大きな樹の下で。

大きな樹のようなヒトになりたい。
みんなの憩いの場となる樹のような、
心の広い、
でっかいヒトに。

原動力

2008-03-25 20:30:13 | Weblog
第一回 ALL東海教育フェスタ’08 in 静岡

多くの人の支えと、協力によって、
無事、無事、終了することができました・・・!!

みなさん、ありがとうございました!!

詳しくは、こちらを。
http://blogs.yahoo.co.jp/tofes_2008

mixiはこちらです。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2991080


静岡新聞(21日)、朝日新聞の静岡版(23日)に掲載されました。
21日、18:00からの「たっぷり静岡」(NHK)でも紹介されました。

うれしいです。





すぐに日記を書こうと思い、
昨日からこうやってパソコンの前に座っているんですけどね、
どうも、うまく言葉がまとまらないんです。

言葉は、無力だと、痛感します。




そうは言いつつも、拙い文章能力ですが、
ここに、想いを記す努力をしてみたいと想います。

できれば、おつきあいを。



夜の語り合いで、ある参加者に聞かれました。


「なつきさんの、原動力って何なんですか?」



そのときは、それなりに答えたつもりなんですけど、
どこか、その答えには納得がいかなくて、
それから、ずっと頭の隅で考えていました。

自分の原動力って、何なんだろう?と。



そこで、ふと頭に「すっと落ちてくる答え」が浮かんできました。


それは、「自分への自信のなさ」です。


まだがんばれる、まだいける。
自分への不満足が、
「まだまだだ!」って、のびしろを信じる気持ちが、
僕を突き動かしてくれるんだと想います。


ダメだ、ダメだと言っているだけでも、
どうせダメなんだから、だったら動いてやるっていう、
いかにも僕らしい原動力ですね。





とりあえず、やってみる。


景色が変わるのを待っていても始まらない。

一歩。

一歩、前に踏み出せば、景色は変わります。




現実的に、打算的に、
できるか、できないかを考えるのも大事だけれど、
「やりたい」、「何か変わるかしれない」という、そんな、
わくわく、うずうずに対して素直になることも忘れたくないです。



「なりたい自分」へのビジョン、
「まだまだいける」っていう自分への不満足と期待。



目の前のタスクに没頭し、
忙しい現状につぶれかけることもありました。
ものもらいもできました。


正直な話、
目の前のタスクにつぶされかけました。
いや、ぶっちゃけ、つぶれていましたね、あれは。


個人的な話になりますが、僕は超ストイックな人間です。


あえて、仲間に対して厳しいことを言う時期もありました。
「受容」と「甘やかし」との違いを考えました。
「企画のため」、
「スタッフのため」になることは、何なのか、考えました。

「いいよ、いいよ」と許すことだけが優しさではないと信じながら、
でも、厳しさだけ、ストイックさだけでも、
それもまたダメなんだ、ということにも気がつくことができました。


自分のスタイルを崩すとき、
信じてきた価値観の改革を迫られたとき、というのは、
とてもしんどいです。しんどかったです。


どうしたら、スタッフの良さを引き出すことができるのか、
どうしたら、チームとしてプラスの方向に向かっていけるのか、
そのために、自分には何ができるのか。


今の自分の手持ちのカードではダメだ。
じゃぁ、どうしたらいいんだ。

自分のダメさに向き合いながら、でも、逃げながら、もがきました。


どん底まで悩みました。

まずい酒を、たくさん、呑みました。



でも、そんなときでも、
僕が、また前を向けたのは、
そんなときこそ、
「ここにいることを決めたのは誰なんだ?」
「このままでいいのか?」
って自問することで、原点回帰できたからです。



最後に。


フェスタの「語り場」で伝わった方もいたかもしれませんが、
あのプレゼンが、僕のフェスタにかける想い、そのものでした。

僕は、学校が好きな人、ポジティブな学校体験しか持っていない人が
教壇に立つことに、不安を感じています。


「僕は学校が好きだから、不登校の生徒にもぜひ来て欲しい。」

「いじめがあったとしても、絶対に分かり合える。
クラス、みんなで話し合えばいいのさ。みんなは、仲間なんだから。」

そんなこと言っちゃう先生に、怖さを感じています。


頭の中の「こども」は、みんなが「笑顔」。
そんな教師にこそ、
ネガティブな現実にも目を向けてほしいと、そう想います。


「語り場」の、
「不登校は問題か?」のテーマのグループでのある一コマを見て、
僕は本当にスタッフをしていてよかったと想いました。


それは、こんな一コマです。

ある教職志望の学生いわく、
「僕は、先生として学校に子どもを登校させるのが使命だと想っているよ。」
「僕は、学校が好きだから、やっぱり学校には来て欲しいな。」

不登校経験者の学生いわく、
「学校に行く、とか、行かない、とかじゃなくて、
その子が今、何に苦しんでいるのか、を知ることが大事だと想う。」

また、別の教職志望の学生いわく、
「私は、学校には行った方が良いとは想うけれど、
いじめとか、いろんな理由があるわけで、
そう想うと、(問題か問題じゃないか)わからない。」


いろんな価値観、考え方がぶつかり合って、
お互いが、それぞれの意見に耳を傾け、感じ、応えている、
その一コマを僕は目に焼き付けようと想いました。



さぁ、
第一回 ALL東海教育フェスタ’08 in 静岡は終わりました。

過去になりました。

今、僕は、その過去の先にいます。

フェスタで出会った仲間、参加者のみなさんと再会したときに、
恥ずかしくない自分でいられるように、
フェスタに「けじめ」をつけて、
僕は院試験の勉強に励みたいと想います。



「最近、どうよ?」とか言いながら、
おいしいお酒を呑みたいものです。


組織

2008-03-06 20:28:19 | Weblog
今日も明るく、笑顔で毒舌、どうも、僕です。


付き合いが長い人には、もういまさら言われませんが、僕は第一印象と本性にギャップがあるみたいです。

しかも、いい人に見えて毒舌だから、裏切られた感じみたいですよ、他人いわく。

まぁ、でも、僕は意識的に印象操作してるつもりはありませんから。

今、東京にいます。
メンタルフレンドの勉強会に出ます。明日にはまた名古屋に帰ります。

昨日の夜は、弟とゲームしたんです。
スマブラでやられる僕に弟が『ハンデつけようか』と。
僕は頑なに断り、負けたとしても、ハンデなしで負けるんだ、とセルフ・ハンディキャッピング丸出しだったわけですが、そんな僕に弟がひとこと。

『どんだけ自尊心高いんだよ』

こねツッコミ、間違いなく、こいつは僕の弟だと確信しましたね。

さて、今日は『組織への不満』について話したいと思います。


組織への不満はありますか?
組織といっても、サークルとか実行委員とかバイトとか、いろいろあります。どこな組織でも、不満をもつことはありますし、もっている人はある程度います。

思うのは、その組織への不満ってのは、至らない自分の自己弁護でしかないんじゃないか、ということです。

自分ができないのは組織が悪いんだ、組織がしっかりしたら僕は頑張れるんだ、なんて、そんなこと言ってても仕方ないんですよね。

もちろん、組織のシステムだとか、ルールだとか、雰囲気だとか、『不満』をもたれて妥当だろう、という場合もあると思います。

しかし、そういう場合ばかりでもない、とも思います。


どんな組織であれ、僕は、『不満をもつな』とは言いませんし、言っても良いです。僕も言います。
でも、『前は向いていろ、やることはやれ。じゃぁ、何ができるか考えろ』と思ってしまうんです。

組織を変えるように努力するか、または今の状況でどれだけ頑張るか。


そこにいることを決めたのは、誰かじゃない、自分なんだから。

ストイック

2008-03-06 20:27:21 | Weblog
靴を左右ちくはぐで外出したのは、誰だい?

以下、自重だよ!!

まさか、そんな人いませんよね。


まぁ、無理にバイトいれたら、鈍行で帰省できない時間になり、結局、新幹線に乗るくらい頭が悪いの僕だから、それくらいのことは、取り立ててどうこう言うことじゃありませんね。

ここ数日、ゆっくり日記を書く時間がなぜか取れなくて、気がついたら、新幹線って感じです。

なぜ帰省するのか、というと、明日、明後日は静岡でイベントの合宿をするからです。現地をみんなで下見して、当日を妄想するのです。

妄想って、亡くした女を想う、と書くんですね。だからなんだっていう話ですけど。


妄想が、幻聴になる日を夢見て、どうも、僕です。
好きな机の位置は、窓際後ろから二番目です。


僕は組織や仕事に対して、とてもストイックな人間だということを、最近、つくづく感じます。


それは、きっと今までの経験の中で強化された答えでもあるわけです。

僕は、やることをやらない、やりたいと言うだけで後は人に任せて最後だけ盛り上がる、という人達のしわ寄せをくらうタイプの人間です。

それまでふざけていたやつらが、合唱コンクールの当日だけ良い声を出そうとして、んで、今までそれを見ぬふりしながら人任せにしていた女子が泣き出すなんて、もっとも嫌なシーンです。
おまえら、目にごみでも入ったの?と聞いてやりたくなります。ついでに、目の前で黒板消しを叩いてやりたくなります。


合唱にしろ、クラスの出し物にしろ、模擬店にしろ、なんにしろ、やると言ったことには責任を持てやれよ、と言いたかったです。

チームのため、組織のためってシャカリキやってる自分が、不意に馬鹿みたいに思えてくることもあります。
でも、それ以上に、目立たないところで頑張ってた人を蔑ろにする雰囲気が許せなかったんです。
テキトーにやってたやつらが、打ち上げだけ頑張るのが許せなかったんです。


投げ出したくなるとき、すべてをキャンセルしたくなるときは、自分が、なぜ、ここにいるのかを自分に問います。

だから、頑張れます。


もっと、うまく生きていく術を身につけたいとも思うけど、いつかの自分を追い詰めた側には、どうしても転べません。


生きにくいですが、まぁ、仕方がありません。いつかの自分のためにも、僕は、これからもこんな感じだと思います。