お寺ふぁん・続

写真撮ってきたから見て~♪ 程度の記事書いてま~す!

2018紅葉 檜尾山観心寺 国宝の古刹 楠木正成

2018-11-28 07:03:12 | 紅葉

 さすがに毎日寺詣でして写真を整理、キャプションをつけたりしてるとくたびれるし、間延びしてしまう。

 とはいえ、最大の読者が自分だし、好んで読むのも数年先なんでいいといえばいいんですけどね・・

 

 

 11月、この三連休、曇ることはありましたが、降り出すこともなく好天でした。

 最終日、国宝寺院に出てみます。

  

 山門前でさる武将が迎えます。

 

 

 紅葉盛のようですね。ラッキー!

 

 

 

 

 

 

 正成、ここで修行したそうです。 ・・正成、多分この寺では正成公とか呼ばれ、そうじゃないと不敬なんじゃないでしょうかね。

 

 

 

 感想、もっと町中のお寺だと思ったんですが、30キロ制限のくねくね道を上って下ってやってきました。

 

 お坊さんと会います。”こんにちわ” だそうです。

 

 向かった先は鎮守社、ここの祭神は訶梨帝母、普通に伝わる名は鬼子母神。

 ”人の子をとって食っていた。嘆き悲しんだ人が釈迦に訴えると釈迦は鬼子母の子を隠した・・・” と法話が聞こえてきます。 

 

 

 拝殿の周囲のもみじは真っ赤に染まります。

 

 それでいて繊細な色合いも見せます。

 

 空は青いです。

 

 

 

 なんとなく中途半端な堂があります。

 

 

 大日如来(金剛界?)が祀られています。

 

 屋根組の構造がよくわかりますね。

 

 金堂から。 ・・半端というか禅的なのか・・・ 

 

 

 国宝の金堂。

 

 ぼくは何をお願いしたのかな? ”ノーベル賞がとれますように!” ”火星一番乗りできますように!” ・・大きいほどいいな〜

 

 

 

 見えづらいかな? はっきり映らないように配慮したんですが下手過ぎ。

 ・・季節ですね。七五三の受付中のようです。そうして子供の守り神、先程の鬼子母神にお参りするんでしょう。

 

 

 さて、この寺院の”ご祭神”とでもいうべき楠木正成って?

 知ったかを書いてみます。うそかもしれんけど、大きくははずしてないと思います。

 

 楠木正成は南北朝期の武将。

 この寺を含む南河内界隈を勢力基盤としていたとされる。

 もし自分が反乱軍正成を攻める側であれば実にいやだな・・

 熟知した地形を利して縦横無尽に攻められたら・・とほほだね。

 

 実際にそういう戦いをしたとされていることもあってか?

 正成は戦術的には有能、一方片田舎の悪党であり、戦略的には疑問と言われることもある。

 (この「悪党」というのは歴史用語で、今でいう語感と異なる。)

 

 後醍醐天皇は次の天皇即位までの暫定天皇という位置づけであり、このことを是認する北条鎌倉幕府に敵意を抱いていた。

 蜂起するも一旦は鎮圧され隠岐に流罪、その後脱出して反幕勢力を糾合、ついに鎌倉幕府を倒し建武の新政を敷いた。

 しかし、求めていたものと違うとして足利尊氏らが離反、ともに討幕勢力に身を置いていた正成は敵対することとなった。

 尊氏は元は高氏であるが、後醍醐天皇から諱「尊」を賜って尊氏と名乗っており、それほどの信任を得た武将の離反は深刻なものだった。

 正成も攻撃軍として尊氏にあたった。尊氏敗退、九州まで落ち延びることに。

 正成は味方が圧倒的に有利なこの状況下で和議を結ぶべしと主張したが、容れられず謹慎の身に。

 新政側が近畿、中国の掌握にてこずっている内に尊氏は勢力を盛り返して再度攻め寄せてきた。

 正成再び表舞台に。

 新政側の無勢を考慮して天皇に退避を願い、京での市街戦を進言するが、容れられず、足利軍の上陸地湊川への下向邀撃を命ぜられる。

 この折の正成親子の別れが「櫻井の訣別」と語り継がれるもので、百戦して百敗を免れない事態に陥っていたと言われる。

 現状分析力、先を見通す眼力を備えた身が戦略的無能なんだろうか? 確かに動員力には欠けると思うけど・・

 一方、現状が全く見えず窮地を招いた天皇側近の姿勢は、一応文民統制機能のある旧日本軍に軍部独断・暴走を許す根拠とされることとなる。

 正成は太平洋戦争ではまさに軍神であり、菊水の紋、「儘忠報国」の言辞とともに特攻の精神的支柱ともなった。

 特攻是か非か? 桜花を抱いた攻撃機の出撃に際し、指揮官は「湊川だよ、飛行長」の旨を発したという。

 正成は単に猪突猛進型の蛮勇武者ではなかったということで、その指揮官も承知していたということだね。

 戦争で犠牲は免れず、部隊の全滅だってありうる。しかし、最初から全滅を予定するのはもはや作戦とは言えない。

 三重塔普請奉行であった正成が湊川に斃れて、塔は初層に仮の屋根を載せた状態で中断した。ために建掛塔と呼ばれる。

 中途半端感があるのは当然だったのだ。落成させ平穏な世の象徴としたかったはずである。

 正成を礼賛する必要はないと考えるが、平和ということを考えるうえで知ることは必要だと思う。

 

 歴史に埋もれた敗将の地は感慨深い・・

 

 

 ちなみに桜花というのは下のリンク。一式陸攻という双発機を母機として発進されるが、その瞬間から攻撃の成否に関わらず助かる術はない。

 もっとも発進前に低速鈍重な母機もろとも撃墜されることが多かったらしいが・・

  一式陸攻に抱かれた桜花 英語名「BAKA BOMB (=馬鹿爆弾)」 現代の巡航ミサイルに似るが”誘導装置”が人間そのもので脱出不可

 

 


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