お寺ふぁん・続々

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綾部 上杉荘安国寺 建武

2019-08-27 | 日記

 足利氏の進展、室町時代の到来というのはこの人なしには語れないだろうなと思う。

 

 清浄光寺所蔵とある。正式名を藤沢山無量光院清浄光寺という。

 そういうととんでも縁遠いお寺に感じるんだけど、お正月には結構ポピュラーである。

 そう、この寺の通称は遊行寺(ゆぎょうじ)で駅伝の“遊行寺の坂“で知られる。なぜ、ここに御影があるのかは知らない。

 

 ざっと不敬な語調・文体で背景を書く。

(朝廷筋)“遺言どおり後二条天皇の皇子を次の天皇にしようね。尊ちゃん(後醍醐天皇の諱「尊治(たかはる)」)はそれまでの繋ぎね。”

(幕府)“あっそう。じゃ、そういうことで・・”

(尊ちゃん)“くそおもんな~い! それじゃわしお飾りで終わってまうじゃん! ・・そうだ、朝廷案の裏打ちになってる幕府倒しちゃお! 政治も握っちゃう”

 

 そういうことで実行に移されたと言われる。1回目は不発、事前に漏れて天皇も隠岐に配流(正中の変)。でもくじけない。

 北条得宗家は元寇による有力御家人の衰退の中にあっても着々と基盤を固め、強大な権力構造を築いていた。

 しかし、大きな組織には綻びが生じやすい。北条得宗家(=鎌倉幕府、本姓:平氏)を快しとしない勢力が少なからずあった。それらを糾合して討幕勢力が結集される。

 よく知られる名前が多数・・新田義貞、楠木正成、北畠親房、赤松円心、佐々木道誉・・そして足利高氏(本姓:源氏)。

 “えっ、たかうじって尊氏だよね・・?” そう、その前身が高氏。

(北条)“お前は有力者だ。代々の習いに従い、余の”高(執権北条高時)“をやろう。”

 

 ついに討幕成る。勲功一番は高氏ということで厚遇を賜る。その一つとして“朕の一字を授ける”があり、それから尊氏となった。

 しかし、討幕成り新政が始まってもどうもしっくりしない、むしろ失望感が功績武士の中に広がる。幕府滅亡といっても北条氏が根絶やしになったということでもない。

 北条回復の反乱も発生(中先代の乱)。

 尊氏は非常大権を持つ「征夷大将軍」の職を手中にして事に当たりたいとするが、お上(天皇)はこれを許さない。

 これ以降、尊氏はお上の許可なく沙汰をするようになる。両者の関係はギクシャク・・ ついに“尊氏を討て”となる。

 ・・討幕の勇士たちが袂を分かつこととなった。そこから南北朝の争乱となっていく・・

 

 この時代辺りから名を残す武将たちとその末裔たちの栄枯盛衰が室町、戦国、江戸幕府へとの歴史を紡いでいく。

 主人公格の尊氏が生誕したのが、綾部安国寺界隈上杉の地。確かに安国寺から舞鶴方面に走ると信号の地名標「上杉」があった。

 安国寺の境内というのか、どうなのか微妙な位置に尊氏が産湯を使ったという井戸がある。戦国の濫觴の地の一つだね。

 

 こんなことも・・

・尊氏は足利で出生したという説もある。ただし、説として弱いらしい。

・尊氏の母は上杉荘の上杉氏(本姓:藤原氏)の出である。上杉氏は関東管領を輩出する家柄のグループとなる。

 

  

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