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9.11について

2001年の9.11事件や、その他色々な感想、思い、などを書いていけたらなと、思っています。

9.11について  馬渕睦夫が9.11についていっている

2015年03月21日 | 日記
とあるスナックで

コー
馬渕睦夫が、、<2001.9.11>についていっているね。やっぱり、馬渕睦夫も、ジョン・コールマンを、研究してるね。

だんだん、分かる人には、本当の歴史、事実がわかってきたと言うことだ。  政府の発表は常に間違いがないんだと思っている人、大手の報道機関の発表は正しいんだと思っている人、そういう人は、何年たってもわからないんだろうな。
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9.11について  テロはこんなもんじゃない

2015年03月20日 | 日記
とあるスナックで

コー
いま、世界各地で、テロが起きてるが、こんなもので、終わるわけはない。これから、もっともっと激しくなると思う。<300人委員会>は本気なんだ。<ワン・ワールド政府>、<新世界秩序>を作るのを。もう何百年とやってきたんだ。いよいよ最終段階にさしかかってきたわけだ。これからが、大事な仕上げの本番なわけだ。少なくとも、経済、金融の部門では。後は、世界的な統一通貨の出番な訳だ。そのためには、テロ、テロ、そして世界的な戦争というシナリオな訳だ。

だから、テロはこんなもんではない。これからが本番なんだ。


世界中の人々が、ヒステリー状態になるまで、続けられる。


なんでもいいから、核兵器でもいいから、はやくイスラム国をつぶしてくれ、というまで。
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9.11について リチャード・A・ヴェルナー著 <円の支配者>

2015年03月19日 | 日記
とあるスナックで

小林
いま、リチャード・A・ヴェルナーの<円の支配者>を読み始めたんですが、驚きですね。1980年代のバブル生成と、1990年代の長期不況は、ともに、<日銀>が作ったといっているんですね。  p-12


1990年代の大きな謎は、なぜ日銀はもっとお金をつくって景気回復を図らなかったのか、ということだ。1992年、わたしは日銀の客員研究員だったが、おおぜいのスタッフにこの問題を訊いてみた。ようやく、あるセントラル・バンカーが驚くべき回答を与えてくれた。「もっとたくさんお金をつくったら、景気は回復するでしょう。だが、それではなにも変化しないでしょう。日本の構造問題は解決しないのですよ}。当時、わたしはこの言葉が信じられなかった。日銀は経済構造を変革するために、意図的に不況を長引かせているのだろうか? だが、何年も研究を続けた結果、私は彼が真実を語っているのだと結論せざるをえなかった。日銀は意図的に不況を長引かせただけではない。そもそも不況を作り出したのも日銀なのだ。だが、経済改革と社会改革を実行するのは、中央銀行の仕事だろうか? それもこれほどに大規模に、これほどの代償をはらって、このように秘密裏に運んでもいいのだろうか?



コー
著者は、ドイツの人だね。経済学者といっていいと思う。だからけっして<陰謀論>とは関係ないと思う。でも読み進んでいくと <日銀>の見えない背後に、おれは<300人委員会>の存在を感じるんだな、ヘドが出るくらい気持ちが悪くなったよ。これは俺だけかな?
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9.11について <300人委員会>とは、その2

2015年03月18日 | 日記
とあるスナックで


小林
ジョン・コールマン著の<新版300人委員会 2008年、8月発行>の中でも言ってますね。 p-84


東インド会社は1600年にエリザベス1世から特許状を与えられ、その後1622年にジェームス1世の裁可を受けて株式会社となった。設立から25年間は、歴代ムガール皇帝やインドの商人、銀行家と良好な関係を築いた。彼らは1625年までにインド金融の秘密を手に入れ、その内容を熱烈な報告書にしたためてイギリス国王に届けている。ここで注目すべきは、彼らが学んだ<部分準備銀行制度>という腐敗した銀行システムが、後にオランダ、イギリス、アメリカに採用されている点だ。イギリスとアメリカは、第一次世界大戦の戦費を調達するためにこの<部分準備銀行制度>を導入し、それ以降のすべての戦争で、この制度を利用するようになったのだ。

スチュアート王朝のチャールズ2世は1661年に、東インド会社に主権国家との和平締結および宣戦布告の権利を与えた。これは他に類を見ない破格の特権だ。一民間企業が主権国家に対して宣戦布告できるなど、ほかに聞いたこともない。チャールズ2世はこのほかにも、ベナレスおよびガンジスのケシ(アヘンの原料)栽培の完全支配とそこから上がるすべての収益を独占する権利も与えた。また、インドの政治的指導者と直接交渉する権利および、実際の預金量よりも多く貸し付けるインドの銀行制度を完全に取り入れる権利も与えた。こうして1830年には、インド全土が東インド会社の支配化に置かれたのである。まさに目を見張るような偉業だ。

東インド会社は1702年に改革されて連合東インド会社となり、後に英国東インド会社と改称した。彼らがインドで学んだ運用制度や銀行制度は、そっくりそのまま、ノーマン・モンタギュー率いるイングランド銀行とウィルソン大統領がもうけたアメリカの連邦準備銀行に採用されている。ジョサイア・チャイルド、トマス・パピヨン、モンタギュー、マールバラ(チャーチル)、ラッセル、といったイギリスのもっとも古いファミリーと、彼らのアメリカの仲間たち(とりわけウオーレン・デラノ家)は、アヘン貿易で巨万の富を築き上げた。彼らは今日では、世界を実質的に支配する新しい集団、選ばれたごく少数の人間しかその名を知らない、<300人委員会>なるものを形成している。




コー


小林
そして、またまたおもしろい動画がありましたよ。世界の人は、2001年の9.11で、気づきはじめた、と言っていますね。そしてこちらの動画では、なぜおおくの人が、今の<中央銀行制度>の理不尽さに気がつかないのかという事に言及してますね。この事は非常に重要なことだと思いますね。
コー
ジョン・コールマンが言ってたとおり、<社会主義・共産主義>も<英国東インド会社>の中で生まれてきたということなんだな。それを裏付けるということだ。マルクスや、エンゲルスがそいう<寡頭銀行家のための中央銀行制度>の仕組みを知らなかったとは思われないね。
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9.11について  そもそも<300人委員会>とは、?

2015年03月16日 | 日記
とあるスナックで
マスター
そもそも、<300人委員会>とは、どういう意味なんですか
小林
ジョン・コールマンの本<陰謀を超えて 2009年9月発行>に書いてありますね。 p-243

300人委員会が存在する証拠を示してほしいという人は多い。ここでは、ロスチャイルド家の金融顧問を務めていた著名な社会主義政治家ヴァルター・ラーテナウを紹介しておこう。ラーテナウの力がいかに大きなものだったかは、1921年12月24日付けの(ヴィーナー・プレス)に掲載された彼の文章を読めばよくわかる。300人委員会について述べたこの文章で、ラーテナウは驚くべき証言をしている。


<お互いを知るわずか300人の人間が、ヨーロッパの命運を握っている。彼らは自分たちの仲間から後継者を選び、不適切だとみなした国を解体する手段を有している。>


この発言のちょうど半年後の1922年6月24日、このときの筆禍のためにラーテナウは暗殺されている。

100年前には、このようなことは実現不可能だったろう。だが、今や現実のものとなっており、そのことにほとんどの人が無頓着でいる。タヴィストック研究所がアメリカに仕掛けた介入によって、私たちは骨抜きにされてしまったのだ。


p-226

最近になって<新世界秩序>という言葉を知った人々は、1991年の湾岸戦争がきっかけでこの言葉が生まれたと思っている。しかし、ワン・ワールド政府という概念は数百年前から存在していた。実際には、エリザベス一世の勅許を受けて1600年に造られた東インド会社という合本会社が起源である。そして1661年、スチュアート朝のチャールズ二世がこの会社に、他国と交戦したり和平を結んだりすることを含む一連の権限を付与した。
その結果、インドは完全に東インド会社に支配され、莫大な利益を生んでいたベナレスやガンジス渓谷のアヘン取引も同社が掌握するところとなった。そして1830年には、インド全土が英国東インド会社(BEIC>の支配下に置かれていた。これこそが、新世界秩序の起源にほかならない。



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