こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。
前回の続きとなります。
6月の終わりに手術の日がやってきました。かなり長時間の手術でしたので家族みんなが心配していましたが、夕方ごろに担当医から「無事に成功しました。お父さん、頑張ってくれましたよ」と電話がありました。とにかくホッとした気持ちが溢れて、手術してくださった先生への感謝と、頑張った親父への感謝でいっぱいになりました。
翌日の昼ごろ私の携帯が鳴りました。この頃は何かあって病院から電話があるかもしれないと敏感になっていたので、すぐに電話を見ました。驚いたことに親父からでした。術後話ができるまでしばらく時間がかかるだろうと思っていましたから、びっくりして電話に出ると、「英治か、お父さんは元気やで。ホンマにありがとう。みんなのおかげや」と言ってくれました。オカンにも電話があったらしく、家族みんなで喜んでいました。ただ、面会がコロナの影響で週1回で2人までしかできないので、親父になかなか会えないことだけが残念でしたが、担当医の話では2週間もあれば退院できそうとのことだったので、それまでは電話やメールで我慢しようかと思ってました。
それから2日後に、病院から電話があり、どうやら肺炎をおこしたらしいのです。かなり心配しましたが毎日のように担当医が電話で父の様子を教えてくださって、安定していてよくなっているとのことでしたので一安心していました。それから肺炎も治まり、いよいよ退院かと思ってましたが、ここで予期していなかったことが起きました。担当医が言うには「術後せん妄」とのことでした。私にとっては初めて聞く言葉でしたので、詳しく説明を受け、自分でも調べたところ認知症と似たような症状が起きて、状況がわからなくなったり、意識がもうろうとしたりするものです。どれくらいで治るのかはわかならいようで、かなり長く続くケースもあるそうです。担当医から「せん妄の影響で今は気持ちが落ち込んでおり、後ろ向きな感じになっています。」と説明を受けました。それまでは、メールしても返事がありましたし、電話もかけてくれることがあったのですが、メールを送ってもまったく返ってこないし、心配で心配でたまらなくなりました。面会に行くことができる日になったので、母と病院に行きました。どんな状態なのか不安でしたが、親父に会ってみると私が想像していたよりもずいぶんと悪い状態でした。私たちが部屋に入っても、こちらを見ようともせず、親父の顔を覗き込むと、嬉しい表情など一切なく、怖い目で私たちをにらんでいました。何を話しかけてもほとんど返事をせず、ただ手術をしたことを後悔するようなことは言っていました。面会時間は30分だったので、行く前はそんな短い時間では足りないだろうと思ってましたが、逆に時間が余ってしまうほど、親父の反応はありませんでした。病院から帰宅する途中で母があまりに落ち込んでいたのでなんとか元気づけようと思いましたが、私もショックを受けてしまってそれができませんでした。
さらに1か月ほど経過しました。少しだけ良くなってきたように感じましたが、食事もほとんどとってないようでガリガリに痩せてしまっているし、リハビリもすすんでいないようで足も弱っていて一人ではほとんど何もできない様子でした。面会に行くと、「もう家に帰りたい!頭がどうにかなりそうや!」と訴えだして、母の携帯にも毎日のように親父から「先生に頼んで家に帰らせてもうらうようにしてくれ!」と電話するようになりました。担当医と相談したところ、もう治療することはなにもなく、いつでも退院できる状態だと、ただ一人では何もできないので介護が必要、そしてそれを母がするとなると老々介護になるので、1か月ほどリハビリ病棟に行ってもらって、そこで少し筋肉がしっかりしてきてから自宅に戻るというにはどうですか、と提案してくれました。私はその提案に賛成だったのですが、母はこれに猛反対し、「これ以上病院にいさせることは、あまりにもかわいそうだ。病院のご飯が美味しくないからきっと食べないんだ。お父さんの好きなものをたくさん作ってあげればよくなるはず。それに、せん妄は環境を変えるとよくなるケースが多いのだから、自宅に戻すべきだ。リハビリ病棟に行ってしまったら、ますますせん妄がひどくなるよ」と言ってました。私もせん妄については心配でしたし、自宅で過ごせばよくなるかもしれないという気持ちもあったのですが、やはり親父の介護をオカン一人でできるわけがないし、やらせてしまってはオカンが先に体がやられてしまうと思ったので、オカンにそのことを伝えて話し合いました。何度話してもオカンの決意は固く、親父は退院して自宅に戻ることが決まりました。
久しぶりに自宅に戻った親父は瘦せ細っていましたし、顔つきもボーっとしていて、話しかけても会話にならないような状態でした。もちろん歩くこともできないので、オカンはまずは栄養をしっかりとらせて、少しずつ運動させて筋肉をつけさせようと、料理を作り、そして親父に何度も「ちょっと歩こうか。支えるから大丈夫」と声をかけていました。しかし親父はほとんど何も食べません。どんな料理も食べないので、困ったオカンはカロリーメイトを買ってきて、それを細かく切って、無理やり親父に食べさせていました。それでも1日にカロリーメイトを1本食べるのが限界で、おそらく病院にいるときよりも量は減ったと思います。体を支えてあげて立ったり座ったりの練習をしようと思ってもまったく動いてくれません。そんな状況が10日ほど続きました。父はますます弱っていってるのがわかり、そしてオカンも体力的にも精神的にも限界がきていました。
そこで行政などに相談し、専門の人に頼んでみることにしました。もうオカンは反対しませんでした。対応してくださった方々はみなさん本当に親切で、親父のことだけでなく、オカンのことも一生懸命考えてくれました。そこから親父の生活が一気に変わりました。週に2回デイサービスに行き、リハビリの先生や看護師さんが訪問してくださり、親父の体のことを考えてくれた計画、そしてオカンの不安を取り除いてくれる相談など、とても親切にしてくださっています。
週2回のデイサービスの施設ではスタッフの方々に大変ご迷惑をかけてしまっているでしょうが、親父の様子が少しずつ変わってきました。デイから帰ってきた日はとてもよく話すのだそうです。それまではオカンが話しかけてもほとんど返事もせず、ご飯を食べさせたり薬を飲ませようとすると暴言を吐いたりしていたのですが、デイの日は昔のことを中心にいろいろとオカンに話しているみたいです。もちろんせん妄の影響もあって、よくわからないことを言うときもありますが、会話ができるようになったというのは大きな前進でした。またリハビリの先生のおかげもあって、ずいぶんと足がしっかりしてきました。少しふらつくときもありますが、1人で歩けるようになってきました。そして一番変化があったのは表情です。顔つきがとてもしっかりしてきました。
親父は今、一生懸命生きようと頑張ってくれています。親父がどんどん元気になり、以前のようにタブレットやパソコンが使えるようになるまで回復し、このブログを読んでくれることを心から祈っています。「また英治は家族のことをぶっちゃけて書きよって!」と怒るかもしれませんが、それでもいいんです。
今回のことでオカンとはもちろんですが、弟ともたくさん話し合いました。お互い本音をぶつけ合って、励ましあい、それぞれとの距離感がグッと縮まったような気がします。家族が大切だからこそ、もめようがケンカしようが、本音で話し合うことが大事なんだとわかりました。
家族なんだからわかってくれているはずだ、なんて思ってはいけません。言葉で伝えないとわからないことなんていくらでもありますから。
親父が私たちのことをと考えて病気のことを伝えなかったことは残念でしたが、親父に信頼してもらえてなかった、そういう関係性を築けていなかったことはとても反省しています。もちろんなんでもかんでも伝えればいいというものではないでしょうが、大切なことほどしっかりと言葉として伝えていきたいと思っています。大切な人だからこそ伝えていきたいです。
私はこうして人と関わる仕事、子どもたちと関わる仕事をさせていただいています。その子自身や、保護者の方々にお伝えしにくいことは確かにあります。以前の私だったら、それをお伝えできなかったかもしれませんが、やはりこうして塾に来ていただいていて、何かのご縁で知り合いになれたのですから、どの生徒さんも大切ですし、みんなが幸せな道を見つけて歩いていってほしいと願っています。だからこそ、気になることがあればそこはしっかりと伝えていきたいと思っています。
親父、これまでゆっくりと話すことができなくてごめんな。これからは、いろんなこと、家族のことでもいいし、教育のこと、政治のこと、国際情勢や親父の夢など、なんでも一緒にたくさん話をしような。だから、あともう少し頑張ってな!親父が元気になることを家族みんなで祈ってるからな!
ONE-SのHP
前回の続きとなります。
6月の終わりに手術の日がやってきました。かなり長時間の手術でしたので家族みんなが心配していましたが、夕方ごろに担当医から「無事に成功しました。お父さん、頑張ってくれましたよ」と電話がありました。とにかくホッとした気持ちが溢れて、手術してくださった先生への感謝と、頑張った親父への感謝でいっぱいになりました。
翌日の昼ごろ私の携帯が鳴りました。この頃は何かあって病院から電話があるかもしれないと敏感になっていたので、すぐに電話を見ました。驚いたことに親父からでした。術後話ができるまでしばらく時間がかかるだろうと思っていましたから、びっくりして電話に出ると、「英治か、お父さんは元気やで。ホンマにありがとう。みんなのおかげや」と言ってくれました。オカンにも電話があったらしく、家族みんなで喜んでいました。ただ、面会がコロナの影響で週1回で2人までしかできないので、親父になかなか会えないことだけが残念でしたが、担当医の話では2週間もあれば退院できそうとのことだったので、それまでは電話やメールで我慢しようかと思ってました。
それから2日後に、病院から電話があり、どうやら肺炎をおこしたらしいのです。かなり心配しましたが毎日のように担当医が電話で父の様子を教えてくださって、安定していてよくなっているとのことでしたので一安心していました。それから肺炎も治まり、いよいよ退院かと思ってましたが、ここで予期していなかったことが起きました。担当医が言うには「術後せん妄」とのことでした。私にとっては初めて聞く言葉でしたので、詳しく説明を受け、自分でも調べたところ認知症と似たような症状が起きて、状況がわからなくなったり、意識がもうろうとしたりするものです。どれくらいで治るのかはわかならいようで、かなり長く続くケースもあるそうです。担当医から「せん妄の影響で今は気持ちが落ち込んでおり、後ろ向きな感じになっています。」と説明を受けました。それまでは、メールしても返事がありましたし、電話もかけてくれることがあったのですが、メールを送ってもまったく返ってこないし、心配で心配でたまらなくなりました。面会に行くことができる日になったので、母と病院に行きました。どんな状態なのか不安でしたが、親父に会ってみると私が想像していたよりもずいぶんと悪い状態でした。私たちが部屋に入っても、こちらを見ようともせず、親父の顔を覗き込むと、嬉しい表情など一切なく、怖い目で私たちをにらんでいました。何を話しかけてもほとんど返事をせず、ただ手術をしたことを後悔するようなことは言っていました。面会時間は30分だったので、行く前はそんな短い時間では足りないだろうと思ってましたが、逆に時間が余ってしまうほど、親父の反応はありませんでした。病院から帰宅する途中で母があまりに落ち込んでいたのでなんとか元気づけようと思いましたが、私もショックを受けてしまってそれができませんでした。
さらに1か月ほど経過しました。少しだけ良くなってきたように感じましたが、食事もほとんどとってないようでガリガリに痩せてしまっているし、リハビリもすすんでいないようで足も弱っていて一人ではほとんど何もできない様子でした。面会に行くと、「もう家に帰りたい!頭がどうにかなりそうや!」と訴えだして、母の携帯にも毎日のように親父から「先生に頼んで家に帰らせてもうらうようにしてくれ!」と電話するようになりました。担当医と相談したところ、もう治療することはなにもなく、いつでも退院できる状態だと、ただ一人では何もできないので介護が必要、そしてそれを母がするとなると老々介護になるので、1か月ほどリハビリ病棟に行ってもらって、そこで少し筋肉がしっかりしてきてから自宅に戻るというにはどうですか、と提案してくれました。私はその提案に賛成だったのですが、母はこれに猛反対し、「これ以上病院にいさせることは、あまりにもかわいそうだ。病院のご飯が美味しくないからきっと食べないんだ。お父さんの好きなものをたくさん作ってあげればよくなるはず。それに、せん妄は環境を変えるとよくなるケースが多いのだから、自宅に戻すべきだ。リハビリ病棟に行ってしまったら、ますますせん妄がひどくなるよ」と言ってました。私もせん妄については心配でしたし、自宅で過ごせばよくなるかもしれないという気持ちもあったのですが、やはり親父の介護をオカン一人でできるわけがないし、やらせてしまってはオカンが先に体がやられてしまうと思ったので、オカンにそのことを伝えて話し合いました。何度話してもオカンの決意は固く、親父は退院して自宅に戻ることが決まりました。
久しぶりに自宅に戻った親父は瘦せ細っていましたし、顔つきもボーっとしていて、話しかけても会話にならないような状態でした。もちろん歩くこともできないので、オカンはまずは栄養をしっかりとらせて、少しずつ運動させて筋肉をつけさせようと、料理を作り、そして親父に何度も「ちょっと歩こうか。支えるから大丈夫」と声をかけていました。しかし親父はほとんど何も食べません。どんな料理も食べないので、困ったオカンはカロリーメイトを買ってきて、それを細かく切って、無理やり親父に食べさせていました。それでも1日にカロリーメイトを1本食べるのが限界で、おそらく病院にいるときよりも量は減ったと思います。体を支えてあげて立ったり座ったりの練習をしようと思ってもまったく動いてくれません。そんな状況が10日ほど続きました。父はますます弱っていってるのがわかり、そしてオカンも体力的にも精神的にも限界がきていました。
そこで行政などに相談し、専門の人に頼んでみることにしました。もうオカンは反対しませんでした。対応してくださった方々はみなさん本当に親切で、親父のことだけでなく、オカンのことも一生懸命考えてくれました。そこから親父の生活が一気に変わりました。週に2回デイサービスに行き、リハビリの先生や看護師さんが訪問してくださり、親父の体のことを考えてくれた計画、そしてオカンの不安を取り除いてくれる相談など、とても親切にしてくださっています。
週2回のデイサービスの施設ではスタッフの方々に大変ご迷惑をかけてしまっているでしょうが、親父の様子が少しずつ変わってきました。デイから帰ってきた日はとてもよく話すのだそうです。それまではオカンが話しかけてもほとんど返事もせず、ご飯を食べさせたり薬を飲ませようとすると暴言を吐いたりしていたのですが、デイの日は昔のことを中心にいろいろとオカンに話しているみたいです。もちろんせん妄の影響もあって、よくわからないことを言うときもありますが、会話ができるようになったというのは大きな前進でした。またリハビリの先生のおかげもあって、ずいぶんと足がしっかりしてきました。少しふらつくときもありますが、1人で歩けるようになってきました。そして一番変化があったのは表情です。顔つきがとてもしっかりしてきました。
親父は今、一生懸命生きようと頑張ってくれています。親父がどんどん元気になり、以前のようにタブレットやパソコンが使えるようになるまで回復し、このブログを読んでくれることを心から祈っています。「また英治は家族のことをぶっちゃけて書きよって!」と怒るかもしれませんが、それでもいいんです。
今回のことでオカンとはもちろんですが、弟ともたくさん話し合いました。お互い本音をぶつけ合って、励ましあい、それぞれとの距離感がグッと縮まったような気がします。家族が大切だからこそ、もめようがケンカしようが、本音で話し合うことが大事なんだとわかりました。
家族なんだからわかってくれているはずだ、なんて思ってはいけません。言葉で伝えないとわからないことなんていくらでもありますから。
親父が私たちのことをと考えて病気のことを伝えなかったことは残念でしたが、親父に信頼してもらえてなかった、そういう関係性を築けていなかったことはとても反省しています。もちろんなんでもかんでも伝えればいいというものではないでしょうが、大切なことほどしっかりと言葉として伝えていきたいと思っています。大切な人だからこそ伝えていきたいです。
私はこうして人と関わる仕事、子どもたちと関わる仕事をさせていただいています。その子自身や、保護者の方々にお伝えしにくいことは確かにあります。以前の私だったら、それをお伝えできなかったかもしれませんが、やはりこうして塾に来ていただいていて、何かのご縁で知り合いになれたのですから、どの生徒さんも大切ですし、みんなが幸せな道を見つけて歩いていってほしいと願っています。だからこそ、気になることがあればそこはしっかりと伝えていきたいと思っています。
親父、これまでゆっくりと話すことができなくてごめんな。これからは、いろんなこと、家族のことでもいいし、教育のこと、政治のこと、国際情勢や親父の夢など、なんでも一緒にたくさん話をしような。だから、あともう少し頑張ってな!親父が元気になることを家族みんなで祈ってるからな!
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