個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

だれのための支援? そこは慎重に議論しなくては

2018-04-19 10:39:54 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

以前から国会などで議論されていましたが、先日文科省は妊娠した高校生の学業継続支援を強化することを決めました。

これまで妊娠した高校生は、学校から自主退学をすすめられることが多く、高校中退という形となってしまうため、就職で苦労してしまい、子どもの貧困につながっているからという理由で、体育の授業の実技に参加しなくてもよいなどの措置の他、過去数年間にさかのぼって、復学を望んでいれば就学支援金を案内するなど学びやすい環境を整えるという方針です。

いろいろな意見はあるかと思いますが、私は学校が自主退学をすすめるのはしかたのないことだと思います。やはり他の生徒への影響を考えると、そうせざるを得ないという学校もあるでしょう。また、しばらく休学して落ち着いてから復学という手段をとることもできます。厳しい言い方をすれば、それらを承知で妊娠したのですから、「みんなと同じ時期に卒業したい!もっと考慮してほしい!託児所をつくってほしい!」と要求ばかりするのは、さすがに虫が良すぎるのではないでしょうか。

いろんな事情で、高校進学をしていない子どもや、高校中退をしている子はたくさんいます。彼らの中には高卒認定試験を受験し、高校卒業と同等の資格を得て、大学や専門学校に進んでいる子もいます。ですから、本当にやる気があれば、そういう方法もあるんです。一生懸命勉強を頑張って、高卒認定試験に合格すればいいんです。逆にそれくらいの気持ちがなく、子育てなんてできるのでしょうか。

そもそも、子どもを産んで高校に通い続けて卒業したり、大学や専門学校に進学するということは、子育ては誰がするのでしょうか。育児には、お金も時間も愛情もたくさん必要です。それほど大変な育児と学業の両立なんて簡単にできません。よほどの覚悟と決意が必要です。

今や高校も多様化しており、通信制の高校もたくさんあります。全日制の高校に通わなくても、高校を卒業することはできます。つまりは本人の気持ちの問題、やる気の問題、自覚の問題です。

ですが、だからといって支援しないというのは間違っていると思います。というのも、高校生というまだなにものでもない状況で出産するというのは、大きなリスクを伴い、苦労するのはある意味しかたがありません。しかし、生まれてくる子どもには何の責任もありません。子どもが必要な愛情を注がれず、必要な教育も受けさせてもらえず(ここでの教育とは幼児教育とかたいそうなものではなく)、そんな状況で成長していく子どもの将来に光を見つけることは私にはできません。

私が学生の頃、友人が「日本ってめっちゃ公平な国やな。いくら生まれた家が貧しくても、勉強して東大にでも入れば、一発逆転できるんやもんな」と言ってました。確かにその通りです。家柄とか関係なく、そうなれば一流企業に就職できたり、官僚になれたりして社会的地位も収入も高いものが得られます。ですが、そのスタートラインにすら立ててない子どもが年々増加していることをもっと国は気づくべきです。小学校に入学するような年になっても、まったく勉強の環境など整っていない子がたくさんいるんです。経済的な貧困とともに問題なのは、「人とのつながりの貧困」です。たとえば、周りにアドバイスしてくれたり、そういう知恵を与えてくれる人がいればいいのですが、それがいないのです。だから負の連鎖が続いていくのです。

経済的に苦労している人に、就学のため・進学のため・育児のためという形でなんらかの支援金を渡したとしても、それを自分の遊びに使ってしまっている人がどれほど多いことか!

一生懸命頑張っている人、特に子どもたちの将来のためにはもっと支援が必要です。ですが、その支援の仕方をもっともっと考えていかなければなりません。本当に必要なところに届かなくては意味がありません。こんな簡単な政策で「これで子どもの貧困対策はできた。しかも少子化対策にもなるし」などと思っているのなら大きな間違いですね。

生まれた瞬間から、その子の人生がほぼ決まってしまうようなことは絶対になくしていかなければなりません。そのために必要なこととはなんでしょうか?本当に必要な人に届くような支援はもちろん必要ですが、私は学校教育をもっと幅広い知識を身につける場所に変わっていくべきだと思います。せっかく義務教育というものがあり、全員に教えることができる唯一の機会なのですから、そこでもっとこれから生きていくために必要な知識・知恵を植え付ける場所になっていくべきです。歴史の年号を覚えるよりも子どもを育てることの大変さや大切さを学ぶことの方が重要なのではないでしょうか。音楽の記号を覚えるよりも、もっと自分の将来について考える時間をつくり考える力を養うことの方が大切なのではないでしょうか。必要な科目や分野は残していく、そうでない部分はバッサリ捨てて、新しいものに変えていく勇気が必要だと思います。それは、小学校からの英語やプログラミングの導入では決してないと私は思います。

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