リリオーの日記

気が付いたことを書きます。

おふくろの味の店

2007-11-13 17:01:27 | Weblog
昨日は、たくさん飲んだ。
17時に梅田で待ち合わせJR東西線北新地駅から1駅、大阪天満宮で降り1番出口を出て左に曲がって少し行ったところ「宇の木」さんへ。カウンター10席くらいのこぢんまりした店に、たくさんの大鉢に色んな野菜の炊き合わせが並んでいる。前に行こうと誘ってもらったが、いっぱいで入れず楽しみが伸びていた。
ビールから始まってまたまた、熱燗だね。むかごにきんぴらゴボウ色々、自家製の芥子レンコンがこれまたピリリと効いて旨い。隣のお客さんからサバのきずしをもらったり、牡蠣フライも食べて満足。気っ風の良い熊本県出身のママ1人で仕入れから仕込みまでやっている。気に入った。誘ってもらったのは、勿論、熊本県人会で活躍しておられるIMAさん。良いなあ、出身地の人たちが集まるのは・・・羨ましい。
酔っぱらってお初天神近くのショットバーへ、そして新地、熊本県出身のママの店へ。楽しいお話しに、おいしいお酒、気を遣うことなく飲ませてもらって酔っぱらった。
今日、朝起きると胃が少し痛い。そうそう、「宇の木」のママにヤクルトたくさん貰ったんだ。「鼻にできものが出来ているわね、風邪じゃない、ヤクルト飲んで元気になってね」と言って。有り難う!優しいママに感謝!早速飲んだら元気になった。

この記事をはてなブックマークに追加

ノーサイド

2007-11-11 17:40:04 | Weblog

やったぞ!
昨日のラグビートップリーグ サントリー・・・コカコーラー戦
コカコーラーFBジョーンズの活躍も大きいが、江浦みんなの力でサントリーに勝ったんだ!23-22で。
ロスタイムが切れる寸前、サントリーのトライが・・・と思いきやそれがトライになっていなかった。花園に響き渡る、ノーサイド。バンザイ! 
でも、本当はリリオーは忙しく花園にも行けずテレビも見なかったんだ。
昨日、Wさんからの電話で勝ったのが解った。今朝の新聞にもデカデカと載っていた。嬉しいよ。朝のワイドショーでもやっていた。
「サントリーが油断した、カツ!」と誰かが言っていたね、失礼だよ、コカコーラー向井監督の采配勝ちだよ。実力さ。
向井監督のはにかんだ笑顔が浮かぶ。今度は行くよ。神鋼戦だね。今度も勝つ!
競馬エリザベス女王杯「ウオッカ」が出場しなかったのが残念だった。
リリオーはフサイチパンドラ買っていなかったので3連複だめ×今日も×何時も×
大相撲九州場所、栃乃花関、負けてしまった。明日は頑張って!


この記事をはてなブックマークに追加

嵐山のもみじ

2007-11-10 11:23:26 | Weblog

昨日は嵐山に行ったが、前に行ったのは・・・?と考えた。
割烹をしていたとき、「女将、嵐山に店構えがなかなかのもので魚は旨くて酒は竹筒に入れて出す良心的な店がある、勉強になるぞ、僕はその店の顔だ、一度行ったら良し」と言われたお客様がいらした。言われれば是非と板前達3人とお客様Fさんを(当時、京都支店で詳しかったので)お誘いして出かけた。お誘いしたと言っても丁度7月の日曜日でリリオーの誕生日の日だったので、ケッキョクはヤッキョクでご馳走になったんだけれど。
魚は新鮮、味は良し、酒は旨しだった。
あれは何時?・・・割烹をやめ9年近く、あの板前がいた時にと考えると13,4年前くらいか?ずいぶんになるんだなあ。月日の早さに驚くよ。
トロッコ亀岡駅からトロッコ嵐山までトロッコ列車に乗り、大河内山荘、天竜寺と歩くが紅葉は真っ赤に燃えておらず、未だ早し。リリオーは真っ赤な紅葉が好きなのに。
フラフラと店を冷やかしながら歩き渡月橋まで来た。
名前は忘れたが渡月橋を渡り左に曲がって・・・あった、あった!
当時も長く続いた店と思っていたが変わらず営業している。それが老舗の暖簾を守ると言うことなんだ。リリオーは何時も途中挫折ばかり。
1人では入りにくそうだし営業時間にも未だ早い。
今度の楽しみにしよう。
あの時5人は、本当に良く食べ飲んで楽しんだ。そう、それから京都の街にタクシーで乗り込んでFさんの行きつけの店で飲んで歌ったなあ。
Fさんも10月に定年を迎えられた。30年お世話になった。Fさんとは楽しい思い出ばかり。店をやめてからも気に掛けて時々、誘ってもらっている。永遠の付き合いだよ。

今日の京都11レースは渡月橋ステークスだって。何か縁があるね。荒れそうな感じ。
明日は女の子達の戦い。エリザベス女王杯。ウオッカとダイワスカーレットで決まり。堅いね。
(写真は天竜寺の紅葉)

トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

FA宣言

2007-11-09 10:23:07 | Weblog

やっぱりFA宣言したか。新井よ。
愛着よりV争い。
「僕は強いカープを知らない」と寂しそうにこぼしたのは1度や2度でない。
それじゃ、みんな巨人、中日、阪神か?
そんなんじゃ面白くないよ、カープの新井だから応援してきたんだ!カープの新井として最後まで頑張って欲しかった・・・と思うが・・・リリオーがとやかく、言うことないね。
新地もそうだよね。引き抜き合戦の毎日だ。売上出来、ルックスが良ければ、お金が動き、争奪戦が始まる。どこでも売上の出来る子が欲しいから、給料の上乗せや契約金をはずみ引き抜こうとする。今、勤めている店より条件が良ければ、FA宣言して店を変わるね。どの世界も同じか。新地は給料が上がる分、飲み代に加算されるけれどね。
まあ、引き抜きが掛からないという子は売上が出来ないと言うことで蚊帳の外だけど。
大昔、ホステスで働いていたリリオーは勤めていたクラブが潰れ、どうしょうかと考えていたとき、あるクラブから誘いがあり、是非、来て下さいと1カ月間、毎日マンションに薔薇の花束が届けられたことがあった。(前にも書いたことがあったけれど)
初めは1店だったが違う店も花束を持って来だしたのを見て1Fで店をやっていたマンションのオーナーがビックリしてリリオーさん、凄い人だったんですねと感心されたことがあった。フフフ・・まあ、これはリリオーの昔自慢話・・・
今はただのおばさん。今日は、これから京都嵐山大覚寺、女がひとり・・・デュークエイセスの歌にもある嵐山に紅葉鑑賞に出かける。
トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

熱燗が良い季節と

2007-11-08 10:15:28 | Weblog
昨日、夕方、マグロの造りとブリ大根にしようと思って、大根を茹でていたら電話有り。
東京在住のOKさん。大阪に出張してきて客と飲もうと思ったら、用事が出来たと言われ
振られたよとのこと。「空いてる?」うーん、ブリ大根が・・・とは、言わないよ。喜んで!
OKさんの好きなウナギを頂く。ウナギは嫌いではないが自分から注文して食べるほどではなかったが、OKさんに誘ってもらっているうちに好きになった。鰻肝煮、鰻白焼き、蒲焼き、うざく。白焼きはポン酢で頂くのも良いけど、わさび醤油が最高だね。地酒もたくさん置いてある。でもやはり、冬は熱燗だ。大吟醸等上等でなくて良し。辛口の並の酒で良いんだ。冬は楽しいね!
新地もボチボチ人が出ている。11月だもんね。店にいた女の子達も頑張っているよ。みんな行ってくれている?行ってね。来週13日(火)はRちゃんの誕生日だよ~ん!
でも、私達は、昔から知っているママの所に行く。ゆっくり昔話に花を咲かせて飲むのも楽しいよ。
昼間は暖かだったが夜は冷えるようになった。みんな風邪引くなよ。

この記事をはてなブックマークに追加

魚がおいしい季節

2007-11-06 22:00:09 | Weblog

11月の声を聞くとカーデガンが欲しくなる。寒いね。
友達と阪神百貨店に買い物に行く。買い物と言ったってブランドのスーツを買う訳じゃないよ、地下の食料品売り場だ。威勢の良い声についついマグロやブリを買ってしまう。
活きが良いし値段も安い。新地の小料理屋、居酒屋さんの中では阪神百貨店の魚売り場で仕入れする店もある。
「ママ、今日は1本釣りの鰹、良いのが入ってましてね」と店主に言われた。「うわ、嬉しい、おいしそうね、頂戴、ねえお客さま」と客に同意を求めて注文したことがあった。心の中では、(阪神で買っているくせに、私が昨日、家で食べようと買ったのと同じじゃないの?と言いたかったけれど)・・・新地のママはい・え・な・い・よ・ね
でも、沢山の種類の魚を少しずつ買うには、阪神百貨店が良いよね。
私が割烹をしていたときは、板前は兎我野町の魚屋で好きなだけ高いのを(人の懐気にせず)見もしないで電話注文をしていた。それを止められなかったバカリリオー。
クソ!あらまあ、いやだ!元新地のママがクソなんて。恥ずかしい。
ディアモールをブラブラ歩き、新地へ。
ママ時代に行っていた寿司屋に入り、「久しぶりですね」「うん、新地は遠い世界よ」と言いながらビールを飲む。1杯ビールのあとは、やっぱし熱燗だね。鱈白子の醤油焼き、牡蠣酢、そして造りは、ハゲ頂戴、ごめん、差し障りがあるよね。カワハギだ、薄造りで頂戴。冬はおいしいのがいっぱい。寒いのは苦手だけれど魚が旨い。
明日は百貨店で買った、マグロの造りとブリ大根にしよう。勿論、熱燗でね。ウフフ・・・

 

 


この記事をはてなブックマークに追加

私事で・・・4

2007-11-04 18:32:30 | Weblog
昨日から長兄が豊橋から来ていた。
私の個人情報だけど、今まで家族のことを書くときは兄弟姉妹4人(姉が亡くなって今は3人)と書いてきた。でも、本当は5人なんだ。4+1・・その1人が長兄である。
長兄とは、一緒に住んだ記憶が無く、父親が死んだとき、「あれ、お父ちゃんの葬式に来てる、誰が知らせたんだろう」と思ったくらいだった。
何故?世間一般にあることで、長兄だけ母が違って、その母と気が合わず、いつ頃からか知らないが1人で暮らすようになっていた。それは悲しいこと?と思ったこともあったが、私から口出しすること出来ず、ずっとそのままだった。
父の葬儀から何十年経って次に逢ったのは母の葬儀だった。長兄も母の事、嫌いだったと思っていたのに、「一緒に住んでいた子供の頃、こんな事、あんな事あった、ようしてもらった、ええ母親やった」と恨みを言わず楽しかったことばかりの思い出話を聞かせてくれた。母は尋ねてくることさえ許さなかったから、きっと長兄も嫌いだと思っていたのに、本当はお母ちゃんのこと好きだったのか。仲良くしたかったんだ。もっと早く仲直りすれば良かったのに・・・時すでに遅し・・・
でも、直ぐ私の上の兄や従兄弟とは電話を掛け合ったり逢ったりして連絡は取っていたらしい。男同士だもんね。年の離れた私だけ蚊帳の外かと怒っていたら2年前、1通の案内状が届いた。1人息子の結婚式招待状だ。やっぱり私、長兄の妹だったんだ嬉しかった。ヨロコンデコロコンデ名古屋まで行ったよ。
結婚式では何十年、話をしていなかった長兄だけど、昨日も話をしてたんじゃないと思うくらい話がポンポン出て・・・母は違えど父は同じ。血のつながりは永遠だと思った。
そして、今日、長兄夫婦交えて、泣いたり笑ったりの13回忌となったのである。
孫の写真も見せてもらった。母がいれば、ひ孫、きっと、みんな水に流して喜んだと思う。

この記事をはてなブックマークに追加

私事ですが・・・3

2007-11-02 21:26:41 | Weblog

又、母の話だけれど。
3度目の脳梗塞で意識が戻らなく救急車で家の近くの病院に入院したが3カ月も経つと追い出されてしまう。家で看てやりたいけれど、みんな仕事を持っているしやはり、病院でと次を紹介してもらった。たまたま、母が子供の時から育ち主婦になっても住んでいた地の近く。院長、看護婦(当時は看護婦と言っていた)奥さん、みんな明るく良い人たちばかり、
「任しておいて下さい、もう病院を変わることありません。ここで、ずっと看させてもらいます」と言ってくれた。
「これも何かの縁やね、お母ちゃん、住んでいた地に戻ってきたし、病院の皆さんは良い人たちばかりで」
母もその時は安心して「うん」と頷いたように見えた。
時々、病院に行ってもシーツ、枕は綺麗し、何時も見回りしている。良いところに入らせてもらったと喜んだ。しかし・・・
母が亡くなってしばらくして驚いた!
新聞に大きく載った。テレビでもやった。
寒い時期、動けない患者を車いすに座らせたまま、風呂の順番を待たせていると、新聞に写真入りで出ていた。それだけではない。いっぱい、悪いことをしていた。営業停止。
そんな病院だったのか?良さそうに見えたのに、母もあんな姿をさせられていたのか、ベットの上でもひどい目に遭っていたのではないか。
母だけではない、そこに入っている患者はしゃべることが出来ない人たちばっかりだもの、何されても解らない人ばっかりだもの、病院の好きなように出来るよね。
人任せにせず、自分で調べて探せばよいのに、きっと他に何か良い方法があったろうに。その時は後悔して仏壇に手を合わせ母に謝った。

良い病院で良かったとあの時は思ったけれど・・・
直ぐに後悔したけれど・・・
12年に経つと、あの時は仕方がなかったかなと思う。
時代と共に考えが変わるんだ・・・

 


この記事をはてなブックマークに追加

私事ですが・・・2

2007-11-01 20:42:27 | Weblog
母が亡くなった年は色んな事があった。
11月に店の移転をした。(その時は11月が嫌いでなかったから)
母が倒れる前に変わることを決めていて次の店を探していた。やっとオープンが11月13日(月)と決まって旧店の最後の日が10日となった。その10日の朝早く、母が・・と電話があり病院に走った。直ぐにでもだめと思われたが昼過ぎに少し落ち着いたように思われたので私は10日の支払いもあるし店の最後だからと病室を出た。きっと、いくら落ち着いたと言っても、きっと今日死ぬだろう。私には解る、今、病院を出ると死に目には逢えないと思う、お母ちゃん、さよならと手を握って別れをした。
子供の時から病気になっても学校を休ませない母だったから「お母ちゃんはええ、店に行き」と言ってくれているような口元だった。
連絡を待ちながら仕事をしていたら11時過ぎに「あかん、早く来い」と兄から電話が掛かった。行けないのは解りながら「直ぐに行く」と言った。周りを見ると女の子達が帰っていきスタッフが少なくなるし、「ママ、今日でここの店最後やなあ」とドアを開けて下さるお客様が何組も来て下さる。
行ける訳ない。
しばらくして
「もう、来んでもええ、ベルコに行け」と兄の鳴き声が耳元に。
トイレに駆け込み、1人泣いた。
あれから12年になる。あの時は仕事が大事だった。母も許してくれるしと思った。が、仕事を辞めて今、思うことは、そんなに頑張らなくても良かったのに・・・仕事より大事なことがあったのに・・・
時代と共に考えが変わる・・・

この記事をはてなブックマークに追加