個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

学歴は大切ですが学力も同じくらい必要です

2018-05-29 10:42:40 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

私が中学生だった頃にはもうすでに学歴社会といわれていましたが、現在もその社会は続いており、受験競争もますます激しくなっています。よりよい大学に合格するために、中学受験する子どもの割合も増加傾向にあります。中高一貫教育の学校も増え、いかに確実に、有利な学歴を手に入れることができるか、それが大きな目的となっています。

競争が激しくなることで勉強の能力が高くなり、優秀な人材が増えていくというのは、日本にとっても決して悪いことではありません。しかし、ほんとうに優秀な人材が増えていってるのでしょうか?

学歴がなぜ必要なのかといえば、やはり一番の理由は就職に有利だからです。いわゆる学歴フィルターと呼ばれるもので、出身大学で就職を希望する学生を振り分け、ある大学以上でなければ第一段階の面接すらしてもらえないのです。すべての企業というわけでもないですが、そういう企業があるのは事実ですし、大企業に多いですね。

学歴でスタートラインが違ってくるわけですから、当然学歴が最大の武器になります。学歴があれば選択肢が広がります。

私の塾でも以前はアルバイトの講師を募集していました。私が面接をし、採用か不採用かを決めてこれまで約50人を採用してきました。そのとき、まず見るのが履歴書の出身大学・高校でした。生徒に勉強を教えるには、ある程度の学歴は必要だと考えたからです。学力テストを実施したり、模擬授業をしてもらったり、個別でどのような教え方をするのかを見せてもらったりした方がより確実に塾の講師に向いているのかがわかるのですが、その手間を省くために学歴というフィルターを使用したのです。学習塾というかなり専門的な業種ですので、学歴がより必要になるのかもしれませんが、このように学歴を見せただけで不採用になることはかなり多いでしょう。

ですが、学歴=仕事ができる とは限らないです。学歴が仕事に直結するような学習塾でさえそうなのですから、他の業種ではなおさらではないでしょうか。前述したように、私はアルバイトの講師の採用基準はどこの大学かが第一でした。ですから、ある一定の水準以上の大学生がほとんどでしたが、それでも偏差値の高い大学と塾の講師としての能力は決して比例していたわけではありません。講師の中ではそれほど偏差値の高くない大学生であっても、教え方がうまく、そしてユーモアもあり、生徒からとても人気のある場合もたくさんありましたし、もちろんその逆もありました。つまり、塾の講師としては、ある程度勉強を理解できていれば、そこからはどの大学に行っているのかではなく、その人の人間性であったり、空気を読む力であったり、コミュニケーション能力であったり、勉強以外のそういう能力の方が大切になってきます。私はそういう力こそを学力と呼んでいます。

実際に、私自身も国立大学を卒業しています。学歴としては一般的にはある方だと思いますが、就活は失敗の連続でした。かなりたくさん受けましたが、面接でことごとく不合格にされてきました。学歴はあるけれども学力はなかったのでしょう。

学歴があると最初の関門を突破でき、確かに入り口は広くなるでしょう。しかし、そこからは誰も学歴なんて見てくれません、評価もしてくれません。どれだけ仕事ができるか、どれだけ会社に貢献しているか、それが重要になってくるのです。そこからは学力が必要になってきます。

いい大学に合格することだけに重きを置き、学歴だけを追い求め、学力を軽視していると就職できたはいいけれど、中に入ってから「こいつは仕事ができない。学歴だけや」という評価を下されかねません。

つまりはバランスが大切です。最高の学歴を手に入れるために、他の様々なものを犠牲にし、そのせいで学歴以外他の能力が育たなかったから、思い描いていた将来の実現は難しいものになるでしょう。

だからといって、最低限の勉強もしなかったとしたら、面接で話をするとそれはすぐにバレてしまいます。運良く採用されたとしてもお客様や取引先との会話がうまくできなかったり、事務作業の処理能力も低く、評価されにくいでしょう。仕事をしていく上で、勉強しておくというのはとても大切なことなんです。

偏りすぎたものではなく、子どもの得意・不得意も考えてあげて、バランスよく能力を伸ばせてあげるような、そんな関わり方をすることこそが、今からの時代には大切になってくるのではないでしょうか。



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疲れなんて吹っ飛びますね

2018-05-25 10:34:23 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

中間テストの真っ最中です。ONE-Sには、いろいろな中学校・高校の生徒がいますので、中間テストの時期もバラバラです。今回は早い学校は12日から遅い学校は28日からと約3週間テスト対策授業が続きます。

土日もテスト対策授業を行いますので、しばらく休みがない状態です。もちろんテスト対策の問題を作ったり事務作業も多くなりますので、疲れてないと言ったら嘘になりますが、疲れよりもやりがいが勝りますので、テスト期間中はどちらかといえば好きです。

普段は塾での勉強は熱心にしますが、それ以外での勉強をほとんどしない生徒もいます。塾の宿題もしたり、しなかったりの生徒もいます。ですが、テスト前になるとだれもが頭のどこかに「テスト前ぐらいはちゃんと勉強せなあかんよな」という気持ちがあるのでしょう。「しんどいなー。早くテスト終わってほしいなー」と言いながらも真面目に勉強に取り組んでいます。

もちろん親から厳しく言われてしかたなくしている子もいるでしょうが、ほとんどの生徒はそれもありますが、やはり「少しでもいい点数をとりたい!」という想いから頑張っています。テストの結果がかえってきたとき、よくない点数だったら親に怒られてしまうというのもあるでしょうが、いい点数をとれれば気持ちいいですもんね。

良い点数のときは、みんな嬉しそうに自分からテストを見せてくれます。おそらくご家庭でも同じではないでしょうか。そうなんです、嬉しいんですね。逆に悪い点数のときは、おそらく自分自身に腹が立っているのでしょうが、なげやりな気持ちになることもあります。よくない結果になってしまったのは、自分の努力不足が一番の原因だとわかっているんですが、「なんでこんな点数になるの!」と怒られたりすることで素直になれません。

こうして考えてみると、子どもたちはテストというのにきちんと向き合っているんですね。だからこそ頑張ったり、落ち込んだり喜んだりできるんです。

ところでテストの回数は今のように1学期と2学期は中間テスト・期末テスト、3学期は学年末テストと基本この5回のテストというのはいいバランスだと思います。回数が増えればテスト勉強疲れがでるでしょうし、少なければ1回のテストの範囲が広くなりすぎてやる気になれないでしょうから。

テスト前になると生徒の圧がとても強くなります。質問の数も普段の授業の数倍多くなりますし、宿題などの課題をもっと増やしてほしいという子もでてきて、「もっといっぱい教えてほしいー」という気持ちがビシビシ伝わってきます。これは講師でなければわからないと思いますが、心から嬉しいことなんですよね。この生徒たちの熱い気持ちに応えることができるよう、私の方も持てる力をフルに出し切り、テストまでやり残したことがないように必死になります。時間が経つのも早く1時間、2時間があっという間に過ぎていきます。こうなってくると生徒たちの吸収するスピードも一気に速くなりますので、勉強もはかどりますし、長時間勉強しているけれども、その分成果も大きいので普段家でダラダラ勉強しているときよりも、ストレスがかからなく勉強できるという理想の形ができあがります。

とはいえ、このような勉強が何週間も続くはずもなく、テストが終われば、みんな抜け殻のようになりますけどね(笑)

ですが不満が1つ。それは学校の先生のテストの作り方です。以前ある学校の数学の先生が、テストが終わった直後の授業で「今回のテストは難しかったやろ?俺も自分でやってみたけど、時間が足らんかったわ。ははは。」と言っていたことがありました。「はあ?そんなテスト作るなよ!」これが私の最初の反応でした。テストを実際に見せてもらったら、ますます「はあ?」となりました。連立方程式の分野なのですが、計算問題がびっしり詰まっていて、その後に文章問題も8問ほど。その計算問題の多さといったら、まずそこそこ計算が速いというレベルでは計算問題で精一杯で文章問題を解く時間が残りません。ほとんどの生徒は計算問題の途中で時間切れになっており、当然点数が低くなり、学年平均もえらいことになってしまいました。

このテストで先生は何をしたかったのでしょうか?計算力を確かめたかったのでしょうか? 本来は新しく学習した連立方程式の分野をどれだけ理解できているのかを確かめるテストのはずです。計算が正しくできているか、文章題を理解して式を作れているのか。難しい問題を何問か出題し、難易度を高くするのはいいと思います。よく理解できている子とそうでない子の差がはっきり出ますから。しかし、単純な計算問題を鬼のような数出題するというのは、ただの計算力の確認にしかなりません。せっかく子どもたちはテスト前に必死で連立方程式の勉強をしたのに、それが報われない試験を作るというのは一番の罪です。力負けして点数が悪かったのなら子どもたちも納得するでしょうが、そうでなければ「勉強したことが無駄になった」と感じ次からやる気をなくしてしまうことさえあります。

テストというのは先生の自己満足であってはいけません。子どもたちはテストに向けて、いろんなことを我慢して、いろんなものと戦いながら(プレッシャーや遊びの誘惑など)必死で頑張っているのです。そういった子どもたちの頑張りに応えるため、そして正当にその頑張りを評価してあげるための試験でなければなりません。そういったことを肝に銘じて、手を抜くことなく試験作成をしてもらいたいと思います。

テストが終わったみんな、お疲れさま。良い結果の子は本当によく頑張ったね。少し休んで次も頑張っていこうね。残念ながら良くない結果だった子は一緒に何が足りなかったかを考えて次にいかそうぜ。そしてこれからテストを迎えるみんな、気合い入れていこーぜ。最後まで全開でいくよー!


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どうやって世界を広げていくかー∞の可能性ー

2018-05-22 10:37:40 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

私の趣味の1つにサッカーがあります。といっても自分でプレーするのではなく、観戦専門です。そして、正確に言うなら、サッカー観戦が好きなわけではなく、スペインのバルセロナというチームの試合を観るのが好きなんです。そして先日、そのバルセロナのキャプテンであるイニエスタという選手が退団しました。メッシやCロナウドと比べたら知名度はないかもしれませんが、世界を見渡してもイニエスタの代わりになれる選手はいませんし、唯一無二の選手であることは間違いないです。そんなイニエスタがバルセロナを退団した後、Jリーグの神戸に来てくれそうだというニュースがあり、とてもワクワクしています。ヴィッセル神戸は楽天ですので、イニエスタの神戸移籍が実現すれば、楽天への感謝の気持ちで楽天カードをつくり、今後多くの買い物を楽天でしようと思っています(笑)

イニエスタのことを語りだすと止まりませんので、このへんにしておきますが、私は高校生頃までは好きなスポーツといえば野球で、プロ野球や高校野球を観るのも好きでしたし、友だちとも野球をして遊んだりしていました。サッカーといえばその頃はまだプロリーグがなく、たまにテレビで社会人チームのサッカーを観る程度で、試合もあまり面白くなかったという記憶しかありません。

大学生の頃にJリーグが開始し、一時期は私の周りでも盛り上がっていたので何度かテレビで観戦しましたし、日本代表戦の試合もタイミングがあえば見ていましたが、やっぱり面白くなく、「サッカーってつまらんスポーツやな。何がおもしろいかまったくわからんわ」と思っていました。

そんなとき2002年に日韓ワールドカップが開催が決定しました。ワールドカップの開催が決まってから、世間のサッカーに対する注目度も高まり、2000年ごろからはBSなどの衛星放送で海外のサッカーも観戦できるようになりました。ある日、夜中にテレビをつけて適当にチャンネルを回していると、BSでスペインのリーグ(リーガエスパニョーラ)の試合をしていました。なんとなく見ていましたが、その10分後にはもう夢中になってその試合にくぎ付けになっている私がいました。「なんだこれは?これはサッカーなのか?」そうなんです。その試合は私がそれまでに見てきたサッカーの試合とは明らかに異なっていて、表現できないほど衝撃を受けました。それが私のバルセロナとの初めての出会いでした。

そこから毎週のようにバルセロナの試合をみるようになり、もう20年近くになります。あいかわらずJリーグは見ませんし、代表の試合もそれほど興味はありません。ですが、サッカーが「つまらないスポーツ、退屈なスポーツ」という考えは180度変わり、私の生活になくてはならない存在にまでなりました。

人は自分の経験してきたことだけの世界で物事を判断してしまいがちです。一部しか見ていないのにそれがすべてだと錯覚してしまうのです。私のサッカーに対する考え方のように。ですがそれは仕方のないことだと思います。判断する材料がそれしかないわけですから。だから仕事でもなんでも、自分の専門分野や得意分野はほぼ正確に詳しくわかりますが、それ以外のことになると、自分が経験したことではないので一気にその判断基準があいまいになり、他人から聞いた話や本やメディアからの情報で判断するようになります。でもそれって実はものすごく危険ですよね。

同じものを見たり経験したりしても、人によってその受け止め方はまったく異なってきます。ある人にとってはA高校はとても良い雰囲気の学校だったと思えても、別の人にとっては最悪の学校だったということは少なくありません。何を基準に決めていくのか、自分の経験だけではわからないことが多いので、その他の情報を取り入れようとします。ですが私はここが間違っていると思います。情報を集めるのはいいんです。ですがその前に、その進路を進んでいく本人、つまり子どもはどう考えているのかということを抜きにしては決めてはいけないと思います。もちろん、子どもは生きてきた年数が少ないため判断材料がありませんので、親の助けが必要ですが、そこでも親の判断基準は、自分の子どもがどのような性格であるのか、どれくらの能力を持っているのか、そういう点でなければなりません。

「公立は荒れているようだから私立の方がいいみたい」「私立は学費が高いから公立の方がいいよ」「大学の付属高校の方がいいよ」など、情報はいくらでも耳に入ってきます。ですがそれらの情報は、あくまでも他人の感想であることを忘れてはいけません。もしかしたら、私立に入って厳しい校則や多くの課題などによって息苦しくなるかもしれません。逆に学費は多少公立よりも高いけれども、それ以上の価値は私立にはあったと思うかもしれません。

「不登校の子どもには絶対このように接するべき」「学力を上げる勉強方法はこれしかない」「学歴こそすべて」など、どのような専門家の方であっても、このように断言してしまう人は私は苦手です。そうではなく、1人1人がなにもかも異なった人間なのですから、万人に当てはまることなんてないはずです。「子どもがどんな人間なのか」それを一番わかっているのは親のはずです。ですから、さまざまな情報に惑わされることなく、自分の子どもと向き合い、一緒に考えていくというスタイルが最もいい方法であり、世界を広げていくことができる気がします。

今週にはイニエスタの神戸入団が正式に発表されるかもしれません。究極のインドア派の私も頑張ってイニエスタのユニフォームを着て試合を見に行こうと思ってます。ワールドクラスのプレーをこの目で見たいです。

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そんなこと言われましても、できないもんはできないですって!

2018-05-18 10:46:14 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

これまで約400人の子どもたちに、全体授業ではなく、直接個別で勉強を教えてきました。当たり前のことですが、それぞれに個性があり、考え方・価値観もさまざまですので、多くの子どもたちと接することで新しい発見があったり、私自身が勉強になることも決して少なくありません。

勉強の能力もいろいろですので、1ページを3分でできる子もいれば1時間かけてもできない子もいます。私の説明がうまくいかずに「この説明ではわからないかな?」と思っていても理解してくれる子もいれば、2、3回の説明ではわからず、私の説明の引き出しを全部使って何度も伝えることでようやく理解してくれる子もいます。どちらのタイプが教えやすいとかは特になく、一生懸命頑張ってくれている子であるのならどんなタイプでもやりがいはありますし、なにより子どもたちの成長を見ることができるのはとても楽しいことなんです。

たくさんの子どもたちに勉強を教えることができた現在だからこのように思うことができますが、塾をスタートして初めの3年間ほどは、正直いって戸惑うことが多かったです。「どうしてこれがわからんのやろ?」「どう説明したらわかってもらえるだろう?」何度も何度も悩みました。ですが年数を重ねていき、より多くの子どもたちを指導していくことによって、「理解できない子もいるんだ」ということがわかるようになりました。

人間って自分の生きてきた経験や、自分の見てきた世界の中での知識で物事を判断する傾向にあります。ですから、自分が当たり前のようにできていたことをできない人間を見ると「なんででけへんの?」と理解できなくなり、ときにはそれに対して腹を立てたりすることさえあります。

自分の子どもの宿題などをみてあげているときに、「なんでこれが理解できないのかな?」と頭を悩まされている親御さんは多いのではないでしょうか。お父さんやお母さんが理解できてきたからといって、子どもも同じように理解できるとはかぎりません。それに腹を立てて「どうしてあなたは、こんな問題ができないの!」と怒ったりしていませんか? この言葉は最も子どもを傷つけてしまう言葉の1つです。

私は学生時代、体育のマットや跳び箱が苦手でした。中学校1年生頃だったと思うのですが、体育で側転の練習がありました。まわりの子はきれいに足もピーンと伸ばした状態でくるりと回転しているのですが、私にはそれができず、なんだかカエルのような回転になってしまうのです(伝わりますか?(笑) とにかくひどい側転だったんです)。それが恥ずかしくて恥ずかしくて、ただひたすら授業の終了のチャイムが鳴ることを祈っていました。ただその側転を中心としたマット運動があと何回か授業があるということがわかっていて、「ホンマ嫌やなあ。学校休もうかなあ」とも思いましたが、当時の私は学校を休む勇気もなく、考えた末に、近くの公園の砂場で側転の練習をすることに決めました。暗くなってからだとだれにも見られないと思い、夜に練習に行きました。兄に付き合ってもらい、いろいろとアドバイスをもらいましたが、数時間練習してもやっぱりできません。

そしてカエルのような側転しかできないまま、次の授業を迎えました。できないことが恥ずかしいので、一度もチャレンジせずにボーっとしていると、先生が「松下どないしたんや?と声をかけてきました。「側転がうまくできないから恥ずかしいんです」「そうなんか。じゃあ、教えたるからこっち来いよ」と言われ、先生の指導のもと10分ほど練習しましたが、やっぱりカエルの側転のままでした。そこで先生が放った言葉が「なんでお前はでけへんのや?」  

そんなこと言われても俺にもわかるはずがないやん。そして続けて「できるようになりたいと本気で思ってないからでけへんねん!」と言われ、さすがにカッチーンときました(といっても、そこで言い返せるほど当時の私は強くありませんでした)。「こっちは、どれだけ必死で頑張ってるか。先生の知らないところでも何時間も練習してるんやぞ。本気でやってるに決まってるやん!」こんなことを思いながら、すっごくショックをうけたのを覚えています。

「どうしてそんな簡単なことができないのか?」という場合、原因は大きく3つだと思います。1つ目は「子ども自身にやる気のない場合」。このときは怒ってもいいと思います。2つ目は「教え方が悪い場合」。その子に合った説明の仕方があります。他の子に対しては伝わった説明の仕方であっても、別の子には全然伝わらないことなんて頻繁にあります。ですから、その子がわかりやすい教え方を見つけることが必要になってきます。3つ目は「能力がたりない場合」。私の側転は、たとえオリンピック選手にマンツーマンで教えてもらったとしてできるようにはならないと思います。絶対的な運動能力がたりないからです。ただ、勉強に関しては、現時点でそれを理解する能力がなかったとしても、今後成長していくうちに理解できるようになることなんてたくさんあります。成長の速度はそれぞれですから、今できなかっても、いつかスラスラとできるようになる日が来るかもしれません。現時点で理解する力が備わっていないのに「なんでわからんの?」と怒ってしまっては子どもがかわいそうです。子どもからしたら「そんなこと言われても、わからんもんはわからんねん。そんなこと言われたらしんどいわ」という気持ちでしょう。

大事なことは、子どもが理解できないときに、上のどのパターンにあてはまるかを、しっかり判断してあげて、その原因にあった対応をしなければなりません。そうしないと、子どもはカッチーンとくることが増えてしまい、だんだんと反抗的になったり、自分の気持ちを話さなくなってしまいます。子どもが最近反抗的であったり、言うことを聞いてくれなくなっているのは、もしかしたら子どもにかけている言葉で傷ついてることが原因かもしれないですよ。

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やったもん勝ちなんて許してはダメです!

2018-05-15 10:43:09 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

先日仕事の帰りに運悪く、暴走族の集団に遭遇しました。。23時を過ぎていたのに、道路が渋滞していたから、事故があったのかな?と思いましたが、事故ではなく、やかましい暴走族がチンタラ走っていたための渋滞だったのです。

私は仕事上、帰宅するのが23~24時になりますので、年に何回かこのような場面に出くわします(-_-;)
もう平成も終わろうとしているなか、いなくなっていると思われる方もいるかもしれませんが、南大阪ではまだまだ粘り強くたくさんこのような連中はいますよ。

私はこんなときには、すぐに警察に電話します。「今〇〇のあたりを車で走っているんですけれど、暴走族がたくさんいるので、どうにかしてほしいです。すぐに来てください」とお願いします。電話するとだいたい数分後には来てくれますが、だからといってこの連中の暴走行為はおさまるわけでもなく、渋滞も解消されません。特に急いでいるのではないのですが、疲れていますし早く家に帰って、お風呂に入って1杯呑みたいなあというときですので、正直イライラしますね。

若いときというのは、いろんなものに不満を持っていて、ストレスもたまり、どこかで爆発させたいというのは理解できなくもありません。ですから、このような暴走行為も別にしてもいいとは思うんですよ。ただし、一般の人の迷惑がかからないように、だれも住んでいないような港の方などで自分たちだけで楽しんでいるのなら。しかし、ただ自分の欲望のために、多くの人に迷惑をかけ、ときには迷惑だけでなく車を傷つけたり、怪我をさせてしまうこともあるのですから、絶対に許してはいけない行為なのです。だれだって、ストレスはあるでしょうし、なんらかの不満はあります。それは大人、子ども関係なくあります。ですが、だからといって、全員が自分のストレスと発散させるために好き勝手な行動をとってしまうと、秩序が失われてしまいますよね。

このような暴走行為をする若者に対しても、警察はそれほど積極的には動きません。もっと道路交通法や刑法などを見直して、罰則を強化するべきです。どれほど自分たちの身勝手な行動で、一般の人たちに迷惑をかけて危険にさらしているのかを教えるべきです。

真面目に生きている人間が損をする社会にしては絶対にいけません。

暴走行為をする若者も、いずれは落ち着き社会人として働くときもくるでしょう。そんなとき、「俺も昔は悪かったんや。族に入って暴れとったんやで」と武勇伝を自慢げに語るでしょう。でも、もしかしたらその暴走行為が原因で事故にあってしまった人や、それが怖くて車の運転ができなくなって人がいるかもしれません。そんなことをまったく考えずに、そんな自慢話がまかり通る社会にしてはいけません。「本当に恥ずかしい行動をしてしまっていた。迷惑をかけてしまった人たちに謝りたい」と反省するような社会であってほしいと願います。

もう10年以上前になるでしょうか。私がまだ若くて、ちょっと血の気も多かったときに(笑)、仕事の帰りに暴走族と出会いました。ちょうどそのとき、私は車を買ったばかりで、それもコツコツと貯金してようやく買えたお気に入りの車だったんです。その車の横を何台も鉄パイプのような棒を持った若者たちがバイクで走っていきます。「もしこのうちのだれかが私の車を傷つけようもんならどうしてやろうか」そう考えた私はすぐに警察に電話をしました。「もしもし、今暴走族と遭遇してるんですけど、こいつらのだれかが私の車に傷つけた場合はどうしたらいいんですか?ちゃんと元通り修理してくれたり、車を買い替えてくれるんですか?」「いやー、それは人物を特定できないと難しいですね。この人がやったという証拠が必要です」「そんなもん、こんないっぱい人数がおるんやから無理やん。どうしたらいい?もしやられたら。車でそいつのバイクに当ててもいい?(笑)」「いえ、それだけはやめてください!あなたが犯罪者になりますから!」「わかってるよ。そんなことせーへんけど、なんで俺みたいな一般市民がやられっぱなしでおらなあかんの?なんで泣き寝入りせなあかんの? とにかく今すぐこっちに来て、こいつらどうにかかして!」そんな会話をしました。

やったもん勝ち、言ったもん勝ち、そして善良な一般市民は損をする。そうならないため、善良な一般市民を守るために法律があるはずなんですよね。

学校でも同じです。一部の生徒のために、真面目にしている生徒が損をするなんて絶対に間違っています。「社会がそうなんだから、そういう理不尽さを学ぶところでもあるんやで」そんな戯言聞きたくもありません。学校で授業中に大声で騒いでいる子、学校でタバコを吸ったりして弱い子を威嚇している子。先ほども書いた通り、誰にも迷惑をかけていないのなら、どんな学校生活を送っても自由ですが、真面目な子どもに迷惑をかけてしまっている時点でアウトです。絶対に放っておいてはいけません。しっかりとしたペナルティを与え、時には強制力をもって、正常な状態に戻さなければなりません。

ある学校では、そういった真面目にしている生徒の保護者の方が学校にどうにかしてほしいと相談したのですが、学校側の返答は「そういうのも子どもの個性ですから」といって何も変えようとしませんでした。

「他人に迷惑をかけてはいけない」「嘘をついてはいけない」「罪を犯してはならない」そんな当たり前のことを教えることすらできない学校なら、一日も早く義務教育なんてなくすべきです。そんなことも教えることができない場所で勉強なんて学べるはずもありませんから。

もしそれが難しくても、各学校が教育方針をしっかりと明確に提示し、子どもたちが自分に合う学校を決めていくようなシステム、決して校区ではなく、そのような改革は最低限必要でしょう。やったもん勝ちを許さず、真面目にしている子が損をしないためにも。

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