いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

イッピンNHK 「薄くきらめく羽衣~福島・川俣シルク~」

2023-05-06 10:15:17 | イッピンNHK

 第13回 2013年1月29日 「薄くきらめく羽衣~福島・川俣シルク~」リサーチャー:中島史恵

 番組内容
 今回は、福島県川俣町で作られてきた「シルク」。薄くて軽く抜群の肌触りで、海外有名ブランドの商品や通信会社の制服のスカーフにも採用されている。秘密は、極細の糸を使って織りあげる伝統の技法。タレントの中島史恵さんがリポートする。世界一薄い究極のシルク作りを目指す若き経営者の挑戦も紹介。シルクの優れた特性を実験で解き明かすほか、おしゃれなストールの巻き方も披露。川俣シルクの魅力をあますところなく伝える。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201301291930001301000 より

 今回の内容
 今回は携帯電話会社の制服のスカーフや高級ブランドのシルクに使用されている福島・川俣町の川俣シルクを、中島史恵が東京・銀座で徹底リサーチ。張りがあるのに柔らかく、その上、上品な光沢もあるという。福島では、世界一の薄さを目指す、羽のような究極のシルクの開発に向けた挑戦が始まっている。

 薄さと軽さにこんな秘密が!
 なぜ今、川俣シルクが注目されているのか、その秘密を探っていく。川俣シルクを織り続けて94年という織物工場を訪問。工場長の安田時雄さんは、川俣シルクの特徴を「髪の毛の3分の1くらいの太さ」の糸の細さだという。通常、シルクの糸の太さは髪の毛のおよそ半分だが、 川俣シルクは3分の1の太さ。もう一つの特徴は、糸によりをかけない(ねじらない)こと。こうして織られたシルクは、軽目羽二重と呼ばれ、美しい透明感を醸しだす。よりをかけない生地を織るのが川俣伝統の技。

 では、どうやって細い色を切ることなくおれるのか。糸を切れにくくするために、容器の中で何をしているか?という問題が出題される。正解は「お湯に浸す」。糸自体に伸びがでて切れにくくなり、風合いも良くなるという。このよこ糸をお湯に浸す技法を「濡れよこ」という。お湯の温度は50度から60度が適温。ぬれたままの糸を織っていくのが細い糸を切らずに織っていく技。たて糸をいためずに織っていくには、ある職人の技が必要。

 工場を支える職人技とは?
 佐藤しげえさんは、40年間工場から「機通し」という、縦糸を動かす金具の5mmの穴に細い糸を通す作業を任されてきた。しげえさんはおよそ5000本の糸を一日で通し終えるという。手作業のよさについて、何年もやってると金具が弱って傷がついてくるのに機械だ度気付かないから手通しのほうがいいという。しげえさんの仕事を支えてきたのが夫の富雄さん。夫についてしげえさんは「こうだといいな」「ああだといいな」と言うとすぐにやってくれるという。

 逆転の発想が生んだ特徴
 川俣町は、絹織物作りに適した条件が揃っていた。さらに薄くて軽いシルクが生まれたのはある逆転の発想があったという。福島県織物同業会の事務局長藤原和一さんは、全国の絹織物の生産が一時激減した時期があり、川俣の機屋さんもいろんな知恵を出し努力しながら新しい絹織物の開発を進めたと話す。その知恵とは、少ない生糸でできるだけ薄く織る工夫だったが、その結果、透明感と軽さが評判となり、スカーフとして輸出され大人気を博した。明治から昭和初期にかけて、川俣シルクは世界に大きく羽ばたいていった。

 驚きの保温力
 シルクの人気を支えているもう一つの理由は、薄いのになぜか暖かいということ。その機能を確かめるため、杉野服飾大学・准教授の軽部幸恵さんと学生のみなさんに協力してもらい、実験を行った。ストールを巻く前の3人の学生の首周りの温度を測り、次にシルクのストールを撒いて10分後の温度を測る。10分後、全員の首周りの温度は上がっており、平均6.4度の上昇となった。薄くても暖かい理由について軽部幸恵さんは、細い繊維がたくさん集まっているので、熱伝導性の悪く一度蓄えた熱を放出しにくいという特徴を持つ空気を沢山含むことになり、ストールと皮膚の間に一度暖まった熱がたまって暖かさが保たれたと思う、と話した。さらに、シルクは水分を吸っても放出する特徴があるので、夏に汗をかいてもさらさら。

 絹糸が生み出す光沢
 絹糸が生み出す光沢の秘密は、繊維の中にも繊維がある二重構造をしているため、複雑な方向に光が拡散していくことになり、美しい光沢を生み出していた。機能性と美しさを兼ね備えたシルクには、自然素材ならではの特徴があった。

 ストールをオシャレに着こなそう!
 ファッションジャーナリストの宮田理江さんがストールの巻き方を紹介。寒い冬に暖かくなり、ボリュームが来ることによって小顔効果も発揮でき、厚手のコートにもバランスよくマッチするボリューム巻きを紹介した。

 次は、夏に向けての涼しげな巻き方としてタイ巻きを紹介した。縦のラインが強調されて全体のシルエットがシャープになり、ビジネスシーンにも馴染みやすいスタイル。タイ巻きは、結び目をちょっとずらすだけで雰囲気がガラリと変わる。

 次は、今年の春夏のトレンド先取り。シルクのストールを服のように羽織ってみる。ウェストを一周させもう片方と結ぶ。春夏の世界的なファッショントレンドとして、透ける素材が出てくるので、上手に取り入れることができる。一年中大活躍のシルクで、みなさんもワンランクアップのおしゃれを楽しみませんか?

 新たな挑戦!意外な素材とコラボ
 2012年12月5日・6日に東京・北青山で川俣町の織物会社が中心となり、新商品の宣伝を目的としたイベント「ふくしまおりもの展」が開催された。若者のファッションに活かせないかと、新進気鋭のデザイナーに依頼した。デザイナーの澤柳直志さんは、川俣シルクのコラボ商品について、シルクが薄くて後ろの素材が透けるので、その透け感を利用して、デニムを合わせていると説明した。

 究極の薄さ!羽のような絹地
 川俣シルクの新しい生地は、髪の毛の6分の1の太さの糸で織られた羽のようなシルク。世界の一流ブランドが注目している。中島史恵が超極薄のシルクを開発した絹織物メーカーの齋藤栄太さんを訪問した。齋藤栄太さんは、羽衣のような、これまでにない透明感のある生地になっていると説明した。作ったきっかけについて、今までにはない、伝統の技術を引き継ぎながら現代の感性でものづくりをしていかなければいけない、と語った。極薄の絹織物の開発には、川俣の技術のすべてが注ぎ込まれた。

 最大の問題は、これまで扱ったことのない細い糸をどうやって織っていくのか、ということだった。糸が細くて切れやすいため、機織り職人の冨樫知恵さんがつきっきりで調整をかける。特によこ糸の微調整が難しいという。経験が不足しているとできないから、それをやられてもらえるのは、出来上がった時はいいですねと語った。一方のたて糸は機械に工夫を加えた。通常、1分間に160回転させて織っているが、120回転に落とし、力のかかり方を弱めたが、それでもたて糸が切れて機械が止まってしまう。そこで1万本のたて糸に10キロの重りをつけてぴんと張っているが、これだと均一にならないため、1本1本に2グラムの特殊な重りを乗せた。これによりすべてのたて糸が均等に引っ張られ糸切れを最小限に抑えられた。こうして、世界で一番薄い生地を目指して、4年がかりで作られた。齋藤栄太さんは、川俣シルクの名前が全国や世界に広がってくれれば産業全体の底上げにつながるので、そこを目指したいと話した。2年前には、イタリアの有名ブランドの商品にも採用されるなど、世界のデザイナーから注目を集めている。

*https://datazoo.jp/tv/%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%B3/650983 より

 「有限会社 紺野機業場」 

 川俣シルクの歴史

 昔、大和の国を追いやられた小手姫さまが息子の蜂子皇子を追いかけ、途中辿りついたのが川俣でした。
 川俣は大和の景観にそっくりであったことから、小手姫さまはそのまま川俣に住み着き、養蚕や機織りをこの地に伝授したと言われております。その後京都の公家や神社に奉納するために絹織物が盛んであった時代、小山や桐生で織られていた軽目羽二重は、養蚕が盛んであった福島や福井でも織られるようになります。

 時は経ち、豊田の創業者である豊田佐吉が自動力織機を完成させた頃(1900年頃)、川俣でも大橋兄弟が大橋式力織機の開発をします。川俣の機屋は大橋家の尽力で、手織から川の水を使った水力織機となり、電気への移行とともに電力の織機へと発展させることができました。

 戦時中、川俣の機屋は戦闘に必要なパラシュート生産のため織機を国に差し出すよう命じられます。
 戦後、川俣シルクは日本復興の一翼を担います。高度経済成長期には、横浜経由で織物の輸出が盛んになり、川俣だけでも最大300軒近くの機屋が存在しておりました。欧州において「KAWAMATA」といえば川俣シルクを意味するほど広く知れ渡りました。 
 しかしながら現在繊維産業の経済低迷とともに企業も減少し、今では川俣町でも4軒を数えるまでとなりました。そして伝統的川俣シルク『軽目羽二重』を織ることができるのは日本でも紺野機業場のみとなりました。

 「有限会社 紺野機業場」 福島県伊達郡川俣町字日和田2番地

 世界一薄い絹織物「フェアリー・フェザー」を生み出した「齋栄織物」 福島県 CRAFT2020.1.16
 長い歴史をもつ絹織物の産地、福島県川俣町(かわまたまち)に今、世界から熱い視線が注がれている。2012年、ものづくり日本大賞で内閣総理大臣賞を受賞した、世界一薄い絹織物「フェアリー・フェザー」を生み出し、川俣シルクのイノベーションに挑み続ける、齋栄織物(さいえいおりもの)を訪ねた。

 イノベーションで川俣シルクの復権へ
 「東北の絹織物というと、仙台平(せんだいひら)や米沢織(よねざわおり)の名前をよく聞きますが、福島県にも絹織物の産地があるんですね」
 工場内を歩きながら、作業風景を見学する中田英寿さん。隣では齋栄織物の常務、齋藤栄太(さいとう・えいた)さんが、生糸が非常に高価だった時代に、川俣では少ない糸で高い価値を生み出す「軽目羽二重(かるめはぶたえ)」の技術が発達したと説明する。
 現在、川俣町の織物会社は約20社。この薄手で上質なシルクの生産を受け継いできた。
 「欧米の繊維業界では“KAWAMATA”の地名は、軽目羽二重を指す言葉でもあるそうです」
 祖父の創業した会社に齋藤さんが入社したのは17年前。当時は、会社の業績もどん底だったと振り返る。

 「取引先が限られていて、一社依存率が高い状況でした。関係先が業績不振に陥れば共倒れのおそれがある。裾野を広げたくて、展示会や商談会に積極的に参加し、輸出もアメリカだけでなく、ヨーロッパの販路開拓を始めました」
並行して、自社の強みとなるフラッグシップ商品の開発にも乗り出した。たどり着いたコンセプトは「世界一薄くて軽い先染めの絹織物」。川俣シルクの特長を突き詰めると共に、齋栄織物が得意とする、先染め織物の技術を融合したいと考えたからだ。

 まずは市場にある最も細い生糸を使用して試作するも、営業先の反応は薄かった。そこで見直したのが原料の生糸。通常、蚕(かいこ)は4回脱皮して繭(まゆ)になるが、3回しか脱皮していない「三眠蚕(さんみんさん)」の糸を用い、髪の毛のおよそ6分の1という極細糸を開発した。ピンと張っていなければ、指先ですくっても感触がないほど繊細。当初は糸切れの連続だったが、試行錯誤しながら織機(おりき)を改良。2年以上を費やして、量産化にこぎつけた。

 「フェアリー・フェザー」と名付けられた商品の一般販売がスタートしたのは、東日本大震災からちょうど1年後のことだ。テレビで特集されるや、メールはパンク状態に。電話の問い合わせは、1日でファイル2冊分にもなった。同年、ものづくり日本大賞やグッドデザイン賞を受賞。ヨーロッパの有名ブランドにも続々採用され、店頭に自社製品が並んだ時は喜びが込み上げたと語る齋藤さん。今後は、家庭で洗えてシワになりにくく、ストレッチ性のあるシルク100%の素材を開発したいと意欲を見せる。
 そうした新たなものづくりの姿勢を称賛する一方で、和装の文化もぜひ残してもらいたいと中田さんは期待を寄せる。
 「以前、女性は友禅、男性は袴(はかま)をドレスコードに、イベントを開催したのですが、参加者には非常に好評でした。このイベントへの参加をきっかけに着物をあつらえる方も多く、僕も年に1枚は買うようになりました。ものづくりだけでなく、機会をつくること。産地でもバランスよく取り組んで行くことが今後は、大事なのではないかと思います」

 「齋栄織物株式会社」 福島県伊達郡川俣町鶴沢馬場6-1


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« < お米 > お米の品種・銘柄... | トップ | <大阪産(もん)-水産物> キ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

イッピンNHK」カテゴリの最新記事