「宗麟南瓜」
「宗麟南瓜」は、ポルトガル船が日本に初めてタネを伝えたというかぼちゃ。ということは日本最古のかぼちゃです。大分では栽培されなくなっていたのですが、講師の奈良絵美さんは、福岡県豊前市で作られていた「三毛門(みけかど)かぼちゃ」を里帰りさせました。これをきっかけに、豊前市との新しい交流が始まったそうです。
<プロフィール>
ウリ科カボチャ属、南米アメリカ原産。カンボジアで産出されていたため、「かぼちゃ」と呼ぶようになった。
日本かぼちゃ(東洋種)、西洋かぼちゃ(西洋種)、ペポかぼちゃの3種類に分けられる。日本かぼちゃはねっとりとして水分が多く、甘みが少ない。西洋かぼちゃは粉質でホクホクとして、甘みも多い。ペポかぼちゃはズッキーニ、そうめんかぼちゃなど個性的なものが多く、味が淡泊なものや、おもちゃかぼちゃなど観賞用のものもある。
[宗麟南瓜]
日本へは1541年、ポルトガル船が豊後(ぶんご・現在の大分)に漂着し、藩主であった大友宗麟の許可を得て貿易を始め、その際にかぼちゃを献上したのが日本のかぼちゃの最初といわれる。
豊後地方で栽培されていた種が、現在の福岡県豊前(ぶぜん)市三毛門で(みけかど)に伝わり、栽培されたのが「三毛門かぼちゃ」。三毛門かぼちゃは皮が赤茶けており、重さは3~4kg、日本最古のかぼちゃとして広く知られるようになった。
2002(平成14)年から大分県職員有志らにより、宗麟南瓜を大分県で復活させようという「かぼちゃの里帰り」実行委員会がつくられ、2007(平成19)年、「宗麟南瓜」として里帰りした。
<栄養・機能性>
日本かぼちゃと西洋かぼちゃでは、エネルギー、カロテン、ビタミンCなどに差がある。日本かぼちゃは水分が多いこともあり、全体的には西洋かぼちゃの方が栄養豊富。
カロテン、ビタミンC、Eなども多い。カボチャは重量のある野菜のため、一度にとれる量が多く、緑黄色野菜として摂取しやすい。
*http://vege.way-nifty.com/vegetable/2014/11/post.html より
三毛門かぼちゃ(みけかどかぼちゃ)、あるいは三毛門カボチャ、三毛門南瓜[2]は、日本最古と言われるカボチャ。2018年に豊前市の天然記念物に指定された。野菜の天然記念物指定は日本全国的にも珍しい。
ポルトガルから大友宗麟の元に伝来した渡来種カボチャ(カンボジア産)を宗麟配下の武将緒方鎮盛(しげもり)が三毛門村(現・豊前市)に栽培を広めたと言われている。
1928年には昭和天皇の大嘗祭に献上されている。第二次世界大戦後には『三毛門南瓜音頭』が作られ、小学校の運動会や盆踊りなどに用いられて地元住民に親しまれた。
1960年代以降、西洋カボチャの栽培に押されて、三毛門かぼちゃの生産者は減少する。
2007年に「三毛門南瓜(かぼちゃ)保存会」が発足し、栽培指導や加工品の製造販売、『三毛門南瓜音頭』の普及活動に取り組んでいる。
*Wikipedia より
「宗麟南瓜-そうりんかぼちゃ」
【生産地】臼杵市
【特徴】日本最古の南瓜。日本かぼちゃの一種。
【食味】ねっとりして甘みが少ない。
【料理】煮物、炒め物、揚げ物、蒸し物、スープ、お菓子など
【来歴】「わが国への渡来は天文10年(1541)頃といわれる。江戸時代後期の農政学者佐藤信淵の著した『草木六部耕種法』によると、天文10年ポルトガル船が豊後(大分県)に漂着し、同17年(1548)藩主大友宗麟の許可を得て貿易を始めたが、この際カボチャを献じたのがわが国のカボチャの最初としている。そしてこれはシャム (タイ)の東のカンボチャ国で産したものであったのでカボチャと呼んだ。」『日本の野菜 青葉高著作選Ⅰ』より。
キリシタン大名として知られ、宗麟(そうりん)の法号で有名な大友義鎮(おおともよししげ)の時代に大分県はポルトガルとの交流が深く南蛮貿易が栄えていた。ポルトガル船が漂着したのを機に貿易を始め、その際に献上された南瓜が日本で最初の南瓜となったとされる。カンポチャ国はカンボジアのことで、ポルトガル人が「Camboja」(カンボージャ)と言ったものが訛(なま)って「かぼちゃ」となったとされる。
この南瓜は、大分県では栽培されなくなっていたが、この種を元に福岡県豊前市で作られていた「三毛門(みけかど)かぼちゃ」を里帰りさせ、2007年から「宗麟南瓜」として栽培を復活させた。
【時期】6月~9月
*https://tradveggie.or.jp/44-ooita/#i-13 より
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