個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

思い切ってぶっ潰してみてはどうですか?

2018-07-28 10:01:51 | 教室から
おはようございます。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

夏期講習も本格的に始まり、どの生徒もそれぞれの目標を持ちながら一生懸命暑さにも負けず頑張っています。

ところで、ONE-Sという塾は、私が塾長をしており、指導の仕方や経営方針などすべて私が決定しています。他の人の意見を聞くこともありますし、参考にさせてもらうこともありますが、最終決定は私自信が正しいと思うことや、私がこうしたいという方向でおこないます。
ですから、私がなにか間違った決断をしたり、おかしな方向にいってしまうとONE-Sという塾そのものの存在価値がなくなってしまうだけでなく、来てもらっている生徒たち、また卒業していった生徒たちにまで迷惑をかけてしまうのです。いろんなことに対してかなりいい加減に生きている私ですが(笑)、さすがにそこは理解しているつもりですので、塾のこと、生徒たちのことに対しては妥協せず、真剣に取り組んでいます。

ONE-Sのような規模の小さい個人塾ではトップの人間の判断で組織全体が大きく動きますが、ではもう少し規模が大きかったらどうでしょうか? 

私の話が次にどこにいくかは、もうみなさんおわかりだと思いますが(笑)、学校です。同じ市内の公立中学校でも、トップである校長の考え方や判断で学校の雰囲気や方向性は異なってきますよね。もちろん公立の場合は、ある程度の枠の中におさまりますが、私立中学校になるとその枠はもっと広がり、絶対王政のような学校もありますよね。

組織が大きくなっていっても、トップの存在はやはり大きく、その人たちの考え方や、やり方で組織のあり方が大きく変わります。学校という組織の上にあるものが教育委員会だとすれば、さらにその上にあるピラミッドの頂点が文部科学省でしょう。この頂点に立つ文部科学省が腐っていれば、その下の方で頑張っている学校の先生がいたとしても、まったくそれは反映されず、結果的に子どもたちの環境はよくなりません。こういったピラミッドというのは、上から下へのトップダウン方式で、下からの意見など上は聞く耳を持っていません。ですから現場の先生たちがいくら頑張っても、子どもたちの環境をよくしようと声を上げてもそれは上に届かず、場合によっては上に逆らうものとして目をつけられることもあるかもしれません。

そんな絶対的な権力を持ち、しかも子どもたちの学習環境を大きく左右する文部科学省が正しい道を歩んでいなかったら、教育現場や教育環境すべてがおかしくなり、子どもたちの頑張りが正当に評価されなかったり、子どもたちにとって必要な学力が身につかなかったり、将来を背負っていく子どもたちの大切な教育がめちゃくちゃになってしまう可能性があります。

そんな文部科学省で最近不祥事が発覚しました。文科省の偉いさんの息子をいわゆる裏口入学させたんですね。簡単に言うと文科省の人が大学に補助金を出してあげるから、その見返りとして息子を合格させてもらったんですね。

昔から裏口入学というのはあったんだと思います。決して許されるものではないかと思いますが、一般人が私立大学に金銭などを多く渡して合格させることはまだ理解はできます。ですが今回の件は、一般人ではなく、日本の教育のすべてを決定する立場の文部科学省の人間が、国民の税金を利用し、不正を行ったことが大問題なのです。しかも医学部です。将来、人の命を預かるという重要な仕事をする人を不正に合格させたんですよ。大学も腐ってますが、文部科学省はもっと腐っています!

こんな人たちが日本の教育を決める組織のトップに立ってるかぎり、まともな教育ができるはずがありません。私利私欲のために都合のいい制度を決めていき、一般の子どもの教育、子どもの将来のことなんて真剣に考えているわけありません。こんな組織必要ですか?

文部科学省ってなんのためにあるんでしょう?本当に必要なんでしょうか? こんなもの存在しない国だってありますよね。日本では当たり前のように組織のトップに立って、好き勝手させているからますます腐敗していき、教育現場は悪化する一方なんです。腐敗しきった組織は一回壊さないと再生はできません。本気で教育を正していくには、思い切って潰す勇気が必要なのではないでしょうか?


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夏休みの宿題が筋トレであってはいけない

2018-07-20 10:37:32 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

いよいよ今年も夏期講習の時期になりました。受験生はここからが本番、そして1,2年生はこの期間にしっかりと苦手分野の復習、そして2学期の予習と有効に時間を使うことができれば、かなりの効果が期待できる大切な期間です。1人1人課題は異なりますので、それぞれに目標を立て、この夏休みで全員がそれを達成できるように、私も気合十分ですし、生徒もみな気合が入ってくるでしょう。

しかし、それを進めていくためには、まず片づけておかなければいけないことがあります。それは学校の宿題です。「昔からこんなにもあったっけ?」と思うほど大量の宿題が出されています。生徒の1人が「こんなにもあるねん」とすべての宿題を持ってきて机の上に出しました。「えっ?マジで?」と思わずでてしまうほどの量で、確かにこれだけの宿題を見るだけでやる気がなくなってしまうのもわかります。それに、多くの子どもは塾に行ってますので、この大量の学校の宿題だけでなく、さらに塾の宿題もしなければならないのですから、今の子どもたちは本当に大変です。

ここで「これだけの量の宿題をしているのにどうして学力が上がらないのでしょうか?」という疑問が当然でてきます。詳しいデータをとったわけではありませんが、夏休みの中学生の宿題の量は20年ほど前と比べてかなり増えているのではないでしょうか。学校の宿題も増えていますし、塾に「通っている子の割合も増えています。本来ならばそれに比例して学力も上がっていかなければならないのですが、上がるどころか逆に平均は下がっているように感じます。実際学力の低下の問題は社会問題の1つとして取り上げられていますよね。

こんなに勉強をしているのに学力が上がらない理由は簡単で、無駄な勉強が多いからです。このブログでも何度か書いていますように、学力を上げることを目的とせず、形式だけの無駄な宿題があまりも多すぎるのです。その無駄な宿題に時間をとられて、本当に必要な勉強をする時間がなくなってしまう。多くの時間を費やし、手が疲れるほど勉強しているのにその効果があまり出ない。これではますます子どもが勉強嫌いになってきますよね。

何が無駄かというと、まず各科目のワークです。およそ1科目30ページのワークを使用している学校が多いでしょう。学力の高い子どもにとっては、それを1冊仕上げると良い復習になりますし、やる価値は十分にあると思います。ただ、そうでない子どもにとっては、まず自力で解ける問題が半分ほどの子もいますし、9割ほどできない子さえいます。そんな子はどうするのかというと、解答が配られているので、解答を赤ペンで丸写しさせるのです。この悪しき習慣はいつできたのでしょう。私が中学生の頃はこんなことはさせられませんでした。

勉強って解けなかった問題が解けるようになったり、知らなかったことを学んで覚えていったり、少しずつ進歩していき、それを自分で実感できるから楽しくなるものです。そういう意味では解答を丸写しさせるというのは、勉強でも何でもなく、ただの時間の浪費です。解答を写して解けるようになるんだったら学校の授業なんて必要ありません。学校の先生は、先生になるくらいですから、学生の頃から勉強は、まあそこそこできたのでしょう。だから学力の低い子の苦労や気持ちがわからないのでしょうか?

1人1人異なった宿題を出すのはさすがに難しいでしょうが、せめて難易度別に5パターンほど用意して生徒に決めさせたり、先生と生徒が相談して決めたりするくらいはできないのでしょうかね。中1の2学期頃の勉強ですでについていけていない子どもが、中3用の、しかも入試問題に近い難易度の問題ができるはずもありませんし、解答を写したところで理解できるはずもありません。ですがこの無駄な宿題を提出しないと、大幅に内申点を下げられ、公立高校の入試で不利になります。

ですから私はしかたなく、そういう生徒に対しては「解答を丸写ししてもいいよ。ととにかく早く終わらせよう。そして本当に必要な勉強を少しでも多く一緒にやっていこう」と声をかけています。解答を写すことに抵抗がある方もいるかもしれませんが、これが現状では最善だと思います。

あとはお決まりの英単語や漢字練習のプリントです。500個ほどの英単語を10回ずつ書かす宿題もあります。こんな宿題、よほど意識が高くないと「頑張って覚えよう」なんて思うはずもなく、とにかく早く終わらせようとただひたすら5000回英単語を書き続けるだけなんです。英語が得意でもう完璧に覚えている子にとってはただの拷問ですし、英語が苦手な子もただ書いているだけなので、結局どの生徒にとっても勉強ではなく、腕の筋トレをしてるだけなんですよね。

学校の宿題の難易度を選ぶことができるようになったり、もっと進めて、学校の宿題ではなく塾や家庭学習の課題を夏休みの宿題として認めてくれるようになればいいなと思います。乗り越えなければいけない壁は多いですが、現場の先生が「今のままでいい」と思っているのならそれはかなり危険で、改善していかなければと先生はもちろん、私たち教育関係者や一般の保護者の方々も声を上げていかなければいけないと思います。

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「1度逃げるとこれからも逃げ続ける人生になるぞ」 「へえー そうなんだー」

2018-07-17 10:33:32 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

私は大学卒業して塾の仕事とはまったく関係のないところに就職しました。特にしたい仕事ではなかったですが、ここしか選択肢がなかったのでとりあえず行ってみることにしました。それが初日からあまりの居心地の悪さに耐え切れず、わずか2週間で退職願を提出しました。そのとき言われたのが「松下、もう一度考え直してみないか。今はしんどいかもしれんけど、そのうちきっと慣れてくるはずや。それにこんな形で辞めてしまうと、またお前は逃げてしまうぞ!そうならないためにも、もう一度頑張ってみないか?」

「あれっ?この言葉、聞いたの初めてじゃないぞ。いつかも同じようなこと言われたな」

そうそう、中学2年生のときでした。卓球部に入っていた私は3年生が引退し、キャプテンという大役を任され張り切っていました。ですが2年生の終わりごろになると、そろそろ本格的に受験勉強をしたいと思い、私のような不器用なタイプは勉強とクラブの両立はできないだろうという判断で顧問の先生に退部させてくださいとお願いしに行きました。そのときに先生は「松下、お前は確かに勉強はそこそこできるし、受験勉強したい気持ちもわからんではない。でもお前が抜けたら卓球部はどうなるんや?キャプテンのお前が抜けて残った部員はどうなるんや?そんなこと考えたことがあるか? それに受験勉強のためにクラブを辞めるなんて、そんな形で逃げていたら、この先また同じように逃げてしまうぞ!」

うーん。この先生の予言は当たっていたんですね。実は私は高校では柔道部に入っていましたが、高校2年生の冬に退部しているんです。そして前述したように、仕事も一瞬で辞めてしまっています。もっと言えば、大学時代にたくさんのアルバイトをしましたが、どれも長続きしませんでした。1日で辞めたバイトもありました。中2のときに卓球部を辞めたから、私は逃げ癖がついてしまったのでしょうか?

「そんなわけあるかーい!」

そもそもスポーツ推薦で進学を狙っているならともかく、私にとって部活はあくまでもサブです。特に中学校ではクラブに入らないといけない雰囲気があったので、まあとりあえずやっとこかという軽い気持ちで入ったにすぎません。

クラブを辞めてからの私は、友達からの遊びも断り、学校の休み時間でも勉強するようになり、そのおかげで成績は伸び、無事に第一志望校に合格することができました。受験勉強は逃げずに最後までやり遂げたんです。クラブを最後までやりとげた同級生の誰よりも一生懸命勉強したという自信がありました。

私がしたことは、「逃げる」ことではなく「選ぶ」ことだったのです。自分にとって大事なものは何か、自分がしたいことは何か、自分にとって居心地のいい場所はどこか、それらを考えて私はクラブを辞め、勉強に集中すると決めたのです。

それを「逃げる」と言われれば、今なら「はあ? へえー、そうなんだー(棒)」と聞き流すことができますが、まだ純粋だった頃の(笑)当時の私はやはり傷つきました。

と、こんな話を以前不登校の生徒としたことがありました。すると「僕も僕も。同じこと言われたで」「えっそうなん?どんなんやった?」「もう学校に行けなくなってたんで、もうこの学校には戻らないですって言ったら『今逃げたら、君はこの先ずっと逃げることになるよ!違う学校に行ってもまた逃げるし、高校や大学に進学してもまた逃げる!だから今逃げずに学校に帰ってくることが大切なんだ!』って言われてん」

そうなんです。特にこういうのは教師がよくいう台詞です。おそらく正論でしょう。そして自分自身がそうやって生きてきてそれが正しいと思っているからこそ生徒に伝えているんでしょう。でもね、そんな強い人間ばかりじゃないんです。そんなに器用な人間ばかりじゃないんですよ。

学校を辞めるリスク、仕事を辞めるリスク、それは本人が一番よくわかっています。それでもその場所から離れたいと思って辞める選択をしているのですから、それを「逃げる」というネガティブな一言で片づけてしまってよいのでしょうか。

大きなリスクを覚悟してでも、自分が本当に輝ける場所、本当に居心地のいい場所それを求めて離れるんです。その選択は私は素晴らしいと思います。ですので私はそんな決断をする子どもたちを心から応援しています。

生徒たちに「逃げる」と言っている教育関係者の方々、生徒がなぜそこから離れようとしているか考えたことはありますか? その原因が自分たちにあるという可能性を考えたことはありますか? 生徒の将来を真剣に考えたことがありますか?

一緒に見つけていくという姿勢が現在の教育関係者に最も欠けているのではないでしょうか。

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向き合ってぶつかることは決していけないことではありません

2018-07-12 10:47:31 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

最近ではテレビをつけると、目をそむけたくなるような事件が毎日のように起こっているため、以前なら大きな問題として取り上げられていたのが、最近では「同じような事件がよく起きるな」と私たちの感覚もだんだんと麻痺しているのではないでしょうか。そういった事件や事故の中には、子どもが犠牲者になることも多く、また逆に子どもが加害者になっていることも決して少なくありません。

こういった事件や事故が起きるのは深夜が多いです。私はいつもニュースを見るたびに「親はどうして子どもが夜に出歩いていているのに何もしないのだろう?」と不思議に思います。中にはいくら注意しても言うことを聞かず、黙って家を飛び出し、一晩中子どもを探し回っている大変な親もいるかもしれません。ですが一方で、普段から子どもが何をしているのか、どこで遊んでいるのか、だれといるのか、そんなことをまったく把握せず、ほったらかしにしている親もたくさんいます。小学生や中学生が事件に巻き込まれたり、事件を起こしてしまうのは、親の責任はかなり大きいと感じます。

先日、あるNPOの会議に出席したときに、スマホの話になりました。あらゆるところで議論されている問題ですが、解決策がなかなか見えてきませんね。その会議の中で保育の仕事をされている方が「最近では2,3歳の子どもにもスマホを持たせている家庭が多いんです。スマホで遊ばせていると大人しくしているし、楽だからという理由らしいです」と言ってました。その間お母さんは何をしているのかといえば、やはりこちらもスマホをしているらしく、「ああ、これも時代か。でもこの流れはかなり危険だな」と感じました。

子育ては大変でしょう。自分の時間も必要でしょう。ですがその苦労の何倍もの楽しみや喜びがあるのではないでしょうか。自分の時間や自分の都合を優先して、子どものことは後回しという考え方はいかがなものでしょう。愛情をあまり受けなかったり、親子のコミュニケーションやスキンシップが足りないことなどが、後に子どもの成長にどのような影響を及ぼすのか、そういった研究を日本でも、もっと進めていき、それを伝えていかなければなりません。

私の母親はとても教育熱心な人で、小学生の頃からたくさん勉強させられました。またそれだけでなく、私生活の面においてもとにかく口うるさく、中学生や高校生になっても、どこかに出かけるときには「どこに行くの?だれと遊ぶの?」などとしつこく聞いてきました。思春期や反抗期のときには、それがたまらなく鬱陶しく、何度も母親と言い合いになったりしました。でも、鬱陶しくて腹が立つ存在で、かなり暴言を吐いてしまってましたが、愛情は感じてましたし、今ではさらに、どれほど私のことを気にかけて心配してくれていたのか、どれほど愛情を注いでくれていたのかが、すっごくよくわかります。今は両親に対しては感謝の気持ちしかなく、できるだけたくさん親孝行できればと思っています。

つまりは、親と子どもがお互い向き合って、衝突することは多くのエネルギーを使うかもしれませんが、それは悪いことどころか、とても大切なことなんです。お互いが干渉せず、もめ事を避けて生活するのは楽でしょう。ですがそのままではお互いの気持ちをわかりあうことはできません。忙しい中であっても、お互いのコミュニケーションの時間は必ず確保するべきなんです。

そして、子どもをほったらかし、無関心であることは親として一番してはいけないことですが、親の考えを一方的に子どもに押し付けるといういきすぎた関わり方もマイナスの効果になってしまいます。子どもの考えをしっかりと聞いてあげ、そして自分の考えを子どもに伝える。そうしないと子どもは自分の生きている世界をとても窮屈に感じ、その世界から逃げ出そうとする可能性があります。そこで非行に走ってしまったり、ひきこもってしまったりというケースは少なくありません。

子どもの考えていることを最初から否定するのではなく、しっかりと聞いてあげ、そして親の気持ちや考えもきちんと伝える。時間もかかりますし、ときには言い合いになったりケンカになったり、エネルギーを使うことかもしれませんが、これこそが大切なんです。ぶつかりあったからこそ、答えが見つかったり、前に進めたりするのです。

塾に来てくれている生徒たちは、親がほったらかしにはしていません。貴重なお金と時間を使ってまで、子どものためと思い来させてくれているのです。生徒たちには、まず塾に行かせてくれてありがとうという感謝の気持ちを今すぐでなくても、いつか持ってもらいたいですね。そして、私自身も塾に来てくれている生徒やそのご両親に感謝の気持ちを忘れないでいることはもちろん、コミュニケーションを大切にしていきたいと思っています。その中から見えてくるものがたくさんありますし、それが自然と勉強面にも良い影響がでることは少なくありません。ただ一方的に押し付けるのではなく、生徒1人1人は能力も違えば性格も違うし、家庭環境も異なるわけですから、全員同じやり方でいいわけがありません。ベストと考えられる方法を見つけていくためにも、お互いの考えを伝え合うという姿勢はこれからも続けていきたいと思います。

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どこがゴールなのか? そもそもピッチに立っているのか?

2018-07-04 10:35:54 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

ワールドカップは毎回楽しみにしていて、今回もできるだけ多くの試合を見ています。日本代表は惜しくもベルギーに敗れましたが、素晴らしい闘いを見せてくれました。メッシを擁するアルゼンチンも、バルサの選手が多くいるスペインも日本同様1回戦で敗退してしまい、応援するチームがなくなってしまいましたが、決勝までの熱い試合を見ていこうと思っています。


日本代表の選手の中には、若いときから期待されてきた選手もいれば、そうではなく遅咲きの選手もいますね。10代の頃から世界と戦い、将来は日本を背負っていくだろうと期待されてきた選手が伸び悩み、ワールドカップには出場できないなんてことはこれまでもたくさんあります。いくら高校時代に活躍し、早い段階でJリーガーとしてデビューし、メディアに騒がれたとしても、代表に選ばれなかったら、ワールドカップにレギュラーとして出場することがゴールであれば、それまでの活躍は本人の中では色あせてしまうかもしれません。

人の成長速度は様々であり、その環境にも大きく左右されます。レベルが上がれば上がるほど才能やセンスだけでは通用しなくなってきます。では努力が一番大事かというとそういうわけでもなく、もちろん努力は必要ですが、努力してもできないもんはできません。才能やセンス+努力、そしてさらに環境や運というのも関係してくるでしょう。

大切なのは「自分のゴールをどこに定める」かです。ワールドカップ出場がゴールであれば、高校時代に注目されなくても、そんなもん関係ありません。他人は他人、自分は自分で自分の信じた道を自分のペースで進んでいけばいいんです。

サッカー選手といっても、みんながみんなワールドカップに出場することをゴールにはしていないはずです。もちろんだれもが出場したいでしょうが、それよりも「クラブチームで優勝したい」「選手を引退してからの監督が楽しみだ」「純粋にサッカーが好きだ。できるだけ長く続けたい」「とにかく有名になりたい」など、ゴールはそれぞれ異なるでしょうから、ワールドカップに出ることができなかった選手や試合に出ることができなかった選手の中には、私たちが思っているほど挫折感など持っていない選手も多いかもしれませんね。

つまりは、本人ではない限り、他人の本当の気持ちを知ることなどできるはずもなく(それがたとえ家族であったとしても)、他人のゴールがどこにあるのかなんて見えません。偏差値の高い高校に合格することがゴールの子どもにとっては、テストの点数は大きな意味がありますし、日々の勉強(努力)も必要になってくるでしょう。ライバルよりも少しでも多く、そして効果的な勉強する必要があります。ですが、ゴールがそこではなく、例えばプロのスポーツ選手や職人さんになることをゴールにしている子どもにとっては、テストの点数はさほど意味をなさず、日々の勉強よりは目指すゴールへの練習に時間をさかなくてはなりません。

「勉強ができていいですね」普通ならこんな言葉をかけられると悪い気はしないでしょうが、それはあくまで言った側の価値観であり、言われた側は、まったく今の成績に満足していないこともあるんです。アルゼンチンにメッシというスーパーな選手がいます。間違いなくサッカー史に名前をのこす偉大な選手です。クラブチームでのタイトルはもちろん、個人タイトルもすべて獲得しています。年俸も一般人には想像できないような額です。だれもがメッシを成功者としてうらやましく思うでしょうが、メッシ本人は満足してないかもしれません。メッシのゴールがワールドカップでの優勝だったとしたら、それは達成できていないからです。ワールドカップへの出場がゴールとしている他の選手の方が満足度は上かもしれないのです。高いレベルに達している方が幸福感が高いとは限らないのです。

何が幸せで、何が嬉しいのかは人によって異なります。自分にとって幸せだと思う道も、他の人からしたら不幸せになることもあります。だからこそ、必要以上に他人の人生を決めてはいけないのです。一番悲しいのは、自分のゴールを他人に決められることです。ほんとは違うピッチに立ちたかったのに、勝手にゴールを決められたせいで、しかたなくこのピッチに立っている。でも本当に目指したいゴールではないので、ふと気づいたときにはゴールの方向すら見えなくなってしまっている。子どもは特に自分で判断する能力がまだ発達段階であるためゴールを見つけにくいのです。ですがだからといって親や先生が勝手にゴールを決めるのではなく、子どもと一緒に見つけていくという形が理想的だと思います。そしてまた、子どものゴールが変化した場合にも、頭から否定するのではなく、そのときも一緒に考えてあげ、それを応援してあげることも必要です。

私にもゴールはあります。まだまだ先になるでしょうが、確実にそこに近づいてきている実感があります。だから毎日が充実し、心から幸せだと感じることができるのです。

生徒たちにも、勉強を通じて、ときには雑談もしながら、それぞれのゴールを見つける手伝いができれば嬉しいですし、ゴールが見えている生徒にはできる限りゴールに向けて一番のサポーターになりたいと思っています。
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