幅広の長いカウンター、後ろにテーブル席1席、他に麻雀ルームとカラオケルーム、木目調のシックな造り、相当のお金のかかった内装で何十年改装しなくとも良しの店。その店が閉めたと聞いた。ショック!
景気が悪いだけですむ問題か!誰が悪いんや!あんなに努力してたのに!怒るで!
リリオーは同業者の男性と親しくなったことはない。相談に乗ってもらったこともないし一緒に飲みに行くこともなかった。意外とマスターとママ、マネージャとホステスが夫婦と言うことの多い世間なのに、リリオーは同業者と何故か一線を引いていて長い新地生活の中で友達もいなかった。
その閉店した店の経営者は男性だ。でも、友達・・・何故?
リリオーの1F上で経営していた(リリオーと同じ年に閉店した)ママの友達で2人は飲み友達、リリオーとそのママとは飲み友達、友のママを通じて酒好き仲間が集まり、店が跳ねてから飲み歩くこと歩くこと、毎夜の如く。今日はマルトク、昨日はスナック、その前は鳥屋、その前の前は立ち飲み屋、じゃ、今日は何処へ行く?って感じで。REちゃんや女の子達も遅くなっても良い日は付き合ってくれたが、まあ、3人は良く飲んだ。信用できる男性と感じたからでリリオーの最初で最後の友達となった。(彼はどう思っていたか解らないが)
その男性が勤めていた店のオーナーが閉店するとなって引き継いでやりたいと言った。
友のママは大反対。「こんな時期にしたらあかん、やめとき、働いている方が損せえへん」と言ったが、男性はそろそろやるべき時期とオーナーマスターになった。
そして4~5年やっていただろうか。毎日の飲み歩きもやめ、ママからの良いお客様も引き続き来てもらって一生懸命頑張っていた。リリオーが店を閉めてからも行かせてもらったが結構、繁盛しているように見えたが・・・閉めるなんて悔しいね。本当に素敵な店だったんだから。彼がその店をすると聞いたとき、リリオーがしたいと思ったくらいの店だったからね。
毎月、月末はすぐにやってくる。スタッフの給料、家賃、酒代の支払いと大変だったであろう。やっぱり経営者にならなくてスタッフとして働いていた方が・・・それは結果論だ。やりたいと思ってやったんだから・・・でも、悔しいね。又、一緒に飲んで話をしようと約束する。
バブルの時代に大学生だった甥をアルバイトとして働かせていた時がある。その甥も40才になって大阪に転勤してきてリリオーに言った。
「新地に行ったけれど、客層が違うような気がする。若い人が多いなあ、連れて行ってもらった店も若い人がいっぱいで、若者の新地みたいやった」と。新陳代謝、若い人たちにも来てもらわないといけないんだけれどね・・・