた、激しいリアル悪夢で夢の中でも苦しんだ僕は、
うめきながら目を開けました。

自分のうなり声と、ふとんを払いのける瞬間に起きるときの気分は、
それはもう、最悪ですよ。

夢の中で僕は、それはもう、激しく怒り、なぜか電子レンジを叩きつけて粉々にしていました。

んで、
目覚めた僕は、その激しい怒りを引きずり、
自分でも御しきれず、モノに当っていましたOTL


思春期か、と。


情けないと同時に、自分の中に御しきれない誰かがいるような気がして、
なんだか、一日中、すっきりしない気分でした(つД`)・゜・



そうそう、髪を切りました。

髪を切ったら、僕だって気づかれませんでした。

そんなもんですよ。


昨日は、例のスリランカ人の経営する居酒屋のバイトでした。


かなりのカオスでした。
僕は他の居酒屋のバイトをしたことがないので、「あの状態」が、
「そんなもん」なのか、「まだ甘いぞ」なのか、「いじめだろ」級なのかはわかりません。

とりあえず、頭がパンクして、かんしゃくを起こしかけました。


ようやく落ち着いて、
日付が変わったころに、常連のおじさんにお話をしてもらっていました。

そこで言われたことですが、

「兄ちゃん、頭は良いかもしれないが、あんた、お人よしだから気をつけな。
社会に出たらな、お前みたいなやつは損をする。やっぱ、ずるがしこくなきゃいけないぞ。」


ずるかしこく、か。

自分も他人も「だまして」いくことも、ある程度は、大事、なのかもしれないですね。


僕は、他人に「うまく使われる」のが、すこぶる嫌いです。

まぁ、そんなん、誰でも厭だろうけれど、
うまい具合に利用されやすい僕は、過剰にアレルギーがあります。


危機感知能力に欠陥があるのかもしれないけれど、
ぼけーっとしてると、あれよあれよと利用されちゃいます。

うまく自分を防衛する術を身に付けない自分の自己責任ですけど。



それは、まさに、都合の「良い人」ってやつなんですよ、ね。

警戒心があるようで、ない。

おじさんの指摘は、とても的を得ていて、びっくりしました。

そんなこんなで話が盛り上がり、

「おい、兄ちゃん、そこ座れ!おい、店長、こいつと呑むぞ。
おい、お前、なんか呑め。何、呑むんだ?ああ?」

「じゃぁ、生で。」

さらに其の後、まかないでも生をいただきました。

生4杯呑んで帰るバイトって、どんだけ。




ここのところ、思っていることを言葉にしてみようと思います。




所属する組織の中で、「おとなしく」しているのって、僕には難しいです。
その、いかにも、日本人の組織だなぁと思うわけですが、
組織においては、「滅私」が大事なのかもしれない、と、ぼんやり思い始めました。


・・・特に、僕みたいな「声の大きい」、「目に付く」人間は。


正しい、と思うことが、正しくない、ということもあります。
言った方が良い、と思うことでも、言わないほうが良い、こともあります。
言いたいことは、遠慮せずに言ってください、だなんていう「上の言葉」には注意が必要です。



ストイックなところ、はっきり意見を言えるところは自分の強みだと思って、
今まで、思うことはなるべく言葉にして、伝えたいことが伝わるように、
拙い表現ながらも、あれこれと試行錯誤してきました。

仲良くしたい友達にも、あえて厳しいことを言うこともありましたし、
そうすることで組織から迫害されたこともあったけれど、
それでも、自分が関わった以上は、
その組織をマイナスにはしたくなかったし、
できることがあれば、そこに力を注ごうと思ってきました。

たとえ、悪者になってでも、良くしたいという気持ちはありました。



中学生以降、
「軸」がぶれそうになっても、自分を奮い立たせて、
自分にも、組織にも、ストイックに進んできたけれど、
自分の、こういったところは、
全体としての「マイナス」にしか働かないんじゃないか、とさえも、思えてきました。




思ったことは言った方が良い、とか、
ストイックさも必要だよ、とか、
組織の「上」の人は、「下」の声に耳を傾けなければいけない、とか。

それって、正論かもしれないけれど、
数少ない経験則で言えば、「本当」ではない(ことも有りうる)。



つまるところ、

組織を構成しているのは、「人間」なんだ、ということかもしれません。



組織にとって必要なのは、「良くしていこう」という気概と行動であったとしても、
組織の上の人にとって必要なのは、「イエスマン・ウーマン」なんだろうよ。



曲げたくないことでも、曲げるのが、
言うべきだと思うことも、良くないと思うことも、
「言っても仕方ない」と笑顔で諦めるのが、「大人」なんですかね。
若さとか、勢いとか、そういうパワーじゃなくて、
スキルがあるのが、大人なんですかね。

大人になりたいです。

「普通」に、社会に適応したいです。


そして、言うんですよ。

「若いな、青年。僕にも、そんな時期があったよ。
でもなぁ、エネルギーだけじゃぁ社会ではやっていけんのだよ。」

『今に、君にも解るときがくるだろうね。』




T・ボーン大佐は、負けたんです。