個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

毎日話すことができてありがたいなあ

2020-09-21 22:11:45 | ひきこもり
こんばんは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

私も執筆者の1人として参加させていただいている本が今年の2月に出版されたことは、このブログでも報告させていただきました。出版イベントなどがコロナウイルスの影響で次々と中止になったにもかかわらず、たくさんの方々に買っていただきました。大阪に住んでいる方だけでなく、関東や中部地方などからも注文がたくさんあったようです。こうして多くの方々に読んでいただけることはとても嬉しいことですし、さらに本の感想を送ってくださったり、「気持ちが少し楽になった」や「とても共感できた」などという声もいただいたりし、ますますこれからの活動に力をもらえました。

先日本を読んでくださった方の1人から連絡がありました。この方も私と同様、数年の「ひきこもり」の経験があり、現在は大学院で勉強されているのですが、その一方で不登校やひきこもりの子たちのサポート機関に関わったり、立ち上げたりしているような、とても行動的な方です。

私に連絡をくださったのは、「大学院で「ひきこもり」についての論文を書かれていて、そのテーマの軸となるのが当事者とその家族との間の「ズレ」や社会との「ズレ」だそうです。そこで私に、「学生時代~ひきこもり時代~現在」までの流れや、そのときそのときの気持ちや、家族や周囲とのかかわり方などについて詳しくインタビューさせていただきたいということでした。

私は本の中にも書きましたが、家族との「ズレ」を感じたことがほとんどなく、「家族のこういう言動によって傷つけられた」などという経験がほとんどないため、参考になるかどうかわかりませんとお伝えしましたが、それでもぜひお話を聞きたいと言っていただいたので、私も喜んでインタビューを受けることになりました。

約1時間半の予定でしたが、インタビューのされ方が上手なのと、私がまたつい調子に乗ってしまったこともあり2倍の3時間ほどペラペラと話してしまいました。途中からはインタビューというより、私の独演会みたいになってしまい、ご迷惑をかけてしまいました。こういうところ、本当に気をつけないといけないですね。

冒頭にも書きましたように、コロナの影響でたくさんのイベントが中止になったこともあって、塾で生徒たちに勉強を教えたり、いろんな雑談をすることはさせていただいていましたが、「ひきこもり」というテーマについて話す機会がありませんでした。しかし今回ガッツリと思い存分話をさせていただけましたので、頭の中がずいぶんと整理された感覚になりました。常日頃から、塾に来てくださっている生徒たちのことはもちろん、不登校のことやひきこもりのことについても考えることが多いです。そしてときどき競馬のことも(笑)
ただやはり、考えるというインプットだけでは整理がうまくできなく、話すというアウトプットの重要性を改めて感じました。相手に伝えようと話すことで、考えがまとまっていき、自分自身の本当の気持ちに気づいたり、新しい発見があったり、話す前と比べてインタビュー後はまったく異なった感覚を得ることができました。

ブログなどで書くこともアウトプットのいい方法だと思いますが、やはり話すこと、特に相手にわかってもらおうと話すことが一番いい方法だと思います。勉強もそうですよね。授業を聞いて、ノートを写すというインプット作業だけだは効果が薄い。この授業で習ったことを誰かに教えようとして授業を聞き、そして実際に誰かに教えてみる。教えるためには自分は100%理解していなと相手に伝わりくいのです。だからこういう勉強方法の方が効果が高いとよく言われます。

不登校やひきこもりの子で話す機会がない子たちは毎日インプットだけをしているため、頭の中が混乱状態になっていることが多いです。あまり整理できずに、本当の自分、自分が本当は何で悩んでいるのか、本当にやりたいことはなんなのか、そういうことも気づくことができないかもしれません。だからこそアウトプットの場が必要なんだと思います。これまでの生徒の中にも、1時間や2時間ぶっ通しで話す子もいました。でも彼らはその後すっきりした表情になり、気持ちも落ち着きます。ひきこもりの子たちが集まる場所でも、いろんな気持ちを話すことで本当の気持ちに気づいてホッとする子たちもいます。

そういう意味では様々な種類の場所が必要なんだと思います。たとえば塾のように勉強する場所も必要でしょう。たくさん自分の話ができるところも、逆に他の人の話を聞くところも必要です。体を動かしたりする場所や、社会に出るために必要なスキルを身につける場所も大切です。これらはだれか1人では作ることはできません。たとえばフリースクールを開校するにもどれほどたくさんの費用と人が必要か。だからこそ、より多くの人たちが協力し合って、より大きなネットワークをつくっていく、その中には行政も必要かもしれません。民間と行政を分ける必要なんてないんです。いいものを作るためには協力しあわないといけないのですから。

今回私にインタビューしてくださった方もいろんな活動をされています。いろんな情報を共有することに喜んで賛同してくださりました。また近いうちにお話しできることを楽しみにしております。貴重な経験を本当にありがとうございました。

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絶対に安全な場所から石を投げてくるんだよな

2020-08-21 17:08:18 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

不登校になる原因ってなんでしょう?

いじめ? 勉強? それともただのサボり? ONE-Sを開校するまでは不登校の子どもと関わったことがほとんどなく、「不登校になるってことは、おそらくいじめが原因なんだろうなあ」と何の根拠もなくそう思っていました。

いわゆる普通に学校に行くことができて、高校や大学の進学を目指す子どもたちに勉強を教えていきたいという気持ちは塾を始めた頃からずっと変わらず持ち続けていますが、一方で学校に行くことができていない子どもたちに対して、大きなことはできませんが、勉強面でのサポートができないだろうかという想いでONE-Sを開校しました。成績が優秀な子は入塾できて、不登校の子は入塾できない。もちろん仕事ですからそういう考えを持ってされている塾がどうこうという話ではありませんが、私は不登校の子と学校に通っている子に差をつけたくなかっただけです。当然ながら頂いているお月謝も同じ額ですし、担当する先生が変わることもありません。

不登校の子といってもいろんなタイプの子がいますので、不登校やひきこもりの子だけしか来ない施設や塾の方が合っている子もいれば、そうではない子もいます。私はそうではない子ができるだけ通いやすい環境の塾にしたいと思っています。偏差値の高い高校や大学を目指す生徒も大切な生徒、全力で志望校に合格できるようにサポートします。学校には通えていないけれども、勉強だけはしておきたい、あるいは高校にはいけないけれども認定試験を合格して大学に進学したい、この子たちも大切な生徒。もちろん一生懸命勉強を教えるとともに気持ちの面でもサポートしたいと思っています。今の状況がどうであっても、私を頼ってきてくれて、何かを目指したいと思ってくれているんだから、どの生徒に対してもまったく同じ気持ちで応援をしていきたいと思っています。

少し熱く語ってしまいましたが(^^;)  不登校になる原因として「いじめ」は思ったよりも少ないという印象ですが、それでも不登校になる大きな原因の1つであることは確かです。ですから国も自治体も「いじめ」対策に取り組んでいるのでしょうが、身近なところでも頻繁に「いじめ」の話は耳にしますし、テレビやネットでも「いじめ」による悲しいニュースを目にすることは多いです。

「いじめ」は子どもの世界だけではなく、大人の社会にも存在します。もしかすると大人の「いじめ」の方が多いかもしれません。それほど世の中には「いじめ」が蔓延しているのです。私はこの分野の専門家ではありませんので、「いじめ」の原因がどこにあり、どうすれば減っていくのかはわかりません。ただ1つ、「いじめられた子が不登校になったり、転校したりする一方で、いじめた側はのうのうとそこに居続けることができる」ことだけは許せないという感情を持っています。

「いじめられた子は自ら命を絶ってしまう」ことさえある「いじめ」というものは決して許されるものではなく、なくしていかなければならない、これはほとんどすべての人が思っていることだと思います。ですが私の生きてきた年数、約50年経過してもなくなっていません。毎日どこかで「いじめ」で苦しんでいる子が存在しているのです。「いじめ」が苦で不登校になったり、精神が病んでしまったりする子が後を絶たない一方で、いじめた側は「いじめていた」という事実を明らかにするのが難しいため何もお咎めがなかったり、「いじめていた」という事実があったとしても厳重注意で済んだりします。「いじめられていた子」が学校に行くことができないほど辛い思いをしたのに、「いじめた側」は何も変わらず過ごすことができています。こんなおかしなことってあるでしょうか?

ほとんどの「いじめ」は「いじめる側の」安全地帯で行われます。「絶対にやり返してこない。親や先生に相談しない」このような子をターゲットに行われます。そして「いじめ」というのは1対1では行われません。絶対的に有利な人数を集めて、たった1人を攻撃します。自分たちは完全なる安全地帯にいて、そこから石を投げるのです。ときには爆弾を投げることもあります。ものすごく卑怯で悪質なものなのです、いじめというのは。

「いじめられるから学校に行きたくない」これは当たり前の感情です。「やり返したったらええねん!」こういう意見も多くあります。しかし、まだまだ成長途中の子どもですから、やり返すことができない子もたくさんいるんです。そしてそういう子をターゲットに連中は狙ってきます。私は思うんです。こんなことを許したままではいけない。「いじめた側」には、きっちりとしたペナルティを与えるべきだと。他人の心や体、ときには人生をボロボロにしておいて、なにもなかったように過ごせるなんておかしい!こんな甘いことをしているから、大人になっても簡単に「いじめ」が起きてしまうんじゃないのでしょうか。「いじめ」を悪質で卑怯で最も恥ずべきことだという認識がないから、大人になっても平気で「いじめ」をするんじゃないでしょうか。「いじめていた」ことを武勇伝のように自慢して語っている人間がいるのは絶対に間違っています!形だけでの「いじめ対策」なんて必要ありません。もっと根っこの部分を大人が、教育現場が教えていかなければならないのではないでしょうか。

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偏ってしまっては危険②

2020-08-05 09:43:42 | 教室から
おはようございます。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

前回の続きになります。

だれでもそうだと思いますが、自分の得意なもので勝負できる場所は居心地がいいけれども、そうじゃない場所にはそこにいるだけで苦痛に感じることがあるでしょう。

子どもたちにとって「勉強ができない」というのは。学校生活を送る上で大問題なんです。

ですから、できるだけ子どもたちが学校で快適に過ごせるように、学校の勉強で苦労しないように、早い段階から勉強を教える家庭が増えていますよね。もちろん理由はそれだけではなく、学力が高いと偏差値の高い大学に進学でき、就職が有利になるという将来を見据えての理由も大きいでしょう。その気持ちはとてもよくわかりますし、決して間違ったことではないと思います。ただ、その加減は大事だと思います。

あくまで勉強することや、高校・大学に進学することを肯定する立場として、もちろん大切だと思っているから学習塾を開いているのですが、あまりに勉強・学力に偏ったやり方はリスクが大きいと思います。勉強なんてさせずに、欲しがるものはゲームでもスマホでも全部与えて、自由にやりたいことをさせてあげればいいなんて話ではありません。小学校のうちに宿題をきちんとさせてから遊ばせることやテストに全力で取り組むこともこれからの長い学生生活を考えれば、とても大切なことだと思います。しっかりと基礎学力を身につけさせてあげることは社会に出てからも必要となりますのえ、さらに重要になってきます。ただやりすぎには気をつけた方がいいということです。

学校という場所は、それでなくても学力でランク付けされがちです。勉強ができる子は一目置かれ、時には尊敬の対象になることさえあります。逆に勉強が得意でない子は、勉強が苦手というだけで人間としての能力もないような評価をされてしまうこともあります。スポーツが得意な子などわかりやすい特技がある子はいいのですが、そうでない子は「自分はダメなやつなんだ」という劣等感に覆われてしまいます。

ごくごく少数ですが、勉強できない子のことを「アホ」という言葉を使って見下す人がいます。私はこれが大嫌いです。といっても、中学時代の私は恥ずかしながらこの言葉を使っていました。自分はテストの点数も高く優れた人間なんだ。周りのやつらとは違うんだ!というかなり偏った価値観・プライドを持っていました。まあそこまで思っている人なんていないでしょうが、そういった傾向は学生時代には少なからずあるのではないでしょうか。

ですがこの偏った価値観が大きく邪魔になることもあります。勉強なんて、上には上がいくらでもいます。中学校時代に学年で1位だからといって、高校に入ると同じような学力や自分以上の人間はたくさんいます。かなり優秀で高校で上位だったとしても、大学になるとさらに上がいます。学力=人間力・人生における成功という考え方の下では、自分よりも学力が高い人間がたくさんいるという現実を受け入れることができなかったり、大学受験に失敗しようもんなら大きな挫折として心が折れてしまうこともあります。

また勉強が不得意な子も、こういう価値観の下では「自分はアホだからこの高校・大学にしか行けなかった」「自分はアホだから今の仕事しか就けなかった」と考えてしまいます。いや、そうじゃないんだよ。自分の学力や能力をちょうど伸ばせて、自分に合った学校が今の高校なんだよ。将来したいことをするために今の大学に入ったんだろ。自分がしたい仕事を選んだんじゃなかったのか。

確かに学力・学歴がなければ就けない職業は一定数あります。学歴は選択の幅が広がるのは確かです。大学卒業後、3年間ひきこもった私でも、こうして塾を開くことができたのは、ある程度の学歴があったからでしょう。ですから、勉強ができることや、偏差値の高い高校や大学に進学するというのは、人生において大きな武器を手に入れるということです。ですが、その武器を持っていなくても自分の望む人生を歩んでいる人なんていくらでもいるし、その武器を手に入れようと必死になって努力したけれども、願いが叶わずドロップアウトした人間もたくさんいます。過剰な競争の中には、大きな敗北感を味わった人間がたくさんいるのです。この敗北感をバネにかえて、プラスに転じることができればいいのですが、多くはこの敗北感=劣等感を持ち続けながら生きていくのです。これはあまりにも悲しいことです。

本来学びというものは、楽しいものであり、人生を豊かにしてくれるものです。それがいつの間にか、子どもをランク付けするものになったり、子どもを追い込むものになったりします。他の誰かと比べるのではなく、自分自身の将来のために学ぶのです。学んでいくことによって自分が何が得意で何が不得意かがわかり、自分には何が向いているのか、そしてまた自分のしたいことが何なのかが見つかるようになっていくのです。ただし、それは子どもが能動的に学ぼうとしなければみつかりません。「やらされている」という義務感だけでは勉強は「ただ自分を苦しませるもの」であり決して「自分の将来を手助けしてくれるもの」という考えにはなりません。子どもたちの意識をそういう方向へ導いてあげることこそが教育なんだと思います。きっと子どもたちは自分の目標に向かって、しっかりと自分の足で歩いていけることができるはずですから。前向きな気持ちで勉強に取り組むことができるような塾であり、私と接することで子どもたちが自分の将来を明るいものと感じ取ってもらえるような塾講師でありたいと思います。

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偏ってしまっては危険①

2020-08-03 22:31:02 | 教室から
こんばんは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

私には3歳になる姪がいますが、月に1回ほどのペースで会っています。会うたびに成長する姿に驚き、感動すら覚えます。泣くことしかできなかったのに、いつのまにか私のことを「英治おじさん」と呼んでくれるようになりました。最近では、数字やひらがなも覚えたらしく、得意げにノートに書いて見せてくれます。おそらく弟が教えているのでしょうか、アルファベットも少し書けるようになりました。正直、この年齢のときにそんなことを教える必要はなく、もっと外で遊んだりしたらいいのになあとは思いますが、自分の子どもが言葉や文字など様々なものを覚えていき、楽しんでいる様子を見ると、もっともっとさせてあげよう!という気持ちになるのでしょうね。その気持ちはわかりますので何も私は基本的には口出しはしませんが、あまりに教育熱心になりすぎたら少し抑えるようなアドバイスはしようと思っています。

小学校に入学するまでの子どもたちって、何をさせても喜びますよね。好奇心の塊で、新しく何かを覚えることがなにより楽しいのでしょう。さらに、その覚えたものを言葉にしたり、書いたりすると周りがとても喜んでくれます。「すごいねー。よくできたねー」と。それが嬉しいから子どもはどんどん学ぼうとします。そこには「しなければならない」という義務感がまったくなく、ただ純粋に自分が楽しい、そして周りが褒めてくれるから嬉しいという理想的な学びの形となっています。

いつから子どもは勉強するのを嫌いになるのでしょうか。それは「遊び」が「勉強」という名称に変わってしまい、「しなければならないもの」という義務になってしまう小学校からが多いのではないでしょうか。小学校も入学当初は楽しいでしょうが、だんだんと宿題が出され始め、宿題を忘れると怒られ、間違いと多いと注意され、これまで自分のペースで楽しくできていたものが、いつの間にか周りと比較されるようになります。褒められなくなり、それどころかいつも注意されたり怒られたりするようになるため、だんだんと勉強することが苦痛になり嫌いになっていきます。

逆に勉強が得意な子は、それほど勉強が嫌いではありませんよね。当たり前かもしれませんが、授業はよくわかるし、テストでもいい点数をとれるため、怒られることもありませんので嫌いになる理由がありません、宿題などは「めんどくさい」と思いながらも、すぐに終わらせることができますし、それほど苦にはならないのです。私も小学校のときや中学校のときは、「授業がわからない」といったことがありませんでしたし、テストでいい点数をとることがモチベーションの向上につながり、勉強嫌いどころか、勉強が私の唯一と言ってもいいほどの拠り所となっていました。

勉強が嫌いになったのは、高校生になってから。高校受験が終わり燃え尽き症候群になり勉強をしなくなったのも原因ですが、明らかに私よりも勉強ができる子が周りにたくさんいました。1人や2人ではなくおそらく何十人、あるいは何百人も。授業もわからない科目が続出し、定期テストの平均点は30点くらいだったと思います。それでも高校3年生からは大学受験をしようと決めたので、なんとか勉強も頑張り、理解できていく数学や物理に少し楽しみも感じながら、2浪はしましたが大学に合格しました。しかしこの大学で私は決定的に勉強が嫌いになりました。

もともと工学部を希望していたわけでもなく、それほど理数系が得意だったわけでもなく、ただなんとなく選んだ学部でしたが、私のような中途半端な学力しかなく、それでいて将来の目標を何も持っていないような者がついていけるような場所ではまったくなく、私は完全に落ちこぼれてしまいました。それは高校時代とは比べものになりませんでした。授業を受けても、大げさではなく1割も理解できませんでした。授業はわからないし、興味もないし、大学に通うのが嫌になり、大学をサボるようになりました。それが原因で、何度も留年しそうになりましたが、運よくギリギリのところで進級でき、無事に卒業はできました。ですが、卒業しただけです。何1つ勉強は理解できませんでした。ですから就職を考えるときも、この道でやっていくなんて自分には到底できないと判断し、工学部とはまったく無縁の方向に進もうと決め、それがまた失敗で私はひきこもりを経験することになったのです(詳しくは、ブログ内の私のひきこもり時代をお読みください。

私は塾の講師をしていますので、よく「先生はいい高校・大学に行かれていたから勉強できていいですね。困ったことなんてなかったでしょう」と言われますが、とんでもないです。私ほど勉強に対してコンプレックスを抱いている塾講師なんていないのではないかというほど、苦労しました。勉強が嫌いでした。

続きは次回にしますね。

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どこまで自分を信じられるか

2020-07-03 20:33:47 | 教室から
こんばんは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

先日は前半最後の大一番、春のグランプリの宝塚記念がありました。「また競馬の話かい!」と怒られるかもしれませんがお許しください。

この宝塚記念というには、以前から私には相性のいいレースでした。なぜかという理由はいくつかありますが、それらを詳細に書いてしまうと2万字ほどになってしまうので、それはまたこのブログではなく、機会があればどこかでお話しようと思います(笑)
ですので簡単にいうと、宝塚記念の距離が主流の距離ではないということです。陸上競技でしたら、短距離は100m、200m、400mなど長距離は1万mなどありますよね。100mと400mでは詳しくはわかりませんが、練習方法や必要な能力も異なってくるとは思います。さらには100mと1万mなんて求められるものはずいぶんと異なるでしょう。

競馬も同様です。競馬では、1000m~3600mの距離でレースが行われますが、もちろん1200mで強い馬と3000mで強い馬はまったく異なります。ただ1つ言えることは、競馬の大きいレースというのは、1200m、1600m、2000m、2400mという距離が多く、すべての馬はこれらの距離のレースに強くなるように育成されます。特に2400mというのは大きいレースが多く、この2400mに強い馬が歴代の名馬にもなっているのです。しかし、この宝塚記念というのは2200mなんです。たった200mの違いと思われるかもしれませんが、この200mの差が大きいのです。2400mで圧倒的な強さを見せてた馬がこの宝塚記念では馬群に沈んでしまったなんてことはこれまで何度もあります。2000mや2400mの大舞台で力を出し切れなかった非主流の馬が宝塚記念で激走することがあるのです。だんだん熱くなってきました(笑)

私は長年の競馬研究のおかげでこのことを知っていますが、一般のライトな競馬ファンはそのことを知りませんので、いわゆる穴馬を見つけることができません。これまで主流の距離で強かった馬の馬券を買ってくれますので、私が狙うような穴馬のオッズはどんどん上がります。ですので予想以上の高配当をゲットしたこともあります。今年の宝塚記念もかなり自信がありました。当日のレースの3時間前にはだいたい自分の買う馬券も決定し、あとは直前の天気や馬場状態などをチェックして購入するだけでした。しかし、レースの1時間ほど前に何気なくネットの競馬情報を見ていると、たくさんの有名な予想家が私とは異なる予想をしていたのを目にしました。普段なら競馬新聞や他の予想家の意見などまったく気にしないのですが、なぜかこの日に限ってそれらがとても気になり、迷いに迷った挙句最初の予想を変更して購入してしまいました。結果はみなさんの予想通り、私が最初に買おうとしていた馬が激走し、私の馬券は外れました。かなりの高配当になったこともありさすがに落ち込んでしまいました。

私は自信のあるものや得意なものがそれほど多いわけではなく、その数少ないものの1つが競馬です。知識・経験・数学的思考、それらを駆使した独自の予想法に自信を持っています。そんな私であっても、こうしてときには他の誰かの意見、会ったこともない人の意見によって自信が揺らぎ、ぶれてしまうこともあるのです。

経験の少ない子どもたちではどうでしょうか?勉強においてもスポーツにおいても、これからの進路選択においても確固たる自信がある子の方が圧倒的に少ないですね。勉強だったら学校の先生や塾の先生、スポーツだったらクラブの顧問の先生や、コーチなど、それぞれの分野における指導者の意見に大きく左右されるでしょう。だから指導者の役割は大切なんです。間違ったことを教えたり、効果のない練習方法を教えたりしても、子どもはそれを信じます。指導者は正しいことだと信じて教えているのでしょうが、それが科学的な根拠や膨大なデータに基づくものではなく、ただ自分が生きてきただけの狭い範囲の中での判断で、さもそれが絶対に正しい、それ以外は認めん!という指導法は実はとても危険なのです。

「この仕事は安定するからこの道へ進め!」「数学が得意なんだから理系へ進め!」「1つでも偏差値の高い大学の方が就職が有利だから!」「不登校になってしまったら、どんなことでも逃げる人間になるぞ!」など。正しいかもしれませんが間違っているかもしれません。少なくとも1つの分野の社会でしか生きてきていない人間が、本人の気持ちを無視してまで強引に言うことではないように思います。知っている情報を伝えてあげることや相談に乗ってあげることは大切ですが、人生を左右するような決断を本人以外、ましてや家族でもない第三者が半ば脅しのような言葉で子どもに伝えるのはどうかと思います。

棋士の羽生善治九段は、以前インタビューでこう語っておられます。「プロ棋士だからといって、100手先まで読めないです。10手先でさえ読めないと思います。ですから、駒を動かすときに、いつも十分な自信を持っているわけではありません。ですが決断を下さなければなりません。おそらくこれが正しい手なんだと思う1手を指すのです。大切なのは決断を下す力なんです。」と。

対局中に誰かに相談できるわけでもなく、一人孤独な中で、信じられるものはこれまでの自分自身の経験と直感だけ。それをどれだけ信じて次の1手を指すのか、その決断力が大切だと答えられています。

「あの有名な人が言っているから」「東大生が言っているから」
今は情報が溢れている時代です。少し探してみると、知りたいことに関連する情報が次から次へと手に入ります。その中で何を選んでいくか、だれも先のことなんてはっきりとはわかりません。だからこそ自分にとっては本当に必要なことは何か、何をしなければならないかをよく考えなければならないのです。もちろん子どもたちには、そこまでの判断する力や決断力はないかもしれませんので、大人のサポートは必要になってきますが。子どもと一緒に考え、いろんな情報や意見はあくまでも参考にして、けっして振り回されず、他人がどう言おうとも、これが正しい道だ!と胸を張って歩いていけるものを探し決断してもらいたいと思っています。勇気と覚悟を持って決断するのです。

羽生善治九段はこうも言っています「幸運は勇敢な人に微笑む」と。

私も今週の競馬は、決して他の予想家に振り回されず、自らの経験と知識、そして直観を信じて馬券を買おうと思います。きっと運命が勇者に微笑んでくれるはずですから(^_^)/

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