とあるスナックで
コー
じゃまたこの本を読んでいこう。馬淵睦夫が考えるトランプのユダヤ観について p-87
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ところで、トランプ大統領の対ユダヤ観がよくわからないとの疑問をお持ちの方が少なくないと思われます。トランプ大統領は愛娘のイバンカさんの夫君がユダヤ人であり、彼女もユダヤ教に改宗しています。だから当然ユダヤ勢力の見方と思いがちですが、アメリカ国内のディープステイトからは敵対されているのです。これは、トランプ氏が確たるユダヤ政策を持っていないからではありません。ナショナル・ユダヤ人の国家イスラエルを強く支持しているのが、トランプ大統領だったのです。
ところが、ディアポラス・ユダヤ勢力はトランプ大統領のイスラエル国家重視政策を快く思っていません。ディアポラス・ユダヤ勢力、つまりディープステイトが目指すのが世界統一だからです。イスラエル国家という枠に閉じ込められてしまえば、どうしても活動が制約されます。イスラエルという国家が世界の盟主として君臨することは常識的に考えても不可能でしょう。既に述べたように、ディープステイトは国家を廃止することを狙っているのですから。国家という固有の伝統と文化を持った扱いにくい存在がなくなれば、彼らの金力(マネーの力)で世界を統一することが可能になるわけなのです。トランプ大統領がアメリカの有力なイスラエル・ロビーの支持を受けていても,もう一つのユダヤ・ロビーであるディープステイトからは敵対視されていた理由がお分かりいただけたと思います。
普遍主義と民族主義
ユダヤ思想には歴史的に二つの流れが見て取れます。普遍主義と民族主義です。旧約聖書には様々な預言者(神の言葉を預かって人々に知らしめる賢者)が現れますが、普遍主義を唱える預言者と民族主義を鼓舞する預言者に大別されます。普遍主義の預言者として有名なのがイザヤであり、一言で言えば「人類は皆兄弟」と説きました。対象的なのがホセアで「ユダヤ民族は選民である」と強調しました。しかし、この両者はまったく相容れないものではありません。むしろ、底流に置いては繋がっているともいえるわけです。
普遍主義も民族主義もイスラエルとユダヤ人の生存をいかに確保するかという困難な安安全保障上の課題に対する答えであるわけです。現在はユダヤ人国家としてイスラエルが存在しています。旧約聖書にも書かれていますが、過去ユダヤ人はしばしば祖国を失う羽目に陥りました。そこで、彼らにとって最大の課題は、祖国が滅んだ状況の中で如何に民族として生き延びるかにあったのです。
民族主義が教えるのは、神の選民としてのユダヤ人のアイデンティティを保持することが民族の生存には必要だということです。普遍主義とはユダヤ人と非ユダヤ人との関係性の基本になるわけですが、ユダヤ人は人類に普遍的なメッセージを伝える使命があり、そのために様々な世界の主要地にユダヤ人が存在することが必要だとするのです。
つまり、民族主義のためにはイスラエルという国家が必要であるが、国家というものはいつ滅ぶかわからないから、ユダヤ民族のアイデンティティであるユダヤ教を存続させるためには、イスラエル国家の外の世界にディアスポラ・ユダヤ人が存在する必要があるというものです。非ユダヤ人の私たちにも、ここまでは理解できます。しかし問題はこれからです。ディアポラス・ユダヤ人は単にユダヤ教を遵守するためにだけに存在するのではなく、ユダヤ教が教える人類に普遍的な価値、例えばイザヤが言うように「人類は皆兄弟」というメッセージを広めることによって、世界がユダヤ化されることになり、ひいてはユダヤ民族の安全に寄与すると考えたからなのです。
この普遍主義の思想の一つが共産主義です。共産主義は一見搾取のない理想社会を唱えるが故に、国家の枠を超えた普遍性を持っているとされるわけです。これを21世紀の言葉に言い換えれば、国際主義、グローバリズムになるわけです。自由、平等、博愛というフランス革命のスローガンもユダヤ普遍思想です。繰り返しになりますが、今日の流行語で言えば、ポリティカル・コレクトネスという普遍的価値に変貌しているのです。
彼らが普遍的ユダヤ思想へ私たちを改宗し、彼らの安全を確保しようとしているのです。改宗させた普遍思想の解釈権はユダヤ人が保持しているというわけです。従って、普遍思想はユダヤ人に有利なわけです。ポリティカル・コレクトネスはアイデンティティ・ポリティクス(差別強調政治)と同義ですが、メディアや教育などを通じこれらを強調することによって、ユダヤ人の安全が高まるわけです。ユダヤ人にとって民族主義と普遍主義は同根ですが、非ユダヤ人にとっては普遍主義しか認められないのです。グローバリズムの下では、民族主義的なるものはユダヤ人が独占することになるのです。ーーーー。
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以上を要約すれば、現在の世界を二分しているグローバリズムvsナショナリズムの対立は、普遍主義vs民族主義のことであり、いずれもユダヤ思想にに見られる「両建て主義」の産物ということができます。この両建て主義が曲者なのです。但し、両建て主義はかれらに取ってのみ通用する方式で、非ユダヤ人の多くは普遍主義と民族主義は根本的に対立していると無意識に思い込んでいる危険があるのです。普遍主義と民族主義をどう架橋するか、その知恵を古来保持していたのが、私たち日本人です。この点については、第4章で詳しく論じる予定です。
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(コー注:<やつら>はいつも「両建て主義」を取っているという事だ。日本の明治維新の時も、第二次世界大戦の時も、ベトナム戦争の時も、世界的なテロとの戦いにも、常に「両建て主義」を取っている。だから今回の「トランプの反ディープステイト」と「ディープステイト」の戦いも当然「両建て主義」なわけだ。要するにプロレス興行の興行主と同じという事だ。)