リリオーの日記

気が付いたことを書きます。

2月24日は七夕?

2007-02-25 16:54:12 | Weblog
昨日は私の七夕の日。
七夕と言えば7月7日じゃないのと言われそうだけれど、1年に1度、お逢いするお客様がいる。その日が私の七夕と決めている。今年は2月24日だ。
1年に1度ある大学の懇親会で高知から大阪に来られ、終わってから私の店に来て下さるお客様Bさんがいた。もう20年以上続いている。でもお店はない。どうしょう。
大丈夫、店が無くても呑むところがあればお逢いできる。
いつも会が終わってから仲間内で呑まれるホテルのバーまで押しかけた。
10年近くお逢いしていなかったAさんにもお逢いできて嬉しかった。
「ほら、あの店、おいしかったわ、もう20年は連れて行ってもらっていない、私の卒業記念に連れて行ってほしい」
「そうだな、B君の快気祝いも兼ねてしょうか」Aさんは答えてくれる。
そう、Bさんは去年、5月、肺ガンになって手術をされた。自覚症状が全くなく、検査で見つかり、早期発見で見事克服され元気になられた。
じゃ、夏に来よう、行こうと話は直ぐにまとまる。1年に1回でも、10年逢わなくても
大事に見守って下さるすてきな方々だ。
いつも私の店を出て朝まで一緒に呑む店、「まるとく」に行こうと話がまとまり、Aさんは帰ったけれど、Cさんが駆けつけ、私の店で勤めてくれていたみどりちゃんも集まり、北新地居酒屋まるとくで競馬の話や、野球、ゴルフ等々、花が咲いた。菜の花や鰹のたたき、鰆の焼いたの、春の食に満足、ビール、酒、焼酎、楽しかった。
お店をやめてお金は残らなかったけれど、人の財産はいっぱい。幸せなことだ。
今日のラグビー日本選手権、東芝府中の勝ち。薫田さん有り難う。お疲れ様でした!

敗者の弁

2007-02-20 22:51:17 | Weblog
2月18日(日)ラグビー日本選手権準決勝
東芝47ーヤマハ発動機10
ヤマハ堀川監督敗者の弁
「1対1の勝負で向こうが上だった。我々に足りない部分を見せつけてくれた東芝に感謝したい」
相手を立て素直に負けを認める弁、なかなか良い事を言うね。ハンサムだしファンになりそう。
トヨタ自動車39ーサントリー17
清宮監督敗者の弁「自分たちの力を出せなかった」
それを受けて朽木監督「力を出させないのも力。認めたくないのだろう」
朽木監督良いことを言うね。今期で終わるのもったいないね。
敗者の弁も色々だ。
25日(日)決勝戦が楽しみだ。勿論東芝のファンなのでトヨタには申し訳ないけれどーー。

定年バンザイと言いたいね。どうかな

2007-02-17 00:04:56 | Weblog

長い間店をやっていて何が起こってもビクッともしない、驚かない、動揺しない女になったと思っていたが、そんなことはなかった。普通の女だった。
最後の裏切りにはショックを受け動揺し、驚いた。立ち直ることが出来ないと思ったが、何のことはない。時間が解決する。すっかり元気になった。
今週は、絵画展に出かけた。10年くらいお会いしていないお客様の油絵が出展していると聞いて。会社をリタイヤしてから習い始めたという。力強い絵に勇気をもらった。バレンタインでーには何年も行っていなかった居酒屋に行った。(何で行かなかった?いつも気になっていたけれど天王寺は遠かった)そのマスターは7年位前まで新地でスナックを経営していた。一緒に行ったお客様とマスター、私、同い年で昔から気が合い長い付き合いだ。何年行かなくても笑顔で迎えてくれるマスターありがとう。ゆっくり楽しく飲むことが出来た。今日も、誘ってくださるお客様方と新地で食べて飲んだ。面白かった。裏切りやけんか、いがみ合いなど、たくさんあったけれど、やめたらすべてチャラだ。長い間逢っていなかった人たちと話が出来る喜び。人生って楽しいね。楽しまなくっちゃ。
明日は、沖縄でスキューバーダイビングやっている、いずみちゃん達と飲むんだ。
定年バンザイ!と言えるようになりたいね。


 


かわいい子供たち

2007-02-10 21:09:26 | Weblog
友達の姪御さんが経営している保育園に行った。
うわっ!凄いたくさんいるゾー。生まれて10か月位の赤ちゃんから5才か6才くらいの子供たち。みんなじっとしていないんだ、動き回って疲れないのかなと思う。
最初、戸惑ったけれど、おばちゃん、どこから来たの?おばちゃん、おばちゃんと呼んで部屋の中に引っ張っていってくれたので直ぐにとけ込めた。「抱いて」と言う子、背中にくっついて離れない子、遊ぼうとトランプやおもちゃと持ってくる子、色々。
みんな、お父さんもお母さんも働いている、いや、どちらかいない子もいると言う。
18時くらいになると、そろそろ迎えに来るお母さん、又、この時間から預ける来るお母さん、迎えがなくても知らん顔して遊んでいる子、いや迎えに来なくても良いやと強がりしているのかも知れない。そして初めて逢った私にくっついて離れないーーー、???色々考えるね。
私の母は子供の教育はうまく出来ない人だった。料理もだめだった。でも、子供を置いてどこへも行けない母だった。親どうしが何処かへ行くプランがあっても子供が心配だからと行かない母だった。父が死んで働かなければと行くんだけれど終わるとパット帰ってきていた。いつも、母が傍にいたような気がする。時代が違うから何とも言えないが、子供と一緒にいるのがいやだ、邪魔だと考えている母親が1人でもいると考えたくない。
母に抱かれたぬくもりは永遠に忘れることはないんだ。
でも、1日の食事は学校の給食だけの子もいると聞く。そんな、そんなことーーーー。
「おばちゃん、又来るからね」
「おばちゃん、来てね、バイバイ、バイバイ」
小さなかわいい手に送られて保育園を後にした。パワーをもらい教えてもらうことあり、考えることありの1日であった。
バンバンと足に乗られたり背中をたたかれたり、長い時間抱いたりで手や足や腰が少し痛・痛・ーーかな。

崖っぷち犬のことで

2007-02-07 19:30:47 | Weblog

今日のテレビニュースで崖っぷち犬がもらわれて行ってからのことが流れていた。
沢山の欲しい人がいる中から選ばれた家だからどんなだろうと興味があるのか?。
大きな犬小屋を作ってもらい幸せそう。でも犬小屋に入らず、土を掘ったり夜は遠吠えしたり、噛んだり、なつかないと伝えていた。当然よね。ずっと野良していたんだから首輪もリードも慣れないし、ちょっとやそっとでは飼い犬にならない。時間、期間がかかる。平成9年秋、私は首輪をしている捨て犬に出会った。リードが外れて迷ったのか、転勤かなにかで要らなくなって捨てられたのか解らない。野良はずっと歩き続けて何処かへ行ってしまうものだけれど、この犬は女の子で恐がりだったのか近所に住みかを見つけて住み始めた。私はどうしても助けてやりたくなり、何処が住みかか探したり、顔なじみになるよう毎日、付いて歩くようにした。だんだん慣れきてドックフードをやると食べるようになったがリードを持って付けようとすると逃げた。2カ月過ぎてやっと住みかを見つけた。路地の奥曲がって又曲がって誰も来ないだろうという所を自分で見つけて夜はそこにいたのだろう。何といじらしい。おいでと言うと「もう疲れた助けて」と私に寄り添ってきて素直にリードを付けさせてくれた。随分いじめられて怪我もしていた。「野良」から「しろ」「花子」と名前を変えた。近所の人たちも喜んでくれて花子は人気者になった。でも、本当はそれから大変だった。2カ月、野良をしていたからマンションの部屋に慣れ、普通の子になるまで半年以上はかかった。根気がいる。お互い努力がいるんだ。かわいそうだからでは飼えないよね。私の布団を独り占めして大きな態度で寝ている顔を見て嬉しくて泣いた。そして、花子は、その布団の中で私に抱かれて死んでいった。捨てられて私に拾われて幸せだったかと大声で私は泣いた。
崖っぷち犬も時間はかかるけれど慣れてくれると思う。ゆっくり、可愛がって欲しい。
そしてみんな捨てないで。捨て犬がなくなることを祈る。