「博多織」
Description / 特徴・産地
博多織とは?
博多織(はかたおり)は福岡県福岡市博多地区周辺で作られている織物です。中国から伝来した織物の技術を独自で発展させた織技術は上質な織物として時代を通じて評価されています。
博多織の特徴は、たくさんの細い経糸(たていと)を使用し、経糸で柄を浮かせるように綿密に織られることです。強い打ち込みのため独特の張りや厚みがあり丈夫で、男帯として古くは武士、近年は力士のまわしとしても多く用いられてきました。帯を締め込んだ時には独特の「絹鳴り」とよばれる絹擦れの音がします。
博多織の素材には生糸や絹糸、金銀糸、うるし糸が用いられ、箔には金銀箔、うるし箔が使われています。製法により「献上・変り献上」(けんじょう・かわりけんじょう)、「平博多」(ひらはかた)、「間道」(かんどう)、「総浮」(そううけ)、「捩り織」(もじりおり)、「重ね織」(かさねおり)、「絵緯博多」(えぬきはかた)の伝統七品目が設定され、伝統技法が受け継がれています。
History / 歴史
博多織 - 歴史
博多織は、鎌倉時代1241年(仁治2年)に博多商人満田弥三右衛門が宋より持ち帰った唐織(広東織)の技術を元に、16世紀に子孫満田彦三郎が改良を重ねた織物技法です。彦三郎は明において新しい織物技術を習得し家伝の技術と合わせて研究を続け、浮線紋や柳条により仏具の「独鈷」や「華皿」を模様にした厚みのある織物技法を完成させました。これが「覇家台織」(はかたおり)と名付けられ、現在の博多帯のルーツとなっています。
1600年(慶長5年)黒田藩統治下では博多織が幕府献上物として作られるようになり、森羅万象を表現した五色献上が誕生しました。博多織は江戸時代には織屋株制度により限定されていた生産者が明治時代に入ると自由化されました。そして品質維持のため1880年(昭和55年)、現在の博多織工業組合の原型となる博多織会社が設立されました。さらに明治後期になると男帯だけでなく女帯も織られるようになります。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/hakataori/ より
時代とともに輝く博多織
750年の歴史を織り込んできた博多織。「伝統の技」と「時代感覚」このふたつを巧みに融合していく進取の気質こそが、博多織をはぐくんできたといえるだろう。その伝統美には、博多人の熱い心意気が尽きせぬほどに詰まっている。
伝統の普及
博多駅から西へ徒歩10分。博多織工業組合を訪ねた。組合のビルの中に設けられた工房は、一般の人も見学することができる。博多織の伝統工芸士・渡邊福夫さんは、その工房で博多織の普及に力を入れている。
渡邊さんが博多織の世界に入ったのは、昭和27年。中学を出て仕事を探していた時、当時住んでいた家の二軒隣の博多織の織屋から「やってみないか」と声がかかったのが始まりだ。見習い当初の工賃は、一日あたり80円。食事代がやっとまかなえる程度だったが、手先が器用で働き者の渡邊さんは、織屋から見込まれ、夜間高校に通いながら見習期間の3年を勤め上げた。4年目になると帯の織を任されるようになり、給料が一気に10倍に。好景気も手伝って、勤め人の2倍の給料をもらった。今では、織と意匠の二分野で伝統工芸士の指定を受ける、博多織の第一人者である。
博多織の新しい世界
他の産地と同様、博多織も時代の変化の中にある。昭和50年の山陽新幹線の開通をピークに、博多織の需要は減りつづけた。質の良い国産の絹糸は減り、変わって中国、ベトナム、ブラジルから絹が輸入されるようになった。
時代の変化の中で、博多織協同組合では、さまざまな新しい分野の開拓に挑戦してきた。昭和58年には、ジャガード織のフロッピー化に業界で初めて成功し、経糸(たていと)に2人必要だった工程が1人でできるようになった。この方法は、全国各地の織の産地でも導入された。
昭和59年には、ブライダルデザイナーの桂由美さんと提携、博多織の生地をウエディングドレスに仕立てた作品を発表し、大きな反響を得た。このウエディングドレスは好評で、現在までの18年間に、数万人の花嫁姿を飾った。
また、平成5年には、桂由美さんデザインの祭服をローマ法王ヨハネ・パウロ二世に献上した。祭服には、法王の故郷であるポーランドの国花・パンジーのデザインをあしらっている。その重厚な印象にもかかわらず、質の良い絹と伝統技術により、たいへん軽い着心地となったという。
帯は博多に限る
男帯といえば博多帯、といわれるほどに、博多の帯は親しまれている。一度締めると緩みにくい博多帯のファンは多い。相撲の力士の帯も博多帯だ。曙関が大関に昇進した際には、渡邊さんはオレンジ色の兵児帯(へこおび)を織った。
男帯だけでなく、女性の帯も、伊達締め、浴衣の帯、袋帯など種類も豊富だ。絣や西陣の着物と合わせると、きりっとした博多織ならではの色気が引き立つ。
しなやかで粋な博多帯は、緯糸(よこいと)を通して、強く叩いて引き締める工程が重要だ。この作業には、男性の織り手の力が要る。力強いリズムで織り上げられることによって、他の産地にはない魅力が出てくる。
伝統の新しい世界
織は、根気のいる仕事だ。「汗が出て、くたびれもしますが、仕事と思えば精が出ます」と渡邊さんはいう。糸繰りと糸合わせに2日かけ、織には2日。織り始めると、一気に最後まで織りつづけるのが、うまく仕上がるコツだ。
渡邊さんは、「粋でおしゃれな博多帯を、若い人たちにももっと使ってもらいたい」と話す。着物は、たしかに一着あたりの値段は高いが、長く着ることができる。体型が変化しても調節でき、子どもに残すこともできる。
博多織協同組合では、博多織の良さを若い人たちにも知ってもらおうと、インターネットを使った製品の販売をスタートさせた。組合のホームページ上で、博多織の製品を購入できる仕組みだ。伝統と時代の最先端をうまく連携させながら、博多織は今日も進化を続けている。
こぼれ話
献上の博多織
今から約750年前、博多の商人・満田弥三右衛門が聖一国師という僧とともに中国(当時の宋)に渡り、織物の技術を博多へ持ち帰ってきました。伝統の紋様は、弥三右衛門が聖一国師に依頼してデザインされたものです。インドの護身用の武具で、煩悩を破砕し菩提心を表わす象徴とされている「独鈷(どっこ)」を押した「独鈷柄(どっこがら)」と呼ばれる図案や、仏に供養するために花を散布するときに用いる「華皿(はなざら)」の図案が取り入れられています。約370年前(江戸時代)、当時の筑前藩主・黒田長政は、幕府の献上品として博多織を選びました。献上は方帯の図案には、独鈷と華皿に加え、太い二本の線の間に細い線をあしらった「中子持」、太い一本の線を細い二本の線で挟んだ「両子持」の柄で、日本古来からの親子の情愛を表現しています。
*https://kougeihin.jp/craft/0123/ より
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