大きな樹の下で。

大きな樹のようなヒトになりたい。
みんなの憩いの場となる樹のような、
心の広い、
でっかいヒトに。

善意の道は

2008-02-20 20:25:11 | Weblog
昨日、「ひきこもり狩り」という本を読み終わりました。
先日の京都であった交流会で購入した本なのでブックカバーはなく、
表紙に大きく「引きこもり狩り」と書いた本を広げる僕は
周りからどう見られているんでしょうね。

でも、あれですね、本とか勉強でもそうですけど、
吸収したいとき、スポンジが水を欲しているときって、
すげぇサクサク進みますよね。あーゆーある種のトランス状態っていいですよね。
ふと我にかえると、あ、こんなに進んだ~みたいな、みたいな?

どうも、結婚したくない男 暫定1位です。


この「引きこもり狩り」で言われていたのは、
疑うべきは「善意」そのものだ、善意の道は地獄へ通ずる、と。

アイ・メンタルスクール寮生死亡事件とか、永田塾裁判って知っています?


●アイ・メンタルスクール寮生死亡事件

2006年4月、東京都世田谷区の男性が、母親から依頼を受けた名古屋の引きこもり支援施設アイ・メンタルスクール代表、杉浦昌子らにより夜中に寮へ「拉致」され、4日後、外傷性ショックで死亡した。同施設では支援の名のもとに入寮者に対する日常的な暴力行為があり、また鎖や手錠を用いて拘束するなどしていたことも判明し、話題となった。

●長田塾裁判
2005年7月、テレビや雑誌などで引きこもりや不登校を2時間で直すなどとうたい脚光を浴びた更生支援施設代表・長田百合子が、かつての入寮者であった青年から損害賠償請求の民事裁判を提起された。アイ・メンタルスクール同様、入寮者を強迫するなどして「拉致」する手法をとっていた。


事件の、なんとなくの概要は知っていましたが、
この本を読んで、あらためて事件の全貌を知ることができました。

「よかれ」と思ってやれば、何でもいいんかい、っていう話です。
善意って、歓迎されるべきものだから、余計にタチが悪いですよね。

「よかれ」と思って「支援」するってことは、
その対照の今の状態を「悪いもの」とした前提があるんです。


引きこもりは「悪い」。
甘えだ、怠けだ、「だから」、愛を持って更生させなければならない、
立ち直らせなければならないのだ、という論理です。


これ、特にこの引きこもりに限った話ではないと思いますけどね。

親子関係だってそうです。

あなたのことを想っているから、言っているのよ!
悪いことは言わないから、お母さんの言うとおりにしなさい!

こんな親、ドラマだけだろって思うかもしれませんけど、いますよ。

先生はなぁ、お前等のことを思って指導しているんだぞ!
お前等のためを思ってるんだ、わかったかー!

まぁ、ここまで極端に言葉にはしないだろうけど、
そういう心理はあると思います。少なからず。

教え、「導く」ことと、「支援」をイコールにされたら、生徒は可哀想じゃないですかね。



「人のために」って、すっげぇ難しいと思うんです。

相手が欲していることを、自分の目線で考えているうちは、その支援は危険でしょうね。


何年後かに、その人の言葉の意味がわかる、とか、想いが実感できるって、
さも美談のように聞こえますけど、
それってどうなの?という問いを、あえてしてみたいと思います。

だって、数年後でしょ?

そのとき、まさに、そのときに、
相手に伝わるように伝えられなかったって、そりゃぁ、どうなの?って話です。

もちろん、
いろいろな経験をして、様々な価値観に触れ、
その中でわかってくることがあるのも、事実です。

胸にストンと落ちてくるまでにタイムラグはあるかもしれません。
そういうこともあるってのは否定しません、

が、

そのように後々、わかってくるような言葉や想いが、
その、当時に、伝わらなかった原因が、
単純に、時間がたたないとわからない、とか、
いろんな経験をしないとわからない、というところにあったんですかね?


話はぶっ飛びますけど、
思春期をめぐる見解に、「思春期危機説」と「思春期平穏説」があるんですよ。

前者は、思春期は触れるものみな傷つけるような時期で、
周りの環境との相互調整がうまくいかなくて、家族などの環境との葛藤を抱え、
また自分の内面とも激しい葛藤を持つ、という時期であるってういう説。

後者は、思春期といえど、「荒れる」ことなく、平穏に
自我を確立し、心身ともに健康に成長している人もいるんだからさ、
思春期ってのは、本来、平穏なものなんだよ、
子どもが自立できるような働きかけをしないとか、
子どものニーズと不適合な環境があるから、葛藤を生ませているだけなんだっていう説。

たぶん、こんな感じ。


何が言いたいかっていうと、
思春期は荒れるもんだよ~なんて言うけれど、
子どもが自立するのを支援する環境があれば、
必ずしも荒れたり、触れるものみな傷つけたりしないんじゃないかっていう説もあるように、
「そういうもんだから」と割り切るんじゃなくって、
今、そのまさに今、伝わる支援ってのはあるはずで、
その相手のニーズって何なのかっていうのを見定めること、忘れちゃいけないよねってことです。


今、話題の「軽度発達障害」。

何も最近になって増加したわけじゃなく、そういう子って今までもいたはずなんです。


困った子は、困っている子っていう言葉があるんですけど、
かつては、その困った子が、何に困っていて、どんなニーズを持ってるかなんて、
あまり考えられることはなく、
なんでこの子は忘れ物が多いんだ、落ち着きがないんだ、すぐにかんしゃくを起こんだ、と、
わけが分からないけど、困ったやつだ、ということで、
愛の拳骨や、激を飛ばしていたんでしょうよ。

それこそが、「支援」であり、親や教師なりの「善意」だ、という大義名分でね。

覚悟

2008-02-19 20:23:42 | Weblog
僕たちにエネルギーをくれるのは、
自然、人間関係、文化の3つだという話を聞きました。

もし、そうだと仮定するとしたら、
自然がなくなり、人間関係が希薄になったときに、
「萌え」に行き着くのは
エネルギーの需要を満たすためにはむしろ必然だったんじゃないか、と想いました。

変に納得してしまった自分を対象化する覚悟はありません。



昼間、部屋でぼーっとしていたら誰かが訪ねてきたらしく呼び出し音が鳴りました。

うちは集合玄関があって、
誰が訪ねてきたのかは僕の部屋から見えるんですね。

誰だろう?と思って画面に目をやると、そこには

フルフェイスメットの黒い男。

あ、死んだかもな、と思いました。

にらみ合う僕とフルフェイス。

あっちからは、僕は見えていませんよ。

しばらくしたら、呼び出し音は鳴り止みました。


その後に用事があったんですけど、僕が家を出るのをためらったのは言うまでも有りません。

でも、行くしかない!って、意を決して外出。

もう、家に帰るのが本当に怖くて、
こういうときばっかりは自分のたくましい妄想力を呪うわけです。

妄想の中で僕は30回くらい死んでいましたよ。
部屋には監視カメラとかあるんじゃないかという自意識過剰っぷりです。

まぁ、オチはっていうと、
母親が送ってきたチョコレートの配達員だった、っていうね。


どうも、僕です。



「やりたいこと」と「できること」は違う。

やりたいんであれば、できるように努力する。

その努力をしないで、
「できない」と嘆いたり、「やりたい」と夢を語るのはどうなの?って思うんです。

僕が大事にしたいのは、
理想を現実に近づけるためには何ができるのかなってところです。

理想を実現する覚悟だけじゃなくって、理想を諦める覚悟も必要になるかもしれません。
ある程度のところで現実とすり合わせていく妥協もあるかもしれません。

理想の現実に向かった最短ルートで進まなくてもいいけれど、
たどり着きたい場所は、ぶれないようにしたいですね。

理想だけじゃ、何も生まれない。
地に足がついているから、形になっていく。

自分の言葉に責任と、そして、覚悟を持つということは、
どういうことなのか。

自分には、何ができるのか。

あなた

2008-02-13 20:20:49 | Weblog
ふと思ったことなんですが、

3歩進んで2歩下がる、って、よく言いますよね。


僕は、「まぁ、3歩進んでも2歩下がったとしても、
それで1歩進んでりゃぁ、いいんじゃねぇの?」的な解釈をしていました。

でも、
思ったんです。

3歩進んで、2歩下がって、
数直線状は、+1だとしても、歩数は5歩なんだなぁ、って。

いや、むしろ、
その場踏み足を5回するってのもアリじゃんじゃないですかね。

なりたい自分や、達成したい目標に向かって進む、、、とても素晴らしいことです。


でも、
前に進むことだけが過程ではないんだし、
時には、下がったり、その場足ふみしたりしてもいいですよね。


普通の人間に興味があります。
所謂、世間一般の方、クラスに一人はいそうな給食当番が似合う人がいたら、
わたしのところに来なさい。

こんばんは、「不可自重」と書いて、スナツキンと言います。


「あなた」は、今、「どこ」にいますか?

「そこ」で、あなたは、「なに」をしていますか?

「そこ」にいることを決めたのは、「だれ」ですか?



人ってのは、どうしても他人と比較をしたくなる。

「世間一般」だとか、「普通」だとか、そういうもんから逸脱したくないからなのか、
自分は特別な人間なんだ、って、そう言い聞かせられる「証拠」がほしいからなのか。


いろいろな場面で言えそうなことだけど、
あなたはあなた、それで良いんです。

あなたは、だれかじゃないんだし、だれかになる必要もないんですよね。


あなたが、あなたであって、それ以上でも、それ以下でもない限り、
できないことよりも、できること、
あなたじゃダメなことよりも、あなたでいいことを探すほうが、よっぽど近道なのですよ。

そして、そこんところは、わかっているようで、わかっていないもんなんですよね。


そこにいることを決めたのは、だれでもないあなたで、
きっと、そこにいる人は、あなたがあなたらしくいることを望んでいるはず。

誰の真似もする必要はないし、劣等感に苦しむ必要もないんだって。

前を向く、ということ

2008-02-11 20:19:14 | Weblog
また目が腫れました。

睡眠不足、疲労、ストレス、食生活の乱れ、すべてコンプリートの賜物です。


今、企画している
「第一回 ALL東海教育フェスタ in 静岡」の分科会で講師としてお招きしている
田中良三先生が実行委員長をされているということでお誘いを受け、
2/9、10と、
愛知県立大学で行われていた
第7回 全国LD実践研究集会に参加してきました。

この研究集会、LDとついていますが、
これは今でいう高機能自閉症や、アスペルガー症候群、ADHDなどの
(軽度)発達障害も含んでいるようです。

いや、むしろ、
「特別なニーズを必要としている」と言い換えた方が適切かもしれません。

分科会では、想いが高まり喉を詰まらせるお母さんや、
特別支援教育の現実と悩み、不満をこぼしていた現場の教師など、
さまざまな方により実践報告、意見交換がなされました。

予想以上に、学生が少なかったのが少し残念でした。


教職を志す学生や、教育や子育て支援に関心がある学生、
いや、親になるということを考えれば学部を問わず参加してほしかった集会でした。


全体を通して僕が特に印象的だったのは、1日目の最後のレセプション(交流会)。


この集会の主催は、
名古屋市にある見晴台学園という高校です。

見晴台学園は今年で18年目を迎えた、
学習障害児や軽度の発達の遅れを持つ子ども・青年のための無認可の学園です。
「もっと学びたい!友だちがほしい!」
と思っても行き場のなかった子どものたちのために、
その親たちが中心となって1990年4月名古屋市南区に5年制の“高校”として開設しました。

レセプションには、その卒業生や父母、先生方などがたくさんいました。


どうしよう、アウェイだ・・・。


そう思いながらも、
実は、むしろそれくらいの方がはっちゃけられるんじゃないか、とも思っていました。


とりあえず荷物を置き、椅子に座ると、

「お兄さん、何て名前ー?あたしはねーーー!」
「おい、知り合いなの?」
「違うよ、知り合ったのー」
「え、なんて名前なの?」
「変な名前ーー!」

ぞろぞろと学園の卒業生が集まってきてくれました。
年齢は僕と同じくらいの人が多かったみたいです。

みんなが、どういったところに「生きにくさ」を抱えている、抱えていたのかはわかりませんが、
みんなが笑顔で、とても優しくて、レセプションが楽しかったことは事実です。


これは偏見なのかもしれないけれど、みんなは、純粋で、そして、不器用です。
でも、その不器用さ、純粋さが、眩しかったし、心地よかったです。

お兄さん、あげるー!と、あまり積極的に食事をしなかった僕を見て
お皿に盛り付けてきてくれる人や、
必死に携帯に入っている動画を見せてくれる人、
ほぼ初対面、出逢って5分もしない僕に、めっちゃ優しくしてくれました。

何人か仲良くなった子がいる中でも、
とくに不器用で、仲良くしてくれた2つ下の男の子がいました。

なんていうか、
それ、聞いている方が恥ずかしいじゃんかっていう台詞を、しれっと言ってくれます。

でも、
それはタテマエなんかじゃないんですよ。

純粋な気持ちを、そのまんま、ぶつけてくれるんです。


「僕はとても人見知りで、なかなか仲良くなれないんですけど、
お兄さんは、なんか雰囲気がよくて、気がついたらこんなにしゃべっていて、
自分でも不思議だなぁ。」とか、

「こうやって卒業生が集まれる機会も少なくって、この集会も年に2回しかないんだよ。
でも、ねぇ、今日は来てよかったなぁ。(お兄さんと)仲良くなれたし!」とかとか。

そんな彼が、ぽろっと言った台詞が忘れられません。



「ここの生徒は、みんな、(通常学級にいたときに)いじめとか、いろいろあったからね。
でも、お互い、いちいち聞かないし、別にいいんだよ。そういうのをわかってるし、
だから、みんな、仲がいいんだ。傷ついたら、それだけ優しくなれる、っていうかね。」


でも、目の前にいる彼らは、そんな過去を微塵も感じさせません。
とても、イキイキしていました。


集会の最後に、
ある方が「障害はマイナスじゃないのよ!」としきりに言っていました。
おそらく、多くの実践をされてきた末に出た言葉なのでしょう。


この発言を、みなさんはどう受け止めますか?

僕の答えは保留です。

ただ、この集会で出会った人たちは、みんなイキイキしていていたことは事実です。
生き難いこともあるかもしれませんが、とにかく、集会ではみんな楽しそうでした。

でも、その、今ある笑顔は、いつかの痛みがあったからある笑顔なのかもしれません。




過去はなきものになどできぬ。


ワンピースで、ネフェリタリ・コブラ王も、そう言っています。


現実と向き合って、
つらいこととか、葛藤とか、怒りとか、希望とか、期待とか、
そういうの、全部、受け止めて、

んで、

そこで、やっと、向き合える。


現実との対決、ネガティブな現状や気持ちとの対峙から逃げずに、前を、向く、力。

「でも、逆にさ~~」なんていう無責任な発想の転換をするのではなくて、
自分の現在の位置を、与えられた現実を、しかと見据える覚悟。

そういう力や、覚悟があったから、
研究集会に参加していた子や、その親はみんなイキイキしていたんだろうな、と思いました。




現実を置いてけぼりにしたポジティブなメッセージは怖いです。

ネガティブを嫌う社会、ネガティブに蓋をしようと躍起になる風潮は怖いです。

でも、
そのメッセージを放つ社会、風潮が、
現実と向き合おうとしている人を、追い詰めてしまうかもしれません。


わかりやすいメッセージ、受け付けやすいメッセージは、
その実情に迫る機会を奪ってしまいます。

価値判断は明確な方が良いし、
社会的に歓迎しやすい、好まれるメッセージもあるけれど、
そこに目を奪われちゃいけませんよね。

組織

2008-02-05 20:16:46 | Weblog
説明しよう!!

スナツキンはテスト期間になると、
ストレス、疲労、食習慣の乱れ、睡眠不足によって目が腫れるのだ!

こんばんは、腫れ物です。



「組織」の話をしようと思います。


と、なんとなく偉そうに切り出しましたが、
以下はすべて僕の経験からきている主張なので、あしからず。


僕は、「馴れ合い」が嫌いです。大嫌いです。


言いたいことだけ言って、やるべきことをやらない人、
それでいて、打ち上げを楽しみにしているタイプは、最も嫌いなタイプです。

なんとなく、「終わりよければ」的な雰囲気や、
「俺らは最高だよ」的な締めくくりには、非常に萎えてしまう人です。

組織には、組織の理念や芯のようなものがあるはずです。
組織に属しているのであれば、「仲良くなりたい」以外の目標や想いがあると思います。

それを、忘れんなよ、ってことですよ。

仲良くなるのも結構だし、信頼関係を築くことも大事だけれど、
それが目的になってしまったり、
組織内の人間関係が、組織にマイナスの影響を与えてしまうような事態は
ほんと、馬鹿らしいとしか思えません。

人間関係がこじれて、組織内の連携がおかしくなったり、
逆に、公私を混同してしまい、甘えやだらけ、不備を許容してしまう空気があったり、
僕自身、過去にそういった経験はありますし、
その経験の結果、生まれたものは、誰が誉めてくれてもうれしくは思えませんでした。

これはもう、
一つのトラウマ的なものなのかもしれませんが、
僕は馴れ合いに、とてつもなくアレルギーがあります。

あ、誤解されないように言っておきますが、
僕は組織内の信頼関係や絆を否定したいんじゃないんですよ。
むしろ、そういうの、好きです。

それに、
組織内の人間関係を良くしようとするのも大事だと思います。
組織の構成員のメンタル面を、ないがしろにはできません。



偏った意見かもしれませんが、
僕は、伝えるべきこと、伝えたいことは、
ちゃんと、伝わるように、伝える努力をすべきだと思っています。


それは、直接、言葉で伝えるときもあるだろうし、
おのずと気づかせるときもあるかもしれません。

そして、
それは【責任】だと思っています。

その組織の生み出すものが、
誰かの時間やお金を動かすものであれば、なおさらです。


まぁ、つまりは、

なぜ、自分が、「そこ」にいるのかを忘れるなよ、と。

そして、
「そこ」にいることを決めたのは、誰なんだい?ということ、です。


これは、自戒と決意の日記でもあります。

こんなこと、やってます。

2008-02-03 20:05:04 | Weblog



今、僕は

第一回 ALL東海教育フェスタ’08 in 静岡

という企画のスタッフをしています。


発足は、2007年、秋。

いや、もう少し正確に言うと、2007年、夏。

徳島の自動車学校で鬱と妄想と女教官への恋心の三角関係にゆれていた僕に、
予備校時代の友達からの電話。

予備校卒業?以来、はじめて連絡を取りました。

彼いわく、教育でおもしろいこと、やろうぜ!、と。


その彼から、また連絡がありました。

関西でおもしろい教育系イベントがあるんだけど、行こうぜ!!


出逢いと語り、視野が広がったときの爽快感、落ち着かない感じ。


あの出逢いと感動を、自分も東海で仕掛けたい、と、そう強く思い、
帰りの車内で、このイベントを企画することを決めたんです。



一人でできることもあるけれど、
一人じゃできないこともあります。

それは、「自分を知ること」です。


自分と似た考えの人、価値観の合わない人、
いろんな人に出逢って、いろんな刺激をもらって、
そういう考えがあるんだ、こういう価値観って新鮮だな、って、
そういう発見の中に、「自分」がいます。

あ、あの人の、あの発言がとても印象に残っているなぁ。
自分って、あんな考えはしたことなかったけど、とても惹かれるなぁ。

そこに、「自分」がいます。


僕のポリシーは、とりあえず動いてみること、です。


一人で悩む時間も大切だけど、
一人で悩んでいるだけじゃぁ、見えないものもあるはずです。




ちょっとの行動力で景色が変わるなら、
ちょっとの勇気で、ちょっとだけ、足を踏み出してほしいです。

その、ひとつの「きっかけ」になれるのだとしたら、僕はとても嬉しいです。


教育に興味がある人も、ない人も、ぜひ、一度、のぞいてみてください。


●ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/tofes_2008


●mixi http://mixi.jp/view_community.pl?id=2991080


友達に、教育に関心がある子がいるよ、教員志望の後輩がいるよ、って人がいたら、
ぜひぜひ、この企画と上のブログを紹介してあげてください。


よろしくお願いします。


以下、詳細を載せます。

【第1回 ALL東海教育フェスタ'08】開催決定!!

「教育に対する核を見つける」という、コンセプトのもと、教育に関心のある講師や多くの学生たちと触れ合うことのできる場を創ります。
このフェスタを通して、参加者同士が触れあい、学びあう中で、あなた自身の個性を改めて見つけるキッカケにしていただきます。そこから、あなたの個性が教育に携わっていく上であなたの“強み”にしていくことができるということを提案します。



第1回 ALL東海教育フェスタ’08 in 静岡 !!

                   あなたが変える、あなたを変える。




学校、企業、NPOなどさまざまな領域で活躍される魅力的な【講師】8人と、

教育に対してアツい思いや、悩み、不安を抱いている【学生】150人が、



【2008年 3月20日、21日】、全国から【静岡】に集まります・・・!!


「教育に対して、夢や希望、不満や不安を抱いている学生が、その思いを存分に語り合える場所があると良いなぁ。」

「教職に就くことに不安を抱いている学生は、不安や悩みを共有しうたり、アドバイスをもらえるような、つながりがあったら安心するんじゃないかなぁ?」


そんな思いから、このフェスタを企画しました。


そんな考え方があるんだ、とか、こんな教育観を持っている人がいるんだ、とか、
そういった教育に対する視野や教育観を広げるためにも、

また、自分と同じような不安や悩みを持っている人と出会い、
熱意や不安などの気持ちを話し、共感するためにも、

【出会い】って、大切だと思うんです。


このフェスタに参加してくれた人が、
いろんな人に出会って、いろんな考えに出会って、
他人について知り、そして、自分自身について知ることができる、
そんなフェスタを創りあげたいと思っています!!


詳細はこちら↓

第1回 ALL東海教育フェスタ’08 in 静岡 

あなたが変わる、あなたを変える。

●日時        :2008年3月20日(木)~21日(金)
●宿泊場所     :静岡県立焼津青少年の家
●参加対象     :教育に興味がある方、教員志望の方、現役教師など、教育に想いのある方誰でも!
●参加人数     :教育にアツイ150人と魅力的な講師8人
●参加費      :8500円
●プログラム

●プログラム

一日目

11:00~ 受付開始
12:00~ 入所式・オリエンテーション・開会式・アイスブレイク
12:55~ 導入講座・導入講演 ・施設利用説明・分科会説明・休憩
13:45~ 分科会?『学校教育現場で活躍される教師の講演』
        (80分間×2の選択)
        担当:河合純一氏(パラリンピック金メダリスト) 他2名の講師
16:50~ 夕べのつどい
17:30~ 入浴・夕食
20:30~ 『学びあい』ワーク 担当:学生スタッフ
22:00~ 就寝予定

二日目

7:00~ 朝食
8:00~ 荷物移動
9:00~ 分科会?『現場以外で教育に携わる講師の講演』
       (80分間×2の選択)
     担当: 藤原宏美氏(NPO不登校情報センター・トカネット代表)
         秋元祥治氏(G-net代表・学生にキャリア教育)
         田中良三氏(愛知県立大学教授・特別支援教育)
         
11:45~ 休憩
12:00~ まとめのワーク「自分の核に近づく!」
     担当:学生スタッフ
13:00~ 閉会式

●お問い合わせ  :ALL東海教育フェスタ実行委員会(tofes_2008@yahoo.co.jp)
●mixiコミュニティ :http://mixi.jp/view_community.pl?id=2991080
●blog        :http://blogs.yahoo.co.jp/tofes_2008
●主催        :ALL東海教育フェスタ実行委員会

疑問

2008-02-01 15:08:01 | Weblog
塾に行かないことは咎められないのに、
学校に行かないことには非難の視線がある。

インフルエンザで寝込んで家にいたら「お大事に」なのに、
心を病んで家にいたら「甘えるな」と言われる。


頼んで生まれてきたわけじゃないのに、
親に感謝しろと言われる。

結婚するつもりはないといえば、怪訝な顔で見られる。


なんか、変だ。

なんか、なんか、変だ。

なんか、変、だけど、変だと思う、僕が変なのかもしれない。けど。



思った。


みんな、必死なんだな、って。


必死に、生きているから、
必死に見えない人が気に食わないんだ、きっと。


思った。


みんな、自分を否定されたくないんだな、って。


自分を支える、信念とか、常識とか、道徳とか、
そういうのを否定されると、自分自身を否定されたような気になるんじゃないかな、って。



でも、なーんか変だ。



必死に見えない人は、本当に必死に生きていないのかな。
ひきこもる人は楽をしているのかな?
学校に行きたくないのは怠けなのかな?

自分の信念や常識とか道徳とか、そういう自分を支えているものを守るために、
人のことを否定するのって、なんだか虚しい。


そういう疑問をみんなが持ち始めたら、秩序なんてなくなっちゃうだろうな。

そうか、
だから、そんなことを疑いにくいような社会になっているのか。

しかも、
ある程度のベルトコンベアと社会っていう枠組みの中で生きてきたら、
なかなか、それまでの人生やら信念やらは否定できないだろうしな。

な。