とあるスナックで
マスター
そもそも、<300人委員会>とは、どういう意味なんですか
小林
ジョン・コールマンの本<陰謀を超えて 2009年9月発行>に書いてありますね。 p-243
300人委員会が存在する証拠を示してほしいという人は多い。ここでは、ロスチャイルド家の金融顧問を務めていた著名な社会主義政治家ヴァルター・ラーテナウを紹介しておこう。ラーテナウの力がいかに大きなものだったかは、1921年12月24日付けの(ヴィーナー・プレス)に掲載された彼の文章を読めばよくわかる。300人委員会について述べたこの文章で、ラーテナウは驚くべき証言をしている。
<お互いを知るわずか300人の人間が、ヨーロッパの命運を握っている。彼らは自分たちの仲間から後継者を選び、不適切だとみなした国を解体する手段を有している。>
この発言のちょうど半年後の1922年6月24日、このときの筆禍のためにラーテナウは暗殺されている。
100年前には、このようなことは実現不可能だったろう。だが、今や現実のものとなっており、そのことにほとんどの人が無頓着でいる。タヴィストック研究所がアメリカに仕掛けた介入によって、私たちは骨抜きにされてしまったのだ。
p-226
最近になって<新世界秩序>という言葉を知った人々は、1991年の湾岸戦争がきっかけでこの言葉が生まれたと思っている。しかし、ワン・ワールド政府という概念は数百年前から存在していた。実際には、エリザベス一世の勅許を受けて1600年に造られた東インド会社という合本会社が起源である。そして1661年、スチュアート朝のチャールズ二世がこの会社に、他国と交戦したり和平を結んだりすることを含む一連の権限を付与した。
その結果、インドは完全に東インド会社に支配され、莫大な利益を生んでいたベナレスやガンジス渓谷のアヘン取引も同社が掌握するところとなった。そして1830年には、インド全土が英国東インド会社(BEIC>の支配下に置かれていた。これこそが、新世界秩序の起源にほかならない。