9.11について

2001年の9.11事件や、その他色々な感想、思い、などを書いていけたらなと、思っています。

9.11について  <円の支配者> リチャード・ヴェルナー 著 その5

2017年04月19日 | 日記
とあるスナックで

小林
この本の  P-207

日銀職員と銀行関係者のインタビューからすぐにわかるのは、日銀は貸出増額計画を銀行に押し付けただけではないということだ。それどころか、信用の増額を自在に決定し、実行したのである。日銀は80年代以前の時期や、さらには戦時中とまったく同じ総量規制を行っていた。窓口指導は依然として中央銀行の主要な政策手段だった。金利はせいぜいで「補完的」手段でしかなかった。日銀は貸出の増額割り当てを上回ったり下回ったりした銀行を罰した。銀行ははげしいランキング競争を展開しているから、たとえ罰せられることがなくても、割当額を残すどころか使い切るのに必死になることも十分に承知していた。1982年までの質的窓口指導も続いていた。したがって日本銀行は、不動産融資や建設業、ノンバンク金融機関への貸出が増大していること、つまり信用創造が投機的目的につかわれていることをよくしっていたのである。(コー注:この後を読むとわかるが、知っていたんではなく意識的に、投機目的に使われるようにしたのである)
Pー213
実際、日銀が不動産価格の高騰を見ていながら、またバブルを懸念する世間の抗議にあいながら、なぜ5年もの間、日本の銀行に対してとんでもなく大きな貸出増加枠を設定し続けたのか。これは謎である。日銀には70年代のバブルの経験があっただけではない。1960年代、研究者はすでに、日銀の窓口指導が信用の過剰な伸びの原因であると指摘していた。「民間銀行の信用創造の量をコントールするのは日本銀行の義務であるーーーー(1950年代の)過剰な融資は、収益の最大化を求めた銀行の過ちではなく、そのような信用の拡大を許した日銀の過ちである」(コー注:1950年代、60年代、70年代と日銀はバブルの経験があった)明らかに数十年の経験があり、信用割当枠を決めていた日銀が無実を申し立てても通らないだろう。これらの意思決定者がバブルを生み出していることを知らなかったはずはない、という結論しか考えられないのである。

窓口指導は1991年7月に突如、廃止された。それも、大慌てという感じで。日銀職員は、窓口指導の廃止があまりに急だったので驚いた、と語っている。6月にはヒアリングがおこなわれ、日銀職員はいつものように窓口指導の割当額の準備をしていた。そこへ、とつぜん廃止が声明され、仕事は中断した。窓口指導の担当者にも、廃止の理由は説明されなかった(日銀職員5)。
銀行側も同様に驚き、途方にくれた。窓口指導廃止後も間もなく、銀行側は、どうやって貸出計画を作成すればいいかわからない、と不満を述べた。「これまでは結局、日銀枠で全体の量がまず決まり、これをどう分けるかという議論だった」。「ある支店がもっと融資をしたいといってきても、枠がいっぱいだからだめだといったような安易な回答はできなくなる」
発表された窓口指導廃止の公式理由は、金融の規制緩和のために効果が薄れた、ということだった。
だが、インタビューした人々は誰も、窓口指導の効力がなくなったから廃止されたとは考えていなかった。効力は充分にあったのだ。銀行側も日銀職員も、突然の廃止の理由はわからないとと言った。理由は別のところにあるのかもしれない。窓口指導はバブルを発生させ、つぎはバブルを破裂させて1990年代の不況を招いた。事実、戦後を通じて、窓口指導の貸出増加枠は最も重要な経済変数だった。これは硝煙のたつ銃で、これをもっている者をつきとめれば犯人が簡単にわかる。そこで犯人を探すためには、誰がこの銃を持ち、誰が引き金を引いたのかを探らなければならない。

P-215
1989年6月、窓口指導で急激な引き締めをおこなってバブルをつぶし、90年代の不況をもたらしたのは日本銀行だった。
不況を長期化させたのも日銀である。
92年か93年に適切な景気浮揚策をとろうと思えばとれたのに、ほぼ10年間手を打たなかったのだ。また、90年代の危機の最終的な原因も明らかになった。

80年代のバブルを生み出した窓口指導の信用統制メカニズムである

これもまた、日銀によって支配されていた。日銀の政策が過去15年間の出来事の原因だったことは疑いない。
それでは日銀の政策を決めていたのは誰か。

この点において、日銀はほとんど明かしてくれない。それどころか1998年4月には組織が再編されてしまった。おもな変化があったのは肝心の 営業局 で、このころ英語では信用市場管理局とよばれていた。この名称がふたたびかわっただけではなく、金融市場局、信用機構室決済システム課、考査局の三つに分割された。こうして、信用統制政策の中枢をつきとめることは、さらに難しくなったのである。


コー
ベルナーは、さらに日銀を追及していくわけだ。すごいね。ドイツ人魂ここにあり、だね。







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