大きな樹の下で。

大きな樹のようなヒトになりたい。
みんなの憩いの場となる樹のような、
心の広い、
でっかいヒトに。

飽和、のち、自己嫌悪

2006-02-28 09:22:08 | Weblog
合宿のバスの中で「ドナドナ」を歌ったよ!


ドナドナドーナードーナー
子牛をのせーて(子牛をのせー)

ドナドナドーナードーナー
荷馬車はゆーれーるー



こんにちは。


えっと、
僕の頭ん中のエントロピー増大です。
飽和してきて
何もないときでもUTSUですorz

このブログをご愛読の方なら
「またか!」という感想をお持ちになるでしょう。
はい、またです。
UTSU週間です。

僕は本当に欲張りなニンゲンで
良い意味でも、
悪い意味でも、
妥協ができないニンゲンだということを痛感します。



この春休み、
いろんな人が遊ぼうって声を掛けてくれました。
おかげさまで、もうスケジュールに空きが見当たりませんw
今ある予定だけでなく、
泣く泣く断ったお誘いもありました。
ごめんなさい。


全部を手に入れることはムリなんですかね。

友達も、家族も、恋人も。





完璧主義な性格が邪魔をして
自分にどんどん余裕がなくなっていく。
頭の心も飽和状態。


せっかく友達と呑んでいるのに
自己管理ができていないせいで
何度も眠くなってしまい
不快な思いをさせてしまったり。

会える時間を、と思って時間を作れば
自分の時間がなくなっていき。

友達と会っているうちは
すぐに返信しなければならないメールを除いて
人とメールしないようにって思うけれど、
それもある人にとっては不満の種であったり。


すべてが悪循環。






自己管理について考え直す必要がある、
そう痛感しています。


「これじゃぁ、
いつかみんなが愛想を尽かして
僕から離れていってしまうだろうな。」


最近の自分を振り返ると、
そう思ってしまいます。




アツイ出会い。

2006-02-27 07:04:31 | Weblog
ほ~ら~足元をみ~てごらん♪
あれが~あなたの~歩む道~♪

(未来へ/kiroro)

えーっと、
最初から足元しか見ていませんが、なにか?



こんにちは。



実行委員会の合宿でアツイ出会いがありました。
えーっと、
じゃぁ、「大工さん」で。

合宿のときに部屋が隣ということで
いつもよりも話す機会があって
いろいろ話していくうちに
「やべ、こいつアツイぜ★」
ってことに気がついたんですよ。

大工さんはマジでアツイです。

「あ、僕はこーゆー話をしたかったんだなぁ。」

大工さんと話してて、そう思いました。

何事にも一生懸命で、
「考える」ということをやめない人。

人の意見も
素直に聴く耳を持っている人。

誰かの頑張って姿や、つらい姿を
見過ごさない目を持っている人。

友達の誠意を感じて
それに応えようとするココロを持っている人。


なんか、
すごい貴重な出会いをしてしまった気がします。



ここのところは
友達からお誘いを受けるばかりで
自分から呑みに誘うなんてことはあまりなかったけれど、
合宿から帰ってきた日は
呼び出してサシ呑みをしたくらい
僕の中では大きな出会いだったと思います。


またひとつ

良き出会いをしてしまった。




これもまた偶然の産物。
もう奇跡と呼んでもいいですか?




くおりてぃ

2006-02-26 05:58:40 | Weblog
呑み屋のアンケートで
従業員の似顔絵を描きましたw
それはもうイイ店員さんだったので、ついw

その呑み屋から葉書が届きました。
「新メニューがあるのでまたお越し下さい!」
って感じの葉書なんですけど
なんと下の方に僕の描いた似顔絵の模写がwww


うはwww
くおりてぃタカスwww

こーゆーところに気を遣えるって素敵じゃないですか?



葉書に限らず、
ここの呑み屋さんの接客は本当に気持ちがいい。

普段飲食店に入って
接客がいいなって感じることはそんなにない。
むかつくときはあるけれどwww

「また来たくなる接客」

そんな感じの接客をしてるあの呑み屋さん。
そんな誠意さえも感じる素晴らしい接客、
そんな接客を徹底させるあの呑み屋さんのバイト教育。

接客って、
どこもそんなに変わらないって
思っていたけれど、違いますね★


また今度
会いに行こうと思います。
あの店員さんに。







あ。

忙しい店員さんを観察して似顔絵描いた僕については
ノーコメントでお願いしますwww


ただいま

2006-02-25 05:20:41 | Weblog
車に乗っていて、山を眺めていると
山が連なっている向こう側から
怪獣が現れるシーンを妄想せずにはいられません。


こんにちは。


実行委員会の合宿から帰ってきました。


まず、合宿は大成功でした。
僕的にね。

会議、会議、会議だったわけですけど、
それはもう充実していました。

と、言うのも、
やっぱり「あ、あの人はこんな風に考えているんだ。」って、
普段はなかなか聞けない意見を聞くことができたことが
本当に貴重だったと思っています。

たしかに、
同じ実行委員会であっても部署が違ったりすれば、
まぁ、それなりの事情があるわけでございまして、
相容れないよーなこともございまして。

でも、だからって
伝えるってこと・感じるってことは無意味なんかじゃなくて。


グレイである必要はない。
シロとクロ、それでいい。

理解できないってことを理解することも理解。

相手はシロなんだって知ること、
相手はクロなんだって知ること、

それは
何も相手の色を混ぜて
グレイにしようって話じゃないんだ。


知るということ。
伝えるということ。


それはすっごい大切。








信念の旗

2006-02-22 09:07:24 | Weblog
2桁の掛け算も、
筆算を使わないとできません。

こんにちは。




信念という旗。




周りに否定されても、
バカにされても、
決して折れない信念という旗。





マイノリティなら慣れてる。

負けるもんか。




僕の母を紹介します。

2006-02-21 06:08:48 | Weblog
オンナノコが必死に自転車で立ちこぎしてるのを見てしまうと
なんか気分が萎えます。



こんにちは。



もうすぐ国公立前期入試



ご存知の通り、
僕は浪人を経験し、
今は晴れて大学生1年生。
暖かくなったら2年生ですよ。


大学入試。



ほんとに僕は此処の大学に受かったのか、
今でもときどき不安になります。
全部夢なんじゃないか、って。


努力すれば報われると信じていた現役時代。

努力にもコツがあることを身をもってしった大学受験失敗。

息抜きを覚えた浪人時代。

周りなんか気にしないで
マイペースを貫いていました。

「自分は自分。」と。




そんな浪人時代を経て、ようやく今通っている大学に合格したわけですが、
今日は、そんな僕の受験ライフを支えた一人の女性。




そう、母についてお話しましょう(どーん)




もう世間的には冷めましたけど、
あったじゃないですか、「冬のソナタ」ブーム。
やめてくれ、と思っていましたけど、
うちの母も見事にはまりましたよ、
笑顔の貴公子に。


雪の降る冬空を見上げるシーンが有名ですけど、
雪って、ホコリじゃないですか?ぶっちゃけ。
だから雪なんて別に幻想的じゃないんですよね。
むしろ、目に見えないホコリが見えるようになってる分、
十分現実的なのでは…。


なーんて、そんな突っ込みすると、
貴公子のファンに狙撃される恐れがあるのでこの辺でwww


帰省するたびに貴公子のグッズが増えて
学校の生徒に画像を贈ってもらい、
生徒の保護者からグッズを貰うくらい、
母の貴公子熱は激しいです。



「ねぇ、お父さん?
 春のスーツの代わりにDVD買ってもいい?」

                言われた父も可哀想です。

はい、届きましたよ。ダンボールで。



その貴公子のDVDを毎晩見ていた母ですが、
DVDを見なくなった時期があります。


それは僕が現役高校3年生の2月。




いわゆる、「願掛け」というやつです。


これは僕が受験失敗して浪人が決まってから
母に打ち明けられたんですけどね。

母いわく

「息子がこんなに一生懸命受験勉強を頑張っているのに
 私がこんなイイ思いをしてはいけない。息子の合格の願掛けとして、
 1ヵ月は冬のソナタの鑑賞を我慢しよう!」




僕があきれていると、

「すごいつらかったんだよ!」



と母に反撃されました。



きっと母なりの誠意だったんだろうけれど、
言われたときは耳を疑いましたねwww


そんな願掛けをした母が、
僕の私立受験についてくると言い出した目的は
東京にある韓国グッズのショップでしたけどね!


orz







金銭感覚

2006-02-20 08:17:18 | Weblog
バイトにて。

パッとしない中年男性
「だます人 だまされる人の心理学」
という本を購入していきました。



明らかにだまされる側www




ぷぷぷぷ~(☆з☆)!!!




おじさん、だまされないように気をつけてね☆



おはようございます。



「なつき君って、人にだまされそうだよね~。」
って、毎年数回言われます。
「夏に生まれたから、なつきなの?」
と同じくらいの頻度で言われます。


えーっと、

本を探しているんですけど…。




「だます人 だまされる人の心理学」
って本、 置いていますか?



さーて、日に日に長くなる前置きは置いておいて。


みなさん、
金銭感覚はお持ちですか…?




ちなみに僕にはありません。




親がよく嘆いていました。


「あんたって子は、ほんとに金銭感覚ってもんがないね!」




僕はわがままで、欲しいと言ったら諦めない子でした。
アレが欲しい、コレが欲しいって、
わがまま言いたい放題でした。

進学校には、
どういうわけか、経済的に比較的裕福な家庭が多いです。

うちは裕福ではないですけど、
3人の子どもが不自由なく
飯が食べられて学校に行けて、
しかも長男は浪人して現在下宿しているんですから
比較的裕福なんじゃないかなーとは思います。

県外へ進学できない家庭だってあるんですから、
「その点、僕は恵まれている方なんだな」と、頭ではわかっていなくてはいけないと思っています。


まぁ、そんな裕福な友達と一緒にいるわけですけど、
やっぱり裕福なだけあって、
そんな裕福な家庭で培われたであろう価値観を持っていました。

ジャケットに3万とかねw
古着愛好家には信じがたい値段ですが…。

ジャケットに3万とか、
パチスロで4万すったとか、
そんな話をしている友達よりは
さすがに金銭感覚というもんはあるんじゃないかとは思うけれど、
それでもやっぱり、
金銭感覚はないって自分でも思います。


むしろ、
ナイにきまってるだろーが、っつー話です。


「あるわけないじゃん!」




って、親には反抗してました。



大学に入るまで、
バイトというものをしてこなかったんだから、
金銭感覚なんてもんは
ほんとに乏しかったんです。

「お金を稼ぐ」ということが
どんなもんなのか、
「汗をかく」って、
どんなもんなのか、
ほんとにわからなかったんです。




実家では家に帰るとご飯があったし、
お昼には給食や弁当もあったので、
「食費」というもんが月にどんくらいかかるのか、
「外食」ってのは、どんだけ財布にダメージを与えるのか、
そーゆー感覚もなかったです。

お昼を外で買うときには
親に700円くらい貰ってました。
実際、健全な男子高校生がお昼を食べると
500円くらいじゃ済まなかったんですけどね。

あーあ。

現在のお昼代は300円以下ですよwww




おかーさんが言ってたんですよ。

お昼なんて300円で十分だ!って。


当時は「はあ?」って思っていました。
じゃぁ、300円で僕の腹を満たせるもんを買ってこいやーとw




こりゃぁ、親も嘆くはずだなぁ~って、
最近思うようになりました。




こうやって、バイトながらも働いてお金を貰って、
それで金銭感覚がついた、とは言えなくても
昔の自分を恥かしく思えるようになったわけですが、
周りの同年代はどうなんだろう?


親に金銭感覚がないって怒られるたびに
僕はダメなんだなぁーって凹みながらも、
働いてないのにあるわけないって葛藤もあって。




何人かの友達に真剣に聞いたことがありますwww


金銭感覚って、
ある商品の相場はいくらぐらいかって
わかる感覚のことじゃないですよね?

お金を稼ぐってのはどういうことなのか、
汗の代価ということを
「身をもって理解する」ということなんじゃないのかなぁ?



家を建てるのに何千万だとか、
浪人するのに何十万だとか、
そーゆー単位のお金、
「高いなぁ。」とは思うけれど、
それは実感を伴ってはいない。


親のすスネをかじってるうちは金銭感覚はつかないだろう。
社会に出て働いて、
結婚して、
3人の子どもを育てあげて、
マイホーム建てて、
それから親と語ってみよう、「金銭感覚」について。





「あれ、結婚願望なかったんじゃないっけ?」
って突っ込みは無しの方向でwww



☆スマイリィ☆

2006-02-19 09:09:13 | Weblog
自分の行動を24時間完全収録した映像、
いわば「24-なつきver」を見せられたら、
あまりのショックに
人格が崩壊する自信があります。

こんにちは。


最近思うことですけど、
大学入ってから笑わなくなったなぁ、って。



予備校までの僕は
もっと笑ってた。
もっとテンションが高かった。

今でも十分笑ってるし、
テンションたけーよって声が聞こえてきそうだけど、
違うんですよ。

―そう感じているだけじゃねーの?

確かに、そうかもしれない。



でも、
帰省して地元の友人に会うと感じる。


あー、僕ってこういうニンゲンだったなーって。


今まで、環境が変わることは幾度かあった。
大学進学ほどの変化はなかったけれど。



どっちの自分が好きかって聞かれたら、
大学進学前だって答えます。
迷わず。


栄養が足りてないのかな。

カラダにも
ココロにも。


ヤマアラシのジレンマ

2006-02-18 19:04:43 | Weblog
漫画を読もうと思っても、
本棚に手を伸ばすのもめんどうになってきました。


廃人万歳。


こんにちは☆

僕、対人関係の距離感については
触覚を失った虫ほどに乏しいです。



ヤマアラシのジレンマ

ある寒い日、ヤマアラシ達が寄り添って暖め合おうとしたが、
互いの棘で相手を刺してしまった。
近づいたり離れたりを繰り返しながら、
ヤマアラシ達は適度に暖かく、棘の痛みを我慢できる距離を見出した。
このショーペンハウエルの寓話を、フロイトは引用し、
二人の人間の間において結ばれる親密な人間関係は、
ほとんどすべて拒絶して期待する感情のしこりを含むとした。
これが「ヤマアラシのジレンマ」である。



ヤマアラシのジレンマって、
聞いたことありませんか?


仲良くなりたいなーって思うと
遊びや飯に誘ったりするんですけど、
いざ仲良くなってくると
すげぇうざくなる時があります。

ヒトリは寂しいから
誰か構ってほしいって思ったと思えば、
途端にヒトリになりたくって仕方なくなります。

誘われても断って、
家でヒトリを満喫します。

そんでまた、
ヒトリがイヤんなって…。


近づいたり離れたり。


僕はまだ、その段階にいるんだと思います。




ヤマアラシのジレンマを起こさない人もいます。

でも。

それは「いい距離」を見出した結果なのか、
それとも
もともと棘が当たらない距離にいるのに
「いい距離」だと錯覚してるのか。


どっちなのか自信なくなります。


ところで。

ヤマアラシのジレンマって切ないと思いませんか?

だって、
お互いの棘は同時に同じだけ刺さるんじゃなくって
そのタイミングも程度も差が生まれるんですよ?

一方は痛さを感じないで近づいていて
でも一方は痛さを感じていてそれを拒絶したくなる。

んで、
今度は痛がってた方が近づいて…。

んじゃあ、
そのタイミングと程度が同じだったとしたら…?

そしたら、疎遠になるんでしょうね、単純に。

言い換えれば、
そのタイミングと程度が違うからこそ、
一方が拒絶しても、
もう一方がその関係を取り持とうとするわけで、
だから、ストレートに
「痛い!もうイヤだ!さようなら!」
って展開にはならないわけですよ。


っていうか、
そもそも痛い思いなんかしなければ良いのに、
そう思ってしまいます。

んーじゃぁ、

仮に痛感のないヤマアラシがいるとします。

このヤマアラシはジレンマを起こさないはずです。
だって、痛くないんですから相手にすぐそばまで近づけます。

ホントに近づけると思います?


コタエはNOだと思います。


理由は簡単。
相手のヤマアラシが逃げてしまうからです。
痛みが分からない…、
つまり、
痛みに鈍感ってことは、
相手の痛みにも鈍感ってことです。

痛みに鈍感で
なぜ周りが自分を避けるのかがわからくて悩むヤマアラシにも
対人関係の或るひとつのタイプを見てしまう希ガス。

まぁ、お互い鈍感だったらうまくいくのかもw


「共感はできない。」、
「分かり合えるわけない。結局はみんな一人だ。」

というのが僕の持論ですけど、
だからってそれは
イメージすることや、手を繋ぐ意味までを否定しません。
むしろ肯定しています。
だからヤマアラシのジレンマが起こるんです、きっと。



傷つくことよりも
傷つけてしまうことを極端に恐れる僕は
このジレンマとこれからも格闘していくことになるだろうな。
ときに孤独を恐れて、ときに孤独を楽しんで。

いや、それは僕だけじゃない。
きっと、みんなそう。

みんな、傷ついて、傷つけて生きてる。生きてく。
ときに孤独を恐れて、ときに孤独を楽しんで。