大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

捕虜となった父の苦難をたどる旅

2017年04月11日 05時49分41秒 | 日記
 先日のテレビでも報道されましたが、「太平洋戦争中に、福岡市などで過酷な捕虜生活をしいられたオランダ人男性の遺族5人が初来日し、その足跡を」たどられたそうです。来日されたイングりット・ヴァン・デンバーさん(63)のお父さんは「オランダの植民地だったインドネシアで1921年に生まれたポールダニエル・ヴァン・デンバーグさん(故人)。旧日本軍の捕虜になったのは20歳だった42年で、ジャワ島の収容所に入れられた。翌43年に門司港に移送され、福岡市や大牟田市などの収容所を転々とし、終戦後の45年9月に長崎港から帰国」されたことが分かっています。
「大牟田市の収容所では、捕虜は炭鉱で強制労働させられ、満足な食事や薬が与えられず、日本兵から日常的に暴力を受けたことも生存者の証言で明らかになっている。終戦後、オランダに帰国した元捕虜の多くが、日本人への憎しみを語っている」そうで、恐ろしいことです。
「戦時中の捕虜の情報収集をしている市民団体<POW研究会>(東京)が案内役を務め遺族が知らなかった収容所などの情報を提供。遺族たちは県内を巡りながら当時の辛苦に思いをはせ、日本が再び捕虜を生み出す国にならないよう、その歴史を知る重要性も訴えている。」とのことです。
「孫のチェリー・ヴァン・デンバーグさん(38)が、オランダの公文書館で捕虜名や収容所先を書き込んだ文書を見つけ、ネットで<POW研究会>を探し当てた。大戦への興味が深まっていく中で、遺族5人での来日を決めた」そうです。
旅が終わって、「『今と昔の日本人は全く違う。恨む気持ちはない』とチェリーさん」は話されていますが、「一方で『今の日本を生きる若い世代も、暗黒の歴史を知るべきだ』」と話されたそうです。重たい話です。戦前の日本が顔をのぞかせるような風潮~と、言われる今日この頃、、、
(下:2017年3月31日西日本新聞・四宮淳平「元捕虜の父を感じたい。オランダ人遺族収容所跡など巡る『暗黒の歴史知ってほしい』」より)