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『昔の記事から』 川上音二郎
明治38年(1905)9月6日の貿易新報(現神奈川新聞)
の記事。 「川上音二郎(41)、大磯に行き、滄浪閣に
伊藤博文を訪ねたが留守で会えなかった」
***
川上音二郎。 興行師、芸術家、新派劇の創始者。
”オッぺケペー節”で一世を風靡した。 妻で日本初の
女優として活躍した貞奴(1811-1946)と1894年
人気芸者の貞奴と郷土の先輩である金子堅太郎の
媒酌で結婚した。 伊藤博文が貞奴を贔屓にしており、
伊藤博文の三羽カラスといわれた金子健太郎に媒酌
の役目が回ってきたとも。 (明治20年頃、現役芸者
のまま貞奴は伊藤博文の愛人だった)
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