昨日、「ひきこもり狩り」という本を読み終わりました。
先日の京都であった交流会で購入した本なのでブックカバーはなく、
表紙に大きく「引きこもり狩り」と書いた本を広げる僕は
周りからどう見られているんでしょうね。
でも、あれですね、本とか勉強でもそうですけど、
吸収したいとき、スポンジが水を欲しているときって、
すげぇサクサク進みますよね。あーゆーある種のトランス状態っていいですよね。
ふと我にかえると、あ、こんなに進んだ~みたいな、みたいな?
どうも、結婚したくない男 暫定1位です。
この「引きこもり狩り」で言われていたのは、
疑うべきは「善意」そのものだ、善意の道は地獄へ通ずる、と。
アイ・メンタルスクール寮生死亡事件とか、永田塾裁判って知っています?
●アイ・メンタルスクール寮生死亡事件
2006年4月、東京都世田谷区の男性が、母親から依頼を受けた名古屋の引きこもり支援施設アイ・メンタルスクール代表、杉浦昌子らにより夜中に寮へ「拉致」され、4日後、外傷性ショックで死亡した。同施設では支援の名のもとに入寮者に対する日常的な暴力行為があり、また鎖や手錠を用いて拘束するなどしていたことも判明し、話題となった。
●長田塾裁判
2005年7月、テレビや雑誌などで引きこもりや不登校を2時間で直すなどとうたい脚光を浴びた更生支援施設代表・長田百合子が、かつての入寮者であった青年から損害賠償請求の民事裁判を提起された。アイ・メンタルスクール同様、入寮者を強迫するなどして「拉致」する手法をとっていた。
事件の、なんとなくの概要は知っていましたが、
この本を読んで、あらためて事件の全貌を知ることができました。
「よかれ」と思ってやれば、何でもいいんかい、っていう話です。
善意って、歓迎されるべきものだから、余計にタチが悪いですよね。
「よかれ」と思って「支援」するってことは、
その対照の今の状態を「悪いもの」とした前提があるんです。
引きこもりは「悪い」。
甘えだ、怠けだ、「だから」、愛を持って更生させなければならない、
立ち直らせなければならないのだ、という論理です。
これ、特にこの引きこもりに限った話ではないと思いますけどね。
親子関係だってそうです。
あなたのことを想っているから、言っているのよ!
悪いことは言わないから、お母さんの言うとおりにしなさい!
こんな親、ドラマだけだろって思うかもしれませんけど、いますよ。
先生はなぁ、お前等のことを思って指導しているんだぞ!
お前等のためを思ってるんだ、わかったかー!
まぁ、ここまで極端に言葉にはしないだろうけど、
そういう心理はあると思います。少なからず。
教え、「導く」ことと、「支援」をイコールにされたら、生徒は可哀想じゃないですかね。
「人のために」って、すっげぇ難しいと思うんです。
相手が欲していることを、自分の目線で考えているうちは、その支援は危険でしょうね。
何年後かに、その人の言葉の意味がわかる、とか、想いが実感できるって、
さも美談のように聞こえますけど、
それってどうなの?という問いを、あえてしてみたいと思います。
だって、数年後でしょ?
そのとき、まさに、そのときに、
相手に伝わるように伝えられなかったって、そりゃぁ、どうなの?って話です。
もちろん、
いろいろな経験をして、様々な価値観に触れ、
その中でわかってくることがあるのも、事実です。
胸にストンと落ちてくるまでにタイムラグはあるかもしれません。
そういうこともあるってのは否定しません、
が、
そのように後々、わかってくるような言葉や想いが、
その、当時に、伝わらなかった原因が、
単純に、時間がたたないとわからない、とか、
いろんな経験をしないとわからない、というところにあったんですかね?
話はぶっ飛びますけど、
思春期をめぐる見解に、「思春期危機説」と「思春期平穏説」があるんですよ。
前者は、思春期は触れるものみな傷つけるような時期で、
周りの環境との相互調整がうまくいかなくて、家族などの環境との葛藤を抱え、
また自分の内面とも激しい葛藤を持つ、という時期であるってういう説。
後者は、思春期といえど、「荒れる」ことなく、平穏に
自我を確立し、心身ともに健康に成長している人もいるんだからさ、
思春期ってのは、本来、平穏なものなんだよ、
子どもが自立できるような働きかけをしないとか、
子どものニーズと不適合な環境があるから、葛藤を生ませているだけなんだっていう説。
たぶん、こんな感じ。
何が言いたいかっていうと、
思春期は荒れるもんだよ~なんて言うけれど、
子どもが自立するのを支援する環境があれば、
必ずしも荒れたり、触れるものみな傷つけたりしないんじゃないかっていう説もあるように、
「そういうもんだから」と割り切るんじゃなくって、
今、そのまさに今、伝わる支援ってのはあるはずで、
その相手のニーズって何なのかっていうのを見定めること、忘れちゃいけないよねってことです。
今、話題の「軽度発達障害」。
何も最近になって増加したわけじゃなく、そういう子って今までもいたはずなんです。
困った子は、困っている子っていう言葉があるんですけど、
かつては、その困った子が、何に困っていて、どんなニーズを持ってるかなんて、
あまり考えられることはなく、
なんでこの子は忘れ物が多いんだ、落ち着きがないんだ、すぐにかんしゃくを起こんだ、と、
わけが分からないけど、困ったやつだ、ということで、
愛の拳骨や、激を飛ばしていたんでしょうよ。
それこそが、「支援」であり、親や教師なりの「善意」だ、という大義名分でね。
先日の京都であった交流会で購入した本なのでブックカバーはなく、
表紙に大きく「引きこもり狩り」と書いた本を広げる僕は
周りからどう見られているんでしょうね。
でも、あれですね、本とか勉強でもそうですけど、
吸収したいとき、スポンジが水を欲しているときって、
すげぇサクサク進みますよね。あーゆーある種のトランス状態っていいですよね。
ふと我にかえると、あ、こんなに進んだ~みたいな、みたいな?
どうも、結婚したくない男 暫定1位です。
この「引きこもり狩り」で言われていたのは、
疑うべきは「善意」そのものだ、善意の道は地獄へ通ずる、と。
アイ・メンタルスクール寮生死亡事件とか、永田塾裁判って知っています?
●アイ・メンタルスクール寮生死亡事件
2006年4月、東京都世田谷区の男性が、母親から依頼を受けた名古屋の引きこもり支援施設アイ・メンタルスクール代表、杉浦昌子らにより夜中に寮へ「拉致」され、4日後、外傷性ショックで死亡した。同施設では支援の名のもとに入寮者に対する日常的な暴力行為があり、また鎖や手錠を用いて拘束するなどしていたことも判明し、話題となった。
●長田塾裁判
2005年7月、テレビや雑誌などで引きこもりや不登校を2時間で直すなどとうたい脚光を浴びた更生支援施設代表・長田百合子が、かつての入寮者であった青年から損害賠償請求の民事裁判を提起された。アイ・メンタルスクール同様、入寮者を強迫するなどして「拉致」する手法をとっていた。
事件の、なんとなくの概要は知っていましたが、
この本を読んで、あらためて事件の全貌を知ることができました。
「よかれ」と思ってやれば、何でもいいんかい、っていう話です。
善意って、歓迎されるべきものだから、余計にタチが悪いですよね。
「よかれ」と思って「支援」するってことは、
その対照の今の状態を「悪いもの」とした前提があるんです。
引きこもりは「悪い」。
甘えだ、怠けだ、「だから」、愛を持って更生させなければならない、
立ち直らせなければならないのだ、という論理です。
これ、特にこの引きこもりに限った話ではないと思いますけどね。
親子関係だってそうです。
あなたのことを想っているから、言っているのよ!
悪いことは言わないから、お母さんの言うとおりにしなさい!
こんな親、ドラマだけだろって思うかもしれませんけど、いますよ。
先生はなぁ、お前等のことを思って指導しているんだぞ!
お前等のためを思ってるんだ、わかったかー!
まぁ、ここまで極端に言葉にはしないだろうけど、
そういう心理はあると思います。少なからず。
教え、「導く」ことと、「支援」をイコールにされたら、生徒は可哀想じゃないですかね。
「人のために」って、すっげぇ難しいと思うんです。
相手が欲していることを、自分の目線で考えているうちは、その支援は危険でしょうね。
何年後かに、その人の言葉の意味がわかる、とか、想いが実感できるって、
さも美談のように聞こえますけど、
それってどうなの?という問いを、あえてしてみたいと思います。
だって、数年後でしょ?
そのとき、まさに、そのときに、
相手に伝わるように伝えられなかったって、そりゃぁ、どうなの?って話です。
もちろん、
いろいろな経験をして、様々な価値観に触れ、
その中でわかってくることがあるのも、事実です。
胸にストンと落ちてくるまでにタイムラグはあるかもしれません。
そういうこともあるってのは否定しません、
が、
そのように後々、わかってくるような言葉や想いが、
その、当時に、伝わらなかった原因が、
単純に、時間がたたないとわからない、とか、
いろんな経験をしないとわからない、というところにあったんですかね?
話はぶっ飛びますけど、
思春期をめぐる見解に、「思春期危機説」と「思春期平穏説」があるんですよ。
前者は、思春期は触れるものみな傷つけるような時期で、
周りの環境との相互調整がうまくいかなくて、家族などの環境との葛藤を抱え、
また自分の内面とも激しい葛藤を持つ、という時期であるってういう説。
後者は、思春期といえど、「荒れる」ことなく、平穏に
自我を確立し、心身ともに健康に成長している人もいるんだからさ、
思春期ってのは、本来、平穏なものなんだよ、
子どもが自立できるような働きかけをしないとか、
子どものニーズと不適合な環境があるから、葛藤を生ませているだけなんだっていう説。
たぶん、こんな感じ。
何が言いたいかっていうと、
思春期は荒れるもんだよ~なんて言うけれど、
子どもが自立するのを支援する環境があれば、
必ずしも荒れたり、触れるものみな傷つけたりしないんじゃないかっていう説もあるように、
「そういうもんだから」と割り切るんじゃなくって、
今、そのまさに今、伝わる支援ってのはあるはずで、
その相手のニーズって何なのかっていうのを見定めること、忘れちゃいけないよねってことです。
今、話題の「軽度発達障害」。
何も最近になって増加したわけじゃなく、そういう子って今までもいたはずなんです。
困った子は、困っている子っていう言葉があるんですけど、
かつては、その困った子が、何に困っていて、どんなニーズを持ってるかなんて、
あまり考えられることはなく、
なんでこの子は忘れ物が多いんだ、落ち着きがないんだ、すぐにかんしゃくを起こんだ、と、
わけが分からないけど、困ったやつだ、ということで、
愛の拳骨や、激を飛ばしていたんでしょうよ。
それこそが、「支援」であり、親や教師なりの「善意」だ、という大義名分でね。