お寺ふぁん・続々

写真撮ってきたから見て〜♪ 程度の記事書いてます!

北向き新幹線 赤羽 七五三

2020-10-28 | 日記

 布団が恋しくなってきました。

 

 空気が澄んで遠望も利くようになってもきました。

(筑波山)

 

 晴天の日曜、新幹線、在来線の集中を見に行きます。

 電車は埼京線です。京葉線の新木場まで向かうようです。

 傾斜を上がっていく線路が新幹線、東京駅に向け在来線に傘のようにかぶったり、地下にもぐったりします。

 

 東京駅から見て北に向かう新幹線は、東北・北海道、山形、秋田、上越、北陸ですね。

 東北新幹線が言わば幹で他は枝でしょう。

 82年(昭和57年)に開業しました。当時の起点は大宮。

 東京方面から大宮までは乗り継ぎ在来線であるリレー号が結んでいました。

 大宮~東京間にすべての新幹線が集束しますが、この区間は東北新幹線のようです。

 他の新幹線は”乗り入れ”ですね。

 

 在来線も集中します。この場所が非常に重要なポイントであることがわかります。

 

 これはどちらでしょう、最短は仙台かな?

 

 もう古参組ですかね。

 

 いい場所だと思うんですが、撮影スポットとしては何分にももう少しすっきりしていないと新幹線のお顔が望めません。

 

 こんな季節でもあるんですね。

 

 

 神社が秘密基地で新幹線出入りさせてるような構図です。

 

 青空です。

 


最後の将軍様 山手線 巣鴨界隈(2)

2020-10-25 | 日記

 

 徳川幕府最後の将軍慶喜というのは不思議な将軍だと思います。

 名君なのか愚公なのか・・

 

 幕末期、京阪地区に大きな緊張が走ります。

 勅許を得ずに異国との修好を結んだことを発端に、幕府に反意を抱く旧水戸藩士が幕府で実権を握る井伊大老を白昼堂々と桜田門外において暗殺、その跡をまとめていた安藤老中も第二次桜田門外事件ともいうべきタイミングで坂下門外で襲撃を受け、受傷。

 暗殺こそ免れたものの、二つの事件は幕府がかつての絶対権威ではないことを印象付けました。

 そして兵を発する第二次長州征伐でも敗れ、武力衝突に及んでさえも与しやすしと幕府の威光はダダ下がりです。

 それでも政治向きは慶喜に手玉に取られるということがあり、倒幕主流である薩摩はなんとか戦争に持ち込み徳川の影響力を排除したいと躍起です。(江戸城御金蔵ももちろん意中にある、というかメイン・・)

 具体的には浪人を使った暴行や放火を頻発させます。

 たまらず幕府も薩摩征伐を企図します。”あくまでも徳川と薩摩の私闘である”・・との前提です。

 

 そこで最初の方に書いた京阪地区の大きな緊張です。

 薩摩が京に向け進軍します。これも挑発です。

 幕府軍が薩摩軍に向け発砲した、となりますが確証はないようです。

 ともかく戦闘が始まってしまいました。

 幕府軍は押されながらも必ずしも劣勢一辺倒ということではなかったようです。幕府軍には会津藩や*新撰組も含みます。

 *新撰組は撰、選が併用されるようです。自称は押印から選であり、こちらが公称化されているようです。 

 しかし、薩摩軍に「錦の御旗」が掲げられます。

 大阪城詰めしていた慶喜は表向き”よっしゃ~! 徹底的にやったるど~” と督励しますが、その夜にはこそこそと船で江戸に逃げてしまいます。”賊軍になってまうど~”

 大将を失った軍に戦意を求めるのは・・(;´д`)トホホ 状態です。

 これで戦況は決しました。のちに鳥羽伏見の戦いと呼ばれます

 ただ、鳥羽伏見は大きな戦いですが、国を分けたさらに大きな争乱になるのは防げたことでしょう。

 

 この後も旧幕側は戦乱の現出を避けようとしますが、時流が許しません。

 鳥羽伏見が導火線なら爆弾そのものという戊辰戦争に向いてしまいます。

 

 敗軍の将である慶喜は静岡で30年ほどの謹慎生活を送りますが、赦されてここ巣鴨の地に移り住んだとあります。

 ただ、ここも長くは住みません。退去理由は山手線が通ることになり、その騒音を嫌ったと・・

 背景の白いビルの手前の低い方のビルが巣鴨駅舎、確かに近くではあるけれど・・・

 ”予の隣に迷惑なもん作ることにしよって( `ー´)ノ・・予もなめられてしまったもんよの~( ノД`)シクシク…” かな?

 

 


最後の将軍様 山手線 巣鴨界隈(1)

2020-10-24 | 日記

 山手線は正式には”やまのてせん” といい、語呂的に”やまてせん”と呼ばれることもあるようです。

 正確に言うとやまのてせんだった時代もあり、やまてせんになった頃もあり、やまのてせんに戻ったということのようです。

 路線的には・・ 運行系統としては・・ などムズイこともあるようですが、素人には東京主要駅を巡る緑色の環状線との理解でまったく困らないですね(*´Д`)

 ただ、これも歴史的経緯でいうと後先逆のようです。

 山手線が主要駅を廻ったのではなく、山手線に接する地にターミナルが形成された・・が正しいようです。

 ”東京15区は東京市電のエリアにつき私鉄の乗り入れまかりならん。ただし、地下をもぐってくるのは許す。”

ということらしいです。

 そのため無理に中に入り込むより山手線の乗り継げるところにと、一極集中を避けて大きな街が形成されたんですね。

 それが東京の発展に直接つながったんでしょう。何が幸いするかわかりません。

 

 そもそもの発祥はというと貿易港横浜から内陸諸都市に物資を運ぶための貨物線だったようです。

 もちろん環状運転ではないです。

 いろいろな変遷を経て、現在都下を運行する環状動脈に発展しました。

 

 巣鴨駅付近を見ると一段低い地を走ります。

 池袋方面を望む

 

 上野方面を望む

 

 勾配を抑えるため台地部分を掘り下げたんでしょうね。

 大土木工事です。

 貨物併設の複々線で、現在は湘南新宿ラインの運行もあります。

 また、これだけの幅の言わば”空堀”の新設で大きな通りは架橋したでしょうが、切断された里道も多かったことと思います。

 平地と同じ高さの部分には平面交差である踏切も残ります。

 内外回りの山手線の隙を突いて通過するって大変なような・・('ω')

(上)うまく写せません。”とまれ”と”進入禁止”標識間の写ってない部分が踏切です。

(下)同じ踏切です。(第二中里踏切)

 

 そしてその昔、山手線の巣鴨界隈設置が決定した頃、騒ぎを嫌って脱出した・・もっと厳しい言葉でいうと”逃げ出した”大物要人が巣鴨に住んでいたんですね・・つづく

 


日本の王宮

2020-10-19 | 日記

 数日前の訪問です。

 

 日本には王様がいません。

 よって”王宮”などというものは存在の余地がないと思うんですが、それらしいものはあります。

 国威ということもあるでしょうしね・・

 

 

 

 もう少し前、夏の盛りには”一服の涼” どころか ”満服の涼” だったんじゃないかと思います。

 

 コンクリじゃありません。それなりの石材です。

 

 そして洋風の中にも和風・・・

 

 

 これは”日本チャチャチャ!” ですね。

 さすがに内部の撮影は認めていません。

 海外要人を迎えることもあり、セキュリティー上の問題ということもあるんでしょうね・・ 豪奢、さすが”王宮”です。

 

 

 

 


寅さん 地球征服 怪獣酒場

2020-10-10 | 日記

 別に寅さんが地球を征服するという話ではありません。

 

 ところで寅さん・・

 金町に勤めていたことがあるんですが、金町・高砂間に金町からも高砂からも次の駅、つまり途中駅1駅だけの線があります。その駅が柴又。

 「題経寺」通称柴又帝釈天の門前になります。

 ここは寅さんの故郷で記念館もあるし、背後には矢切の渡しもあります。

 来客にここに行こうと誘うと、ある程度歳の行った人は”おー懐かし”となるんですが、そうじゃない人は”それってだれのこと?なにもの”となってしまうんです。

 やわらかイメージのジェネレーションギャップですね。

 

 そしてつい先日、地球征服の謀議に秘密に参加しました。ふぉふぉふぉ・・(V)o¥o(V)

 若手”ウルトラマンはおぼろげにわかる、怪獣はバルタンだったらなんとか・・”

 ”お~ 時代は流れてしまった~😭”

 

 これも怪獣を模した一品です。

 

 地球征服ドリンク1号

 

 自分だってみなまではわかりません。これもワンシーンを模したんでしょう。

 

 ・・やっぱり全部はわかりません。

 

 も一つ・・

 コースターは持ち帰り可です。

 持ち帰ったつもりなのにありません。謀議場所に忘れたな・・そう思っていたら思わぬ所にありました。

 ”あ~そういえば・・” という記憶もありません。

 ・・カレーも鰈も好きだし、”廊下”も静かに歩くけど、似た(むしろ同じ)発音の言葉は受け入れたくないな~・・・(;´д`)トホホ