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<経産大臣指定伝統的工芸品> 富山 越中和紙

2021-04-04 06:17:12 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「越中和紙」

 Description / 特徴・産地

 越中和紙とは?
 越中和紙(えっちゅうわし)は、富山県朝日町、八尾町、平村周辺で作られている和紙です。五箇山和紙(ごかやまわし)、八尾和紙(やつおわし)、蛭谷和紙 (びるだんわし)の3つの生産地で製作されている和紙を総称したものとなっています。
 越中和紙の特徴は、産地ごとに少しずつ用途が異なっており、さまざまな種類の和紙がある点です。蛭谷和紙では書画用紙、五箇山和紙では障子紙、絵画や版画用の紙、文化財補修用紙などが製造の中心となっています。また、八尾和紙では「型染め(かたぞめ)」という独特の製法で仕上げられた模様紙や和紙加工品など、何かを描くというよりは加工することを前提とした和紙が製造されてきました。いずれの産地の越中和紙も生活の中で重宝されてきたものであり、丈夫さが魅力です。
 伝統的な製法や製品が受け継がれている一方で、新しい紙製品の開発も盛んです。八尾和紙の型染めによるモダンな模様が印象的な製品や、五箇山和紙の市松模様やカラフルさが魅力のブランド製品は注目を集めています。

 History / 歴史
 越中和紙の起源は定かではありませんが、奈良時代の774年(宝亀5年)に書かれた「図書寮解(ずしょりょうげ)」に紙の産地として越中が記述されており、この頃には既に紙が生産されていたと考えられます。また、平安時代中期の律令の細則「延喜式(えんぎしき)」では、租税として越中の和紙を納めていた旨の記載が確認できます。
 なかでも八尾和紙の生産が盛んになったのは、江戸時代の1688年~1704年(元禄年間)です。富山藩2代藩主の前田正甫によって売薬が奨励されるようになり、越中和紙は薬包紙(やくほうし)や顧客名簿である懸場帳(かけばちょう)、薬売りが持ち歩く鞄の素材としての需要が高まっていきました。
 また、五箇山和紙は江戸時代に加賀藩の御料紙(ごりょうし)として使用されており、発展を遂げています。伝統的な製法を受け継いできた越中和紙は、1984年(昭和59年)に国の伝統工芸品の指定を受けました。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/echuwashi/ より

 雪と水、手わざが織りなす越中和紙
 八尾和紙、五箇山和紙、蛭谷(びるだん)和紙。越中では3つの地域で独自の和紙づくりが受け継がれてきた。雪深い山間(やまあい)で、自然と親しんできた人の手と良質な楮(こうぞ)からつくられる越中和紙には、凛とした気品と風格がうかがえる。

 
 「おわら風の盆」で知られる八尾町は和紙の里
 飛騨の山々と富山平野の中間に位置する八尾町は「富山の売薬」の薬袋紙の産地として栄えてきた。“八尾山村千軒、紙を漉かざる家なし”とまで謳われれるほどであったが、今では2カ所の紙漉き場を残すのみ。その1つである「桂樹舎」の吉田泰樹さんにお話を伺った。


 良質の楮からできる丈夫な和紙
 越中和紙は産地ごとに製品の特徴が異なる。八尾和紙は「八尾民芸紙」とも呼ばれ、染紙や工芸紙、型染めによる模様紙や和紙加工品の生産もさかん。一方、五箇山和紙と蛭谷和紙は障子紙や書画用紙、出版用紙などが主流を占める。共通して言えるのは「生活用品として使われてきた背景から、丈夫なのが特徴」だと吉田さん。


 植物の性質を知り抜く昔からの技術
 和紙の原料として使われるのは「楮」のほかに「雁皮(がんぴ)」と「三椏(みつまた)」。そして均一な紙を漉くのに欠かせないのが「ネレ」。アオイ科の「トロロアオイ」の根を砕いて水に漬けてできた透明な粘液が「ネレ」だ。1枚ずつ漉いた紙はそのまま積み重ねていくが、不思議なことに引っ付かない。トロロアオイには粘り気があるのにお互いをつき離す性質があるそうだ。吉田さんは「ネレ」を触りながら「昔の人はえらいなあ。植物の性質をよく知っとるもんな。私たちはその技術を受け継いでいるだけだから・・」としみじみ語っていた。


 人間国宝のもとで染色の修行を3年間
 吉田さんは大学卒業後、いったん外の世界に飛び出す。人間国宝でもある芹沢けい介氏のもとで3年間染め物の修行をしたのだ。芹沢氏は、型染めの工程をすべて自分で行うことで独創的な作品を制作した染色工芸家。八尾和紙は模様紙の生産が多く、この間の経験は、吉田さんのその後の和紙づくりにも大いに影響を与えているという。

 一枚一枚丹念に色を置く模様紙づくり
 模様紙には型紙と防染のりを使う「型染め」という技法がとられる。図案を作成して型を彫り、色をつけない部分にのりを置き、染め、水につけてのりを落とす、という作業が繰り返される。一枚一枚、一色一色乾かしながら作業は進められる。この作業も昔から受け継がれてきた技術だ。吉田さんはここでもやはり「昔の人はえらい」ということを口にした。


 和紙の魅力を伝えたい
 「桂樹舎」では、手漉き和紙の展示場「和紙文庫」を一般に公開している。吉田さんの父・桂介さんが国内・国外から集めたさまざまな資料や作品が並んでいる。展示物のなかには前述の芹沢けい介氏の作品もある。展示を見ながら吉田さんは「紙は今では生活必需品ではなくなってきているけれども、1200年の歴史をもつ文化をすたらせるわけにはいきません。長い間生活の一部であった和紙の魅力を多くの人に伝えていければ・・・。」と話してくれた。

 作業場ではシーズンに備えて鯉のぼり製作に追われていた。丈夫な和紙に鮮やかな色が丹念に置かれていく。小振りながらもたくましい鯉のぼりの姿は、子どもの成長を祝う端午の節句に似つかわしく思えた。

 職人プロフィール

 吉田泰樹

 1952年生まれ。
 大学卒業後、3年間染め物の勉強をした後、紙漉きの世界に入る。(有)桂樹舎を経営。


 こぼれ話

 五箇山・こだわりの和紙「悠久紙」

 合掌造で有名な五箇山も越中和紙の産地。五箇山にただ一つ残る生産農家、宮本友精さん親子は、楮(こうぞ)づくりから紙漉きまで、昔ながらのやり方を守り続け、こだわりの「悠久紙」を作っています。
春の楮畑の手入れに始まり、夏の草刈り、秋の刈り取り、そして冬は皮剥ぎから雪晒し・・・。宮本さんの和紙作りは、昔と変わらない手作業で行われています。薬品も極力使いません。
 こうしてできた純楮和紙は、強くて優美。「千年近く経ても墨の色も紙の色も変わらない」といわれ、京都の桂離宮の修復など、寺院や文化財の修理、修復に重宝されています。
 和紙づくりに携わって70年をすぎる正真正銘の「和紙職人」、宮本さんの言葉から。「一年で太った楮を、水と光に晒して、和紙にして、ちゃんと乾くところに置いときますりゃ、千年でも、まだまだもつということは、信じられないほどきついもんじゃと思うとります。それが自然の力なのだなあ・・・。信じられないけれども信じております。」

*https://kougeihin.jp/craft/0902/ より


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