とあるスナックで
小林
コー
小林
では続きを読んでいきましょう。宋 鴻兵 著<通貨戦争> P-244
だが、シャハトの論旨はまったくつじつまが合わない。
ヴァイマール共和政を崩壊させた「通貨戦争」
マルクはいかにして崩壊したのだろうか。一言でいえば、ある通貨を崩壊させるもっとも簡単な方法は大量に通貨を発行することである。そして、大量に発行するには3つの方法がある。第一に中央銀行が自ら大量の通貨を発行することである。第二に、プライベート銀行が余分に信用と通貨を創出する。第三に、通貨の投機筋が大規模な「空売り」を行うことで大量に通貨を発行すると同様の硬貨を作る。ドイツ帝国銀行が1922年5月に国際銀行家に移管されてから、この三種類の大量発行が同時に行われた。
だが、ドイツ帝国銀行が大規模に紙幣を発行したのは事実であるが、それは政府の外債返済と財政難の解決のためではなかった。
次にプライベート銀行の通貨供給によるハイパーインフレへの影響はどうだろうか。
1921年11月、 マルク対米ドルの為替レートは330対1
1922年1~5月、 マルク対米ドルの為替レートは320対1
1922年5月26日、ドイツ帝国銀行の私有化
1922年12月、マルク対米ドルの為替レートは9千対1
1923年1月、ルール危機が勃発、マルクは暴落。マルク対米ドルの為替レートは4万9千対1
1923年7月、マルク対米ドルの為替レートは110万対1
1923年11月、マルク対米ドルの為替レートは2兆5千憶対1
1923年12月、マルク対米ドルの為替レートは4兆2千億対1
1923年、物価は平均して毎日2倍に値上がりした
{コー注:当時のドイツの人々はどうやって生活していたのだろう。誰が利益を得、誰が不利益をこうむったのだろう}
このころには、マルクは完全に崩壊していた。マルクが投げ売りされるなか、ハイパーインフレが出現した。多くのプライベート銀行は金や外貨を裏づけとした自社通貨を発行し始め、帝国銀行がいくら紙幣発行量を増やしてもプライベート銀行が発行した通貨総額においつかなかった。シャハトの統計によれば、当時ドイツで流通していた通貨のうち、約半分はプライベート銀行による過剰な通貨発行であった。
三番目の「空売り」はいちばんわかりがたく、かつ致命的な要因だった。
投機筋がシステマチックに大規模な空売りを仕掛けることで、マルクを暴落させ、通貨を大量に発行することと同様の効果をあげた。
国の通貨そのものを空売りするにはいくつかの要素が必要だ。まず、その通貨には明らかな内政的問題があること。当時のドイツはこの条件にぴったりはまっていた。
第一次世界大戦後、ドイツが戦争賠償のための外貨を必要とし、大きな外債プレッシャーに直面していただけでなく、またマルク自体にも明らかな欠陥があった。これはアジア金融危機の際、荷重な外債を抱えた「アジア四つの小さいドラゴン」(シンガポール、香港,台湾と韓国)に似ている。外債を返済するためには米ドルが必要であった。通常では、この問題は、増税や一時的に生活レベルを引き下げるなどして、経済主体が自助的に調整し次第に解決することができる。しかし、通貨の投機が広範囲に集中的かつ突然に行われた場合は、通貨の価値に大きな影響を与えることになる。しかも、この通貨投機は合法的な行為とみなされる。投機プロセスにおいて、ある国の通貨を事前に大々的に空売りし、しかもこの通貨自体に問題があれば、投機家は最終的に莫大な利益をえられるのである。
では、空売りはどのように行われるのであろうか。通貨投機筋が空売りを行う際には、実際に現物を所有していないにもかかわらず所有している振りをする。
一定期間空売りをして、通貨が大幅に下落した後、彼らは安い価格で市場から貨幣を大量に買い戻し、「所有している振り」を実際の所有にするだけで、巨額の利益を獲得できる。この意味で、投機筋は実際に所有していない「所有通貨」を投げ売りする際に、一定の時間その通貨を創出する権限を獲得したことになる。通貨投機筋は、国家の通貨が弱った時に、一斉に大規模な空売りという強烈な「自己実現」を行う。空売りされた通貨は自由落下のように価値を暴落させ、ひどい場合は通貨危機となり、さらにその通貨危機が連鎖反応を起こし、恐慌を誘発し、本位通貨が投げ売りされ、外貨が買われ、より大規模な空売りが発生する。
通貨が暴落するなかで投機筋が獲得する巨額の利益は国の生産者や預金者が長年に蓄積した財産であり、このため社会生産と経済活動が壊滅的な打撃を受けることになる。
この時、、いわゆる自由主義者たちは、すべての過ちが政府の通貨政策によって発生したと非難し、投機筋が引き起こした重大な災いを見落としてしまう。
1923年のドイツのハイパーインフレは、後年1997年のアジア金融危機と酷似していた。アジア金融危機は、本位通貨システムと国内経済に重大な内在的欠陥が存在し、通貨システムが崩壊寸前にあり、本位通貨が急激に下落し、社会財産がインフレに巻き上げられ、国家経済基盤が崩壊した。だが、両者の違いは、ドイツ帝国銀行は通貨投機を抑制せずに投機筋を容認したことであった。国際銀行家たちのプライベート銀行が発行した通貨流通量の半分ほどを占める通貨は、まさに火に油を注ぐ結果となった。
歴史が驚くほど酷似するのは、理由がある。同じグループが歴史を繰り返すからだ。今日のソロスとその背後の国際銀行家たちと、1923年にマルクを崩壊させた通貨投機筋は、同じ家元から出た弟子たちである。
ヴァイマール共和政の財産は一年間で一つ残さずに奪われ、ドイツの中産階級は没落していった。すべてを失った怒りと戦後に受けた屈辱は、激しい復讐の怒りをドイツ人の心のなかに湧きあがらせた。この時のドイツはまるで乾ききった薪のように、火種をまつのみであった。
だが、シャハトの論旨はまったくつじつまが合わない。
ヴァイマール共和政を崩壊させた「通貨戦争」
マルクはいかにして崩壊したのだろうか。一言でいえば、ある通貨を崩壊させるもっとも簡単な方法は大量に通貨を発行することである。そして、大量に発行するには3つの方法がある。第一に中央銀行が自ら大量の通貨を発行することである。第二に、プライベート銀行が余分に信用と通貨を創出する。第三に、通貨の投機筋が大規模な「空売り」を行うことで大量に通貨を発行すると同様の硬貨を作る。ドイツ帝国銀行が1922年5月に国際銀行家に移管されてから、この三種類の大量発行が同時に行われた。
だが、ドイツ帝国銀行が大規模に紙幣を発行したのは事実であるが、それは政府の外債返済と財政難の解決のためではなかった。
次にプライベート銀行の通貨供給によるハイパーインフレへの影響はどうだろうか。
1921年11月、 マルク対米ドルの為替レートは330対1
1922年1~5月、 マルク対米ドルの為替レートは320対1
1922年5月26日、ドイツ帝国銀行の私有化
1922年12月、マルク対米ドルの為替レートは9千対1
1923年1月、ルール危機が勃発、マルクは暴落。マルク対米ドルの為替レートは4万9千対1
1923年7月、マルク対米ドルの為替レートは110万対1
1923年11月、マルク対米ドルの為替レートは2兆5千憶対1
1923年12月、マルク対米ドルの為替レートは4兆2千億対1
1923年、物価は平均して毎日2倍に値上がりした
{コー注:当時のドイツの人々はどうやって生活していたのだろう。誰が利益を得、誰が不利益をこうむったのだろう}
このころには、マルクは完全に崩壊していた。マルクが投げ売りされるなか、ハイパーインフレが出現した。多くのプライベート銀行は金や外貨を裏づけとした自社通貨を発行し始め、帝国銀行がいくら紙幣発行量を増やしてもプライベート銀行が発行した通貨総額においつかなかった。シャハトの統計によれば、当時ドイツで流通していた通貨のうち、約半分はプライベート銀行による過剰な通貨発行であった。
三番目の「空売り」はいちばんわかりがたく、かつ致命的な要因だった。
投機筋がシステマチックに大規模な空売りを仕掛けることで、マルクを暴落させ、通貨を大量に発行することと同様の効果をあげた。
国の通貨そのものを空売りするにはいくつかの要素が必要だ。まず、その通貨には明らかな内政的問題があること。当時のドイツはこの条件にぴったりはまっていた。
第一次世界大戦後、ドイツが戦争賠償のための外貨を必要とし、大きな外債プレッシャーに直面していただけでなく、またマルク自体にも明らかな欠陥があった。これはアジア金融危機の際、荷重な外債を抱えた「アジア四つの小さいドラゴン」(シンガポール、香港,台湾と韓国)に似ている。外債を返済するためには米ドルが必要であった。通常では、この問題は、増税や一時的に生活レベルを引き下げるなどして、経済主体が自助的に調整し次第に解決することができる。しかし、通貨の投機が広範囲に集中的かつ突然に行われた場合は、通貨の価値に大きな影響を与えることになる。しかも、この通貨投機は合法的な行為とみなされる。投機プロセスにおいて、ある国の通貨を事前に大々的に空売りし、しかもこの通貨自体に問題があれば、投機家は最終的に莫大な利益をえられるのである。
では、空売りはどのように行われるのであろうか。通貨投機筋が空売りを行う際には、実際に現物を所有していないにもかかわらず所有している振りをする。
一定期間空売りをして、通貨が大幅に下落した後、彼らは安い価格で市場から貨幣を大量に買い戻し、「所有している振り」を実際の所有にするだけで、巨額の利益を獲得できる。この意味で、投機筋は実際に所有していない「所有通貨」を投げ売りする際に、一定の時間その通貨を創出する権限を獲得したことになる。通貨投機筋は、国家の通貨が弱った時に、一斉に大規模な空売りという強烈な「自己実現」を行う。空売りされた通貨は自由落下のように価値を暴落させ、ひどい場合は通貨危機となり、さらにその通貨危機が連鎖反応を起こし、恐慌を誘発し、本位通貨が投げ売りされ、外貨が買われ、より大規模な空売りが発生する。
通貨が暴落するなかで投機筋が獲得する巨額の利益は国の生産者や預金者が長年に蓄積した財産であり、このため社会生産と経済活動が壊滅的な打撃を受けることになる。
この時、、いわゆる自由主義者たちは、すべての過ちが政府の通貨政策によって発生したと非難し、投機筋が引き起こした重大な災いを見落としてしまう。
1923年のドイツのハイパーインフレは、後年1997年のアジア金融危機と酷似していた。アジア金融危機は、本位通貨システムと国内経済に重大な内在的欠陥が存在し、通貨システムが崩壊寸前にあり、本位通貨が急激に下落し、社会財産がインフレに巻き上げられ、国家経済基盤が崩壊した。だが、両者の違いは、ドイツ帝国銀行は通貨投機を抑制せずに投機筋を容認したことであった。国際銀行家たちのプライベート銀行が発行した通貨流通量の半分ほどを占める通貨は、まさに火に油を注ぐ結果となった。
歴史が驚くほど酷似するのは、理由がある。同じグループが歴史を繰り返すからだ。今日のソロスとその背後の国際銀行家たちと、1923年にマルクを崩壊させた通貨投機筋は、同じ家元から出た弟子たちである。
ヴァイマール共和政の財産は一年間で一つ残さずに奪われ、ドイツの中産階級は没落していった。すべてを失った怒りと戦後に受けた屈辱は、激しい復讐の怒りをドイツ人の心のなかに湧きあがらせた。この時のドイツはまるで乾ききった薪のように、火種をまつのみであった。
コー
壮絶な<羊毛刈り>だな。<羊毛刈り>なんてもんでなくまさしく<通貨戦争>なんだな。
1929年の<世界大恐慌>も、日本の<バブル崩壊>も、<アジアの通貨危機>もおなじ構図なんだろう。
1929年の<世界大恐慌>も、日本の<バブル崩壊>も、<アジアの通貨危機>もおなじ構図なんだろう。