富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

2018年 美具久留御魂神社の秋祭り-だんじり 1

2018年11月01日 | だんじり・祭り

美具久留御魂神社の秋祭り

美魂連の各町だんじり11台、子供だんじり4台の御神燈

 

中野町のだんじり

 

 

毛人谷のだんじり

今年新調の川面のだんじり

 

喜志町のだんじり

 

 10月20日美魂連 連合曳き・中野町企業団地

 11台のだんじり集合

 中野、尺度、宮、桜井のだんじり

喜志、木戸山、喜志新家、平のだんじり

今年新調の若一、川面のだんじり

新堂のだんじり

喜志のだんじり

川面のだんじり

中野のだんじり

10月21日宮入前の早い昼食・中野

(炊き出し、豚汁とおにぎり、前日はカレーライス)

 

宮入・平

宮入・尺度

宮入・中野

鳥居の前で三度の礼

戻って

国道で走って、回って、揚げて、横しゃくり

 

何回か繰り返して

中野・奉納にわか芝居

美魂連 大神輿担ぎ

 

重さ約2トンの大神輿

お宮さんは大勢の人で賑わっている

中野・夜の曳行(富田林駅前)

中野町・秋祭りだんじり提灯場

By BIGOSAKAより

おみこし行幸の動画です。(約11分あります)

 辰じいでした。

リレーします。アブラコウモリH

〈毛人谷のだんじり〉

私の生まれ、育った所、 「毛人谷(えびたに)」のだんじり をご紹介します。

 

 毛人谷と書いて「えびたに」と読みます。

gooの難読地名ランキングでは大阪府でNO:3やそうです。

読めませんよね、毛人谷!

gooランキング調査概要

集計期間:2017年7月21日~2017年8月04日

 投票数合計:2,318票

 

 2018.10.20.8:35 だんじり小屋からの庫出し

大字 毛人谷は、現地名では、 本町、常盤町、寿町、昭和町、富美ケ丘あたりになります。

 

 8:36 旧国道170号線に出る「毛人谷」のだんじり

富田林市役所、富田林郵便局、富田林警察署!富田林保健所、富田林駅、富田林西口駅など、富田林の重要な施設は旧毛人谷にあるんです。

 

 8:40 旧富田林市立福祉青少年センター前

2年前、2016年に新調した石川型俄(にわか)地車

では、なんで毛人谷(えびたに)と呼ばれているのでしょうか?

大正15年6月発行の「南河内東部教育会」発行の「郷土史の研究」では、

『伝説に因れば、初めこの地の南部にある小さき谷に、長髯(ひげ)長髪の翁、草の庵を結びて住みしがため、この谷を毛人谷と呼び、村の名起こりたりと云えり。』とあるが、

なんかちょっと違う気がするなあ? 

 

私の説

毛人(もうじん)=蝦夷(えみし)

毛人・蝦夷はここでは、エゾではなくて、「田舎者」の意。

毛人谷(えびたに)は、蝦夷谷「えみしだに」から、「えみたに」、「えびたに」と転訛していったようです。

 富田林住んで、同じ大阪の友人に「おまえ、言葉訛(なま)っとる。」と言われることがあります。本人は気が付いていませんが、大和川の北に住んでいる人にはそう聞こえるようです。同じ大阪やのにね...

「別井(べっつい)」、「山中田(やまちゅうだ)」、「錦織(にしこおり、にしごり)」、「大深(おうけ)→(おおふけ)から転訛」なんかも、そんな感じですね。

 

8:54 秋祭りの頃に、笛と太鼓の音が聞こえてきます。今年も、伊勢大神楽がやって来ました。

 伊勢の桑名より山本源太夫家の太神楽。獅子舞が終わると、お布施をして神札(お札)を頂きます。

 

 かまど払い(お祓い)の時、獅子に頭をかんでもらうと頭がよくなると云われていますが、子供心にはとても怖かった。50年以上前の想い出。

 

9:03  富田林幼稚園で園児さんを乗せる。

地元のだんじりに載せてもらえるなんて最高!

 

楽しい思い出。

私は58年前の富田林幼稚園の卒園生。当時幼稚園には大人の背の高さくらいの園児だんじりがあって、祭りのときにみんなで曳き、幼稚園の周り(公道)を練り歩きました。その時の写真が残っていたのですが、なくしてしまった。太鼓もちゃんと備わっていましたよ。

 

 9:03 これから曳行します。

 

それではなぜこの地を、「毛人谷」と呼ばれていたのでしょうか?

 

 楠公さん

 毛人谷は地内に楠木正成の城砦のひとつ毛人谷城あり、中世にはこの名が使われていたようです。村そのものは現在の富田林町(寺内町)のすぐ北西の中位河岸段丘上にあり、8世紀前半の広範囲の正方位条里地割がすぐ横の浅い谷(これが「毛人谷」の「谷」に当たります。現在の堺筋からななめに分岐する平尾街道(富田林街道)に沿った谷)より西に拡がっています。

 

9:12 堺筋から旧国道に右折。旧富田林市立福祉青少年センターの角。

毛人谷、私も含め 、好んでこの地の人がこの地名を使っているわけではないと思います。つまり、回りの村から付けられた地名。

  

 昔から長いロープを持ってゆっくり曳行するのが慣わし

〈江戸時代の毛人谷および近隣の村の石高表(幕末)〉

毛人谷村:680石:天領(小堀氏)

富田林村:98石:天領(多羅尾氏)

新堂村:1727石(隣村):天領(多羅尾氏)

中野:658石:天領(多羅尾氏)

喜志:1826石:天領(多羅尾氏)

甲田・向田:831石(隣村):甲田→天領210石 代官 木村氏、向田→伊勢神部藩(本多氏)621石

錦部(錦織):1391石:狭山藩(北条氏)358石、旗本領(甲斐庄氏)1033石

  〈幕末期 富田林市域の領主と石高図〉詳細は画面をクリックしてください。

 

 園児のみなさん、楽しそうですね。

 毛人谷村は回りの大きい村、新堂、喜志、甲田・向田、錦部村に挟まれた比較的小さな村でした。

背景となる里山(羽曳野丘陵)の面積も少ない。水利的にも錦部→甲田から来ている荒前井路が河南高校の所で、毛人谷村に入れられず、向田村に水が落ちるということがなされてきました。このため、毛人谷では羽曳野丘陵東端の谷筋に多くのため池が造られました。

このように、回りの大きな村に囲まれた小さな村の弱みで、そう呼ばれたのではないでしょうか?

あくまで推測ですが、自ら「毛人谷」とは言わないと思います。

 

 彫師は彫陽(山本陽介氏)。富田林市桜井町に工房があります。

山本陽介氏の作品はこちら→だんじり彫刻の世界 きらめきファクトリーにて 2018.2.22.

今年新調の川面町のだんじりの彫り物も同氏の作品です。

 

 9:14 右に回して...大太鼓が見えます。

例外もありますが、大太鼓をだんじり下段後ろに据えるのは、石川型だんじりの特徴です。

宮入りで俄(にわか、にわか芝居のこと)を奉納するので、舞台と幕の後ろに役者が控えるスペースが必要なので、上段には大太鼓を据えません。

 

最近のだんじりはコマと呼ばれる車輪に高性能なベアリングが内蔵されているので、3~4トンあるだんじりをわずか数人で動かすこともできます。

 

 9:16 踏切待ち

 

 

9:22 富田林西口駅の踏切

踏切は難所。通過にだいぶ待たされました。

 

 9:24 西口駅前 少しずつ上り坂。

 

 9:52 戻って、富田林西口駅前の旧国道

中野、若一、新堂のだんじりも集まりました。おじぎしながら、右旋回。

 

私はこれから会社へ出勤。

宮入りの前日の朝、「毛人谷」のだんじりの曳行風景でした。 

撮影日:2018年10月20日 

2018年11月1日 ( HN:アブラコウモリH )

 

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3 コメント

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華やかな宮入り (油香森)
2018-10-25 06:58:24
十数台のだんじりが宮入りする美具久留御魂神社。今年は2町が地車を新調し、こうして写真を見せていただくと、大きく立派な石川型地車が多くなりましたね。
宮入りではにわかが奉納されて見ごたえがありました。
大神輿は毎年担がれているのですか?
返信する
Unknown (Unknown)
2018-10-26 19:43:22
はい。毎年、全だんじり宮入り後、美魂連の各町合同で大神輿を担いでいます。
返信する
チョウサジャ (油香森)
2018-10-30 09:07:41
おみこしの貴重な映像、ありがとうございました。背景の二上山が陽を浴びて、美しかったです。ところで、みこしの掛け声ですが、「わっしょい」ではなくて、「チョウサジャ」なんですね。
返信する

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