9.11について

2001年の9.11事件や、その他色々な感想、思い、などを書いていけたらなと、思っています。

9.11について  <謎解き 平成大不況> リチャード・A・ヴェルナー著  2003年4月 PHP出版 

2017年04月26日 | 日記
とあるスナックで

コー
ヴェルナーは、不思議で不思議でしょうがなかったんだろう。戦後まったく何もないところから、奇跡の経済回復と成長を成し遂げた日本が、なぜバブルがはじけ、そして大不況になり、なぜ回復できないのか、不思議で不思議でならなかったんだと思う。戦後いろいろと経済的な危機があった時に、それを政府と日銀は一体となって乗り越えてきたはずなのに。

そう今回、今回といったってもう30年前になるんだろうが、<グローバル企業><世界的寡頭銀行家><軍産複合体>ようするに欧米の政治や経済を操っている<300人委員会>側の逆鱗に触れて、日本の金融システム、経済システムを破壊させられたということだと思う。そして今も、それは続いているという事だ。彼らが何百年とかけて作り上げてきた<株主至上資本主義>を破壊するようなシステムを作っていないか、いつも目を光らせているわけだ。そのために、日銀のプリンスたちはおおいに役にたったし、これからも活躍してもらいたいのだろう。そしてアメリカの大学で経済学を学んだ人間にも大いに期待していると思う。彼らの経済学を広め、もう二度と日本が経済的に成功して、彼らの縄張りを荒らさないようにと。


ヴェルナーは違っていたんだな。そして日本のことを研究しているうちに、気がついたんだな。

あの株や土地の値段が上がり続けているときに、一般の物価はなぜそれほど上がらなかったのか。

日銀の(窓口指導)とはなんなのか。

そして今までの経済学の共通した 間違い に気がついたわけだ。


小林
この本は、そのことをわかりやすく書いてますね。新しい経済学の原点の本ですね。
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9.11について  <円の支配者> リチャード・ヴェルナー 著

2017年04月26日 | 日記
とあるスナックで

小林
この本のP-321

本書は、経済成長も資産価格も為替レートも、じつは日本銀行が決めていたことを明らかにした。秘密の窓口指導による信用規制を使って、80年代には銀行に過剰な不動産融資を強制した。90年代には信用を抑制して、バブルを破裂させた。そのあとは信用創造を拡大せず、政府の景気刺激策を積極的に邪魔した。不況を長期化させたことに加えて、日銀はアメリカの連邦準備制度理事会と一緒になって為替相場を操作して円高に仕向けた。これはさらに大きな打撃を経済と投資家に与えた。中央銀行が景気回復策を邪魔したために、政府債務は莫大な額になり、将来の世代の税負担が重くなった。


コー
そう,だからいつの間にか <税金> がゆっくりゆっくりと重くなっていくわけだ。

この状態もひとつの <茹でガエル> 状態なんだろう。ゆっくりゆっくりならば、人々はその原因を考えないし追及しない。  P-323

残念ながら、ほかの国でも状況は似たようなものだ。誰も、市場と経済を動かす連邦準備制度理事会の権限について議論しようとはしない。しかし、この権限には民主的なチェック・アンド・バランスが働いていない。グリーンスパン議長が議会で政策と行動について証言しても、内容のあることは何も言わない。政治家のほうは知識が少ないから、誰もFRBが創造する信用量を監視したり、制限を加えたりできない。アラン・グリーンスパンは1990年代半ばから(アジア危機の時期をのぞいて)金利政策を通じて経済成長をスローダウンさせたがっているという印象を与えている。だが、実際にはこの期間ずっと、彼はFRBの信用創造を拡大してきた。90年代の日本銀行の政策とちょうど正反対である。日銀は表向きは低金利政策で景気回復を図ると見せていたが、実際の政策意図は量的政策にあらわれいた。1998年まで景気浮揚を行わなかったのだ。同様にアラン・グリーンスパンは、アメリカ経済の強さに驚きを表明している。しかし、彼は金利を上げるたびに、通貨の印刷に拍車をかけてきたように見える。したがって、多くの国の中央銀行は金利を煙幕に使って国民の目をごまかし、真の意図を隠しているとしか考えられない。真の政策意図は、信用創造の量をみればわかる。 P-324

中央銀行は通貨の量をコントロールできないというのは、水は濡れていないというようなものだ。


小林
<水はぬれていないというようなものだ> この表現もすごいですね。


コー
この本は、 <天野統康 あまのもとやす>の原点になった本だ。
衝撃だったんだろう。これほど、中央銀行と銀行が作り出す<信用創造>が経済をそして国の命運を決めていたなんて。


経済を勉強している人、そして経済を教えている人、そして国の経済を運営している役人さん、そして事業をしている人、そこで働いている人、そして家庭の財布を預かっている主婦、すべての国民に関係してくる問題なんだな。

特に経済を教えている学者さん、リチャード・ヴェルナーと天野統康が唱えているこの考えを、検討し、議論すべきじゃないんだろうか。

経済を考える金融を考えるというのは、<国を救う> ということではないんだろうか。<経世済民>の原点に返って、議論すべきではないだろうか。
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