リリオーの日記

気が付いたことを書きます。

ショック

2010-01-21 20:46:16 | Weblog
新地の中にある店、1軒、ネオンの火が消えた。
幅広の長いカウンター、後ろにテーブル席1席、他に麻雀ルームとカラオケルーム、木目調のシックな造り、相当のお金のかかった内装で何十年改装しなくとも良しの店。その店が閉めたと聞いた。ショック!
景気が悪いだけですむ問題か!誰が悪いんや!あんなに努力してたのに!怒るで!
リリオーは同業者の男性と親しくなったことはない。相談に乗ってもらったこともないし一緒に飲みに行くこともなかった。意外とマスターとママ、マネージャとホステスが夫婦と言うことの多い世間なのに、リリオーは同業者と何故か一線を引いていて長い新地生活の中で友達もいなかった。
その閉店した店の経営者は男性だ。でも、友達・・・何故?
リリオーの1F上で経営していた(リリオーと同じ年に閉店した)ママの友達で2人は飲み友達、リリオーとそのママとは飲み友達、友のママを通じて酒好き仲間が集まり、店が跳ねてから飲み歩くこと歩くこと、毎夜の如く。今日はマルトク、昨日はスナック、その前は鳥屋、その前の前は立ち飲み屋、じゃ、今日は何処へ行く?って感じで。REちゃんや女の子達も遅くなっても良い日は付き合ってくれたが、まあ、3人は良く飲んだ。信用できる男性と感じたからでリリオーの最初で最後の友達となった。(彼はどう思っていたか解らないが)
その男性が勤めていた店のオーナーが閉店するとなって引き継いでやりたいと言った。
友のママは大反対。「こんな時期にしたらあかん、やめとき、働いている方が損せえへん」と言ったが、男性はそろそろやるべき時期とオーナーマスターになった。
そして4~5年やっていただろうか。毎日の飲み歩きもやめ、ママからの良いお客様も引き続き来てもらって一生懸命頑張っていた。リリオーが店を閉めてからも行かせてもらったが結構、繁盛しているように見えたが・・・閉めるなんて悔しいね。本当に素敵な店だったんだから。彼がその店をすると聞いたとき、リリオーがしたいと思ったくらいの店だったからね。
毎月、月末はすぐにやってくる。スタッフの給料、家賃、酒代の支払いと大変だったであろう。やっぱり経営者にならなくてスタッフとして働いていた方が・・・それは結果論だ。やりたいと思ってやったんだから・・・でも、悔しいね。又、一緒に飲んで話をしようと約束する。
バブルの時代に大学生だった甥をアルバイトとして働かせていた時がある。その甥も40才になって大阪に転勤してきてリリオーに言った。
「新地に行ったけれど、客層が違うような気がする。若い人が多いなあ、連れて行ってもらった店も若い人がいっぱいで、若者の新地みたいやった」と。新陳代謝、若い人たちにも来てもらわないといけないんだけれどね・・・

あと4日

2010-01-20 22:56:50 | Weblog
大相撲初場所も千秋楽まであと4日。優勝は横綱2人に絞られたよう。
リリオーは、元々相撲ファンではなかったが、何回も書いているようにお客様から栃乃花関を紹介して頂いてから、相撲を見るようになったんだ。そして、そのまま、春日野部屋ファンに。
今場所の春日野部屋関取衆の成績は芳しくない。昨日の春日野部屋のHPの中にある~気まぐれ日記頭脳編~を見た。今場所初めての関取衆黒い5連星(関取衆全敗)とある。5人とも負けてしまったのか。怒るよ。まあ、今日は2勝3敗か。上位に上がってそのまま頑張って勝ってくれれば栃ノ心関はトントンと小結、関脇と行くのだが、それがやはり、大関、横綱と当たると負けて落ちてしまう。悔しいね。これをバネにしてもう一度上がってきて欲しい。大丈夫。身体も益々大きくなっているし、バネのある腰で粘っこい相撲を取ってくれるであろう。幕下以下も17人いて大世帯、稽古相手は十分いるのにね・・・どうしてだろう?
成績が悪いと3月大阪場所の千秋楽打ち上げパーティーに行かないよ。ファンは怒るときがあるんだから。厳しく見守ることにしよう。
「謀管理人気まぐれ日記頭脳編」春日野部屋、マネージャーのブログなんだけれど、凄く面白く上手に書いてあるんだ。写真も上手いしね。どうしてあんなに上手に書けるんだろうと、感心している。みんなも見てね。

暖かくて・・・

2010-01-19 22:18:48 | Weblog

お庭の散歩とシャレてみた。勿の論、大阪城のことだ!自転車でスイスイとね。
少しくらい暖かいと言っても冬だから散歩している人は少ないかなと思っていたら、とんでもない。たくさん来ていた。噴水の周りにあるベンチは全てふさがっている。新聞や本を読んでいる人、鳩と遊んでいる人、スーパーで買ってきたと思われる弁当を食べている人、空をじっと眺めている人達だ。定年後、ゆっくり出来るようになって、自由を楽しんでいるのかな?良いよ、長い間働いてきたんだ、ゆっくりしようよ。リリオーもおいしい空気を吸いたくなったとき来るんだ。仕事をしていたときには、大阪城を散歩するなんて考えられなかったけど、自由と言う時間が出来たこと幸せに思う。
自転車を走らせ、桃園まできたが、桃の季節はまだまだ早い。だから空いていてベンチには誰も座っていない。森ノ宮駅近くにあるモスバーガー店でモスチーズバーガーとフレンチフライを買ってきていたので、ベンチに腰を下ろしガブッと食べ始めた。飲み物はアサヒスーパードライ、これが又合うのよね・・・旨い!食べ始めてふと前を見ると桃の木の間1カ所に固まって水仙が咲いていた。可愛い!何で桃園に水仙が?ここだけ?
下手だけどパチッと1枚撮った。穏やかな昼の時間であった。
でも、それからが大変だった。帰りにヨーグルトが安いとチラシが入っていたのを思い出し、そのまま自転車に乗りスーパーに行った。(スーパー大好きおばさんは毎日チラシを見て楽しんでいるんだ)一歩入ったら人だかりが・・・ジャガイモ袋つめ放題198円コーナーがあって、みんな必死で詰めている。
「今、いた人、袋にあふれるくらい入れてレジカゴにこぼれてるのよ、あつかましいわ」と横目使いに見ながら言い、「こうして1個づつ、縦にして入れると良く入るわよ」とリリオーに教えてくれる人、ギュッとこれでもかと押し込んで入れている人、袋をパンパンと叩いている人等、戦々恐々だ。こうなったらリリオーも買わないと損すると入れた入れた・・・まあ、このくらいで許したるかと言うくらい詰めて・・・元新地のママが恥ずかしいと言う無かれ。そして、今日は凄く得したと喜んで帰り冷蔵庫を開けてビックリ。袋に入ったままのジャガイモが・・・そうだ、昨日買ったんだ。それにもし買っていなくともこんなにたくさんのジャガイモどうするの?安いとみんなが買っているのに乗ってしまってアホバカなリリオー。直ぐに義姉に電話する「ジャガイモ要らん?あげるわ」と。
又、自転車に乗りジャガイモを持って義姉の家に向かうリリオーでありました。


今日は15時からテレビで

2010-01-18 21:34:39 | Weblog

大相撲観戦だ。何故って?向正面解説が二十山親方だったから。
リリオーは春日野部屋のファン、二十山親方のファンであることは何回も書いている。
親方がテレビで解説を始めた頃は、少し心配しながら見ていたが、段々、慣れてきて、取り組みの説明や勝ち負けの様子を解りやすく解説してくれているし、丁寧な言葉使い、柔らかい物腰の話し方で、すっかり安心して見ている。又、今日の正面解説は音羽山、佐ノ山両親方だ。左ノ山親方は今場所引退した千代大海関、音羽山親方は元貴ノ浪関。このお二人とは二十山親方・・元栃乃花関が新入幕の時、10勝2敗で大きく勝っていたので初めて幕内に入ったばかりにも関わらず、大関千代大海と当たって、そして勝った。そして大関貴ノ浪とも当たらされたが、その勝負にも勝った。そう言う話になって当時の相撲が映し出された。強かったんだなあ。すぐに小結になって順風満帆、大関もと思われたのに、怪我と腰痛で小結から陥落したし、一時は幕下まで。大変苦労されたが、天性の相撲センスと努力で、横綱朝青龍とも対戦できるまでカムバックした・・・そう言う話もあって楽しくテレビ観戦できた。みんなも相撲ファンになってね。
話は変わるけれど、朝のテレビ、料理番組で(リリオーは定年になってからホンマ、テレビ人間になった)「やさいおかずの素」の作り方をやっていた。
にんじん、キャベツ、タマネギの千切りに塩少々入れて蒸し煮にし、いろんな料理に利用するという。今日は、それを使って一口春巻きを作っていた。「よし、作ろう!」早速、野菜と春巻きの皮を買ってきてやってみた。何か一口餃子のような気もするが、パリパリと焼いてすごくおいしかった。野菜だけを使っているのでヘルシーだしね。
リリオーは春巻きも作られるようになった。生まれて初めて作ったんだ。偉い!??。仕事をしていたときは昼も夜も夜中も年中、外食だったからね、仕方がなかった。そう、新地に春巻きのおいしい店があるね。リリオーがお水の世界に入ってすぐの頃、先輩のお姉さんホステスとお客様方で良く行った店。堂島にある「青冥」
「この店はエビのチリソース煮、おこげ、焼きそばと何でもおいしいけど、春巻きが一番よ、いただいたら」とすすめられ、食べたが、パリパリの皮を口に含むと暖かい肉汁と野菜がギュッとあふれて、「おいしい!」と叫んだ。それから行く相手変われど注文を忘れないのは「春巻き」だった。
「この店は何を食べてもおいしいけれど、リリオーの一押しは春巻きよ」と先輩からの言葉をそのまま引き続いて言ってきた。
でも、今日の春巻きも一押しに出来る味だなあ。
スパゲティに春巻き、次は何を覚えようか・・・


スパゲティの茹で方+

2010-01-17 21:03:43 | Weblog

この前、おでんパーティをしたときに出た話。
「スパゲティが好きなんだけど一人だと、たくさん茹でたらどうしようもないし、1回づつ茹でるのも邪魔だし、冷凍食品のスパゲティはおいしいしそれで十分よね」とリリオーは言った。「あんたは一人だから、それでええけど、私なんか孫達が来たときに自慢のスパゲティを作ってやるのが嬉しいのよね」と友は言う。まあ、羨ましい話。
「でも、ほんまに茹でるのが面倒」
「簡単やないの、テレビでやっていて、それにはまってるわ、簡単!」
「どんなん?」
と、聞いて、直ぐに何でもやりたくなるリリオー、今日、昼に早速やってみた。大鍋に水いっぱい入れてバカバカ沸いてきたらスパゲティを入れ5分経ったらガスを止める。そして、その麺のゆで時間が10分であれば、あと5分、8分であれば3分、そのまま置いておく。そしてざるに取り湯切りをしてから又、鍋に戻しバター、又はマーガリンを入れ絡ませる。それから、ラップに振り分け冷凍する。そしたらいつでも食べたいときに解凍したら良し。
やるゾーと麺を買ってきて言われたとおり茹でて冷凍にしておいた。そして、昼に取り出しフライパンで暖め今日はタラコを入れてタラコスパにして食べた。
うーん!おいしかったゾー!たくさん、冷凍しておいたのでこれならいつでも食べたいときにいつでも食べることが出来る。
この茹で方みんな知ってた?!そう、「伊東家の食卓」と言う番組でやっていたそう。リリオーは見たことがないけれど。
そう言えば、新地のママ時代に、ピザとスパのおいしい「ヂヂ」と言う店に良く行ったよね。大昔は上通りと浜通の間にあって、何時も超満員だった。夕方になるとOLやサラリーマン達が行列していて、店が跳ねる頃になると客やママ、ホステスでいっぱいさ。お客様、女の子達と良く行ったよ。リリオーはからすみスパゲティが好きで、頼むんだけど笑うと歯が真っ黒になっているので、「ママ、真っ黒よ」「あなただって」とアハッハッハいや、新地のママだから「オホッホッホ」と口に手を当て笑ったね。
そのヂヂも永楽町に代わり、それからどんな理由か知らないが移り変わりの激し新地から姿を消した。好きな店の一つだったのにね、残念。
スパゲティの茹で方を教えてもらって、何故か新地の素敵なお店を思い出したリリオーであった。


故郷の話で

2010-01-16 21:59:53 | Weblog
お客様から電話有り。
「リリオーさん、故郷は永遠だよ。家が無くなっていようが、知っている人がいなくなっていようが、故郷はあるんだよ、帰りたくなる故郷がね。リリオーさんは故郷が近くにありすぎて有り難みが解らないのかな。羨ましいよ、僕は随分遠いからね・・・ふるさとは遠きにありて思うもの・・・と言う詩があるだろう」
「そうですね、近くに通った小学校や中学があるし、当時の友達とも会うし、幸せかな」
「又、逢おう、飲んで話をしよう」と優しい言葉を頂いた。これもブログ友達のお陰かな?そう言えば、父の故郷(広島県の三原)に以前、何十年ぶりに尋ねたことがあった。父が生まれた家は何処にも残っていないのに、そこに父が笑って立っているような、小さな街全体が父の香りに包まれていたような感じがした、それが故郷の香りなんだ。
リリオーはもう何処へも引っ越しする気はない。生まれたこの地、故郷でもあるこの地で最後までいよう、いや、いたいと思う。
今日も義姉から電話有り。小正月で今日、ぜんざい炊いたから食べにおいで」と。鏡開きをしたお餅でぜんざいを作り災難に遭わないよう病気をしないよう祈って食べるのだ。まあ、もう、割って食べるような鏡餅はないよね。プラスチックで作られた鏡餅の中に小餅が入っているんだ。リリオーも店をしていたとき、たくさんの種類のクリスマスプレゼントを用意したが、その中に、小餅の入った鏡餅もあった。人気があり、抽選で当たらなくとも、「ママ、頂戴、もらって帰る」と言うお客様が多く人気賞品だった。お餅もぜんざいも嫌いだったリリオーも最近、何故か好きになって食べに帰っていた。義姉の透析は永遠に続く。リリオーのマッサージもね。親孝行しなかったから義姉孝行しなくてはと思う。みんなも親孝行、奥さん孝行しているかい。若い内は新地の女と浮気しても最後に帰るところは、いや、帰してもらうところは、故郷=奥さんのところだよ。大事にしてね。

地元界隈の話で

2010-01-15 23:45:32 | Weblog
リリオーが生まれたのは、今住んでいるマンションから1駅くらい離れたところ。
幼稚園、小学校~OL時代を過ごした。そう、結婚もその家から出た。(直ぐに帰ってきたけれど)
子供の頃は「お母ちゃん、隣の晩ご飯、すきやきや、向かいは秋刀魚焼いてるわ」と近所から流れてくる香りでおかずの中身が知れたり、家の前で、縄跳び、ケンケンなどして遊んで過ごしていた。戦争で焼けなかった地区だったので古い長屋が所狭しと並んでいた。
その地に異変が起こった。
1地区の話だが、築何十年(60年~7,80年?)なる長屋が2棟。借家であったが、みんなそれなりに自前で綺麗にリフォームして住んでいた。だが、10年位前に地主が代わり明け渡しを要求されていた。反対運動をしていたが遂に話し合いがつき、去年12月末に住んでいる人たちは出て行ったのだ。
何処かの家の誰かが結婚するとか亡くなった、入院したなどあれば、みんな直ぐに知らせが入り対応した。困ったことがあれば直ぐに誰かが助ける・・・そんな長屋が何棟もありみんな仲間であった。その中の何世帯の人たちが急にいなくなった。
リリオーが子供の頃、良くしてもらったおばさんがいた。結婚してこの地に住み子供を産み結婚させて夫婦二人で仲良く暮らしていた。ご主人が2年ほど前に亡くなってから淋しそうだったが、近所の人たちとの会話で元気になっていた。でも今度の立ち退きに合い、息子さんの住む遠い地(関東地方)に引っ越ししていった。息子さんと住むのは良いことだが、知らない地に行くのは不安であろう。ずっとずっとこの地にいたかったに違いない。
もう、この地が故郷(ふるさと)だったんだから。
リリオーの場合、実家は裏からの火事の巻き添えで焼失して帰るところがないが、まだ、兄の家が近くにあるので時々帰ることが出来るし近所付き合いのまねごともさせてもらっている。でも、もう何年かすると誰も知っている人がいなくなって帰れなくなるだろう。その時に故郷が無くなり単なる思い出の地となるのか?
故郷って永遠にあるものと思っていたが違うのだなあ。悲しいね。空き家になった家並みはこれから取り壊され新しい家が建ち若い人たちが住むようになるであろう。そしてその人達の故郷になるのだ。故郷も世代交代するんだね。
義姉と話をして何か淋しく思った1日であった・・・

おでん物語・・2

2010-01-14 22:47:20 | Weblog
こんなに沢山作ってどうするの?と思案して友に電話。
「ほんじゃ、おでんパーティしよう、うちに持ってきてよ」「オーケー」
リリオーの大好きなコロとかウインナー、シュウマイも入れて(益々増えて)台車に乗せ(だって、直径36センチもある大鍋だから手で持てない)八海山の1升瓶も加えてゴロゴロ押して友の家へ。10年ほど前に夫に先立たれた女とちょっと風呂へ言ってくると行って出かけたまま帰ってこない男を待つ女(まあ、風呂に出かけたままとは漫才の世界だけれど結果は同じ出て行ったまま)長い間お水の世界にいた女、それぞれ生きてきた人生は違うけれど3人集まれば何にも怖くない。ああでもない、こうでもないと食べ飲み語り、おでんでこんなに楽しい夜が出来上がるなんて素晴らしい。やはり、1万円以上のコースも良いけれど、上品ぶらずに食べてこそ、おでんであると解った。
話は変わるけれど、豪栄道が横綱朝青龍を倒した。初金星だ。稀勢の里も今のところ負けなし、でもだ・・又、でもが始まったよ。春日野部屋、栃煌山はどうした。3人は同い年で、誰が先に横綱になるか期待の星達だ。豪栄道は横綱に勝ち益々、力を付けるであろう。どうする?栃煌山。春日野部屋ファンのリリオーは胸が痛くなるよ。ガンバレ!栃煌山。
大阪寝屋川市出身、豪栄道もファンだけどね。

おでん物語

2010-01-13 21:44:37 | Weblog

スーパーのチラシでおでんの特売が載っていた。おでんでもするか、1人だからこのチラシにあるようにパックの方が暖めるだけで良いし便利だ、これにしようと出かけた。
でも、冷蔵庫には大根も残っているし人参もちくわも、そうだ!作ろう!とはんぺん、こんにゃく、あげ、ごぼてん、スジ等々買って帰り、早速始める。
店をやめたとき、福島区にある有名なおでん屋さんに連れて行ってもらった。又、何度も書いているが玉造のおでん屋さんもおいしい。どちらがどちらか・・・もし、IF
、仮に・・リリオーがおでん屋をしたらと考え、福島区と玉造の味を比べながら何度も家で作った。幸いにも割烹をしていたときの大鍋が幾つもある。(ホンマに、営業用の大鍋が幾つもあるんだ今となればどうしようもないがこんな時に役に立つ)何回もやり直している内にたどり着いた、隠し味も解った、これだ!と。でも、毎日、同じ味を保つのはむずかしい。直ぐに飽きてやめてしまった。
3年ぶりに作ったおでん。なかなかのモンだ、自画自賛してどうするの。だが、旨いと思う。しかし、考える。こんなにたくさん作ってどうするの?やっぱり、おでんは仲間とワイワイウダウダ言いながら飲みながら食べるのが良いみたい。そうすれば直ぐに無くなるであろう。
たかが、おでん、されど、おでん。おでんの店がミシュラン一つ星☆に選ばれるんだね。新地にあるお店、何度か行ったことがある。ちいさな種類たくさんのおでんが出てきて、最後は種類いっぱいのちいさなおにぎりが・・・うーん、おいしかった。
おでんって暖簾をくぐって店内に入ると、こんにゃくやら厚揚げの香りといっしょに運んでくれる暖かい湯気に食欲をそそられ、こんにゃく、大根頂戴と頼み、熱燗をぐいっと飲み、1日の疲れを吹っ飛ばす。それがおでんと思っていたのに、いつの間にか、コースになって1万いくら・・・で一つ星。おでんも遠くなりけりですか。


世代交代と

2010-01-12 23:01:27 | Weblog

前に言ったことがあるけれど・・・・
日曜日の中山競馬場での11レース(リリオーは競馬の話が多いね)コンサフォスが勝った!10歳馬だよ。リリオーなんか10歳?まだ走るの?大丈夫かいと思ったし、もう他の馬はとっくに引退しているというのに勝った。それに脚部不安により1年半休養して出ていなかったって言うじゃないの、大したもんだ。平地V最年長タイだって。若いモンには負けへんぞーって感じだね。
プロ野球の工藤公康投手、去年、連続して打たれた時、「どうするの、大丈夫か」と心配したり、ビシッと押さえて流石と思ったり、ハラハラドキドキで、もう引退するのではと思ったが、西武に移籍、頑張るという、偉い!今年高校を卒業して西武に入団した菊池雄星君は工藤投手の息子さんと同じ年なんだって・・・息子と同い年で息子みたいなもの、何でも聞いたら教えてやる・・・心が大きい。若いモンには負けへんぞーって感じだね。
スピードスケートもそう。高木美帆ちゃん、15才。でも、岡崎朋美さんも負けていない。どちらもオリンピックに行く。若いモンには負けへんぞーって感じだね。
世代交代か・・・と書いたけれど、まだまだと言う人たちは多い。新地もそう、平成生まれが出現するようになったが、熟年のママが仕切って若いモンには負けへんぞーって頑張っている。
そう思うとリリオーも、何かやらなければ・・・1年の初めは何時もそう思う・・・でも、きっと何も出来ない、しないまま「良いお年を・・」と年末を迎えることになるであろう。リリオーだけは世代交代してしまっている。
又、話は変わるけれど、昨日の競馬は大変だった。せっかく、10歳馬を勝たせた内田騎手や蛯名騎手たち6名、落馬事故で骨折や負傷した。史上最多9頭の落馬と言う。1200Mを1分ちょっとで走るスピードだよ、そのスピードのさなかに落馬するとどうなるか、それも次々と怖いね。無事を祈り、早く快復されることを祈る。