2022年10月9日 12:54 富田林市本町19-8 きらめきファクトリー
富田林駅前のここで「じないまち和楽」が今年も開催されました。音楽・茶道・華道をテーマにした「和」を楽しむことができます。
2階には目を見張るような華道の展示。
富田林市華道連盟の教授による「じないまち秋景色」をテーマにした生け花の展示です。
この2日間で「音楽」「茶楽」「華楽」のイベントが開催されました。
この後、富田林市の茶道連盟(表千家・裏千家)の教授によるお点前とお話し、野点茶会がありました。
じないまち交流館
あわせて「じないまち富田林」では「後の雛まつり」開催されていました。
じないまち展望広場 富田林町18-51
江戸時代、関西中心に重陽の節句(旧暦九月九日)に行われたと伝わる「後の雛まつり」。
菊の花とお雛さまを飾ったじないまちの旧家のならわしです。
中林寝装店 富田林町7-20
お気付きの方もあるかもしれませんが、菊にかぶせた真綿は、布団屋さんだからではありません。
ならわしとして、菊の花の真綿は「着せ綿」といって、重陽の節句の前夜から菊に真綿をかぶせ、翌朝夜露をたっぷり含んだ真綿で手や顔をぬぐうと老いを防ぎ、長寿を全うすると信じられていたからだそうです。
旧田中家住宅 本町7-2 国登録有形文化財
じないまち界隈の主な施設には「後雛」が飾られていました。
旧杉山家住宅 富田林町14-31 国重要文化財
じないまちで一番古い民家のここでも「後雛」。そして、ここではもう一つのイベントがありました。
「石上露子忌」です。この杉山家の当主石上露子(杉山タカ)さんの亡くなられた日のメモリーとして開催されています。(昭和34年(1959)10月8日 78歳で永眠)
「とんだばやしのかぞえうた」や露子の日露戦争の時の歌が紹介されました。
「みいくさに こよひ誰が死ぬ さびしみと 髪ふく風の 行方見まもる」~本町公園に歌碑あり。
「みいくさに 在るはかしこし さはいえど 別れし君ぞ われの泣かるる」
露子の日露戦争に対する歌はこの二首だそうです。
実は与謝野晶子が「君死にたまふことなかれ」を発表した明治37年(1904)「明星」9月号に先立って、露子はその2か月前にこの歌を発表しています。(明治37年「明星」7月号)
ということは、露子が晶子の有名なこの詩を発表する影響を与えたのではないかなと思います。
それに関連して向かいの寺内町センターにおける展示。
日露戦争の「旅順203高地」の戦い。
まずはこの絵をご覧ください。この板絵 3枚は富田林町の「別半商店」の倉庫に保管されていたものです。
〈画面をクリックすると全体図が見れます〉
日露戦争の旅順203高地の攻略を描いたものと思われます。
〈画面をクリックすると全体図が見れます〉
日本軍が有利なように描かれていますが実際は両軍とも大きな被害を受けました。
〈画面をクリックすると全体図が見れます〉
日露戦争の戦いでは109万人の出兵で、8万7千人の戦死者が出ました。
富田林市域では341人出兵し、26人の方が亡くなられました。
関連記事:じないまち和楽 2021.10.23 撮影:10月21日
後の雛祭り 2016.10.9 撮影:10月8日
写真撮影:2022年月10月9日
2022年10月12日( HN:アブラコウモリH)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます