リリオーの日記

気が付いたことを書きます。

打つや太鼓の

2010-09-30 21:31:09 | Weblog

音(ね)も澄み渡り 角兵衛>と招かれて・・・
これは長唄「越後獅子」の唄であります。
そう、今日は長唄三味線の先輩であり、この前、師匠のお見舞いにご一緒して頂いたFUさんに誘って頂き「社団法人長唄協会演奏会関西公演」に行ってきた。お稽古をやめて5年にはなるだろう。それから聞くこと無かったが、やはり良いねえ。身じろぎもせず舞台に集中。心穏やか和み気持ち豊かになった。
何回も書いているがリリオーは音痴、だが、割烹をしていてたので小唄、長唄ぐらい出来ないと恥ずかしいよと姉に言われ、習っていた姉に付いていきヒィヒィハァハァしながらしばらくは休まず稽古した。師匠もダメな弟子と解っていても、「良いですよ、ハイハイ」と懲りずに教えてくださり違った世界を知り楽しかった。その師匠も腰を悪くされ入院。色々変わっていく。
リリオーが習っていた流派のお師匠さん方の「蜘蛛拍子舞」あまりのすばらしさに涙が出て皆さんの頑張りで流派も続いていくんだと改めて拍手を送る。
リリオーと言ったら家に帰っても・・・縁を結べは兄やさん 兄じゃないもの 夫(つま)じゃもの・・・辛苦甚句もおけさ節と「越後獅子」を唄いながら陽気なものであります。この「越後獅子」は唯一、音痴のリリオーが今でもそらんじて唄えるのです。何故?
リリオーが随分昔、出版パーティーなるものを開かせてもらったときに、おめでたい曲であなたが入って唄うにはこの曲ね(これしか無し)と唄わせてもらったのです。それから又、お客様の新年パーティーに呼ばれたときも、おめでたい曲もたくさんありますが、あなたが唄えるのはこの曲だけねと「越後獅子」に決まって大勢過ぎるお客様方の前で偉い師匠方とご一緒に唄わせてもらったのです。だから、解らんくらい練習に練習を重ねた懐かしい曲で昔を・・・・
又、開かれた文楽劇場は姉が13年前、日舞師範お披露目の舞台で「菖蒲浴衣」を舞った劇場であります。初めて立った大きな舞台、ただ一度の舞台でありました。その2カ月後に入院して一度も舞う事無く死んで行きました。長唄三味線の傍で姉が舞っている姿が浮かんでは消えて・・・・又、涙でした。
話は変わるけれど、阪神・・・負けた。今日で引退した矢野選手、9回裏藤川ー矢野で行くのかと・・・キャッチャー城島変わらず。どうしても勝ちたい真弓・・・矢野を信じろ!!!何で出せへんかったんや!!!いや、やはり苦しい立場であるのでしょう、真弓・・・いや、真弓監督。
矢野選手は長く頑張りました。偉い!