お寺ふぁん・続々

写真撮ってきたから見て〜♪ 程度の記事書いてます!

2019 年の暮 良いお年を!

2019-12-30 | 日記

人が死ぬとこの世とあの世の境となる川に至る。これは仏教に限らず他の宗教観にもあるようです。・・ほんとにあるのかもしれませんね。

しかし、次から次へと人は死ぬのに受け入れできるのでしょうか? 過密社会?

どうやら心配いらないようです。

死んだ時点で物質的なものは消滅しますが、スピリチュアルな部分は残るそうです。

そして前世の“原因”をもとに来世への“結果”が決まる、・・死の時点で初期化されて生まれ変わっていくのです。

ただ、うそかほんとか時折初期化漏れや不完全初期化で前世の記憶が残ったままの人がいるなんて聞きますね・・・

この生まれ変わりが輪廻、輪廻は苦と捉え生まれ変わりのサイクルから脱する境地が解脱というそうです。

 

輪廻の象徴エンドレスノット、エターナルノットとも

 

年末、キリスト教は七面鳥を食べて祝うようですが、仏教は殺生を認めません。

お肉はおいしいのに・・少子化というのは、前世で肉食べて人に生まれ変われないからかも・・?

 

精魂を傾けて肉を作る人達は“殺す”とは言わないそうです。“玉を割る”ですかね・・? “賜る”んです。頂いた命は大切にし、決して粗末にしません。

他の命なしには生きていけない・・人は罪深いものです。その点聖人面したいなど ”あろうわけががない” なんですが、テレビの大食い番組というのは大嫌いです。

過剰摂取、無駄・・そして同じ口で “世界中の飢餓に苦しむ人に・・”的なことを言うなよ。どうなの・・ と言いながら自身好き勝手飲み食いしてたりして・・うい〜ひっく!

 

などと、明日は除夜の鐘を聞きながら身を正し、お屠蘇で良い年を迎えることとしましょう。

・・あっ、お酒を飲むことは不飲酒戒(ふおんじゅかい)の破戒になるそうです。良いところに生まれ変わらない・・あちゃ~

年明けからがんばろうと・・ もうアウト? 

だけどふところの深い仏様のことです、きっと抜け道もご用意いただいていることとお祈りします。

 

みなさま良いお年を!


河川散歩 年の瀬 淀川を渡る 阪神電車 国道43号

2019-12-29 | 日記

 琵琶湖からの唯一の流出河川である瀬田川が名を変えた宇治川、伊賀からの木津川、亀岡を経由し保津峡の川下りの保津川が名を変えた桂川、その三川が大山崎辺りで合流し淀川となる。

 淀川水系の本流は宇治川で、源頭は栃の木峠付近になるらしい。

 水系の枝川にあたる流入河川数は日本一とのこと。

 

 多数の橋が渡るが、一般道として最下流となる国道43号伝法大橋からの視界では阪神電車の2系統(なんば線、本線)が見える。

 

 梅田高層ビル群も望む。

 

 伝法大橋は国道43号の並走区間。背景に高く見える方が直行ルート、このルートは周辺に降りられる言わば”普通”。

 

 上空で伊丹航路が旋回する。青空。

 

 阪神高速の高架下に阪神本線が見える。

 

 もう何年くらい経つのかな?

 JR西九条駅直近で接続工事を行い近鉄電車と相互に乗り入れするようになった。姫路〜神戸〜なんば〜奈良が直通(^o^)

 

 

 直上の鉄橋写真は踏切の横からのもの、その至近にある洪水の記録。

 大正期に台風による堤防決壊が高槻市大塚付近で発生し、被害は下流一帯に及んだという。

 堤防の内側が池になったということだろう。

 水が引いてきてわざとこの辺りで堤防を崩し排水したという記録らしい。

 災害による決壊ではなく、意図的なもので”わざと切れ”と呼ばれる。

 

 この辺り、特に左岸は現在も増水による越堤、決壊の懸念のある地域。

 阪神電車の対水面高からも偲ばれる。こえ〜(^o^;)

 

 

 陽が高くなってきた。穏やかな年の瀬。

 

河川散歩 年の瀬 淀川を渡る 阪神電車 国道43号


2019 年の暮 閻魔さま

2019-12-27 | 日記

 2019年も余すところほんのわずか、日めくりでもぺらぺらになりました。

 今年のトピックスや故人を偲ぶことも終わり加減かなと思えます。

 私のところも年初、母がなくなりました。

 つい先日も田舎の親戚が亡くなったとの報がありました。田舎ってそんな話題しかないんですよね・・

 母方の親戚というのはわかりますし、母の葬儀にも列席してもらってたと思います。ではどういうつながり・・?

 もう生前の姿を思い浮かべた上で語ってくれる人も少ないです。昔ながらのしきたりを守り、時宜に応じてお祀りをする、それを支える人も健在。

 そういうことでつなげていけるんでしょうけど・・実際上困難です。地方の衰退、人口動態の変化をじかに感じます。

 

 

 突拍子もなく、一体人は死んだらどうなるんでしょう?

 仏法説話は言います。もちろん詳しくは知りませんし、いろんな説、変遷はあるようですが・・

 あの世に旅立つと三途の川に至ります。渡し賃は六文、これは三途の川開業以来、物価高騰があろうが、消費増税があろうともただの一度も値上がりしたことがないそうです。

 ありがたいことです。

 また、“文”は通貨単位でもなくなり、現物も得難いということで印刷したもので構わないということです。

 偽造ということを問われることはありません。またまたありがたいことです。

 三途? 初期の意味合いは三つの渡り方のようです。善人は橋を、そうでもない人は浅瀬を、罪深い悪人は蛟竜の潜む深い淵を渡るそうです。

 渡りきると「奪衣婆(だつえば)」という鬼ばばさんが衣をはぎ取る、蛟竜の淵で衣をちぎり取られた者は生皮をはがし、「懸衣翁(けんえおう)」という鬼じいじに引き渡す、懸衣翁は「衣領樹(えりょうじゅ)」の枝に衣を懸ける、するとそのしなりにより業の深さが判定されるというプロセスがあるそうです。

 なるほど、これは道理に適っています。橋を渡った者の衣は濡れず、浅瀬を渡った者は若干濡れる、淵を渡った者はずぶ濡れで蛟竜に衣を引きちぎられたりもする。

 その差が重量として枝のしなりとなる。すばらしい・・ ただ、ふと思う、これまでボキッとなるほどの人はいなかったんでしょうか・・? 素朴な疑問です。

 

 

 また、あの世社会でも昇進、機構改正、職務分担変更とかがあるようでばばさんは閻魔王の妻になっていたり、職務が違っていたりしながらもずっと根強く在籍されているようですが、じさまは影が薄くなったり、ときにはまったく出番がなかったりすることもあるそうです。やはり、ばばさまの方が恐い存在なんですね。

 閻魔様も拝見してみましょう。 

  足立区北千住 赤門寺の赤い閻魔さま

  宝塚市    中山観音の黒い閻魔さま

 

 この川に至るまで人間界の長さで7日かかるそうです。相当遠いです。

 これほど事細かに内容が分かっているのに、画像・動画が飛び交う現代でもその様子が一切投稿がされていません。圏外なんでしょうね。本当に遠いところです。

 

 あれ~ この絵だと渡河前審査のようですね。地獄への道も実況がないので、やっぱりよくわかりません。

 

また次・・


河川散歩 神崎川 神崎橋 神崎一心の戦由来碑

2019-12-23 | 日記

 神崎川の帰りに尼崎側の橋のたもとにお地蔵さまを見ます。

 

 

 何気に覗くと、“ん~! 高氏・・” 神崎一心の戦由来碑だそうです。

 

 

 碑は読みづらくなってきていますが、次のように刻みます。

 

 足利高氏 建武中興の恩賞に不平 反逆して鎌倉に走る 新田義貞 後醍醐天皇より追討の命を受ける かえって高氏の反撃に遭い京都へと敗走する

 京の都で再び激戦 今度は高氏軍が敗走する 高氏軍 山陰丹波の地を迂回 兵庫に陣を占める 新田軍と打出の辺りで決戦の運びとなる

 楠正成軍 遅ればせながら参加 神崎の辺りから神出鬼没 一心をこめた戦法で圧勝 高氏軍は遂に九州へと逃げ延びる 世にこれを神崎一心の戦いという

 

 かなり尊氏を敵視した記述です。尊氏は中興の活躍者、ために後醍醐天皇から諱「尊」を賜り、この時期には尊氏を名乗ったはずですが、高氏としています。

 しかも恩賞に不平を抱いて叛旗を翻した賊将、小者というニュアンスですが、現代歴史は必ずしもそういう評価をしません。

 確かに兵庫の地で破れ九州に落ち延びていますが、なんと朝廷軍の多くが高氏に付いていってしまいます。人望を持っているのです。

 危機感を抱いていたのは正成だけ。

 “勝っている今このときこそ尊氏と和議を結びましょうぞ!”

 と提案しますが、九州に追いやったとしか思っていない天皇側近に “なにを・・痴れ者が、我が方は勝っているのだぞ。天皇のご威徳覿面じゃ” 的な言いようで正成は謹慎の身に置かれたそうです。

 正成が恐れたとおり尊氏の実力とは侮れるようなものではなかったのです。

 

 では一心の地とはどういう所だったんでしょうか?

 出撃地でしょうね。この辺で戦ったということではないんでしょう。重要な戦いだったんでしょうけど、通して見れば取るに足らないものだったかもしれません。

 ちなみにまさに橋の辺りである神崎の渡しはどうでしょう? 現在でも交通の要衝です。昔日の姿は・・?

 古い絵図があります。

(尼崎市立地域研究史料館のウェブサイトを参照させてもらっています。)

 ↑同資料館は閉所になったそうでリンクが切れていましたのでコピー画像を掲載しました。(2023/2)

 うねりが大きく表現されています。誇張でしょうか? 深い入江の奥の大河であったということなんでしょうね。少なくとも“渡し”は徒渉(歩いて渡る)ではないようです。

 神崎は川のミナトとして繁栄した街です。

 大きな川というのは歴史とともに流れてきたというロマンをはらんでいますね。

 

 


河川散歩 神崎川を渡る 水鳥 JR列車

2019-12-22 | 日記

 

 

 

 神崎川は淀川水系の一級河川。

 摂津市付近で取水堰で淀川から分流し、神崎付近で猪名川と合流、その後僅かな距離で分流を重ね川口付近で淀川に再会するような形で大阪湾に注ぎます。

 延長約20キロ、流れから人口河川かと思えるんですが、自然の河川のようです。

 

 

 智頭急行の気動車特急スーパーはくと(多分?)

 ”はくと”は”白兎” その方面に乗り入れるんですね。

 

 

 この鉄橋は並行して複数の線路を渡すものであり、JRの宝塚線(福知山線)、東西線、神戸線(山陽線)の各電車がひっきりなしに上下します。

 画面右方向に尼崎駅があり宝塚線は分岐、左方向へは東西線が途中分岐します。

 

 電車特急、とても長い編成の貨物も渡ります。

 

 新快速電車は”おいかけ(糸へんに委、老懸とも)”を付けます。

 

 十三筋の神崎橋 昨年の台風被害大。これを挟んだ方向に新幹線橋梁。

 

 

 

 

 

 

 伊丹空港の着陸を望みます。

 

 上空は離陸機の旋回空路。

 

 この辺は汽水域かな? 魚が飛び跳ね大型の水鳥が浮かびます。

 サギは通行車両の大きな音は平気ですが、人の視線やシャッター音にはビビります。

 このあと飛んでいってしまいました。シャイ!

 

 

 

 この橋梁下は偉いんです。みんな頭を下げて通過します。 ・・・ほんと首をすくめます。

 実際は深刻な問題が・・

 大型車が通れる幅員はあるんです。

 しかし、ここで完全アウト、転回するスペースもないので橋梁の向こう側で2〜300メートル、こちら側はキロ単位になるでしょう・・ひたすらバックするしか

 それを何度となく見ました。

 

 

 

 

 今日も元気に走ります。うるさいですが、それが平和。 本日冬ぐもり。

 

神崎川を渡る 水鳥 JR列車