個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

学校教育や制度に関する疑問③

2022-04-21 12:22:54 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

前回の続きです。

最後の疑問点は、無償化制度です。
大阪では一定の基準はありますが、私立高校に進学する場合、大阪府と国からの補助金を受け取ることができます。私が中学生だった頃よりは、ずいぶんと私立高校へ進学する経済的なハードルは低くなったのではないでしょうか。そして昨今では、大学無償化を求める声を多いですね。日本の大学進学率が先進国と比較して低かったり、学費が高額なため経済的な問題で進学をあきらめてしまう子が多かったりしますので、そういった声が出てくるのでしょうね。

この問題に関しては、私の立場は基本的に大賛成です。やはり経済格差によって学びの機会の平等が失われてしまうことはあってはならないと思います。私の家庭も決して豊かな方ではありませんでしたから、よけいにそう思うのかもしれません。学びたい子たちが、お金のことを気にせずに学ぶことができるようにするというのは、結果的に国の利益にもなりますし、反対する理由がありません。塾の卒業生の中にも多くの奨学金を借り、卒業と同時に大きな金額を何年にもわたって返済しなければならない子はいますが、国の制度としてなんとかならないものかといつも悲しい気持ちになります。

ただこれは、あくまで学ぶ場である学校の話であって、無法地帯のような学校の無償化には反対です。

「学級崩壊」
小学校や中学校だけではなく、高校でも起こっています。大学でさえ、それに近いほど騒がしい授業をしている大学もあります。

小学校や中学校では、授業中に離れた席の子たちが大声で話をしたり、立ち歩いたり、先生をからかったり、そんな例はいくつもあります。先生も注意をすると授業が止まってしまうし、難しいところですが、授業を受けたい子が受けることができない環境になっていることが大きな問題です。中にはそんな雰囲気の教室には入りたくないと、学校に行けなくなる子もいるでしょう。授業妨害があまりにひどい場合には、強制的に教室から出すくらいのことはできないものでしょうか?追い出された生徒の教育の機会を奪っているだとか、体罰だとか言いますが、他の学びたいと思っている子の機会を奪ってしまっては学校の存在意義がなくなってしまいます。まずは、きちんと授業ができる環境にすることを最優先しなければなりません。授業妨害する子たちもなんらかの原因があるでしょうから、そこは先生が対応するのではなく、カウンセラーなどの専門家に任せて、保護者を交えてゆっくりとその原因を取り除いていくことが必要なのではないでしょうか。

そういった「学級崩壊」が高校でもあります。授業中にお菓子を食べたり、スマホでゲームしたり、大声でしゃべったり。うーん、高校は義務教育ではありませんよね。しかも、高校3年生ともなると、もう大人ですよね。そもそも高校は自分で行くと決めたわけで、嫌だったら辞めればいいんです。

私は勉強するためだけに高校に行け!と言ってるわけではありません。高校に行く目的が、勉強以外のもの、たとえばクラブ活動であっても、友達との交流であっても、高校卒業の資格を取るためであっても、どれもが大切なことなので、どれだっていいのだと思います。ただ、どうして黙って授業を受けることができないのか、どうして周りへの迷惑を考えられないのか。大学に進学しない場合は高校の勉強へのモチベーションが維持できないことはよくわかります。「こんな勉強、なにに役立つねん」と思ってもしかたないでしょう。ですが、だからといって授業妨害していい理由にはなりません。勉強しなくたっていい。ただ授業中は他の生徒の迷惑にならないように黙っているべきです。どうしても話をしたかったり、スマホで遊びたかったら、教室の外に出て好きなことをすればいい。

驚くことに大学でも同じようなことが起きています。そんなに退屈だったら、授業にでなくていい、いやむしろ授業に来ないでほしいと私が学生だったら思っていたでしょう。授業に出席するからには、その時間くらい集中しなくてもいいから黙っといてくれよと。高校の先生もそうですが、大学で講義をしている先生もメンタルすごいなあと感心します。そういう学生を無視して黙々と授業を進めておられるのですから。私だったら、おそらくブチ切れて「出ていけ~!」と叫んでいるでしょうね(笑)。もちろんそんな学生には単位はあげませんし。

もちろん、このような話はほとんどの学校というわけではなく、一部の学校のことなのですが、やはりこういった話を聞くと高校や大学・専門学校の無償化に関しては一律にするのではなく、ある一定の基準を設けるべきだなあと思います。そうすることで学生の意識も変わるでしょうし、高校や大学の環境もよくなるでしょうし、経済的な理由で進学を諦めてしまう子どもも減っていくでしょう。

「学級崩壊」に関しては、妨害する子どもの特性も関連している場合もあり、そういう子どもを教室から追い出せば済む話ではないのですが、今回は言いたいことの本質からずれてしまうため、その部分はカットしました。

私一人がどうにか問題ができることではないのに、いろいろと書いてきましたが、こうした問題意識を持ちながら生徒たちと接することで、生徒たちにとってよりよい環境を作るためにはどうすればよいのかを考えながら勉強を教えたり、アドバイスをしたりすることができるでしょうから、今後もいろんな方の意見も聞きながら考えていきたいと思っています。

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学校教育や制度に関する疑問②

2022-04-17 10:19:04 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

前回の続きとなります。

学校が生徒たちに与える課題の問題点の3つ目ですが、学力を上げるという観点からみると逆効果になっていますし、能動的な勉強ができない子になっていきます。私が中学生の頃は今のように課題なんてほとんどありませんでした。現在たくさんの課題を与えられている子どもたちの学力が上がっているかといえば、決してそうは言えないと思います。むしろ勉強のできない子が増えている感じがします。それには複数の原因がありますが、課題をたくさん与えることが子どもたちの学力向上につながっていないということは明らかです。誰もが経験があると思いますが、「義務感」を感じると前向きな気持ちにはなりにくいものです。自分の好きなことだけをすればいいというものではありませんが、少し今の学校は与えすぎていて、それがますます「勉強嫌い」を引き起こしているのではないでしょうか。

新型コロナウイルス感染が拡大して、2か月ほど休校になったころ、それまで勉強に前向きに取り組んでいなかった子たちが自分から「家で学習する課題がほしい」と言ってきました。ほとんどの子は「勉強はした方がいい。」とわかっているからです。それなのに、自分の学力にあっていない問題集を何ページも勉強ではなく作業のようなことをさせられるから、勉強はつまらなくて苦しくてめんどくさいものという考えになってくるのです。ただ、学校で配られる問題集自体は市販の問題集よりいいものであることは確かです。ですからこういった問題集は課題として与えるのではなく、各科目レベル別にいくつか用意しておいて、欲しい子がいれば自由にそれをあげるという形にするのが一番効果的だと考えています。せっかく大きな金額を使い、いい問題集を学校は揃えるわけですから、それらをできるだけ有効に使わなければもったいないです。勉強格差が広がる?私はそうは思いません。自主的に勉強する子が増えていくと思います。少なくとも現状よりはよくなるでしょう。

「社会に出たらもっと理不尽なことがあるんだから、学校の課題くらいちゃんとできないと社会に出たら通用しないぞ!」という意見も、もちろんわかりますが、私は少しベクトルが違う問題のように感じます。生きていくために必要な給料をもらえるのだから、意味のない命令と感じても、そこは頑張れるかもしれませんし、もっと言えば仕事は自分で選んでいます。公立小・中学校は自分で選択することは基本的にできません。ですから、仕事に関して言えば、「こんな仕事やってられない!」「こんな意味のないことしたくない!」となれば転職することは十分可能なんです。それにまだ10代半ばの子どもたちに、そんな将来のことを言ったところで心に響くはずもありません。
成績をつけるための、わけのわからない課題を子どもたちに強制するようなことが少しでも早くなくなることを望んでます。

制度に関する疑問点の2つ目は、選択肢の圧倒的少なさと、守るものが違うのではないかという疑問です。
学校で「いじめ」があったとします。私は「いじめ」という言葉は使いたくなくて、「暴行や脅迫のような犯罪」と言いたいのですが、ここではあえて「いじめ」という言葉で話を進めていきます。

「いじめられた」子が学校に行くことができなくなったとします。この子は授業も受けることができませんし、先ほどの問題点で述べた課題も提出することができません。テストだって受けることができない子がたくさんいます。そうなると、この子の成績は5段階で「1」になるか、成績をつけることができないという評価になってしまいます。当然内申点が必要な公立高校への進学は不可能になり、進学先は私立高校は通信制の学校になります。私立高校や通信制の高校がいけないと言っているわけではなく、なぜ「いじめられた」子だけ選択肢が減ってしまうのかがわからないということなんです。「いじめた側」の子たちは大したペナルティもなく、自由に高校を選ぶことができるのに。

「不登校の子は学校に行っていないんだから、成績をつけられないんだからしかたがない」もちろんそうかもしれませんね。ですが私が言いたいのはそこではありません。「いじめた側」の子たちが学校にいるから行くことができないケースだってあるのです。学校に行きたくても「またいじめられるのではないか」という不安などで行くことができず、そして家に居続けることにも耐えられず、どこか行くことができる場所はないかと、公的な機関や民間の塾などに居場所を探し求めている人がたくさんいます。どうして「いじめられた子」がこんな大変な思いをしなければならないのか。どう考えても逆ですよね。今の制度は「いじめ」に対して緩すぎます。「いじめ」の証拠を見つけることが難しかったり、未成年者であったり慎重に判断しなければいけないことは分かったうえで、今のように「いじめをやめよう!」と叫んでいるだけでは何も変わりません。今こそ「いじめ」に対する本気の学校・行政の改革が必要だと思います。

もう少し続きます。

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学校教育や制度に関する疑問①

2022-04-06 16:39:13 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

新年度が始まりました。

ポスティングも順調に進んでいて、多くの方々に読んでいただき、そして多くのお問合せ・体験授業・入塾、本当にありがとうござます。ご縁を大切にし、「この塾を選んでよかった」と思ってもらえるよう頑張っていきますので、よろしくお願いいたします。

今回はこれまで約20年間、多くの生徒たちと一緒に勉強をしていく中で、私が感じている主な現在の教育の問題点をいくつか書いていきたいと思います。これまでの内容と重なる部分も多いかもしれませんが、最後まで読んでくださると嬉しいです。

まずは中学校の成績のつけ方や、課題に関することです。毎年この話題については触れているかと思いますが、ここを無視しては学校教育は変わらないでしょうから、何度でも書きますし、何度でも教育委員会に問い合わせをしたいと思っています。どういう点が問題かというと、中学校では成績をつけます。その成績は受験に関わってくるものですから、1~5の五段階でつけられたその成績が1つでも下がるとめっちゃ落ち込む子もいます。ほとんどの学校では、その評価はテストの点数、そして課題を提出できているかどうか、授業態度など総合してつけられます。この課題提出というのがどんどん学校をおかしな方向に導いているように感じます。

近年中学校ではテストの点数以外でも生徒たちを評価するという流れになっています。ただ1クラス40人ほどいる生徒たちを、先生が細かく正しく評価するなんてできるわけがありません。先生の能力の問題ではなく、先生の人数の問題であったり、そもそもテストの点数以外でって、ぼんやりしすぎていておそらく先生も困っているはずなんです。だから、与えられた課題を期限までにきちんと仕上げて提出させることで、「真面目に勉強に取り組む姿勢がある」という評価をするのです。

この方法には3つの大きな問題があります。

1つ目は、課題の問題集は全員同じものが与えられることです。平等にするというのは聞こえはいいかもしれませんが、私はこれを変える必要があると思っています。中学生になると学力の差はずいぶんとでてきます。毎回テストで満点近くとる子もいれば、ほとんど点数がとれない子もいます。その子たちに同じ難易度の問題集を与えるってどうなのでしょうか?学力が高い子にとっては簡単すぎて時間がかかる割には効果は少ないです。ただ、復習や確認作業としては一定の効果はあります。一方テストでも50点以下の点数をとっている子はどうでしょうか?50点以下ということは、単純に問題集にある問題の半分ほどはできないということになります。つまりこの子たちにとっては、課題として出される問題集を仕上げることは非常に困難になるのです。学校の指導では、わからない問題があれば解答をよく読んで、解答を写す、数学ならば解答だけではなく途中の考え方や式もすべて写さなければならないことになっています。「これはいったいなんのため?」という疑問が自然とわいてきます。問題集の解答・解説を読んで理解できるのなら、学校の授業も塾も必要ありません。そのわからないものを教える場所が学校ではないのでしょうか?学力の高くない子は、問題集のほとんどがわかりません。ですから、ほとんど解答を丸写ししています。それはもはや勉強ではなく作業なんです。全部仕上げたところで、この子の学力は1ミリも上がっていません。ですが成績のためには、この無駄な作業に貴重な勉強時間を費やさなければなりません。課題を与えるなら、せめて問題集のレベルをいくつか用意してあげて、生徒に選ばせてあげてほしいです。

2つ目はその課題の内容です。成績をつけるためには、どの科目も何らかの課題を与える必要があるのでしょうが、なんのために出しているのかもわからないような課題がたくさんあります。別に直接受験に関係ないような課題であってもいいかとは思いますが、あまりに時間がかかってしまうものや、何の目的かわからないような課題はどうかと思います。ある学校では10年以上も毎年「スポーツ観戦記」という課題があり、期間中にテレビなどで見たスポーツを感想も含めて500字ほどで書く課題です。そのおまけに高校野球の優勝校や箱根駅伝の優勝大学を書く欄もあります。スポーツに興味を持ってもらおうという目的なのか、いやこんなもので興味なんて持たないし、むしろ逆効果だろ、文章を書く練習のためか、いやでもこれは保健体育の課題だし、うーん。まあそれでもみんな頑張って興味のないスポーツを1時間ほど見てなんとか仕上げるんですね。問題はその頑張って仕上げたものを先生がきちんと読んで評価してくれているかどうかなのです。200人の生徒がいたとしたら、それを全部読んで、それぞれ評価するって大変な作業だと思うのです。多くの業務で追われている先生が、そこまでしているとは思えません。原稿用紙5枚ほど使って書いた読書感想文の力作が、提出後わずか1日で5段階評価をつけられて返却されたケースもあります。絶対きちんと読んでないですよね。それでは一生懸命頑張った子どもたちが、あまりにもかわいそうです。採点したり評価したりする時間がないのだったら、採点に時間がかかってしまう課題なんて出さなきゃいいんです。高校受験には内申点というものが大きく影響するため、子どもたちは嫌々ながらも、何の目的かわからないような課題でも一生懸命してるのです。ならば課題を与えた側も、それなりの気持ちで対応すべきです。

少し長くなりそうですので、続きは次回にします。

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