お寺ふぁん・続々

写真撮ってきたから見て〜♪ 程度の記事書いてます!

河川散歩  武庫川遡上 河川争奪 穿入メアンダー 松尾山高仙寺

2020-05-23 | 日記

 

 武庫川の”むこ”というのは、淀川から大阪中心部に向けた方を”こっち(河内)”というのに対応した実に雑な方向感覚の地名らしいです。

 むこを流れる川ですね。六甲も同義とか・・

 

 武庫川は面白い流れを見せます。

 現在丹波篠山を流れ加古川に合流する篠山川こそ武庫川の本流であったと言います。

 緩やかな平地を流れるため侵食力、運搬力とも小さく屈曲部に土砂の堆積ができました。

 それが自然の堤防となり、流れを堰き止めます。篠山は一時湖だったそうです。

 流れが復活したのは侵食力の大きい加古川が源流域を奪い取ったためです。

 川には川の神様を祀ったりしますから意思があるのかもしれませんが、”ある”とした表現が河川争奪です。

 これまで武庫川に流れていた水は加古川に奪われ、その痕跡が田松川としてホソボソと流れています。

 

 また、その下流藍本付近でも堆積作用により流路が堰き止められ、少しでも低い方にヘアピンで屈曲し、大きく迂回して流れ始めます。

 本流の痕跡が、ほとんど涸れて用水路のようになった相野川です。

 大迂回した武庫川と広野駅付近で合流します。武庫川大将やられっぱなし・・とほほ・・

 そんな様子を中流域三田の「須磨田」からJR南矢代付近の源頭まで遡上してみます。不要不急です・・😅

 

 

 なんかメルヘンチックです。

 冒頭の写真も近いです。田植えも終わっていて蛙の合唱が聞こえます。

 家の横奥に橋が覗いています。ここに”武庫川殿”がいます。

 

 神社があります。ちょっと寄ります。

 こちらの鳥居は笠木に反りがあって屋根のある形式です。めずらしい・・?

 

 立派な神社です。

 

 ちょっと寄った神社はちょっとこわい。

 

 ほんとは、流域を一望するのでは・・と寄ったんですが視界はありません。

 参道から以下の光景が望めました。

 川は山と山の間を左に曲がっていきます。

 

 

 

 田植えの終わった水田越しに橋の集落を望みます。わしらが川、わしらが橋って感じ・・

 

 もう夏の雲も・・

 

 

 さらに進んで176号を越えるとヘアピンです。

 公会堂に寸時、車を置かせてもらいます。

 鞘堂でしょうね。

 そこに標板、”この地の旧領主は民に慕われた人で、死に際し自分の財宝を墓に埋めよ、村が困窮したときには掘り返して使え”と伝えたということが書いてあります。

 近くにその塚があるらしい・・えらい人。

 

 上流を望みます。大河の趣はあまり・・

 

 くる〜と回ります。

 堆積により元の流路を失ったというなら、復活可能な旧流路地形があるのでは・・?

 そう思いますが、治水事業ですかね・・痕跡を感じさせるものは見当たりません。

 こういう地形によって急な曲がりを強いられた有名な地形が和歌山の「あらぎ島」です。

 川は平野部では自らの”意思”でくねくね流れます。

 それを自由蛇行、山間部の地形によって曲げられる流れを穿入蛇行(穿入メアンダー)というようです。空路からよく見えます。

 

 

 いよいよ源頭部。

 

 お寺に寄ります。松尾山高仙寺というようです。

 

 

 

 

 

 立派なお寺です。

 境内から福知山線を見ます。

 左端に見えている橋にこれから向かいます。

 駐車場に季節の花一輪。

 

 橋から。お寺を望んでいます。

 

 

 デルタで本流であった田松川(堤防沿い左)と合流します。現本流は右に延びていきます。

 

 もう少し上の橋から。かなり細くなりました。

 田松川はこの田んぼに取水するため人為的に残ったんじゃないでしょうか? 本来消滅してた・・?(田んぼの奥の山間を流れる)

 

 

 目的地到達です。

 篠山まで行って猪名川方面に帰ろうかなどと思いながらも、三田の千丈寺湖まで戻ってお昼にします。

 中華そば わらべ

 味噌を思わせるほど大豆の風味の強い醤油・・特段んまい!ということもないが、くせになりそう・・

 

 千丈寺湖のほとりを通って帰路に就きます。

 

 一気に書きました。ふ〜 ・・読んで頂いた方ありがとうございました。

 

 

 

(6/1 追加)


阪急沿線 庄内散歩

2020-05-21 | 日記

 “庄内離れて三国を過ぎりゃネオン渦巻く十三よ~♪“

 

 

 ちょっとした用向きもあり、昼食ついでにその庄内を散歩してみる。

 服部天神からは一つ十三寄りの駅になる。

 

 駅周辺は繁華だ。そして微塵もと言ったら失礼か、気取りも衒いもない。

 生活に根差した活気がある。

 それでもだいぶ廃れたんだろうな。

 

 

 “阪急の下町”感たっぷり・・

 そういう場所の食、ラーメン。 飾りっけない

 

 

 うまい! 鶏骨出汁の塩 柚子胡椒が添えてある。 

 鶏骨・・なんと読むんだろう?

 豚骨はとんこつ、牛骨はぎゅうこつ、”ぶたこつ”や”うしこつ”とは言わない。では”けいこつ”だね・・と思うんだけど、”とりこつ”らしい。むずい!

 

 鶏のクリームスープ ん~ 豚ちゃ~と鶏ちゃ~入り にんにく入れた~い(^q^)

 

 

 十三への発展途上駅だったのかな・・の雰囲気だけど、発展前にさびれてしまった哀愁も感じる。“ねえちゃん、ねえちゃん”もいるんかな・・?

 

 庄内と服部天神の中間くらいにこの建物がある。大阪音大のオペラハウス。街の雑踏に不似合いなくらい清楚なたたずまいである。

 

 

 そしてこのキャンパスの一部に計画されたこともあるという敷地の建物。

 随分有名になったと思う。

 

 “まずい”建物を建てさせるのは間違いなく“まずい”!

 だけど、更地のうちになんとかならなかったんだろうか。・・壁の褪色が進んだね・・

 


生かさぬように殺さぬように・・

2020-05-19 | 日記

    江戸期の施政方針というか、一般には “決して殺さず死ぬ一歩手前まで搾り取れ!“ そんな風に喧伝されていると思う。

 本来は、贅沢できるようなところなく、かつ日々の生活に困窮しない程度の財を成せるように・・その程度の配意をせよということらしい。

 “死ぬ一歩前まで・・”とかなりニュアンスは違ってくる。

 ところで喫緊の「自粛」はまさに “生かしてはならないモノをいかに抑えて、死なせてはならないモノをどうやって息を続かせるか” 非常に難しいかじ取りだと思う。

 一斉に引き籠りすれば確かに病気は拡がらないのはわかるけど、引き籠っていては病気と共倒れにもなる。自明のこと。

 

 サラリーマンが昼食を摂るというのは弁当という手もあるんだろうけど、やはり“要”で“急”、そうではあっても夜の営業の足しにというスタイルが多いのだろうからみるみる店の体力が削がれる。

 クラスター発生場所にならない正義>個人の生活を守る正義 どちらもとても大きい正義なんだけど、こんな関係にしかならないね。

 

 なにクソ面倒なことを・・ 確かにそうなんだけど、どうも臨時休業中やなんの表示もなく人の気配のない店舗を見るようになった。

 店の金庫が“感染”して逝ってしまったんじゃ・・と要か不要かわからない心配をしてみる。

 

 基本チェーン展開している店でなく個人の店を利用する。

 助けようなど言うのはおこがましいのはとんでもなくわかる。

 

 ぐずぐず言うけど、みんなが生きてるうちに勝たせてくれな、コロちゃん。

  だれも君の繁栄は望んでいない。空は青くさわやかだ。


まずはコロナに勝利! 三国志 街亭の戦い

2020-05-15 | 日記

 39県緊急事態宣言解除、大阪モデル達成と一応第一戦勝利と言ってもいいんですかね?

 「収束」という流れに乗れたと思います。後は「終息」できるかというところですが・・素直には行かないのかもしれません。

 少し気分が晴れた気がしますが・・“油断禁物”でしょうね。

 

 

 

 ところで発祥の武漢、知らないのに馴染みのある地です。

 そう、日本人の好きな三国志の舞台だったということですね。

 

 物語として語られる前半のヤマにして全編のクライマックス、赤壁の戦い。

 その地名があったということではなく、蜀呉同盟軍が曹操の魏軍を火攻めで散々に撃破、その火が岸壁に映えて赤く見えたということから赤壁と呼ばれるようになったということです。

 ただ、縮尺を大きく見ると“ここらへん”というのは分かるんですが、“ここ”と特定するのはできてなくて候補地がたくさんあるそうです。

 現在の戦蹟表示は、正しいかもしれないし、先に言ったもん勝ちというところかもしれません。

 何分にも古いことなんでよっぽどの記録・特徴がない限り無理ですね。日本も含めいずこも・・

 

 そして後半のヤマ、街亭の戦い。

 蜀が山越えして魏の心臓部を衝くと見せかけて、今後魏を完全討伐する出撃路および兵站基地の確保のため渭水盆地の後背部を制圧する作戦を立てます。

 それは蜀に対する備えのない魏にとって国運を左右する非常に大きな脅威となるため魏陣営の奪還、蜀の排除に即応します。

 

 さて、魏はどのように進行してくるのか?

 

[通説]:魏の司令官に司馬懿仲達が出てきた以上、必ずや迂回して蜀軍の背後を衝いてくるに違いない。その地は街亭、実戦経験はないものの有能な馬謖を守将に置いて防ごう。

[極論]:魏も緊急の一大事として出て来るんだ、迂回などせず直行路で来るよ。

    ただ、街亭にも道が開いてはいるから念のため守りを置いておくか。将は実戦経験のない馬謖に経験を積ませるつもりにしといていいだろう。

 

 果たして・・魏軍は街亭にやってきます。

 

 守将馬謖の戦いぶりは通説的に机上論者の大馬鹿者として描かれますが、真相は分かりません。後の世の脚色が大きいでしょう。

 結論として蜀は街亭を失陥したため、包囲される危惧が現実化し、大急ぎで撤退のやむなきに至ります。

 この後も蜀は数次にわたり長安攻略の軍を出しますが、ついぞ念願を果たすことはできませんでした。

 蜀が魏を討つというのはこの時をおいてなかったのかもしれません・・

 

 赤壁が祇園祭の山鉾巡行なら、以降は”後の祭り”で地味な戦いとなっていきますが、大きな流れに向けて重要になっていくものです。

 コロナへの戦いも今後もう数度重要な局面ありですかね・・武漢三国志なだけに・・・

 

https://6628.mitemin.net/i66055/ さんの地図画像をお借りしています。

 

 漢中(漢は地図上サンズイに又)が蜀の策源地(出撃拠点)

 趙雲軍の進軍路である褒斜道は険阻(蜀の桟道)、諸葛(孔明)軍の進軍路は大きく迂回するが比較的なだらからしい。

 天水を挟んで反対側岐山(祁山?)は交通の要衝で魏の拠点。蜀の進軍により天水付近の三郡は蜀になびいた。

 用意周到な孔明に対し、魏延は虚を衝いて自分が子午道経由で直に長安を攻撃する案を示すが、孔明は却下、このことが以降の確執になったとする説がある。

 魏側も大挙して西に向かえば虚を衝いて長安が攻撃される恐れがあるとの懸念が出たものの”孔明はそんなことせん!“として対応策は取らなかった模様。魏延案は意外と成功したかも・・

 

 

 

”街亭の戦い”の現場は碑あるも本当にそこかは不明、現代の航空写真で見てもなにかわからないです・・

 


コロナ曜日

2020-05-10 | 日記

 今日は空は明るいけれど突然降り出す雨模様。

 ここのところ休日に天気くずれるとなにかホッとする。

 ・・これならどうせ出かけないしね〜 と逆な気分の安心感。

 

 例年梅に始まってもみじで仕舞う、そんな流れ作っている。

 今年、梅はなんとか・・

 桜は消化不良・・

 直近はこれかな → ☓夢洲のネモフィラ

 これもだめ → ☓桂谷寺の藤 昨年は白毫寺の九尺藤の混雑を避けてこちらにしたくらいなのに・・

 行事も流れ → ☓四天王寺聖霊会 こちらは法要だからその部分は執り行われたんだろうね。いわゆる”無観客”

 

 この頃にはもうお出かけさせてくれよな、コロさん!

  久安寺の紫陽花 楊谷寺の紫陽花(2018)