大きな樹の下で。

大きな樹のようなヒトになりたい。
みんなの憩いの場となる樹のような、
心の広い、
でっかいヒトに。

せんせい、あのね。

2007-11-10 03:25:47 | Weblog
きっかけは、年末の学年同窓会。

連絡がつかなくなってしまっていた高校時代の友達から、メールがキタ。



相変わらず、行動力のあるやつで、
大学に入ってから、ろくに連絡なんてとっていなかったけど、
なるほど、そんだけ充実してれば連絡も疎かになるよなって感じだった。

今、カナダの商社で研修中だとかなんとか。


僕は、本当に恵まれた環境にいる、と、思う。


大学っていう狭い枠に収まらないような、野望とか、夢とか、
そういうのに煮えたぎっている、アンビシャスな連中がたくさんいる。

それも、実行力が伴っているから、なお、すごい。
難なく、なんてことはない、
みんな、頑張って、その結果に納得できるだけの過程を持っていて、
そんでもって、結果に繋げている。
とりわけ、すごい能力がある、ってわけじゃないと思う。

そこじゃないんだと思う。




これはまた、エネルギーをもらってしまった☆



んで、返信を書いた。


僕は大学に入ってどんなことをしてきたか、どんなことを感じたか、
今、何をしているか、これから何をしたいか。

自分でも驚くほど、すらすら打てた。

これが、あれ、なんだろう。

「あなたは、大学で何をしましたか?」


その、答え。




就職活動のためとか、そういうんじゃなくって。

せっかく大学にきたんだもんね、4年間あるんだもんね、
カリキュラムをこなすだけじゃぁ虚しいよ。(いや、本分は学業って前提ですよ)


聞こえは大それた、すごいことでも、
中身のないことだったら何も語れないだろうし、
そんなの、別に企業の人事じゃなくったって見抜ける気がする。

たったひとつでも、いい。
たってひとつでいい。

そういうの、ある人は素敵だと思う、し、そうありたい、と、
周りのエネルギー体にエネルギーを供給されるたびに思う。


どんな武器を選ぶか、より、その武器を磨くのが大事なんだ、と、思う。




高校1年の冬に、酔っ払ったお父さんが電話をかけてきたのを思い出した。


「大学生活で、俺はこれをやった、って胸をはれる土産をもってこい。」


確か、そんなことを繰り返してた気がする。


うん、今なら、その言葉の意味がわかるような気がする。




そんなことを思いつつ、自分自身の問題にも、
それなりに答えが見えてきたような気がする。

浪人が終わって名古屋に出てくるときに、母校である小学校に行った。

小学2年生のときの担任で、今の僕の「原型」をつくってくれた人に会いに行った。
1年生のときは、
担任を泣かして窓に向かって石を投げつけ、
悪事の限りを尽くしていた僕を更生させてくれた人。


恩師と呼べるのは、
中学時代の大柄な国語教師とあの人の2人くらいなもんだと思う。


昔のこと、今のこと、いろいろ話した。
あんときは、まだ7歳か8歳。

あんなガキんときとは違って、なんか変な感じだった。
先生、こんなに小さかったの?みたいなね。


あんとき、先生が僕に贈ってくれた言葉、「初志貫徹」。


いろいろ迷ったけれど、うん、「初志貫徹」ですね、先生。


なんか、吹っ切れたーーー。